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黒の女神  作者: 紗月
空の章
15/179

Ⅱ.世界の名 14

14.



「雨、強くなってきましたね。」

窓を閉めていても、ザーザーと強い雨の音が聞こえる。

バルコニーへ続く大窓に手をついて、セリナはじっと外を見つめた。

「そんなに珍しいですか?」

笑いを含んだティリアの声。

「あ、いえ。私がここへ来てから、割と経ちますけどこんな大雨はなかったので……ちゃんと雨も降るんだなと思って。」

「雨が降らなければ、地が干上がってしまいます。」

ティリアが口元を隠して、くすくすと小さく笑った。

「ですよね。」

それは当たり前のことだ。

(世界は違っても、自然は同じなんだな。)

ふと思いついて、ティリアの方へ振り向く。

「魔法でコントロールしたりはできないんですか?」

「天気をですか?」

驚いたように声を上げて、ティリアは説明を始めた。

「天の采配ですから、人がそれを変えることは無理ですわ。」

「魔法って雨を降らせたり、雲を吹き飛ばしたり、雷を呼んだり、できそうですけど。」

稚拙な考えをそのままぶつける。

「術の程度にもよりますね。よほどの上級魔法使いや“大賢者”なら、局地的な現象として一時的に発現させることは可能でしょう。規模によっては術者自身が多大なリスクを負う覚悟が必要ですが。」

ティリアは丁寧に答えを紡いでいく。

「後は、天気を操るというわけではありませんが、スコールやサンダーという術はあります。」

言葉からどんな魔法なのかは想像がついて、セリナは感心しながら頷いた。

「ティリアさんも魔法を使えるんですか?」

「えぇ、少しだけ。」

自分で聞いておきながら、セリナは返ってきた言葉に驚いてしまった。

「そういう家系なのです。とはいえ、わたくしが使えるのは風属性に限定されていますし、日常生活においてはほとんど必要ない力ですわ。」

以前に説明を受けたこともあり、属性の話はすぐに理解する。

(要するに適性の問題なのよね。)

運動や音楽の才能と似たようなものである。

「せっかく素質があるのに使わないんですか?」

尋ねたセリナにティリアは微笑んだ。

「“魔法”は、術者本人の力以外に精霊の力を源にしています。前提が自然の摂理に従うことにあり、むやみに使うものではありません。まぁ、わたくしの場合、とても体力を消耗する、というのもありますけど。」

ただ、精霊の加護を受けているおかげで、気配に鋭くなるなど五感が冴えることはあるのだという。それは意識しない日常的なものなのだとも、ティリアは付け加えた。

「摂理……?」

首を傾げたセリナに、少し考え込む素振りを見せながらもティリアが言葉を続ける。

「無から有を生み出すことができないとか、時間を巻き戻すことができないとかですね。」

語られる言葉は、すとんと胸に落ちた。

魔法というのはセリナが考えているほど、単純ではないようだ。

そもそも魔法を使える者が限られているのだ。世界の均衡を考えれば、様々な制約があって当然なのだろう。

(法則とかあるって言ってたしなぁ。)

「どんな“大賢者”でも摂理に逆らうことはできませんし、摂理を壊せばそれ相応の報いがあります。人が無理に力を加えれば必ずどこかに歪みができる。摂理に抵触するもの、天の運行を妨げる行為は、禁忌とされています。おいそれと誰でも使えるモノでもありませんけれど……無理を通せば精霊の加護を失うだけです。」

「賢者。」

口の中で呟いてみて、セリナはティリアの向かいの椅子に腰をかけた。

「ノア、も賢者だと言ってましたよね。」

その言葉にティリアが軽く目を見開く。

「えぇ、遥か昔……“古の大賢者”といわれています。」

「その人の遺した予言のことを、詳しく教えてくれますか?」

セリナの視線を受けて、ティリアは一度自らの手元を眺める。

「そうですね。」

どこから始めようか、と思いを巡らせているようだった。

セリナも何となく今まで避けてきた話題だが、いつまでも知らないふりはできないことだ。

「セリナ様は“黒の女神”と呼ばれているわけですが、これは“ノアの予言”に由来します。ただし、この名は直接予言の書の中には出てきません。」

「出てこないんですか。」

「ずいぶん曖昧なものでしょう? かの者の遺した言葉で有名なものはいくつもありますが、その中でも特に知られているのが次の一節、“黒の女神”について語ったとされる部分です。」

