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黒の女神  作者: 紗月
大地の章
158/179

Ⅸ.足跡 66

66.



アキュリス暦1750年、9のエシルベル

「フィリシア=ロイエンタールと申します。」

ドレスの裾を摘まんでお辞儀をする女性の髪は空色。

「長旅、疲れてないか?」

「お気遣いありがとうございます、アジュライト様。」

ふわりと、温かなピンク色の瞳が笑みを見せた。

「それに、このようにお出迎えいただき恐縮です。」

ジェイクが茶色のトランクを持ち上げ、それを荷物置きに載せてから振り向く。

「ロイエンタール候から伺っております、期間は?」

「1年です。どうぞ、皆さまよろしくお願いします。」

学院のホールで、フィリシアはジェイクとゼノにもお辞儀をする。

「宿舎への案内は、担当者が来るので、ここで待っていましょう。」

かつてジェイクがそうであったように、学院内の案内は先生シスから指名された生徒が行うが、到着初日は学院の者がそれを行う。

ソファに誘導しながら、ゼノが口を開く。

「フィルゼノンの様子はどうですか?」

「はい、今年の社交期では―――。」

ゼノたちと世間話を交わしている途中で、ホールの2階から人が下りてくる。

「アズ、こんな場所でどうした? っと、誰だ?」

「ウルヒ、ちょうど良かった、紹介するよ。フィルゼノンから留学して来たフィリシアだ。」

フィリシアは、先程アジュライトに見せたように名を告げてお辞儀する。

「ウルリヒーダ王子でいらっしゃいますね。」

彼女に前に立ったウルヒも礼を取り、それから肩をすくめた。

「ここで『王子』は無用だ。」

「承知いたしました。」

「フィルゼノンも同じだろう?」

アズの肩に腕を置き、からかうようにウルヒが相手の顔を覗き込む。

「もちろん。」

笑いながら応じて、アズはフィリシアに視線を向ける。

「……というわけだから、畏まらなくて大丈夫。せっかく来たのだから、ロザリアを楽しんで。」

「はい。」

「ロザリア公女が話し相手を探していたな。年も近そうだし、ちょうどいいのではないか。」

「あぁ、声がかかるかもな。」

話を聞いていたフィリシアが、目を輝かせる。

「公女、アムネジア様? この学院にいらっしゃるとは聞いていたのですが、本当にお会いできるかもしれないのですね。」

ガロアデール学院には、もちろんロザリアの人間も在籍している。

頬を紅潮させたフィリシアの様子に、ウルヒは驚いたようだった。

「なんだ、無理矢理に留学させられたわけではなさそうだな。」

「ウルヒ。」

窘めるように短くアズが名前を呼ぶ。

「送り込まれて来たのかと。」

「ウ・ル・ヒ!」

じろっとサファイアの瞳に睨まれ、ウルヒはアズから離れ両手を挙げる。

「悪い悪い。」


「確か、叔父が無理を通したようです。」


軽口のじゃれ合いにフィリシアから口を挟まれ、ウルヒは動きを止める。

「あ、いや、あれだ。冗談だ。」

「あら、まぁ。すみません。」

ピンクの瞳を瞬かせてから、フィリシアは頬を緩めた。

「父は留学に反対のようでしたが、私はフィルゼノン以外の国にも興味があったので、こんな機会に恵まれ感謝しています。決まってから、ずっと楽しみにしていました!」

「ぅ、うむ。」

「あ、シスが来た。」

やって来た先生の姿を見つけ、ゼノが声を上げる。

「では、私はお先に。お話は、また後でゆっくり聞かせてください。」

お辞儀をして、フィリシアは鞄を持ち上げると、ホールを出て行った。

ぷっとアズが笑いをこぼし、ウルヒの肩を叩く。

「何、笑ってんだ。」

「ウルヒが呆気に取られるところを初めて見た。」

「うるさい、取られてない。ジェイク、お前も笑うな、隠せてないぞ。」

「おや、すみません。」

「なんの話ですか?」

ゼノが不思議そうに、ジェイクに尋ねるが、なんでもないと宥められる。

ウルヒ自身も気にするなとゼノに声をかけ、アズは再び相好を崩したのだった。







ドカン、と突然派手な音が響いて、アズは本から視線を上げる。

思わず窓の外に目を向ければ、少し先で砂煙が巻き上がっていた。

かけていた眼鏡を外し、机の上に出していた本もそのままにアズは書架を出て音のした方へと向かう。

廊下を曲がったところで、学院のレンガ造りの壁に穴が空いていて、瞳を丸くした。

けれど次の瞬間、座り込んだ人影を見つけ、慌てて走り出す。


「ウルヒ、シア!」


「アズ様。」

「巻き込まれたのか、怪我は?」

「ウルヒ様がかばってくださったので、平気です。」

そう言いつつ、フィリシアはけほけほと咳をする。

場所は、談話室の前。開いた扉の先の室内には他にも人がいた。

「ウルヒは。」

「問題ない。突然のことに驚いただけで、皆無事だ。」

ほぅ、と息を吐いて、アズは2人に手を差し出す。

「それは何よりだが。これはいったい……。」

アズの手を借りて立ち上がったウルヒも首を傾げる。

「外が騒がしかったのは、知っているのだが。」

眉をひそめるウルヒが、顔を上げる。その視線を追えば、廊下の向こうから走って来るジェイクがいた。

「アジュライト様。」

