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黒の女神  作者: 紗月
大地の章
143/179

Ⅶ.冠 52

52.



塔に戻されたセリナは、部屋の中をうろうろと歩き回っていた。

ヴェールは早々に外している。

(戦のこと、“銀の盾”の動き、キル・スプラのこと。“黒の女神”。ルーイに同行して、フィルゼノンへ。)

国境を越えるということは、防壁を抜けるということだ。

(魔法壁の無効化。本当にそんなことをしてしまったら、どうなるか。フィルゼノンへ入り込んで、キル・スプラが使われる? レイ・ポイントで?)

国境の壁が壊れたら、進軍を止めるものはない。

フィルゼノンの王都にも戦火が及ぶかもしれない。

(ルーイは全土ではなく、バッカスまでが今回の狙いだって言っていたけれど。国境警備、緋の塔の兵士たち、それにリュートたちも戦争にかり出されるんじゃ。)

思わず小さく唸って、セリナは部屋の真ん中で足を止めた。

(思わず叫んでしまったから。)

銀の盾の計画を聞いた時、セリナの脳裏に浮かんだことがある。

その混乱に乗じて、武器庫も襲撃できないだろうかと。

エドにそれを提案できなかったのは、まだクラウスとの取引が終わっておらず、セリナ自身も武器庫を確認する前だったからだ。

そのすぐ後、クラウスには見抜かれ、しゃべってしまった。

だが、あの時もタイミングが悪く、提案する機会には恵まれなかった。

伝えなければと焦って、鏡へ向かって叫んだが、ジオに届いたのだろうか。

それがどうであれ、セリナの考えはアジャート王にも見せてしまったことになる。

(アジャート王。)

少し相手のことが見えた気がする。

(フィルゼノンで厭われる“黒の女神”を、彼が守りたいのだというのは本当。でも、それは『誰か』の代わりで、私自身ではない。だから、アジャート王が安全だと思えるところなら、居場所は後宮じゃなくてもいい。)

初めて顔を合わせた時に、“違う”ことは明確だった。

だからルーイの切り出した話にも、寛容だったのだろう。

(“本物”を知りたくなかった、って言っていたから。“黒の女神”を早く保護したい思いと、会うのを先延ばしにしたい思いがあった。)

連行されて引き出されるくらいなら、いっそ自ら乗り込んだ方が立場は強いはずだと考えた結果の行動だったが、それはどうやらアジャート王を僅かに満足させたらしい。

(攫わせたのに、自分の前に力づくで立たせるのは避けたかったのかな。“本物”に安堵したって? 守りたかった女神って、どういう相手だったんだろう。)

疑問は尽きないが、考えても答えが見つかりそうにはない。

(けど、守ると言いながら、使える力は利用するみたいだし。ルーイの側の方がっていうのも……よくわからない。)

フィルゼノンの士気を下げると、ウルリヒーダは言っていた。

王ではなくルーイと共にいる方が、女神が自らアジャートに力を貸しているように見えるのかもしれない。

(士気を高めると、聞いたのはいつだったっけ。あれはアジャート側の、という意味だったけれど。)

どちらにしても、とセリナは思う。

(その立ち位置に女神を置くことが、災厄に見えると、アジャート王は考えていない。私が呟いた時も、ジオが指摘した時も、彼はそれを認めなかった。どう考えても、そう見える。だけど、彼は呪いを解くと。ノアの予言を破る方法が? それとも、フィルゼノンを滅ぼすつもりだから?)

ぶるぶるとセリナは頭を振る。

女神を守ろうとする心が本当でも、彼の考える結末はおそらく戦争の先にあるのだ。

(ジオ。)

セリナは胸元を握り込む。

この国に来てから、もう何度この仕草を繰り返したのかわからない。

(顔が見られるなんて思わなかった。声が聞けるなんて思わなかった。目が合うなんて、名前を呼ばれるなんて、思いもしなかった。)

「っ。」

戻りたいと言ってしまった。

彼はそれを拒絶しなかった。

(戻ってもいいんだよね。)

鷹に従え、と。それは、戻るための道筋を示した言葉だ。

(私は、フィルゼノンに戻ってもいい。)

