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黒の女神  作者: 紗月
大地の章
145/179

Ⅶ.冠 54

54.



「エドワード。」

重低音が部屋に響く。


セリナはアジャート王の背中を無言で見つめる。


「我がただの私心で、お前を遠ざけていると思うか。」

伏せられたままの薄紫色の瞳。

「幼少期に病弱であった。武の才が秀でているわけではない。直系でありながら王の色が薄い。母親たる王妃は王と良好とは言えぬ仲である。」

ゆっくりとウルリヒーダが歩を進める。

「……などという些事は、王位を継がせるということに何の関係もない。」

彼らの視線は交差することなく、王は王子の横を通り過ぎた。

「武の才があろうが、王の色が濃かろうが、王たるものの器と資質が望めなければ国を負う者にはなれぬ。逆に言えば、剣の腕がなくとも、王の色が薄くても、王たる資質有りと思えば、ワシの後を継がせるのになんの迷いもないわ。」

玉座の前まで歩き、ウルリヒーダは立ち止まる。

「お前は、最後まで言わねばわからんだろうから、言うてやろう。」

エドが顔を上げる動きで、柔らかい金色の髪が揺れる。

振り向いたウルリヒーダは、エドの背中に言葉を続けた。


「王の器ではない。お前が、玉座に近づけない理由はただそれだけだ。」


ピクリ、とエドの指先が震えた。

「ダンヘイトが連れて来たディア・セリナの姿を見て、ようよう感じたぞ。お前の小賢しさを。」

誰もいない前方を見つめるエドの顔に表情はない。

「訪れた女神と早々顔を合わせたくて、呼びつけたとでも思ったか? 直前まで“銀の盾”とかいう組織にいたことはわかっている。ディア・セリナが、あの時着ていた深緑色の外套が、その組織の連中が身に纏っている物だというのもすぐにわかった。」

身支度させる時間くらい取らせないのか、とジーナがこぼしていたが、意図的だったということだ。

黙ったままのエドに、アジャート王はアメジストの瞳を眇めた。

「お前は、城に着く前に脱いでいたようだがな。」

その言葉に、セリナは目を開く。

確かに、エドとイザークは、アルノーと別れた後すぐにそれを脱いだ。

エドが下に着ていたのは、きっちりとした白い服。

(……それって。)

ざわざわとした嫌な感覚がせり上がって来る。

後ろにいるイザークが気にはなったが、セリナはそちらを振り向けなかった。

「女神は銀の盾にいたと、立派な主張であった。のう、ディア・セリナ。」

「!!」

こちらを一度も見ないままで、アジャート王がセリナの名を呼んだ。

気づいていたのか、という驚きに、やはり、という思いが重なる。

「本人がそうとは気づかぬうちに、随分なものよ。勝手に祀り上げて、利用していたのはいったい誰であったのだろうな。」

こちらを見上げないのはエドも同じで、彼もセリナたちがいることを知っていたのだとわかる。

隠れるように屈んでいた体勢からのろのろと立ち上がり、セリナは壁の縁に手を掛ける。

「街の中では、お前が連れていた者が女神だとまでは知られていないだろう。」

「城の中でも…です。国王陛下。」

「くく、さすがに気づいたか。」

エドが身を翻し、アジャート王と対峙する。

「僕が女神と並んでいる姿を見せないために、城内の……通る場所に人払いをかけていましたね。」

ダンヘイトの兵士に案内された道は、確かに正面から入ったにもかかわらず人がいなかった。それどころか、1人としてすれ違った者もなかった。

言われてみれば、城門に見張りすらいないのは、ありえない状況だとわかる。

(あの時も人払いを。)

「お前は、これまでにもずいぶんな目を見せてくれたが、ワシは最後の一手は打たずにおいてやった。」

王が玉座に続く階段を一段上がる。

「暴れる者を制圧するのは当然のことではあるが。実を言えば、あの“盾”とかいう組織はどうすべきか悩んでおる。先程は、処罰とは言ったものの……。」

そう言った後でようやく、アジャート王の視線がエドと交差した。

「巧妙なことにな、あの組織を主導している者は、追及したところで己は無関係だと言い逃れできる道を常に用意しているようなのだ。組織を自らの力として取り込みたいのか、ただの踏み台か。善良な民を集めて、手駒としてどう利用する気なのか。」

