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黒の女神  作者: 紗月
大地の章
155/179

Ⅷ.境界線 63

63.



足を止め、窓枠に手をかけた。

外で風に揺れる花。その横に置かれた白いベンチ。

その向こうに温室が見える。

庭では季節ごとに様々な植物がその姿を見せるが、白いバラが年中見られるのは、あの温室があるからだ。

庭の散歩道の奥にちょっとした芝生の広場があり、かつてはそこでよくお茶会を開いたものである。

「イシュラナ。」

名前を呼ばれ、はっと顔を上げる。

立っていたのは、ホワイトローズのメイドだった。

「王城との魔法陣が動きました。」

陣が動いたということは、城からやって来た者がいるということ。

そして、おそらくはセリナが城へ戻れる準備が整ったから、迎えが来たということだ。

「すぐに部屋に戻ります。」

(ティリア姫の見舞いと入れ違いにならなくて良かった。あぁ、いえ。それを待ってから動いたのかしら。)

イサラは、止めていた足を再び前に出した。


アジャートの軍が国境に近づき、休戦条約も白紙にされたという噂が立っている。

宣戦布告があったのかもしれない。

だが、それにしてはフィルゼノンの動きは落ち着いていた。

(ここに一時滞在しているだけの私たちに、届く情報などただでさえ限られている。それに、ホワイトローズは守られていて、領外の状況にいちいち騒ぎ立てたりはしないから……。)


―――ホワイトローズは守られている。


目的の部屋の扉を前に、イサラは不意に浮かんだ誰かの言葉に戸惑った。

(確か、あれは……王都が攻撃を受けた時。ジオラルド様に向けられた言葉。)


