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黒の女神  作者: 紗月
大地の章
146/179

Ⅶ.冠 55

55.



謁見の間へと入ったセリナとイザークだったが、それに視線を向ける者はいなかった。

セリナはルーイへと駆け寄り、その腕に手を伸ばす。

「ルーイ。」

顔色の悪い相手に、大丈夫?と声をかけようとしたのだが、セリナは言葉を飲み込む。

水が滴るほどではないが、軽く濡れているルーイは、少し冷気を纏っているように感じた。

反応のない相手に、セリナは掴んだ手に力を込めてルーイの腕を少し引く。

もう一度名前を口にする前に、ルーイがゆっくりと視線を動かした。

「……セリナ。」

それからアジャ-ト王たちの方を見て、自分の口元を押さえた。

微かに眉を寄せたルーイに気づいて、セリナは首を傾げる。

だが、渋面を浮かべていたはずのルーイは、すぐに普段の顔を見せた。

「馬鹿、なんで下りて来たんだ。」

下から見るとさっきまでいた場所は、周囲の壁と同化してやはりスペースがあるようには見えない。

設計の妙なのか、魔法の力なのか、セリナにはわからなかったけれど。

あそこから姿が見えていれば、壁から突然現れているようで奇妙な光景になるのだろう。

イザークは戸口に立ったままで、セリナがルーイの元に寄った時にも何も言わなかった。


「まったく、外も中も騒がしいことだ。この大事な時に。」


呆れたような台詞を吐いて、アジャート王はゆっくりと玉座に腰を下ろした。

焦りなど微塵も感じない態度は、外の騒動への心配もしていないのだと示していた。

鎮圧することを疑ってもいないのだろう。


「ねぇ、女神?」


エドに呼ばれて、セリナは肩を揺らした。

王に向けていた目を、エドへと巡らせる。

「僕たちの目指すところは同じ、でしょう?」

初めてこの広間に足を踏み入れる前、その言葉にセリナは頷いた。

(あの時だって、違和感はあったのに。)

「同じ、だと思っていた…けど。」

「けど? 戦を止めたいと言っていたのは、嘘だったの?」

違う、と緩く首を横に振る。

エドが悲しげな表情を浮かべる。

「フィルゼノンへ帰りたいんでしょう? ちゃんと約束は守るよ。だから、女神はちゃんと女神の役目を果たしてよ。」

「エド。」

「血を流さず、このまま戦いを終わらせるために、女神なら懸け橋になれる。その力を僕に貸してくれるんじゃなかったの?」

思わずアジャート王を見れば、静かにこちらを眺めているだけだった。

(同じはずなのに。目的は重なっているはずなのに。)

「……ねぇ、エド。」

セリナは、ぎゅうっと両手を握りしめた。


「エドは、私の名前知ってる?」


突然の質問に、エドが怪訝そうな顔を見せた。

「知っているけれど、急にどうしたの? そんなことより、今はもっと大事な……。」

なぜ今、というエドの反応はもっともなものだ。

「……。」

多分。とセリナは考える。

彼がもう少し冷静な時に同じ質問をしていたら、答え方は違っていただろう、と。

例えば先日エドの部屋で、どうしても口に出せなかったあの時に。

無理して尋ねていたら、エドはもっとセリナの意に添うような、納得してしまうような理由でもって応じていたはずだ。

(『そんなこと』…か。)

「僕なら、フィルゼノンともマルクスともうまく国交を回復させる。この国と民を救えるのに。」

「お前が、フィルゼノンと? 笑わせる。」

嘲るようなウルリヒーダの声に、エドが玉座を振り返る。

「できるわけないと? そんなふうに決めつけないでください。フィルゼノン王は隙のない男ですが、これでも交渉材料ならいくつかあるんですから。」

アジャート王が息をつく。

「神殿で務めに励めばよいものを。子どものお伽話をはき違えおって。」

一度伏せたアメジストの瞳で、エドを見据える。

「ラウラリア、黎明の女神はフィルゼノンの始まりの女神だ。」

「後世に現れ加護を与えると遺した女神です。」

「だから、それは白の英雄に。」

そこまで口にして、諦めたようにアジャート王は口を閉じた。

(白の…英雄って、確か『英雄王』は。)

セリナは混乱した。

(待って、黎明の女神は。白の女神と同じように信仰の対象になっている女神。勝利の女神。)

そこは間違ってはいないはずだ。

(彼女が加護を与えるのは、アジャートではない?)