利用、とセリナは口の中で呟く。

何を言っているの、と戸惑う一方で、それ以上は聞きたくないとも思った。

説明できない自分の心の動きを、セリナは直視しかねていた。

「さて、お前はどう思う? 国を救おうとする勇敢な者たちか。それとも、国に牙をむく無法者たちか。」

背中を見せているエドの表情は、セリナには推し量れない。

さっきまでは、こちらが痛みを感じるほど彼の気持ちを見せてくれていたのに。

「わかるのは、あの組織の主導者は企みの結果次第で態度を変えようとしているということ。そしてお前は、『反発する民』の存在を自分が城に戻るための理由にしているということくらいだな。」

静かに、けれど容赦なく。アジャート王は言葉を紡ぐ。

「“銀の盾”として“黒の女神”を巻き込んだのも、事態がどちらに転んでも、己の隣に女神を立てれば都合のいい正当性を語れると考えたのだろう。」

しばしの沈黙。

ふぅ、とエドが息を吐く音が聞こえた。

「僕はこの国を救いたいだけです。」

「お前に何ができる。」

「あなたにはこの国の現状が見えていない。」

「知ったような口を。」

「民の惨状を、人々の暮らしを知っているのですか。」

「お前は一部しか見ていない。」

「あなたは国の外ばかりだ。内を守っているのは、王妃です。王妃様が国内の崩壊をくい止めているのに、あなたはそれさえ。」

「口うるさく政に参加してくる王妃を、黙認してやっている。それすらわからぬか。最近では、大臣まで取り込もうしておるようだ。崩壊というなら、重臣を2派に分裂させようとする行為こそ非難すべき。」

「母上を侮辱するおつもりですか。」

エドの声に苛立ちが混じる。

「もっと賢い女だと思っていた。まぁ、寵が離れ、我が子の立太子が希望薄くなっても、遊興にふけるには責任感が強すぎた。王妃としての己の立場が揺らぐようなことは、耐えられないと見えて、今は第2王子を育てるのに忙しいようだ。見込みがないわけでもないようだし、我が子が城に居らぬ王子では、のぉ。」

挑発するような口調のアジャート王に、エドの纏う空気に剣呑な色が宿る。

ぎり、と彼が手を握りしめた。

「……お前の語る理由は、いつも綺麗な言葉だ。厄介なのは、それは暗示のように作用して、お前にとってもまったくのでたらめではないらしいこと。」

1つ1つ説明するような王の言葉。

「見せかけは純粋。だが何かあった時、己は安全な場所に立てるような道を常に用意している。」

眼下のやり取りに口を挟めるはずもなく、セリナは立ちつくすしかない。

「人心掌握には長けておるようだな。かえって口先がうまいせいで、己の野心のために盾などと組織立てて民を巻き込んだ。神殿での民への行為は功績かと思えば、結局それも放りだしたところを見ると、偽善であったらしいな。」

「偽善……。」

言葉に詰まったように、エドの声が一度途切れた。

「僕はあなたに認めてもらえるような王子になろうと思って。いずれ、城に呼び戻してもらえるその時までに……。」

「よく務めを果たしていた。と、労えば満足だったのか?」

「国王陛下……僕は。」

「そうではあるまい。それに、呼び戻すにしても理由があるものだ。もちろん、そうしなかったのにも、理由がある。」

ウルリヒーダが失望したように首を横に振った。

「何度も教えてやった。不相応な野心は捨てろ、と。いくつものお前の罪を、見逃してやったことにも気づかず。いや、それすら当然だと思っているかもしれんな。」

無言のままのエド。

「この城に戻って来るべきではなかったのだ。」

ウルリヒーダが僅かに口調を緩めた。

「エドワード、今からでも遅くはない。お前は……。」

その台詞の途中で、突然扉が開かれる。


「陛下、ご報告を!」


オリーブ色の制服を着た兵士が2人、急いだ様子で入室する。

広間にいた王以外の人物に目を止め、驚いたように彼らの動きが止まる。

片方の青髪の兵士を目にとめて、セリナは思わず壁を掴んでいた手に力を入れた。

「構わぬ、言え。」

落ち着いたままの王の態度に、青髪の兵士―ルーイは、はっと短く答えてから頭を下げる。

もう1人の兵士も、慌てて隣で礼を取る。

彼らの髪や服が濡れていた。

(雨?)