フィルゼノンでのセリナの居場所は無くなっていない。

(帰る。私は、あの場所へ。)

言い聞かせるように、強く思う。

決意を固め、顔を上げる。

その時。

ぐらりと足元が揺れた。

「!?」

手近に支えになるような物がなくて、足を踏ん張る。

「……な、何。今の。」

パラパラと何かが天井から落ちて来る。

カチリ、という小さな音がやけに耳に付いて、視線を向ければ時計の針が正午を指していた。

身構えた体の力を抜きかけたところで、ドンっと爆音が響く。

それと同時に、再び下から突き上げるような振動に襲われた。

「っ!!」

咄嗟に頭をかばう格好でその場にしゃがみ込む。

グラスの割れる音がして、さらに家具も倒れる。

(―――っっ!!!)

ビシビシと嫌な音が聞こえ、その場で動けないままセリナは顔を上げる。

壁にヒビが走る。

目の前の光景に危機感が迫り、逃げないと。と考えるが体が動かない。

そこに、さらに衝撃が起こった。

「……え?」

不意に体が倒れた。そして浮遊感。

床が傾き、天井が壊れる。塔が崩壊しようとしていた。

セリナには、何が起きているのか状況が把握できない。

頭を抱えたまま、身を守るように丸くなる。

聞いたことのない音と目にしたことのない景色。

それと認識する前に目を固くつむった。







突然の揺れに、悲鳴が上がった。

城下の偵察から城に戻って来たばかりのルーイは、慌てて馬の手綱を引く。

部下たちもそれぞれ体勢を整える。

広場に集まっていた兵士たちも、その場で固まっていた。

馬を下りて、側にいた兵士に手綱を渡す。

「ロベルト。」

呼べば優秀な副官は、すぐに側に立つ。

口を開いたところで爆音が響いた。

「っ!」

地面が大きく揺れた。

足を踏ん張り、ルーイは衝撃をやり過ごす。

顔を上げれば、白煙が見えた。

「爆発か?!」

もう一度、大きな揺れが一同を襲った。

「くっ!」

建物や山肌からパラパラと落下物が降って来る。

広場のタイルが割れ、壁に亀裂が走る。

「退避! 建物から離れろ!」

ルーイの声に、兵士たちが避難する。

揺れが落ち着いたところで、指示を飛ばした。

「1班・原因調査、2班・被害状況確認、総員襲撃事案に警戒! 残っている兵士と協力しろ! 武器庫の確認も走れ! ロベルト行くぞ!」

「はっ!」

「はい!」

部下たちの返事を背中で聞きながら、ルーイは城内へと向かった。

いくつかの彫像や柱が倒れているが、被害は大きくなさそうだ。

散乱物を避けながら、走るルーイの後ろにはロベルトが続く。

「くそ、いったい何が起こったんだ。」







そろり、と瞳を開ける。

覚悟した衝撃を受けるより前に、人影を見た。

「あなた、確か。」

乱れたピンク色の髪を押さえて、アイリーン=ウォルシュは目の前の男を見つめた。

「ルーイ様の隊の、魔法使いさんね。」

銀青色の髪の男は、ゆっくりと立ち上がると服の裾を手で払う。

「ありがとう。あなたがいなければ、危うく柱の下敷きになるところだったわ。」

無言で頭を下げた男は、そのまま立ち去ろうとする。

アイリーンはきょろきょろと周囲に目をやり、脱げてしまった自分の靴を探す。

それに気づいたのか、男は転がっていた靴を拾い上げてアイリーンの前に置いた。

「なぜ助けてくれたの?」

靴を履きながら、問う。

「たまたまです。」

「妹がいると聞いたけれど、私と似ているのかしら?」

「いいえ、全く。」

思いつきを口にすれば、冷たい返事が戻って来た。

「そう。なら、どうして?」

疑問を繰り返すと、男は不機嫌そうに眉をひそめた。

相手にするのが面倒だ、と言いたげだ。

「ま、良くてよ。目の前で危険に晒された人がいれば、理由などなく助けようと動いてしまうものよね。」

靴を履き、アイリーンはそろりと立ち上がる。

「意外ね。国を捨て復讐を口にする男には見えない。」

こてん、と首を傾げる。

男は、くっと口元を歪めた。

「こちらも意外ですよ。よく喋るお姫様ですね。」

「そうかしら、わたくしは前からあなたとお話してみたかったの。」