ティリアはできるだけ客観的に事実だけを述べる。


「『世界樹の外より至る黒き使い 其は国に災厄を運びし者

問いて応えよ 汝が心に』。」


前半はあの日、ジオの口から告げられた文言と同じだった。

「原書は古代語で、暗号化されて書かれている。今伝わる文章は、それを研究者が解読したもの。」

「研究者って、前に話を聞きに来た人たちですか?」

「いえ、おそらくセリナ様の所へ来たのは国立研究所の者。ノアの予言を研究しているのは“蒼の塔”の人間です。」

言われても、セリナには違いがよくわからない。

「どちらも密接に関係しているので、似たようなものですが。国立研究所が国の機関で、国のために多方面の分野で動いているのに対して、塔は独立組織。知識のために動いている、とでもいいましょうか。より専門的です。」

受けた説明を整理しようとして、頭の中でかえって絡まり始める。

深く追求することは諦めて、セリナはなんとなくの理解で納得した。

「黒き使いというのが、“黒の女神”のことですよね。」

(つまり、今の私のことなんだけども。)

「一般的にその名で定着していますが、かつては“災厄の使者”とも。どこでどう呼び名が転じたのかは、はっきりしていません。」

頭を回転させながらセリナは冷静さを保つ。

「災厄を運ぶ者。問いて応えよ、汝が心に……これは何を意味するんですか?」

「その解釈は様々で、学説も数多くあります。有力説は、己を省みよ、という意味だというものです。自分の胸に手を置いて考えてみれば、という論ですね。」

はぁ、と気が抜けたような返事をしたセリナに、曖昧でしょう?と返して苦笑する。

「その前後の文章は伝わっていません。あるのかないのかもわかりません……それを知るには原書を見るしかないですが、それは“塔”で厳重に保管されていて一般には決して公開されないのです。」

「そうですか。」

ふと、セリナは元の世界にもまことしやかにささやかれる“予言”が、かつてあったことを思い出す。

(恐怖の大王とかマヤだったっけ?)

非常にぼんやりとした記憶だが、性質としては同じに思えた。

別のことに飛んだ意識を戻してセリナはティリアを見つめる。

「世界樹の外……で異世界。黒……は、この容姿のせいですよね。」

一つ一つを確認するようにセリナは呟く。

「着ていた服のせいでもあるのかな? 私に特定されるのは、この色が珍しいから?」

「その色を持つ者は、非常に稀なのです。髪も瞳もというのは、おそらくセリナ様お1人でしょう。」

「ティリアさんは。」

顔を上げるのが怖くて、目を伏せたままセリナは問いかけた。

「災いを運ぶ者が恐ろしくはないのですか?」

それはずっと聞きたかったことだ。

部屋を沈黙が包む。

ティリアが動いて衣擦れの音がした。

「わたくしは兄に言われて、この“教師役”を引き受けたわ。」

「お兄さん?」

急に変わった話題にセリナは戸惑う。

「ただの“教師”だと形式的な関係にしかなれない。だから“世話役”を兼ねることでバランスを取っていた。」

「えぇと、ティリアさん、急に何を?」

ティリアの口調が変わったが、それを今指摘する勇気はなかった。

「こうして同じ目線で話をするためよ。対外的に示すための理由が必要だった、『こういう理由があるからわたくしはセリナの側にいるのよ』ってね。まぁ、周りの人間がどう思おうと構わないんだけど、それで兄に迷惑はかけられないから。」