だから。

ラウラリアとしてなら、フィルゼノンで歓迎されただろうと。

けれど。

そうだったなら既に殺していたと、アジャート王が口にするような相手。

(フィルゼノンの始まりの女神、黎明の女神ラウラリア。フィルゼノンの初代国王、英雄王レオンハルト。)

「ラウラリアが……。」

セリナのこぼした呟きに、アジャート王の視線がちらりと向けられた。

「ラウラリアが、加護を遺したのはフィルゼノン。」

そうだとしたら。エドから聞いた神話の解釈が違うのなら、あの時に立てた仮説はどれも覆ることになる。

「黒の女神として、功績高く大いなる力でこの世界を繁栄させたことは認めるし、希望の光、勝利の星として信仰を集めておる故、我が国においても蔑むようなことはない。祈りを捧げるべき重要な女神。」

だが、とウルリヒーダは声を落とす。

「わが一族にとっては、なんとも忌々しい女神でもある。至高天の理を翻して加護すべき土地を渡り、アジャート初代国王ハプシャート皇を捨て置いた存在。挙句、アーク・ザラを去るその時にまで。フィルゼノンへの福音を届けるふりをして、アジャートに泥を塗った女神。」

「違う、加護を言い残したのはハプシャート王に向かってです。」

「だから、泥を塗ったと言ったのだ。わからぬか。去り際に、重ねてアジャートには己の恩恵を与えぬと釘を刺したのだ。もちろん、こんな話は一族に伝わるだけで、公言されてはいないがな。」

反論を口にしたエドに、王が言い募る。

「エドワード、お前とてそう聞いていたはずだ。」

「もちろん英雄への加護の話は、王族でのみ語られているものだとは……。」

「まさか、昔からずっと思い違いをしていたのか?」

詰めるように問われ、エドが床を見つめたまま、考え込むように眉を寄せた。

「黒の女神は、勝利を運ぶ戦乙女だが。ハプシャート王の受けた屈辱を忘れはせぬ。」

アジャート王の語る神話に、セリナは彼らの発言を思い返していた。

(だから、アジャート王やルーイの反応がおかしな時があったんだ。特に、アジャート王は初めから、“黒の女神”のことをノアの予言に重ねて見ていた。……白を翻す英雄。)

エドの格好に、ふと目が留まる。

“銀の盾”で鎧や外套を着ていない時、彼はいつも白い服を身につけていた。

眩しいほど美しい白を。


―――アジャートにとっての光……言うなれば、導き主のようなものだね。

―――貴女の存在が、夜明けをもたらす英雄の存在を知らせるんだ。


(ラウラリアは、英雄に暁の光を導く。けれど、エドは“黒の女神”も“ラウラリア”も誤解していた。)

想定している神話に語られた後世の英雄には、当たらない。


「フィルゼノンへ仕掛ける戦で狙う大地。肥えた土壌、精霊の恵みを受けた場所。」


エドの静かな声に、はっとしてセリナは目の前に意識を戻す。

「純粋に、豊かな土地を求めて、あるいは国土拡大を求めて、というのなら『王』の采配の内でしょう。それが理由なら、僕もここまでは言っていません。けれど、知っているのです。僕は、この戦を進めるのが国王陛下の私情を含んだものであることを。」

顔を上げたエドは、ゆっくりと首を振る。

「巻き込まれる民が哀れでなりません。」

「お前が何を知っていると。」

「“黒の女神”のために、アジャートの国民を巻き込んでいる。お伽話をはき違えたのは陛下の方です。」

エドの言葉に、セリナは訝しがる。

隣のルーイも怪訝そうな表情を見せていた。

「既にこの世界に居もしない偽物の女神を想い、フィルゼノンの“ダイレナン”にいつまでも未練を残しておられる。あの場所を手に入れ…いえ壊してしまいたいのかもしれませんが、とにかくあの場所を手中に収めたいのですよね。」

