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黒の女神  作者: 紗月
大地の章
142/179

Ⅶ.冠 51

51.



玉座のある広間の、さらに奥。

公室と私室を繋ぐ長い廊下の途中。

大きなタペストリーのかかる壁のとある一面。その裏、巧妙に目隠しされた、知らなければ通り過ぎるだろう場所に、その扉はあった。

難なくその場所にセリナを誘い、扉とも思えぬ扉を王は開く。

そこに境目があったのか、とセリナは驚く。

秘密の部屋は、あまり広くはなく、物も少なかった。

中央に大きな一人掛けのソファ、右の壁際に棚があるだけだ。

扉の閉まった棚の上には、蓄音器に似た何かの装置が置かれている。

窓はなく、ランプで灯りを採っていた。

ぐるりと四角い部屋を見渡し、セリナは正面の壁の中央で光る布に目を止めた。

「そこで見ているといい。」

そこで、と部屋の左側の空いたスペースを示され、セリナは扉の前からそちら側へと寄る。

王は光る布に手をかけ、それを引く。

その下から現れたのは、楕円形の一枚鏡だった。

(光っていたのは、布ではなくてあの鏡。……鏡、よね?)

もっとよく見ようと、セリナはヴェールを上げる。

きらきらと光る鏡。

その鏡面は水のようにゆらゆらと揺れていて、目の前に立つ王の姿は映っていない。

「どうなって。」

理解の及ばない物に、アジャート王を見れば、彼はゆったりと中央のソファに腰を下ろすところだった。

鏡の目の前に置かれた赤いソファに。

(……そのための部屋?)

無言のままのアジャート王。

セリナもただ黙って、鏡を見つめるしかない。

静寂。

きらきら、ゆらゆらと鏡だけが時間が過ぎるのを示している。

やがて、徐々に鏡面の揺れが小さくなり、像を結び始めた。



「来てやったぞ。」

ソファに深く腰掛けたアジャート王が、短く告げた。



「まだ、この鏡は生きていると思っていました。」



耳に届いた声に、セリナは心臓が止まるかと思った。

「捨て置かなかったこと、感謝するがいい。こうして貴様に応じてやっていることにもだ。」

横柄な態度の返答にもかかわらず、鏡の中の金髪の青年は僅かに口角を上げる。


鏡に映っていたのは、フィルゼノン王・ジオラルドの姿だった。


アジャート王と同じように、大きな一人掛け用の椅子に座って、対峙していた。

「“黒の女神”を手に入れたようですね。」

彼の視線がセリナを捉えて、セリナは息をのむ。

目の前の光景が信じられない。

「本物を、ご覧になってどうでしたか。アジャート王。」

「……。」

「“似ていない”でしょう?」

「貴様。」

「あなたが望む“黒の女神”ではなく、そして望む女神は“いない”と思い知りましたか。」

「黙れ!」

「っ。」

急な怒声にセリナは身をすくめ、息をのみ。

そこで、さっきから呼吸を止めていたことに気づき、慌てて息を吐く。

「安心しろ。黒の女神は、我の元で大事にしてやる。勘違いをするな、“違う”ことにたいした意味はない。これが“黒の女神”で、フィルゼノンにいれば殺される者だと。その事実に、それ以上“思い知る”ことなどないわ。」

ジオは鏡の向こうで、表情を動かすこともなく王の言葉を聞く。

「これは、ワシが守ってやる。黒の女神は戦乙女として、アジャートのために立つのだ。」

セリナは、びくりと肩を揺らす。

「そんなことしないっ!」

誤解されるような台詞はやめて欲しい。

「女神の意思は聞いてない。ディア・セリナは、協力することになるさ。」

ざわざわした心で、セリナは鏡に目をやる。

そうだと、思われたくない。

「フィルゼノン王。何1つも守れず、その首を我が下に差し出すことになるだろうよ。今から後悔するがいい。」


「気づかないのか、アジャート王。」


静かな声が響く。

「同じことを繰り返そうとしているのを。」

「馬鹿げたことを。」

「今度は、いや、今度もまた。あなたは“黒の女神”を殺すのか。」

「ワシは“黒の女神”を殺したりしない。あれを殺したのは、フィルゼノンだ!」

ウルリヒーダは、鏡の向こうの男を睨む。

「ワシは、今度こそ“黒の女神”を守るのだ。フィルゼノンの呪いからな!」

『呪い』との言葉に、セリナは目を見開く。

さっきアジャート王が言っていた言葉だ。

(“黒の女神”がフィルゼノンの呪い。)