「城の穀物庫が襲撃を受けています。砲撃を受け、城壁の一部を損壊。2度目の攻撃で穀物庫を損傷しました。城内へ賊が侵入し、現在交戦中。」

「賊の正体は。」

「……相手の格好から、“銀の盾”と呼ばれている一味と推察されます。」

問いに応じて、さらに続ける。

「それから、東エリアでの地下通路の崩落も、人為的に引き起こされた可能性が高いそうです。同一犯による一連の襲撃と考えられます。」

「さっさと賊を捕らえ、騒ぎを鎮圧せよ。」

「はっ!」

王が払うように腕を振り、兵士たちが今一度深く頭を下げる。

先に行け、と仲間に声をかけ、ルーイだけが広間に留まった。





報告にと入った部屋に、ここにいるはずのない人物がいてどきりとした。

王の態度に従い用件は伝えたが、すぐに出て行くには躊躇いが勝った。

部下の気配は既に遠ざかったが、彼には後で口止めが必要だと考えながら、ルーイは呟く。

「殿下……なぜ、ここに。」

慌てた様子のない彼らの態度から、城の非常事態を把握しているのだと理解する。

「ルーイ。」

名を呼ばれて顔を上げれば、アジャート王の目線が背後を示した。

示されるままルーイは後ろを振り返る。

予想外の位置に見つけたその姿に驚きを隠せなかった。

「!? セリナまで……。」

背後上方のセリナからエド、そしてアジャート王へと視線を戻したルーイの顔に、困惑が浮かぶ。

「それにしても。やはり、随分と城内のことに詳しい者がいるようだな。」

独り言のような王の言葉。

それがただの呟きでないことは明白。

穀物庫が狙いだとして、城壁も地下通路への攻撃も、城の位置関係や構造的な弱点を知った上で狙わなければ効果は半減する。

銀の盾は一般市民を中心に組織されているのだから、内部情報を提供した存在がいることは明らかだ。

「“銀の盾”には。」

ウルリヒーダとエドの視線がぶつかる。

これまでも何かと王政に反抗的な動きを起こして来た組織。

民の不満に発露する個々の暴動だったそれを、いつしか主導する者が現れたのがその始まり。

数年の間に組織が大きくなり、見過ごせなくなってきたのだが、散らばり他の民に紛れて隠れて、あるいは組織に属さない者に匿われてしまえば、追うのも捕らえるのも困難で、一掃しかねていた存在。