―――そこは手出しができない場所。だから、決して火は届かない。


窓が風を受けて音を立てる。

「イシュラナ。」

慣れた声に呼ばれ、イサラは振り返る。

近づいて来る執事に、お辞儀をしてイサラは目を伏せた。

「城へ戻る前に、少しいいですか。」

「はい、テイラー様。」

「先日、昔の話を聞きたいと言っていましたね。」

確かめるように問われ、イサラは無言で頷いた。

「ディア様のために、と言っていましたが、あの話を持ち出したのには、何かきっかけがあったのですよね?」

「テイラー様の仰るとおりです。」

僅かに逡巡してから、イサラは先を続けた。

「視察で“緋の塔”へ行った際に、エリオス=ナイトロード様が昔の話をされて…それで。」

意外な言葉ではなかったのか、テイラーに驚いた様子はなかった。

「イシュラナ、1つ頼まれてくれませんか。」

「え?」

「ホワイトローズの執事は、王領を離れることができないので。ある方に、この手紙を届けて欲しいのです。」

そうして差し出されたのは、手の平におさまるサイズの白い封筒。

封のされたそれは、バラの図柄がエンボス加工されたホワイトローズでよく使われる物だが、宛名も差出人の名前も書かれてはいない。

厚みもないから中身は、手紙というよりメッセージカードなのだろう。

「テイラー様、これは……?」

「あいにく、折が悪くて届けることができずにいた物なのですが。」

「えっと。」

穏やかな調子で告げられるが、イサラは困惑を隠し切れずにいた。

「届ける、とは。どなたに?」

「イシュラナの望みの役に立つかはわかりません。だが、知りたいことの答えの1つくらいは示してくれるはずです。」

受け取った白い封筒を両手で持ったまま、じっとテイラーの顔を見つめる。

「お願いできますか?」

視線を手元に落とし、その物の軽さに反した重みを感じる。

「いつ渡すかは、貴女に任せます。これより後、イシュラナなら、その機会を得ることができるだろうし、渡す機会を間違えたりもしないでしょう。」

優しい笑みを浮かべた執事だが、瞳の奥には真剣さが見えた。

「その手紙の宛先は、エリオス様です。」

イサラは思わず息をのみ、目を大きくした。

手の中の物を掴む手にぎゅっと力がこもる。

「……わかりました。」

意を決して頷くと、テイラーが目尻を下げた。

ふ、と視線を逸らしてから、イサラは顔を上げた。

「けれど、テイラー様の言うように…もう一度会う機会を得ることができるかどうか。」

今から塔とは反対の王城へ戻るのだ。

この先、緋の塔の騎士にイサラが面会できる理由も機会も思いつかない。

不安さを表情に出したイサラとは対照的に、テイラーは笑みを深くした。

「時機は任せると言ったでしょう? 大丈夫。これより後、必ずその機会は訪れます。」











「城へ?」

ティリアの言葉通り、セリナが思うよりもずっと早く城へ戻れる算段が付いたらしい。

やって来た迎えを前に、セリナは少し落ち着かない気分だった。

「転移の陣は準備できている。」

事もなげに応じるのは、落ち着いた様子のジオ。

長居する気がないらしく、椅子を断った彼は立ったままである。

「今、アジャートはどうなっているの?」

「騒ぎが落ちついたとは言い難いが、状況は見えて来た。」

「フィルゼノンは? 開戦だとか、兵が退いたとか、聞いたけど。」

「その辺りのことで、セリナにも聞きたいことがある。」

尋ねたつもりだったが、ジオから返って来た言葉に怪訝さが勝って、セリナは首を傾げた。

「……城に戻ってからでいい。」

セリナの反応をどう捉えたのか、ジオはあっさりと告げ軽く手を振った。

「支度ができ次第、ホールへ降りて来い。」

用件がすんで踵を返そうとした相手に、セリナは思わず声をかける。


「ダイレナンで。」


その言葉に、ジオが足を止めてセリナに視線を戻した。

気を引くことのできる単語だとわかっていて口にしたのだが、どこか後ろめたくなってセリナは視線を床に向けた。

「ジオに質問したことを覚えている?」

「覚えている。あれも城に戻ってからという話だったな。」

「えぇ。」

「もちろん『それ』も、知りたいのなら答えよう。今回のこととも、無関係ではない。」

答えたジオだったが、その後で微妙な沈黙が落ちて、セリナは顔を上げた。

セリナのその動きに気づいて、今度はジオが視線を外した。

「だが、話をするには、必要な人物がもう1人いる。」

「え?」

「私が、すべてを知っているわけではないということだ。」

首を傾げたセリナだったが、ジオは止めていた足を踏み出す。

「今のアジャートの状況も含めて、とにかく戻ってから説明する。」

のんびりしている暇もないのだろう。彼の言葉に、セリナはおとなしく頷いた。

部屋を出て行くジオが、小さく息を吐く。

「この話を、ホワイトローズでも口にすることになるとはな。」

「ジオ?」

彼の言葉を聞き止めて名前を呼んだセリナに、ジオが振り向く。

その顔は感情を読み取れないけれど、僅かに口元は引き上げられていた。

「先に下に行く。」





準備とはいえまとめるような荷物があるわけでもなく、簡単に身支度を整えたセリナは、同じく身支度を終えたアエラとイサラと共に、ホワイトローズの魔法陣のある部屋へと向かった。

アエラが開いた扉の向こう。

何度も目にした移動用の魔法陣が準備されており、執事テイラーの姿があった。

執事に促されてセリナは既に陣の中にいるジオの横に立つが、アエラたちは魔法陣に入らずテイラーの横に並んだ。

「アエラたちは?」

ジオを見上げると、心配ないと返事される。

「第2陣で転移させるから、向こうですぐ合流できる。発動させるぞ。」

「は、はい。」

ジオの言葉で、すぐに白い光が立ち上がり視界を塞がれる。

その向こうで深々と頭を下げる3人の姿が見えた。



光が消えた先に見えたのは、白い壁。

以前に城を抜け出したセリナが、ジオと共に移動して戻ったのと同じ空間だった。

(抜け出して、迷子になって……連れ戻された場所。)

床に描かれた無数の複雑な模様が、ただの絵ではなく魔法陣を成しているのだと初めて気づく。

「帰って、来たんだ。ここに。」

隣にいるジオを再び見上げると、相変わらずの無表情。

「……そうだな。」

「なんだか少し変な気分。」

「具合が悪いのか?」

眉根を寄せたジオに、セリナは慌てて首を振る。

「そうじゃなくて、良かったなって。」

懐かしい、と感じたことは黙っておく。

良い思い出があるわけでもないのはジオも知っているから、きっと伝わらない。


「やっと、フィルゼノンに帰って来れた。」


不機嫌そうな顔のジオにしっかりと瞳を合わせて、そう告げる。

ふっと気を抜いたようにジオが息を吐いた。

「そうか。」

抑揚のない返答。

(なんだか今の。)

寄せていた眉が戻っただけのことだったのかもしれない。

けれど。彼の態度がほっとしたように見えて、セリナは緩みそうになった両頬を慌てて手で押さえた。












Ⅸ.足跡 へ続く

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