アイリーンはドレスの汚れを確認して、肩を落とす。

「せっかくおめかしして来ましたのに。」

ロベルトが戻って来るのを出迎えようとしていたのだ。

一礼して、この場を去ろうとする男にアイリーンは顔を上げた。

「クラウス=ディケンズ。」

名を呼ばれるとは思っていなかったのか、クラウスは足を止めた。

「あなたはまだ『人』だから。だからルードリッヒ王子はあなたを側に置いているのね。」

アイリーンはにこりと笑む。

「……。」

「アイリーン!?」

ぱぁっと表情を明るくして、アイリーンは振り返る。

「ロベルト!」

予想通りの声の主は、廊下の向こうを通りかかったらしく驚いた表情を浮かべて立っていた。

ルードリッヒの姿も一緒にある。

「クラウス=ディケンズ、彼女から離れろ!」

「彼は助けてくれたのよ。」

アイリーンをかばうように隣に立ったロベルトの腕に手を添える。

「こいつが?」

怪訝そうな瞳を向けられたクラウスが顔を引きつらせていた。

「別に、何もしていません。」

「ロベルト、彼女を安全な場所まで。」

ルーイの指示に、ロベルトはアイリーンとルーイを交互に見る。

「しかし。」

「彼女は怪我をしているだろ、早くしろ。クラウス、代わりについて来い。」

「はい。」

走り去るルーイたちを見送って、ロベルトがアイリーンを振り返る。

「たいした怪我ではありませんわ。」

倒れた時に、手に少し擦り傷ができただけだ。

「あれの下敷きになるところを、魔法使いさんに助けてもらいましたの。」

「そう…だったのか。無事で良かった。」

ロベルトは、廊下の先を眺めてから、アイリーンの肩に手を置いた。

「とにかく避難を。」

「はい。」







「……。」

地面の上に座り込んだセリナは、呆然と目の前の光景を見つめる。

積み上がったがれき、もうもうと巻き上がる白煙、割れたガラスに散乱した物たち。

少し前までいたはずの部屋の面影はどこにもない。

塔があった場所の地面には、大きな穴が空いていた。

城との渡り廊下は半分から崩れ落ち、残りは空中に浮いている。

上で兵士が騒いでいるようだが、その声は全く聞こえない。

原因は不明だが、真下からは少しずれた位置に発生した穴により塔が倒壊し、その高さから放り出されたらしい。

ぼうっとしたままのセリナは、まだ周りの景色まで理解が追いついてはいなかった。

身構えて、衝撃に備え、死すら脳裏をよぎったのだが。

座り込んだセリナに怪我はない。

彼女の頭上から降って来た物もない。

僅かに白煙が薄れた時、セリナを中心とした円状にがれきも散乱物も落ちていなかった。

「……?」

セリナは目の前の光景を見つめる。

目の前の『人影』を。


未だ白煙が立ち込める中で、セリナはその背へと向かって手を伸ばそうと力を込めた。



「女神様!!」



突然空気を割いた声に、セリナは通常以上に大きく身を揺らしてしまう。

びくりと、同時に跳ねた心臓。

意図せず視線がずれる。

はっとして、すぐに顔を上げるが、望んだ光景はそこにはもうなかった。

「女神様! ご無事ですか。」

煙の中から姿を見せたのは、イザークだった。

「ど、してここに。」

「お怪我は、どこもお怪我などはっ。」

慌てた様子で、転げるようにセリナの元へと走り寄る少年。

さっき王様からも同じような心配されたなぁ、と頭の片隅を冷静な分析が掠めた。

「ケガ? ケガは、うん、大丈夫。」

「女神様っ。申し訳ございません。」

イザークの後ろから現れた女性に、セリナは目を丸くする。

「え、エリノラさん?」

「まさか、こんな。ここまで塔が崩れるとは予想外で。救い出すはずが、危険に巻き込んでしまい、取り返しのつかないことを。」

蒼白な顔でセリナの前にしゃがみ込み、こちらも大層狼狽した様子だ。

2人の顔を見て、セリナはさらに穴を目視する。

「えと、もしかしなくても、これ、“盾”がやった?」

確認のつもりで問えば、座った2人が揃って地面近くまで頭を下げた。

見れば共に、深緑色の外套を着ている。

(おおぅ。)