限られた一部の者は、その主導する者の正体に心当たりがあったが、確固たる証拠もなくうかつに手を出せずに時を経ていた。

民に人気があることもそうだが、政権内でも不満のガス抜き効果を認めている者もいて、すぐに強硬策に至らなかったという訳もある。

「殿下。差し出がましいようですが、今ここに居ては無用の誤解を招きます。」

困惑しながらもエドへと一歩踏み出し、ルーイは告げる。

今、エドがこの場にいることは、彼のためにならない。

だがエドは、少し首を傾げた。

「誤解? どんな誤解を招くというの?」

「殿下。」

「襲撃犯のリーダーが城内まで侵入したって? 騒ぎに便乗して第1王子が玉座に近づいているって?」

眉を下げて口を閉じたルーイに、エドは笑みを見せる。

「意地悪で言ってるんじゃなくて、国王陛下が仰ったことだよ。」

「兄上、どうか。」

「嬉しいな、昔みたいにそう呼んでくれるんだね。」

笑みを深くしたエドが、ルーイに近づく。


「ルードリッヒ。」


優しい声で呼ばれたルーイは、その場で固まった。

「ねぇ、女神を狙う輩が多すぎると思わないか。」

エドの伸ばした腕が、ルーイの肩を叩く。

「っ。」

「ルーイは僕の味方だと思っていたのに。“女神”に求婚だなんて。」

「それは……。」

「追跡もせず“銀の盾”に任せたのかと思ったけど、ハーデンでもアーフェでも手下を置いておくなんて、がっかりだよ。」

「て、手下?」

「とぼけるの? それとも、部下が勝手に、とでも言うのかな。」

エドは口元だけに笑みを残す。

「女神を側におけるのは、“英雄”だけだよ。黎明の女神ラウラリアの加護を受けるのもね。」

ルーイは弾かれたように顔を上げ、エドを凝視する。

視界の端に、嘲るような表情を浮かべたアジャート王を認めて、ルーイは愕然とした。

「まさか、その話をしたのは、フィルゼノンの民ではなく……。」

「そして、女神が英雄に選んだのは僕のはずなんだ。」

そう言って、エドがセリナを見上げた。

「そうでしょう?」

薄紫の瞳を細めて微笑みを向ける。

「……っ。」

エドが浮かべるのは優しい笑みだが、セリナが息をのんだのがわかった。

「兄上、彼女は。」

「あぁ、ルーイが子供の頃に言っていたよね。この国を守る剣になるために強くなるんだって。あの思いは今でも変わってない?」

「……え、えぇ。」

「そっか。うん、異母弟おとうとながら、格好いいなって思ってたんだよ。アジャート国王を守る剣を目指して、ずっと腕を磨いて来たんでしょう? ルーイの描く王が、僕だったのも嬉しかった。」

「兄上。」

「わかっているよ。一番仲良くしていた兄弟だもの。病に臥せっている僕の見舞いに来てくれたのも、ルーイだけだった。」

肩が触れ合うような距離に、エドが身を寄せた。

「優しいルーイが、僕を裏切るなんてこと考えてもないことくらい。第3王子として、寵姫の子どもとして、守られながらも伸びやかに成長した君が。王位を狙っていないことだって、知っている。現国王と次期国王へ忠誠を捧げながら、この先も臣下であろうと考えていることも。」

「……。」

言葉を失うルーイに、エドは小首を傾げて見せた。

「もう十分に安定した地位と確固たる力を持って、自由に生きているのに、その手にまだそれ以上を望むの?」

兄上、と口は動いたが、声にはならなかった。

エドが耳元でそっと囁く。

「賢い君のことだから。アンネリーゼ様も、王位継承に関心がないって気づいているでしょう?」

肩からエドの手が離れ、彼はそのままルーイの横を通り過ぎる。


「エドワード、お前は神殿で何も学ばなかったのだな。」

王の言葉に、エドが首を振る。

「神殿で、神官をしながらきちんと学びましたよ、父上。民が感謝するのは、暴君ではなく糧を施す者だと。」

「よくもそんな口が利けるものだ。」


目の前で交わされる会話。

しかし、それはどこか遠くで響く音のようにしか、ルーイには聞こえなかった。






ふらり、とセリナは後ずさり、ようやく壁から手を離す。

広間で繰り広げられる展開に言葉もない。

身を翻し、動き出そうとしたセリナの前に、イザークが立ちはだかる。

「どちらへ?」

「っ……下に、行かなきゃ。」

2人の会話は聞こえなかった。

けれど、顔色を失い愕然と立ち尽くすルーイの姿に、セリナは下へ行かないと、とただそう思う。

「それは、エドワード様のところに…ですよね。」

「っ。」

言葉に詰まったセリナの視線がルーイに向いたのを見て、イザークは肩を落とす。

「エドワード様は、あなたを必要としているんです。」

セリナに向けられているのは真っ直ぐな瞳。

「どうかお願いします。」

真摯な願いに、セリナは戸惑う。

今見た光景があっても、イザークは少しも揺らいでいない。

さっき、女神の力を貸してほしいと言った時と何も変わらない。

(私は……フィルゼノンとの戦を止めたくて。)

「ねぇ、イザーク。」

呼びかけると、少年は少し首を傾げた。

「どうして、初めから広間に入らず、この場所に?」

返されたのは、きょとんとした表情だった。

一拍空いてから、イザークが不思議そうなまま答えた。

「中の状況がわからないだろうから、上から確認するようにと指示されていたのです。万が一にも、兵士だらけの部屋に飛び込みたくないだろう?と。」

「……そう。」

そうよね、ともう一度呟いて、セリナは視線を落とす。

沈黙したセリナに、イザークも開きかけた口を閉じる。そして、道をあけるように横に避けた。

(納得できる理由、なのに。)

セリナはぐっと唇を引き結んで、一歩を踏み出すと謁見の間を目指した。


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