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黒の女神  作者: 紗月
大地の章
147/179

Ⅶ.冠 56

56.



時が止まった。



何かが破裂するような鋭い音が響いたせいだ。



何が起こったのか、わからなかった。

否。わかりたくなかった。



「ぐぅ…!」

どさり、と重い音。

呻きながら体を傾けたのはアジャート国王。

持っていた剣を床に突き立て支えにしたのもつかの間、謁見の間に敷かれた赤いじゅうたんの上に倒れ込んだ。





「どう…してっ。」

口元を押さえても、声がこぼれる。

震える手に力を込めて、セリナは嗚咽が漏れるのを堪えた。

崩れ落ちそうなセリナを支えてくれるルーイの顔も、色を失っていた。

「兄上、なんということを……。」



イザークの腕を取るのだと思っていたエドの手には、黒く鈍く光る何かが握られていた。

(そうだった、“銀の盾”のところにもアレはあった。)

彼が持っていても不思議はない。

ゆっくりとエドはイザークの手を握り、そして数秒、顔を伏せる。

「さぁ、黒の女神。長らく続いた戦いを終わらせよう。」

イザークを床に横たわらせ、エドが立ち上がった。

「そして僕は、この地に平和をもたらす“英雄”になる。隣に女神の姿があることは、それだけで『力』になると言ったでしょう。」

「エ、エド。」

「まずはイレの地。グラシーヴァ卿を戻して、まずは事態を収束させないと。国内の騒ぎが落ち着くまでは、『アジャートの武器庫』は彼に抑えてもらうのがもっとも効率的だからね。」