想像超えて、過激なことだ。

「こちらは陽動なのです。」

「へ?」

「とにかく、すぐにここを離れましょう。すぐに兵士たちが集まってきます。」

言いながらエリノラが周囲を警戒する。

「立てますか?」

急かされて、セリナは立ち上がる。

「あの崩落でご無事だったなんて、本当に奇跡としか。」

なんの衝撃も受けなかったとおり、体にも異常はない。

「……。」

「女神様?」

動きを止めたセリナに、フードを目深に被ったエリノラが首を傾げる。

心配そうにイザークがセリナを覗き込む。

「大丈夫ですか?」

「だっ、大丈夫ッです。」

焦って声が裏返り、ごまかすようにセリナから先を急がせた。

「ほ、ほら、急ぐんでしょう?!」

「はい。」

「こちらです!」

去り際にセリナは自分が座り込んでいた場所を振り返る。

普通に考えれば、あの塔の中にいて無事でいられるはずがない。

(何かに助けられた? さっきのって……いえ、そんな。まさかね。)

勢いに任せてイザークたちの後を走るが、セリナは行き先も知らないままだったと気づく。

「これ、どこに向かってるの?」

いくつ目かの角を曲がったところで、建物に隠れるようにエリノラが足を止めた。

「私は城を出ます。アジトで次の役目がありますので。」

「え?」

「私はさっきの爆発、地下通路の破壊で兵士をおびき寄せる役目でした。」

「確かエドは穀物庫って。」

「はい。」

とエリノラが頷いたところで、今来た場所とは別の方向から、爆発音が響いた。

「……。」

ぎょっとしたセリナとは対照的に、エリノラは落ち着いた様子で再び頷いた。

初めの爆発で穀物庫から離れた場所に兵士たちを集めたということらしい。

向こうはアルノーたちが指揮を執っているのかもしれない。

「イザークは、エド様と合流する予定に。」

「エドは今どこに?」

セリナの問いに、イザークが応じた。

「エドワード様は城内においでです。」

返答内容にセリナは、表情を曇らせる。

「まさか、アジャート王のところに?」

イザークは答えなかった。

(交渉? 王と話し合い? 国と民に目を向ける時間がって言っていたから。)

銀の盾がいつ動くのかを知らなかったとはいえ、ついさっきまでセリナはアジャート王と一緒にいたのだ。

(入れ違いになった。でも、やっぱりエドは城にいたんだ。王妃様はなぜあんなことを? 知らなかったとは思えない。)

セリナは頭を振って浮かんだ疑問を消す。

(王の説得なら私もまだ途中。バッカスの地への戦火なんて阻止しなきゃ。)

「私もエドのところへ行くわ。」

「では、一緒に。エリノラさんはこのまま行ってください。」

近づいて来た兵士の気配が走り去るのを待ってから、エリノラが口を開く。

「……わかった、こちらは計画通りに進める。気をつけて。」

エリノラはフードを外し、セリナに頭を下げた。

「やはり、“黒の女神”様は我々の女神であられた。」

感極まったような声で呟くエリノラに、セリナは進めようとした足を止める。

「エリノラさん。」

名を呼び、セリナは手を伸ばして彼女の頭を上げさせる。

「違うから。」

「?」

「私、神様じゃないよ。」

はっとしたようにエリノラが目を見開く。

その時、また大きな音が響いて地面が揺れた。

「っ行こう、イザーク。」

「こちらから城内へ入れます。」

「エリノラさんも、どうか気をつけて。もう一度会えて良かったです。」

かけられた声に、反射的に頷いたエリノラ。

彼女とはそこで別れ、セリナはエドのいるところを目指した。


その背を、エリノラがじっと見送っていた。


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