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黒の女神  作者: 紗月
大地の章
144/179

Ⅶ.冠 53

53.



崩れ落ちた塔の光景に、ルーイは一瞬呼吸を止めた。

「っセリナ!」

慌ててがれきを踏み越えようとするが、その肩を後ろから掴まれる。

「女神殿はここにはいません。」

クラウスの落ち着いた声に、ルーイはがれきの山を見渡してから、そうかと息を吐いた。

「幸い、難を逃れたようです。」

「不在だったのか。巻き込まれなかったのなら良かった。」

魔法使いの能力に感心しつつ、ルーイは仕事の顔を取り戻す。

集まった兵士たちに指示を出しながら、穴を覗き込む。

「地下通路が崩落したのか。この区画の路は老朽化していて、封鎖されていたはず。」

再度利用するには、イレの民に修繕を頼まなければいけないという状態だった。

「事故か、何者かの仕業か。」

「ルードリッヒ様!」

「どうした。」

「武器庫の確認報告! 異常なしです!」

城内の人間の避難はロベルトが進めているはずだ。

「追って将軍から命令があるはずだが、不審がないか調べを続けろ。」

「はい!」

兵士たちの返事に重なるように、遠くで爆発音が響いた。

「なっ?!」

顔を上げて、ルーイは音の方角を把握する。

「おいおい、冗談だろ。」

「あれは穀物庫のあたりですかね。」

相変わらず落ち着いた様子のままでクラウスが見当を立ててくれる。

「ただ事じゃねーな。おい、クラウス。」

「女神殿の避難ですね。」

「話が早くて助かるよ。お前なら探せるだろ、安全を確保してやってくれ。」

頭を下げたクラウスを横目に、ルーイは近くにいた部下を呼ぶ。

「確認に向かう、何人か付いて来い!」

「はい、ルードリッヒ様!」

頬に冷たい感触があって、ルーイは上を見る。

重い色で埋め尽くされた空が広がっていた。

「ち、降り出したか。」



走り去るルーイを見送り、クラウスはがれきの中に足を運んだ。

「……。」

一部だけ円形に地面が見えている不自然な光景。

翡翠の瞳を細め、へぇと口の中で呟いた。

兵士たちが近づく気配に顔を上げ、凪ぐように右腕を軽く振る。

彼の背後でガラガラとがれきが崩れ落ち、音を立てた。

「魔法使い殿! ご無事ですか?」

「あぁ、まだがれきは不安定のようだから、現場の検証は気を付けて。」

「は!」

ルーイの部下たちの返事を聞きながら、クラウスは城へと身を翻す。

既に、不自然な光景はがれきに埋もれていた。





「どこにいるのか知っているの?」

セリナが前を走るイザークに問うと、相手は力強く頷いた。

外に駆り出されているのか城内に兵士の姿はなかった。

進む方向に見覚えのある扉。

このグランディーン城に来た日、初めに通された部屋。

玉座のある謁見の間だった。

濃いえんじ色のじゅうたんの上、セリナはその部屋を前に走っていた速度を緩める。

上がった息を整えるように呼吸をしながら、セリナは扉に近づこうとしたが、イザークに止められた。

「こちらです。」

謁見の間を離れ、少し先にある飾り幕の前に誘導される。

交差した2本の剣と盾を描いたその幕の裏には扉があり、それを開けるとすぐに階段が続いていた。

躊躇いなく上って行くイザークの後を追うと、そこは謁見の間の2階。入り口側の上部に位置する、コの字型のバルコニーのようなスペースの端だった。

(この部屋に、こんな場所があったなんて気づかなかった。)

身を屈めたままゆっくりと縁に近づき、そっと下を覗く。

左手側のすぐ下に入り口の扉、右手側の奥に玉座という位置関係。

部屋の中にいたのは、予想通りアジャート王とエドだ。

「……。」

ただ、セリナは目に映る光景に違和を感じる。

向かい合う2人から視線を横にずらせば、イザークは黙って様子を見つめていた。

セリナは再度、謁見の間に目を向けるが2人はこちらに気づいていないようだった。

(なぜ、ここに案内を?)



