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黒の女神  作者: 紗月
大地の章
152/179

Ⅷ.境界線 60

60.



「セリナ様は、このままここに。」

そう言って立ち上がったラスティ=ナクシリアとは違い、膝を付いたまま俯いている騎士にセリナは上げた右手を彷徨わせた。

空いた距離が微妙に遠くて、手は届かない。けれど、足も動かせない。

息を吸って、さらに一呼吸して、ようやく声を、というところで相手の方が先に口を開いた。


「今度こそ、騎士の務めを果たします。」


息をのんだセリナに、騎士は顔を伏せたまま頭を下げる。

機敏な動きで立ち上がると、ラスティの後を追うように向こう岸へと走り出した。

明るい茶色の髪が揺れる。

その背を見つめて、セリナは息を吐いた。

良かった。

心からそう思う。

「パトリック。」

(クラウスの話は、嘘じゃなかった。生きてた。無事だった。)

胸を撫で下ろしかけて、セリナは慌てて対岸を振り返った。


「や、だから。だめなんだって…!」







2人の騎士に場を譲り、後方へ退いたリュートは、左へと顔を向ける。

「あちらにいるようにと言ったのに。」

リュートは岩場に上って、よろけながらやって来るセリナの腕を取る。

「大丈夫ですか。」

「リ、リュート! あれ、止めて。」

「とりあえず、こちらに下りてください。」

岩の上から岸へとセリナを誘導する。

素直に指示には従うが、セリナの目は心配そうにラスティたちの動きを追っている。

「セリナ様、落ち着いて。」

「え、え? でも、あれ。」

対岸は無人。

「セリナ様の護衛のために呼んだ2人が、揃ってこちらに渡って来たのだから当然か。あいつら帰ったら説教だな。」

「リュート?」

「心配はいりません。セリナ様は、私の後ろに。」

「……。」

通常のトーンで声をかけると、セリナの視線がリュートと戦闘中の彼らとの間で2往復した。

「え…と、はい?」

釈然としない様子だが、セリナが頷く。

大人しくリュートの背中に隠れてから顔を出した。

「あの、あれ。あの人、アジャートの“ダンヘイト”の兵士で。」


「あの2人。相性がいいのか、戦闘スタイルは違うのに、妙に息が合うんです。」


「へ?」

「個々の実力は、まだまだですけどね。打ち合わせをしたわけでもないのに、共闘させると驚くようないい動きを。」

「そう、なの?」

だから、視察の護衛にも2人をセットで付けたのだ。

剣戟の響く中だが、落ち着き払ったリュートの態度に、セリナにも徐々に冷静さが戻っているようだった。

「だから、セリナ様。」

名を呼べば、黒曜石の瞳が見上げて来る。

「騎士としての彼らをもう一度信じてもらえますか?」

視線を2人に向けたセリナが、リュートの外套を握りしめたのがわかった。

不安げに視線を揺らしたが、やがてセリナは意を決したように頷いた。



アジャートの兵士の実力がかなり高いということは、剣を交わしたリュートにもすぐにわかった。

(相手の挑発に乗せられるところだった。)