「卿は……恩人だって。」

「えぇ。イレは重要な土地。卿には後々退いてもらいますが、まぁ、暗殺するようなことはしませんよ。相手が変な気を起こさなければ、ですけど。」

状況に不釣り合いな、穏やかな苦笑いを見せる。

赤く染まった服が妙な迫力を足している。

「先遣隊の兵も、手を打たないと。」

「兄上、こんなことが許されると……。」

セリナを背後へと押しやって、ルーイは掠れた声を出した。

「こんなことって、僕が何をしたって?」

エドに視線を定めたままでルーイは、剣に手を置く。

「ルードリッヒ、まさか僕に剣を向けるつもり?」

「兄上こそ、オレが見逃すとでも?」

柄を握るルーイの腕に力がこもる。


「王を討ったのは、いや、撃ったのはイザーク。そうだろう?」


「何言って。」

「アジャートを守る剣になるんだったね。なれるさ、なればいい。ルーイの腕はよく知っている。協力は惜しまない。」

「っあの優しい兄上が、どうして!」

「平和を手に入れるためだよ。この国を救うためだ。」

「そんな詭弁で、犯した罪が消えるとでも!? これは、ただの反逆行為です。」

「意見の不一致だな。残念だよ。ルーイの理想も叶えられるのに。」

「ふざけないでください!」


「君も、崇高な兵士だと思ったのだけどな。」


気落ちしたように顔を伏せるが、薄紫の瞳をひたりとルーイへと向けた。

「まぁ、仕方ないね……なかなかすべて思い通りに、とはいかないものだ。」

ふぅ、と小さく息を吐く。

「剣の腕はとても敵わない、けど、これならどうかな。」

体の陰に隠れていた右腕を持ち上げる。

引き金に指をかけて、キール・バーダがルーイに向けられた。


「!!」


距離の差。剣の間合いに入るために、ルーイが詰めるべきそれは、エドの武器には関係ない。

エドの指先に力が込められる。

「やめっ…!」

震える足を叱咤して、セリナは目の前のルーイへ腕を伸ばす。



「王妃様、なりません!」

「離せ、無礼者。わたくしに指図する気か!」



鋭い声と共に、広間の奥の扉が開かれる。

姿を見せたのは、赤いドレスを揺らすグレーティアとオリーブ色の制服を着たダンヘイト隊長ギゼルだ。

「陛下! 外の騒ぎは……っ!」

背後のギゼルを振り払い、きっと睨みつけるように広間に瞳を向けた王妃は、その場で固まった。

状況を把握するためか、言葉を失ったままその場にいる者たちを順に眺めやる。

一方のギゼルは、一瞬で事態を確認し、臨戦態勢を取っていた。

その手には既に剣が握られ、『敵』に狙いが定められている。

王妃の口が、無音のままエドワードと動く。





「母上。ここは危険です、部屋へお戻りを……。」

視線をグレーティアと向けた、エドの台詞は最後まで紡がれなかった。


乾いた音が響く。


崩れ落ちるように、床に膝をついたのはエドワード。

「っ。」

絞り出すような息を吐き、自分の胸を押さえた。

「…っは。アジャートの王ともあろう人が、背後からの不意打ちとは。」

彼の手が流れ出る赤色で染まっていく。

首を巡らせ、床に倒れたままの王へ薄紫の瞳を向ける。

王の手に握られたキール・バーダの銃口から煙が上がっていた。


あの鏡の部屋で、使われたそれだった。


「エド…ワ、ード。」


「情けを、かけたのが間違い…った。あの王妃の子、ゆえ、いずれ…お前も気づく…だろ…と。」

「へ、陛下。エド…。」

わなわなと体を震わせて、王妃は数歩進み、床に座り込んだ。

「ワシは誓ったのだ。終わ…せると。」


「―――ッ!!」


「陛下!」

ギゼル=ハイデンが鋭い声を上げ、剣を振り上げた。



「!!」

「セリナ!」

目を見開いたセリナだったが、その視界はルーイによって遮られた。

抱き込まれ、耳も塞がれて。訪れたのは暗転と静寂。



アジャート王へ向けて再び銃を構えたエドワードと。

それを阻止しようと踏み出したダンヘイトの隊長と。

誰が、何が、どう。そこで起こったのか。

















「セリナ。」



目の前は真っ暗なのに、頭の中は真っ白だ。

「セリナ。」

ごく至近距離で、アメジストの瞳が心配そうにこちらを覗き込んでいた。

「……。」

見えるのはルーイの顔、揺れる青い髪。

肩を軽く揺らす動きに、彼に名前を呼ばれていたことに気づいて、ようやく瞬きする。

「ルーイ……。」

声を出すと、ルーイはあからさまにほっとした様子を見せた。



彼の肩越しに見えた光景に、セリナは身を強張らせた。

エドとイザークの姿は見えず、床に広げられた赤い布の傍らに、顔を伏せたギゼル=ハイデンが膝を付いていた。

布は元々壁に掛かっていた飾り幕だ。アジャートでは、砦や城の他の部屋でもよく飾られていた。

倒れたアジャート王の隣には、グレーティアが寄り添っている。

(何、が起こった……?)


床に落ちたキール・バーダが、ひどく異質な物に見えた。



「国のためにと非道な剣も振るった。このまま、と思ったこともあったが。この世は止まることを知らぬようだ。」

天井を見たままアジャート王は、言葉をこぼす。

「繰り返さぬと…この手で終わらせると……。」

「陛下っ…。」

「グレーティア。」

「陛下、わたくしはここに。」

「迷惑を…かける。」

ぶんぶんと王妃は首を振る。

握った手に力がこもる。

赤いドレスが、さらに赤に染まる。

「あの子を、救ってやれんかった……許せ。」

「ウルリヒーダ様っ!!」

はらはらと涙をこぼし、グレーティアはウルリヒーダに抱きついた。

「だから戻れと……言ったのにッ、こんな…申し訳、ありません、ウルリヒーダ様。」





「……どうして、こんな。」

ずるりとセリナはその場に座り込む。

セリナ、と名前を呼んだルーイが、こちらに手を差し出しかけた時。


ドン!と床が大きく揺れ、ひと際大きな衝撃に襲われた。


ぎょっとしたのはセリナだけではなかったらしく、グレーティアの悲鳴も上がる。

「王妃様!」

「セリナ!」

ギゼルの声が聞こえたと同時に、自らもしゃがみ込んだルーイに引き寄せられ、セリナは彼の服を掴んだ。

物が壊れる音が響く。

おそらくこの広間の外でも、同じ状況なのだろう。



揺れがおさまった後、そろそろと顔を上げる。

壁と床には亀裂が走り、壁際に飾られていた彫像が倒れていた。

(今の、地震……?)

「また“盾”の仕業か?」

ルーイが身を起して、天井を見上げる。

(盾……今のも?)

だとしたら、彼らの計画は成功したのかもしれない。

彼らが奪った食べ物が、飢えに苦しむ者たちの元へ届けられたなら。


「王妃様、ここは危険です。避難してください!」

パラパラと天井から何かが落ちて来る。

立っている柱にも、ヒビが入っていた。

ギゼル=ハイデンの声に、グレーティアが身を起こす。

「ウルリヒーダ様を、エドを……置いていけない。」

「陛下は私が運びます! 殿下もすぐに。ですから、お早く。」

ダンヘイト隊長の指示に、ようやくよろよろと立ち上がり、わかったと頷く。

僅かの間ぼうっとしたものの、王妃は乱れた髪を耳にかけ、顔を上げた。

「ルードリッヒ王子、無事か。」

声を出したグレーティアは、既に毅然とした姿を見せていた。

「この混乱を収束させねばならない。わかるな。」

「は。」

床に片膝を付いたルーイが、短く答え頭を下げた。

セリナが視線を向ければ、王妃と目が合う。

何も語らず、けれど、グレーティアは涙に濡れたその瞳をゆっくりと伏せた。

「では、王子。急ぎ、己が成すべきことを成せ。」

再び頭を下げた後で、ルーイはセリナの方を振り向く。

「セリナも、すぐにここから避難を。立てるか?」

ルーイの手を借り、セリナはふらつきながら立ち上がる。

次にセリナが顔を上げた時には、グレーティアはギゼルが開けた奥の扉から出て行くところだった。

(……。)