オリーブ色の服は、兵士の制服と似ているが、それは間違いなく王のためだけの軍服だ。重厚なマントを肩にかけた、精悍な大男は目の前の青年を見つめる。

「外が騒がしいようだが、お前の仕業か。」

白色を基調に青いラインが施された服を着た王子は、薄紫色の瞳を細めて王を眺めた。

「あれは国の悲鳴です。」



彼らの会話を耳に入れながら、セリナはやはり首を傾げる。

(どうして。)

「国の悲鳴とは。おかしなことを言う。」

「今回の戦、お考え直しください。」

(どうして、玉座の前に立っているのがエドの方なの。)

初めて謁見したあの日とは場所が逆だ。

「この国は戦いを望んではいません。その証拠があの悲鳴です。」

隙のないアメジストの瞳がじっとエドを見据える。

「違うだろう。あれはお前が引き起こした騒ぎで、お前がその『椅子』を得るためのものだ。」

「陛下! なんということを。」

傷ついたような表情でエドが声を上げる。

「まだ野心を認めないのか。お前の目的は、王になること。」

「そんなつもりではありません!」

「ごまかすな。第1王子である自分が、次の王になるべきだと。そう思っているだろう?」

「国王陛下っ!」

「王となるのに、形が取り繕えるなら経過にはこだわらないことにしたのか。」

「……。」

「騒ぎを起こして、ワシを引きずり下ろす気であろう。」

「本当に、あなたは昔から。僕の言葉など何1つも耳を傾けてはくださらない。」

「お前の言葉は、上辺だけだからだ。」

「この国を想う気持ちに偽りなどありません。」

真摯な表情で紡がれる言葉に、冷たい声音が返される。

「心の底にあるのは、第1王子である己が、厚遇されない現状への不満。」

「ずっと、そんな目で僕を見ていたのですか。」

眉を寄せ、エドは唇を震わせる。そして、瞳を伏せた。

「だが、そうだな。銀の盾。」

落ち着き払ったアジャート王の低い声が響く。

「この頃厄介な騒ぎを各地で起こしている輩を、お前自身の手で制圧できれば、褒美にお前の願いを聞いてやらぬこともない。」

「……。」

「フィルゼノンとの戦の再考だったか。」

エドが、伏せた瞳を上げた。

「それとも、立太子の権利を望むか? ワシが選んで次期国王の地位につけた者の言葉であれば、ワシ自身も無下に聞き流すだけということもなかろう。」

「立太子など……。」

上げたばかりのエドの薄紫色の瞳に、翳りが落ちる。

「もちろん制して終わりとは行かぬ。“盾”にはこれまでの反逆行為への処罰が必要で、その処断を下すのもお前だ。」

「そ、れは。」

「できぬか? ワシを説得して、戦争を止めたいのではなかったのか。」

エドの顔が苦渋に歪む。

「お前の国への思いなど、その程度ぞ。まぁ、外の騒ぎなどは、我が兵士たちがすぐに鎮圧するだろう。」



アジャート王は背を向けているので、セリナから表情はわからない。

だが、エドの方は悄然とした様子で立ち尽くしている。

2人の会話には、微妙にズレがある。アジャート王が指摘している内容は、エドの言い分とはかみ合っていない。

(これが親子の会話なの。)

胸が痛い。

ぐい、と腕を引かれて、セリナは階下の光景から視線を外す。

セリナの隣で片膝をついて下の様子を見ていたイザークが、真剣な顔を見せる。

「女神様の力を貸してください。」

小声だが、はっきりとした口調。

「フィルゼノンとの戦を止めるために、エドワード様に力を。」

エドたちを一瞥し、セリナは必死な様子のイザークに視線を戻す。

(そう、だ。アジャート王を説得しないと。)

そのためにここへ来たのだから。

「こちらへ。」

再び腕を引かれ、上って来た階段へ戻るよう促される。

今度は正面から入るつもりなのだろうか。

(確かに、ここからは下へ行けない。)

「……。」

セリナは、動かしかけた足を止めた。

「女神様?」

真っ直ぐ向けられるイザークの瞳に、セリナの目が泳ぐ。

怪訝そうな少年は、セリナが行動を躊躇う理由が本当にわからないのだろう。

腕を取られたままで、セリナはその場に留まる。

「そうね。えぇ、戦争を止めないと……。」

セリナは、動けないことに後ろめたさを感じる。

(ここまで来て何を怖気づいているの。エドたちと力を合わせて。盾の計画が成功すれば、開戦を止められる可能性があるんだから。)