落ち着いた口調で、エドが言葉を紡いでいく。

ダイレナンという単語に、セリナは肩を揺らした。

「それは国益とは無関係の、個の感情によるもの。母上もこの僕自身も、その犠牲者だと思っています。」

「……。」

「それでいて、アンネリーゼ様は寵愛するなんて、理解しろという方が難しい。いっそのこと陛下には女神1人と貫いてくれれば良かったのに。」

一歩、玉座へと近づき、エドが軽く両手を広げた。

(犠牲者って。王妃と第1王子が冷遇された原因? なぜダイレナンの名が。)

「くく、何をどうやって調べて、どう解釈したのやら。さすがに、そういう頭はよく回るらしい。見当違いも甚だしいがな。」

「いいえ、それほど大きく外れてはいないはずです。」

間髪入れず、否定する。

「“黒の女神”、陛下が守りたかった偽物の女神。手に入らなかった女神のために剣を抜き、フィルゼノン王を討ち、かつて叶わなかったことを果たすために、次の女神を口実にして、戦を始めようとしている。」

セリナは目をアジャート王へ向けた。

守りたかった黒の女神がいたことは、王自身が認めている。

「そんなふうに私情で民を戦場に送り込むような“王”は、国のためにならない。」


「これ以上国を衰退させる前に、退位してください。」


「殿下!」

「ははは! ついに本音を口にしたな。やはり狙いは玉座か!」

鋭い声を上げたルーイとは対照的に、ウルリヒーダは楽し気に叫んだ。

「もはやあなたに、“冠”を戴く資格があるとは思えません。」

「己の身の程もわきまえず、大層な口を利く。勘違いもこれほどとは。神殿へ預けたのも、まったく無意味であったな。」

「預けた? 王族の責務にかこつけて、城から追い出したの間違いでしょう。まさか、王位を奪われるのを恐れてだったとは思いませんでした。」

落胆したような様子を見せるエドを、セリナは見つめた。

(エドは、自分から城を離れたんじゃないの?)

争いが嫌で、自ら身を引いたというふうに話をしていたはずだ。

だが、今の口振りでは、自分の意思ではなかったことになる。

「少しはまともに、と思って目をつむってやれば頭に乗りおって。やはりお前が側に女神を置いた時点でダンヘイトを迎えにやるべきだった。愚者が過ぎた夢を見る前に。」

重い息を1度吐き出して、アジャート王は腰を上げる。

「ワシの手で愚かな王子の戯言に終焉を与えてやろう。せめてもの情けだ。」

キン、と金属音が広間に響く。

玉座の横に置かれていた剣を、ウルリヒーダが手にしたところだった。

「そうやって、また『力』で解決しようとなさるのですね。」

「偉そうに言葉を吐いたところで。今まさに“銀の盾”を使ってやっていることとて、『力』の行使だというのに。お前が、非難できた立場か。」


張り詰めた空気が広がる。

固まるセリナの横で、ルーイも身構えているのがわかった。


「そんなに“冠”が欲しいなら、ワシを倒すことだ。逆賊が、王位を継げるはずもないがな。」

「反逆者は、確かに王位を得るのに相応しくはない。圧政を敷く暴君を討つのは“英雄”でなければ。」

ウルリヒーダもエドも、語る口調は落ち着き払っている。

「“王殺し”が、英雄になれると思うのか。」

「いいえ、それは大罪です。どんなに正当な理由があっても、王であり父であるあなたに直接手を掛ければ、僕は死ぬまで…もしくは死後もずっと、その罪がつき纏うことになる。それは“英雄”としての影となり、憂いとなる。」