おぼろげながら、セリナは理解する。

(アジャート王が、女神を、安全な場所で。)


「そちらこそ、気づかないのか。フィルゼノン王。」


「そこでは、悲劇が繰り返されるだけだと。さぞかし、心を砕いて来たのだろうな。気を配り、周囲の風聞を押さえつけ、反発をはねつけて、言葉を重ね。」

ウルリヒーダの言葉に、眉を寄せたのはセリナだった。

鏡を見つめるが、ジオの表情は少しも変わらない。

「それが、そちらの答えか? まさか、それを一生続けるつもりだなどとは言うまい。」

ウルリヒーダが薄く笑った。

「未だ、解呪の方法もわからぬと見える。魔法大国の王が聞いて呆れるな。」

アジャート王がセリナに目を向け、すぐに前を向く。

「“黒の女神”は、我が国で保護する。」

「そのような真似、認めるとでも?」

ゆらり、と一瞬だけ小さく鏡面が揺らいだ。

「そちらの許可など、求めておらぬわ。呪いを解いてやろうと言っておるのだ。有り難く思え。」

セリナは話す両者を交互に見つめる。

「それと、そろそろ6年前の忘れ物を取りに行かせてもらおうか。」

「異なことを。そのような物、どこにもありはしない。」

ジオの背後に映る室内。

今日の空のように灰色をした、どこか寒々しさを感じる雰囲気。

「笑わせてくれる。決着のついていない勝負を、終わらせたがっているのはそちらだろう。乗ってやろうと言っておるのに。」

「決着というなら、『また』こちらから提示させていただきますよ、アジャート王。」

ソファの手すりに置いた、ウルリヒーダの手に力がこもる。

「調子に乗りおって、若造が。」


(あそこは、まるでルディアスの砦・ダイレナン。)