分析するように考えて、セリナは小さく頷く。

(もう一度、アジャート王と話をして、エドと一緒に。そうわかっている、のに。)

目の前にいるイザークが、心配そうな表情で首を傾げた。

「大丈夫ですか、なんだか顔色が。」

階下を気にして小声のままだが、純粋な気遣いの言葉だった。

大丈夫と返事をしたいのに、うまく口が動かない。

(なんだろう。なぜ、こんな気持ちに。)

セリナは、視線をイザークからゆっくりと眼下の謁見の間へと移した。

腕からイザークの手が離れる。

(胸が痛い。けれど、何かが“違う”。)

目にした光景と耳にした言葉には、拭いきれない“違和感”がある。

(エドが言っていることはおかしくない。だけど。)

何かがおかしい。

(なぜだかはわからない。わからないけれど。)

広間の2人の立ち位置も、会話のやり取りも、セリナが今いる場所も。


(とても不自然に感じる。)









煙の立ち上る城を見上げるため、城下に出た青い髪の女は足を止めた。

深緑色のフードが落ちないように押さえる。

鈍い灰色の空の中に佇む王城で、起きていることを知っている者がどれだけいるだろうか。

まだ仕事は残っている。

降り出した雨は、その勢いを強めていた。

襲撃を成功させるだろう仲間たちを、無事に王都から逃がす重要な役目だ。

急がなくては、と目的の場所へ向けて走り出す。

ふと、エリノラは、聞きそびれたことを思い出した。

機会があれば、訊ねてみようかと思っていたこと。

(あの人と知り合いなのかどうか。……いや、やはり聞かなくていい。どうなることでもない。)

そう考えて、苦い気持ちに襲われた。

(神ではない、か。まるであの人の言う通りだな。)

唇を噛みしめ、エリノラは先を急いだ。

(間違ってなどない。間違っているはずが、ないんだ。)





ハーデンの港。

乗り込んだ船の上で、エリノラはダンヘイトの命を受けていたらしい兵士に追い詰められていた。

敵をかく乱できればと思っていたが、動きはバレていたようだ。

港にはダンヘイトの兵士もいたはずだが、そちらが静観していたのはそういうことだろう。

あれでは、女神が乗船してもアジャートを出ることは叶わなかったはずだ。

捕まりそうなところを助けてくれたのが、あの人だ。


緑色の髪をした女。状況と服装から推測するに、おそらくは船医。

(顔が思い出せないけれど。)


船上で暴れるなら海へ突き落すよ、と笑顔で凄んだ挙句、いとも簡単に兵士の攻撃をいなし転倒させた。

驚いているエリノラに、きれいな笑顔を見せた白衣の女性。

「可愛い少女をあんまり女神様だのなんだのといじめないであげてくれるかな。まー、君のその勇気には心打たれたから、これ以上は言わないけど。」

船を降りるはしごまで、丁寧にエリノラの手を引いて案内しながら。

「下で待ってるお仲間を連れて、自分の場所にお帰り。」

仲間?と首を傾げたのもつかの間。

船着き場には“銀の盾”の手練れが2人、装備が整った状態で待機していた。

正確に表現するなら彼らは盾の仲間ではなく、エドの部下だ。

盾のメンバーに攻守や逃げ方といった戦術を教えてくれた者たち。

正規の兵士としての訓練を経験した者。


振り向いた時にはすでに女の姿はなかった。


彼らは、ダンヘイトに“女神様”が捕まった場合に備えて残された者たちだった。

(船を選んだ先のリスクまで計算して、手を打っていたなんて。)

思慮の深さに感動した。先を見通す能力に、敬服すら覚えた。

ただ。

それは、気づいていたということだ。

船でアルデナへ渡り、フィルゼノンへ。という計画が、成功するわけがないということを。

そもそも、アジャートから出ることを、ダンヘイトが見逃すわけがない。

手を出してこないのは、国内にいるからだ。

それらをわかった上で、それでも彼は女神を港へ送り出したのだ。

行動を阻止することはできないが、起こり得る危険からは守ろうと。

その場で助け出すにしろ、ダンヘイトから奪い返すにしろ。

最終的に、女神が自分の元に戻って来ることのできる道を用意していた。


(……間違ってなど、ない。私たちは正しいんだ。)


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