「よくわかっておるではないか。」

「心苦しいですが、国を救うのに片腕を差し出す。そのくらいの覚悟はしています。」

「ほう?」

「イザーク。」

「は!」

短く応じたイザークは、セリナたちの横を通り過ぎ、エドの側に歩み寄る。

「女神を導くのが遅すぎる。」

「申し訳ありません。」

「既に隣に立っているべきだった。」

「仰るとおりです。」

「挽回の機会を与えるから、僕を失望させないでくれるね?」

「もちろんです。」


「“英雄”には、影の剣も必要ですね。」


「お前というやつは……。」

アジャート王が、苦虫を噛みつぶしたような表情を見せた。

「国王陛下も“ダンヘイト”という剣をお持ちでしょう?」

(違う。)

イザークが外套を背中へ払いのけ、腰に佩いていた剣に手をかける。

思わずセリナは一歩踏み出す。

「エド! 違う、こんなことっ。」

「セリナっ。」

ルーイが、セリナの肩を押さえた。

振り向いたエドが、眉を下げる。

「止めないで。これは、僕の責任の取り方だ。」

「っエドワード!」


語る言葉だけが美しく聞こえる。

―――自分の責任を果たすべきなんだと思っている。

揺れる炎の前でそう告げたエドの。

未来の姿が、この光景だと認めたくなかった。

(こんなことが、正しいわけない。)


「あなたが賭けているのは、自分の右腕なんかじゃないっ。他人の、人1人の命よ!」


どこでどう歪んでしまったのだろう。

わからない。

目の前にあるものは、間違っている。

それははっきりしているのに。


目の前で起きていることを止める力もない。


明確な事実に打ちのめされる。

肩を押さえるルーイの腕を掴むけれど、それを振りほどくことはできなかった。



「この国の王に、剣を向ける意味がわからないわけでもないだろう。」

握った剣を鞘に納めたまま、アジャート王はイザークを睥睨する。

「なぜそこまでエドワードに仕える。」

「エドワード様は命の恩人。僕が生きて来られたのは、助けていただいたからです。国王陛下、あなたが起こした戦争から。」

「ワシが憎いか。」

「憎しみで剣を取ったわけではありません。エドワード様は、この国の希望です。」

アジャート王は、イザークから視線を逸らす。


「アレの言葉に取り憑かれたな。……もう何人目だか。」


「争いで疲弊し続けるアジャートの国を、救える方です。民の声に耳を傾けてくれる方なのです。」

剣を握るイザークの腕が上がる。


「そなたも我が民だ。ワシの所業ゆえの私怨なら敢えて受ける……が、そういう理屈ならば。」

王が鞘を捨てた。



「その薄い理想と共に散れ。」









時間にすれば、ほんの数十秒の出来事。

決して弱くはない腕前を持っているとはいえ、力の差は歴然で、実戦で鍛え上げられた相手の剣の腕に敵うはずもない。

初手を受け止めただけでも、すごいことなのかもしれない。

イザークの手から弾かれた剣は床に落とされ、銀の一線が走った後に、彼は膝をついた。



セリナはその場で動けずにいた。

ルーイの手は肩に置かれたままだが、それがなくても動けなかっただろう。

アジャート王は、表情を消して、イザークを見下ろしていた。



崩れ落ちるイザークを抱き止めたのは、エドだった。

白い服が汚れるのも厭わず、少年を受け止めた。

「可哀想に、イザーク。」

「申し訳…あり、ません。」

「謝るな。本当に、かけがえのない僕の右腕だよ。」

「身に、余るお言葉……。」

「失うには惜しい。」

「エドワード様、どうか…良い国を…戦で蹂躙される民が、いない国を、家族や故郷を失う…民が出ない平和な国を。」

「もちろんだ、イザーク。そんな国を皆に。」

「……どうか。」

イザークの腕が、エドへと伸ばされる。

「イザークも、そんな国を見るんだよ。僕の隣で。」

「エドワード様。」

少年の声に安堵と喜びの色が混じる。

イザークを支えていたエドの右腕も動いた。




伸ばされた2人の手が重なるのだと。

セリナには、見ている光景の先に、それ以外の展開など思いつきもしなかった。


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