そうしようと意識したわけではなかったが、床に刺さった剣が視界に入る。

けれど、ルーイに頬を挟まれ、すぐにその光景から顔を外すように仕向けられた。

「ルーイ……。」

「断じてお前のせいなどではないからな。」

胸が詰まる。

声が出ない。

「こんな事態になったのは、今までの行いの報いだ。それだけのことを、この国の者が、オレたちがしてきたということ。」

「けど…っ!」

「“黒の女神”は災いを招かない、と言ったことを覚えているか?」

強い口調で問われ、セリナは逡巡したのち頷く。

「忘れるなよ。」

目の前で起こった惨状を、誰かのせいにすることはとても楽で容易いこと。

けれど、彼はそうしない。

「お前は、災いではない。夜明けを導く“黎明の女神”。肩書をたくさん持っているようだが、二つ名を与えるなら、それこそお前に相応しい。」

セリナは、首を横に振る。

「光を導くのがこの国でないとしても、その価値に変わりはない。」

もう一度、セリナは首を振った。

「ま、お前にとって、女神はうんざりかもしれないな。」

眉を下げて、小さく笑う。

「とにかく、セリナが負い目に感じることなど、何1つもない。」

決してセリナを責めたりはしない。

それどころか、セリナを救おうとすらしてくれる。

(あぁ、この人は……。)


―――言っただろう。この手を取れば。アジャートにいる間は、オレがセリナを守ると。


セリナは、ルーイを見つめる。

似ていると、思った。

もう1人。知っているあの人と。

セリナは胸を押さえる。

嗚咽を堪えて、俯いた。

目を逸らしたくはなかったのに。


耳に心地いいエドの語る理想を、実現できると手を貸したのは自分だ。

それが彼の行動において、動機の1つになったことを、否定などできない。

それはあまりにも美しすぎて。

そうなればいいと本気で思った。

頭の中だけで組み立てた理論だと、気づかなかった愚かさに思い至っても遅すぎる。

心はずっと前から、警鐘を鳴らしていたのに。

自分で選んだ道だと思っていたけれど、彼の示す選択肢では、初めから彼の望む答えに誘導されていたこと。

右腕だと公言する相手を、思うように動かしていたこと。

使いの梟を「便利な鳥」だと口にした彼が、それを道具としてしか見てないということ。

目にしたその時々に、引っ掛かりを覚えながら、その違和感を口に出せなかった。

もっと早く確かめるべきだった、たった1つの質問すら、答えを聞くのが怖かった。

(一度も、私を名前で呼ばなかった。)

誰よりセリナを『女神』としてしか見ていなかった。

(理由を確かめたら、理想的な未来にヒビが入るって、どこかで気づいていた。)


巧妙に語られた昔話で作られたのは、偽りを含んだ王子の姿。

セリナが口にした間違ったラウラリアの話。それを誰から聞いたのか、アジャート王はすぐに気づいていた。

そして、それにセリナも気づいたのに、目を逸らした。

塔に部屋を移されたのは、誰から隠すためだったのか。

そこに身柄があると知っていてなお、破壊した塔の地下。

陽動だと言ったそれは、きっと当初の計画通りで。変更しないその計画の中で、イザークたちにセリナの存在はどう伝えられたのだろう。

(囚われている塔から、陽動のついでに女神を救出することを『綺麗な理由』で語ったのだろうか。あの爆破で? 女神だから平気だとでも?)

胸が痛くなるような会話を、隠れて聞かせるよう仕組んだのは。

―――中の状況がわからないだろうから、上から確認するようにと……。


そうして、実現しようと望んだのは。


「平和な国……。」


(わからない、わからなくなる。何が正しいのか。)

戦いではなく、平和を手に入れたいと思った。

侵略ではなく、フィルゼノンに戻りたかった。

災いではなく、自分の存在を認めてほしかった。


見ている世界がひっくり返る。


赤と黒のハザマで、足下が崩れバランスを崩す。

落ちる、と思った瞬間。世界は反転し、逆さを向いて立つ。

赤と黒の位置が変わり。

ふと気づく。

反転したのではなく、元々こうだったのかもしれないと。

見たいものだけを見ていたから、逆さの世界に気づかなかっただけで。


(こんな思いを、私は既に知っていた気がする。)


それがどこで感じたものなのかは思い出せないけれど。

『今』よりも前に、セリナはきっとどこかで。

「……っ。」


現実はそんなに簡単に、思い通りに動きはしない。

―――自分と周囲をよく見ろ。世間を知れ、現実は容赦なく君を傷つける。

(あぁ、ジオの言葉はどこまでも真実だわ。)

堪えていた涙が一筋こぼれ落ちた。


(どうしてだろう、今、どうしようもなく彼に会いたい。)


セリナは、ドレスの胸元で手を握りしめる。

アジャートへ来てから、何度も何度もそうしてきたように。



そこにある綺麗な青色の石を、両手で握りしめた。



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