「はぁ……。」

力の抜けたような返事をするセリナにティリアは視線を合わせる。

「あなたがどういう人なのか知りたかったの。」

そう宣言されて、セリナは目を見張った。

「黒き使い、“黒の女神”、災厄を運ぶ者。大昔の“賢者”の言葉。本当に、そんなふうに呼ばれるような悪しき存在なのかどうか。」

雨粒がしきりに窓を叩くが、ティリアの声はそれに邪魔されず良く聞こえた。

「けれど誤解しないでね。見極めようとか、本物かどうか確かめようとか、そういうことじゃないの。大部分の者が知っているから、セリナの出現に多くの民が漠然とした不安を抱えているのは事実。それを良く思わない人もいるでしょう。100%賢者を信じているわけではなくてもね。いい大人がすっかり取り乱し大騒ぎして、ばかばかしいことよね。」

(すごい、一蹴した。)

呆然とティリアを見つめる。

「“予言の書”とは後世の者が勝手につけた名前で、かの者が“予言”だと言い遺したわけではないの。書にある“世界樹の外からの黒き使い”が現実になったから、その後にある“災厄”も現実になるだろうと……そう短絡的に考える気持ちはわからなくもないけれど。愚かでもあるわ。」

「し、辛辣なお言葉。」

思わず突っ込むと、空色の瞳が優しい色を浮かべた。

「本人のことを何も知らないくせに、事実がどうなのかもわからないまま理不尽な視線や言葉を向ける……そんなことをわたくしはしたくなかった。幸いなことに、こうしてわたくしはあなたに会う機会に恵まれた。視線を合わせて話をできる立場にいるから。」

一度息をついて、再び口を開いた。

「ただ知りたかっただけ。天空から現れたのがいったいどんな方なのか。異世界の人だとか、黒き使いだとか、女神だとか、賓客だとか。全部含めてセリナなんだと思うの。でも今、目の前にいるのはここではない場所から何も知らない世界へ落ちてきた1人の少女。」

「ティリアさん。」

「独善的かもしれないけれど、力になりたいとも思ったわ。あなたと話して、あなたを知るうちに。」

セリナの胸が熱くなる。

「『セリナを恐ろしいと思ってなどいない』。これがさっきの答えよ。」

(すごい。この人、本当にすごい人だ。)

悔しいほど陳腐な言葉しか浮かんでこないが、セリナは感歎の思いでいっぱいになる。

ティリアが、不意に花のように微笑んだ。

「あなたは自ら進んで悪しきことを巻き起こすような人間ではない。なのに、見当違いの目を向けられるのを、黙って見てはいられない。“教師”としての役目を終えても、わたくしはあなたの味方でいたいと思っている。」

セリナは息が詰まる。

「あなたもそれを望んでくれたら嬉しいわ。」

「ティリアさんっ。」

続けられた言葉に、セリナは泣き出しそうな顔で微笑んだ。

ティリアがぽんぽんとセリナの手を叩く。

「―――ありがとう。」

セリナが告げた言葉は掠れていたが、ティリアにはきちんと届いていた。





実は、正式に顔合わせをする前、一度だけティリアはセリナを見かけていた。

折しも教師役を打診される直前、城へ呼び出された日のことだ。

ふと見上げた先のバルコニーに佇む少女に、思わず息をのんだ。無造作に下ろされた髪の色にも目を奪われたが、それより惹かれたのは瞳だった。

(どこも見ていなかった。)

その姿は儚げで頼りなかったが、そこにあるのは空虚さではなく静寂。

(あんなに穏やかな空気を纏う者が、自ら望んで災いを起こすとは思えなかった。)

あの距離でその空気を感じ取れたのは、ティリアの風属性の魔力のおかげだ。

気配やオーラというものへの聡さは、彼女の精霊の恩恵。

黒の女神と呼ばれ警戒すらされている相手にはとても見えなくて、興味を持った。

だからその後、教師の話を出された時、その場で承諾したのだ。

兄からは、「少し考える時間をくれと言われると思ったのだが」と苦笑混じりに告げられたくらいだ。

きっと最終的には受諾しただろうが、セリナを先に見かけてなければその言葉通りだっただろうとも思う。

(それもまた必然と言えるのかもしれない。)

誰にも伝えていない小さな秘密を胸に、ティリアは泣き笑いの顔のセリナに微笑んだのだった。


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