「ジェイク、何があったんだ。」

「それが……。」

と言い淀んだジェイクの言葉が出るより先に、庭が騒がしくなる。

学院の先生シスたちが駆けつけ、集まった生徒たちを遠ざけるなどして事態を収拾しようとしている。


「ゼノ! ランカー! これは、いったいどういうことですか!」


色づいた葉っぱが立木から枯れ落ちる庭に、シスの怒声が響いた。

「両名は指導室に至急来なさい!」





「つまり、波動拳……の練習をしていて、勢い余って壁を壊したと。」

談話室のソファに座るアズの言葉に、前の床に座ったゼノが頷く。

「申し訳ありませんでした。」

「アズさん、ゼノだけが悪いわけでねぇ。オイラの教え方がいけなかったんだ、師匠みたくうまいこと伝えられてたら…。」

「いや、ランカー。これはオレが未熟なせいだ。」

「そうでねぇって、だいたい。」

床に座った2人が言い合いを始めたので、アズは咳払いする。

「君たちを責めているわけではない。ただ、危険な行為だったということは、重々認識してほしい。」

「反省しています。フィリシアさんにも、ウルヒさんにもご迷惑をおかけしました。」

「ほんに、申し訳なかった。」

深々と頭を下げる男たちに、アズの横に座っているウルヒは肩をすくめた。

「オレは別に。訓練をしていたこと自体は、悪いことではない。」

「私も。気にしないでください、幸い怪我人もいませんでしたし。」

伝えてシアは、ゼノたちに立ち上がるように促す。

しょんぼり顔のゼノは、ちらりとアズを窺う。

どうぞ、というふうに手を振る彼の仕草にほっと息を吐いて、ゼノは立ち上がる。

立つと同時にランカーの腕を掴み引き上げた。

「さて、それでシスからのお小言の内容は?」

ジェイクが質問すると、ゼノとランカーは顔を見合わせた。


「壊した壁の修復と、共通棟の廊下掃除ひと月でっす。」


びしり、と敬礼のように手をかざしてゼノとランカーが同時に応えた。

「ふむ、まぁ、壁の修復は早めにお願いしたいな。」

顎に手を置いてウルヒが呟く。

板で塞いでいるが、外気が吹き込むのは、これからの季節有り難くない。

「もちろん!」

「すぐにでも!」

2人連れ立って部屋を出て行く後ろ姿に、アズは肩を落とす。

「はぁー。波動拳とは、なんだ。」

「くっくっく、お前の騎士は面白いな。ランカーも、興味深い。」


「ジェイク。」


「ランブール。騒がしくてすまないな。」

ジェイクに声をかけた男は、マルクスからの留学生だ。

アズたちから離れ、ジェイクは戸口に立った男に近づく。

留学生の中で年長組に属するジェイクは、当初の案内で知り合って以来、同年代のランブールと親交を深めていた。

「いいや、相変わらずゼノとランカーは仲が良いな。」

「随分気が合うようだ。」

「あんなふうに交流を持てるのは、このロザリアならではだな。」

ふっと笑ったランブールに、ジェイクは小さく首を傾げる。

「何か、用事だったか?」

ランブールは、そうそうと言いながらひとつ手を打った。

「今夜、時間はあるか? 先日言っていた酒を、一緒にどうかと思ってね。」

その申し出に、ジェイクは口角を上げた。

「それは是非。」





グラスの中で揺れる琥珀色の液体。

「ふむ、マルクスの酒は深い味わいだな。美味。」

「気に入ってもらえたようで良かった。」

笑うランブールが橙色の瞳を細める。

「実のところ、この留学には不安もあったのだ。」

「そうなのか?」

ジェイクは、マルクスから来た5名の留学生を思い出す。

「特に、問題は無いようにお見受けするが。特に、あの学者の少年は、優秀なのだろう。」

「あぁ…、賢い少年だ。」

「アジュライト様が図書室によくいるので、見かける機会が多いが。アジュライト様も感心していた。」

「それは嬉しい言葉だな。マルクスの将来を担う若者だ。彼も喜ぶだろう。」

頬を緩めてから、ランブールはグラスをひと回しする。

「ここは、魅力の多い学院だが、我が国からだと時間も費用もかかるからな。馴染みもなく、成果を持ち帰ることが必須とされるプレッシャーもある。」

「確かに、マルクスからは珍しい。」

「だが、昼間のような光景を見ていると、なんとも楽しい気持ちになる。」

ランブールの表情から、言葉通りだと知れた。

「迷惑をかけているのでなければ良かった。」

「両王子の姿もしかり。」

ジェイクは目を見張る。

ふむ、と口の中で呟いて、一口酒を飲んだ。

「マルクスは、イレと交流があるらしいな。」

「よく知っているな。」

「カルダール山脈沿い…イレの地に道が通じるなら、マルクスとフィルゼノンも近くなる。」

「そうだな、交易も盛んになるかもしれない。」

「この酒も手に入るようになる。」

「はは、誼を結べた暁には、ジェイクにそれを贈ることにしようか。」

「それは良い話だな。」

ぐっとグラスを空けたジェイクに、ランブールは酒を足す。


「楽しみな未来だ。」


ランブールのグラスにも琥珀の液体を注ぎ、笑いながら互いにグラスを掲げる。

冷たい空気に冴えた夜空に、導きの星が明るく輝いていた。




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