ここまで追って来た敵を見過ごせないとの判断は妥当だった。

けれど、隊長格を相手にすることを面白いと発言した時、リュートは気づいたのだ。

彼が『遊んでいる』ということに。

そうして、相手の正体を知り、さらに少し状況が変わった今。あの兵士と戦うべきなのは自分ではないともわかっている。



薄い笑いを浮かべた男を相手に、剣をふるう騎士。

下段から剣をふり上げた藍色の髪の騎士。

それを避けた男の横合いから茶色の髪の騎士が剣を薙ぐ。

すんでのところでそれも避け、側の岩を蹴って飛び、間合いを取る。

「お前ら、まさか。この状況で、オレを捕らえようとか思ってないよなぁ?」


「オレはなぁ、命のやり取りをしに来てんだぁ!」


怒りに任せて、兵士は剣を振り、横にあった木が切り倒された。

「…っなんて力。」

隣でセリナが肩を揺らす。


「そのつもりでかかって来い!」


怒声と共に飛びかかり、切り合う。

勢いを増した攻撃に、2人の方が押されているように見えた。

「ぅルらぁぁぁーーー!」

「ぐっ。」

受け止めたラスティを、勢いに任せて押し切り、男はパトリックへ剣を振り下ろした。

「!」

剣を当て、その軌道を逸らしたものの、パトリックも僅かに体勢を崩す。

振り下ろした男の剣は、足元の岩に当たって鋭い音を響かせた。



「……ぉん?」



ガキンと、明らかにこれまでと違う音がして、男の剣が折れていた。

折れた先は、勢いのまま飛んで少し離れた場所に落ちる。

「チィ! これだから安物の剣は。」

後ろに飛び退いて、折れた手元の剣を睨む。

値段ではなく扱いの問題だと教えてやる人間は、彼の周りにいなかったのだろうか。

男が毒づいている間に、体勢を立て直した騎士たちは剣を向ける。

「これからって時に…ッ。」

パトリックが振った剣を兵士が避けるが、その背にラスティの膝が入った。

「ぐっ。」

「おとなしくしろ。」

腹這いに倒れた兵士。動きを封じるために、膝を付いたラスティが体重をかける。

パトリックが、男の腕を取り後ろ手に拘束しようとする。

決着した勝負に、セリナが息を吐いたのが聞こえた。



「……おめぇら、甘ぇよ。」



地を這うような低い声。

次の瞬間、白い煙が兵士の体を包んだ。

「!?」

パトリックとラスティが慌てて口元を覆う。

その隙を逃さず、兵士は身をよじり拘束から抜け出すと、短剣を抜く。

至近距離の攻撃に身を引いた2人。

「捕まえようとか思うなって、教えてやっただろーが。仕留める機会を、みすみす捨てやがって。」

離れた岩の上に立った兵士は、顔をしかめた。

「面白くねーヤツら。」

口元を追う黒い布を引き上げる。

「気が削がれた。使えねぇ剣にもウンザリだ。」

剣を構え直したラスティだったが、兵士は彼を一睨みする。

「まだやる気か? 別に構わねーけど。」

首を傾けて、兵士はセリナを見つける。

「続けるなら。本気出せるように、あっち狙うぞ?」

「っ。」

ラスティの反応に、兵士は辟易したように肩を落とした。

「どのみち、隊長相手に素手じゃ失礼だし。まぁいいや。」

目的を失ったとでも言いたげに呟いて、岩から後ろの木の枝に飛び移る。

「次は、引きずり出してやるからな。」

最後の言葉をリュートに向けて残し、その場から消えた。

「くっ!」

「いい、追うな。」

追跡しようとしたパトリックに、リュートは声をかける。

「ここはフィルゼノンではない。」

悔し気に森を睨むが、パトリックは振り返るとリュートの言葉に頷いた。

「煙幕を吸ったようだが、大丈夫か? ただの煙ではなかっただろう。」

リュートはラスティに声をかける。

「腕に少し痺れがありますが、たいしたことはありません。」

「まさか何かの毒?」

心配げなセリナに気づいて、リュートは彼女の背を押した。

隙を作るためだけの煙幕だ。

量も少なく、しかも屋外。既に煙は消えている。

「心配はいりません。それよりも、また邪魔が入る前にフィルゼノンへ。」

「そ、そうね。」


再び岩場を渡り、川岸に着く。


最初にセリナがリュートに手を支えられながら下り、次いでリュートもセリナの隣に下りる。

後に続くパトリックとラスティにも手を差し出せば、彼らも難なく岩から降り立った。

「本当に、ここに魔法壁が?」

「えぇ。ちょうど、その水際辺りが境界です。ただ、正確に表現するなら、魔法壁は一枚の薄い幕のようなものではなく、何層にも重なった障壁。川の中心辺りから、あの茂みくらいまでは“護り”の範疇でしょう。」

「でも、今は。」

「攻撃や敵意、侵入といった行為は弾かれます。単なる移動だとしても、アジャート側から入るには、許可を得てから壁に作られた“扉”をくぐるしかありません。」

茂みを越えるところで、再びセリナがそれぞれに手を貸し、砂利道に出た。

ここまでくれば、完全にフィルゼノンの領内だ。

「扉、があるの?」

「街道上に。もちろん、どちらの国にも見張りがいるので、誰でも簡単にとはいきませんが。」

「さっき言ってた、橋って。そのことね。」

パトリックとラスティが乗って来た馬を呼び、片方の馬をリュートが受け取った。

再びセリナの前に膝を付いたパトリックとラスティに、セリナまでもが2人の前にしゃがむ。

「パトリック、ラスティ。」

それぞれの膝上に置かれていた騎士たちの腕を取り、セリナは覗き込むように2人を見やる。

顔を伏せたままの相手に、セリナが言葉を続ける。

「2人とも無事で良かった。私のわがままに付き合わせて、大変なことに巻き込んでしまってごめんなさい。」

「っ!」

「そんなことはっ。」

弾かれたように2人が慌てて顔を上げる。

けれど、セリナと目が合うと、揃って視線を下げた。

「……セリナ様が謝ったりなさらないでください。」

「護衛でありながら、お守りしきれなかった我々の方こそ。」

「こうしてここまで迎えに来てくれた。助けてくれたわ。」

黙り込むラスティたちに、セリナが声を落とす。

「さっきだって、リュートが戦っているのに、何もできなくて。動けなかったけど。2人が来てくれて、すごく安心した。」

「セリナ様。」

ラスティが何かを言いかけるが、結局口を閉ざした。

それぞれの手を取ったままセリナが立ち上がったので、それに合わせて騎士たちも腰を上げざるを得ない。

のろのろと立ち上がったパトリックたちを、今度は下から見上げたセリナが笑みを見せた。


「まだ私のために剣を抜いてくれて、ありがとう。」


上手く言葉を返せないでいる部下たちの後ろに回り、リュートはその背を同時に叩いた。

「!?」

「隊長っ。」

「ほら、ぼうっとするな。まだ道の途中だぞ。」

はっ!と短い返事と敬礼をして、騎士の顔を取り戻す。

呆れつつも小さく笑んでから、リュートはセリナに向き直る。

「リュートも、ありがとう。」

見上げるセリナに、いいえ、と応じてから、手を伸ばす。

「セリナ様、フードを。」

外されていたそれを直そうとして、ふと空を見上げる。

「あぁ、ようやく雨がやみましたね。」

リュートの言葉につられるように、セリナも空を見上げる。

降り続いていた雨が上がったものの、空にはまだ雲が広がっている。

けれど、東の空は明るくなっていた。

「アエラもイサラも元気でいるんだよね?」

空を見上げたままのセリナから、ぽつりと質問がこぼれた。

リュートも空を見たまま答える。

「えぇ、2人ともセリナ様の帰りを待っています。」

「……そっか。」

「行きましょう。」

そうして差し出したリュートの手に、セリナの手が乗せられた。




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