「若き王には、わかりやすい宣戦布告が必要なようだ。」

「……あなたこそ後悔することになる。」

「面白い。させてみるがいい。」

挑発の応酬に、はっと我に返り、セリナはソファの背を掴む。

「戦なんてだめ! あの武器だって使わせない!」

「!?」

突然、耳元で叫ばれたウルリヒーダが、一瞬だけ身を引く。

「“黒の女神”を使ったって、英雄にはなれない。私は、その戦乙女にもならないし、女神でもないの!」

「っ憎らしいラウラリアのようなことを言うな。」

顔を上げ、セリナは鏡に叫ぶ。

「ジオ! 気をつけて、アジャートの武器っキル・スプ……!」

「このっ、黙れ!」

太い腕がセリナの腕を掴む。

立ち上がったアジャート王は、そのままセリナを押し退けた。

「邪魔せず、そこでおとなしくしていろ!」

「きゃ……ッ。」

バランスを崩し、足がもつれる。

「セリナ!」

パンッと鋭い破裂音がし、それと同時に室内に風が巻き起こる。

ぐっ、とアジャート王がうめき声をもらし、セリナは風に背中を押された。

おかげで、ソファを支えにして、セリナは転倒を免れる。

そのままへたりと、床に座り込んだ。

風を防いだ腕を下ろしたアジャート王は、口元に笑みを浮かべて鏡に目を向けた。

「さすが魔法の王。鏡が通じているとはいえ、この距離で、防御された我が城であっても干渉できるとは。」

「アジャート王。守ると言ったその矢先に、その扱いか。」

「ほぉ、顔色が変わったな。これは面白い。」

ウルリヒーダはアメジストの瞳を細める。

「ワシは、決着をつけねばならんのだ。その忌々しい血を、絶ってやろうぞ。」

「“似ている”か?」

「っ……。」

一瞬言葉に詰まったウルリヒーダだったが、すぐに不敵に笑う。

反対にジオは柳眉を寄せた。

「血で贖うのは、あなたの方だ。」

ジオの声は酷く冷たかった。

「だめ。戦争を始めちゃ……。」

「ディア・セリナ。それ以上余計な口を利くな。」

「私をフィルゼノンへ帰らせて!」

アジャート王を見上げて、セリナは声を上げる。

「安心しろ。“黒の女神”でなくとも、 ディア・セリナに価値はある。」

「そうじゃないっ、そうじゃなくて!」

ソファの横に座り込んだまま、セリナは縋るように鏡に目を向けた。

「っ、ジオ……。」

「セリナ。こちらへ…戻りたいと。」

ジオの表情が、少しだけ揺れた気がした。

「戻りたいっ。」


「私は、フィルゼノンに…ッ!」


「ここまでだ。」

低い声に、顔を上げたセリナは、目に映る光景に息を止めた。

「っ。」

キル・スプラではない。もっと小型のソレを構えたウルリヒーダの姿。

どこから、という疑問は、その姿の奥にある棚が答えだとすぐに思い至る。

『キール・バーダ』。

一度しか耳にしていないその名が脳裏に浮かぶ。

拳銃に似たそれが『そう』なのだと。

銃口の向けられた先に、視線を走らせてセリナは叫ぶ。

「やめて!」

狙った先にあるのは鏡。ジオラルドの姿。

「セリナ、鷹に従え!」

パンッ、と先程とはまた異なる鋭い破裂音が空気を割く。

「きゃあ!」

鏡面が初めのように揺らめき、次の瞬間、漆黒を映し出したかと思えば、派手な音を立てて粉々に散った。

反射的に耳をふさいでいたセリナは、しばらくしてのろのろと腕を下ろす。

音に邪魔されながらも、最後に聞こえたジオの言葉。

(タカにシタガエ、従え、たかに、鷹に?)

鏡の残骸を見つめたままのウルリヒーダを見上げる。

「……。」

ゆっくりと、構えた銃を下ろすアジャート王。

振り向いた相手の怒りを覚悟してセリナの体に力が入った。

「あちらと繋がっていた唯一の鏡だ。」

「……え?」

「割れてしまったな。」

パキリ、と欠片が1つ縁から外れて、また床に落ちる。

魔法の鏡の欠片は、数秒光をまき散らして、沈黙した。

「否、潮時だったということだろう。」

「アジャート王?」

自分が壊しておきながら、どこか傷ついたような表情を浮かべていた。

「立てるか。」

銃を懐にしまい込み、腕を差し出した王に、セリナは戸惑いながらも手を伸ばす。

(余計な口を挟んで、怒りをかったのではないの?)

思わず見つめていると、相手が顔を逸らした。

「怪我はしていないな。」

「……。」

無言でいるとぎろりと睨まれてしまい、慌てて首を振る。

「は、はい。」

「もうここに用はない。行くぞ。」

セリナは壊れて散った欠片を見つめてから、アジャート王の背中を目で追う。


「守りたかった“黒の女神”がいたの?」


扉に手を掛けた王に問えば、相手は足を止めた。

「ワシが守りたいのは、黒の女神だと言っているだろう。」

(似ていないとか別人とか、そんなことを言っていたのは。)

「私、ではなく。本当に守りたかった女神が。」

腕を下ろし、アジャート王は静かに振り向く。

「フィルゼノンに殺された女神がな。」

無言で見つめるセリナから、また視線を逸らして王は息を吐いた。

「そなたには理解できぬかもしれないが。これでも、そなたが自分の意思でこの城にやって来たことを、ワシは存外評価しておる。」

「連れて来ようと思えばいつでもできたはずなのに、そうしなかったのは……それを待っていたから?」

「いや、それを目的にダンヘイトを止めたわけではない。結果的にそうなっただけのこと。道中、様々な事由で到着が遅れる事態になったことは、ワシにとっても都合が良かった。」

「城に来るのが遅い方が?」

「くく。まぁ“本物”を知りたくなかったのだろうよ。」

セリナは眉をひそめる。

「それでいて、やって来た“本物”を見て、安堵もしたのだ。」

ウルリヒーダが自嘲気味に笑いをもらす。

「わからぬだろうな。わかる必要もない。」

それ以上を語るつもりはないのだと察して、セリナは少し焦れた。

(アジャート王にとっては、黒の女神はフィルゼノンの呪い。その呪いから守るって。)

さっきのやり取りでのアジャート王の台詞を思い出す。

(ラウラリアは?)

「……ラウラリアは、嫌いなの?」

憎らしい、と確かに口にした。

王との会話をなんとか続けようとするセリナの思惑には気づいているだろう、ウルリヒーダは再び応じた。

「仮に。フィルゼノンが、お前をラウラリアとして迎え入れていたとすれば。」

そこで言葉を切って、ひたりとセリナを見据えた。

「ワシはとっくに、お前を殺している。」

なんの感情も見せず言い切る相手に、セリナは息を詰める。

剣先を突き付けられたような緊張が走った。

「戦乙女とて黒の女神につける良い肩書、というだけだ。別にラウラリアの名などは必要ない。」

「ど…うして、アジャートではラウラリアは黒の女神と同じなんでしょう? 勝利の女神で、光を導くって…アジャートに加護を残した女神だって。」

ウルリヒーダがセリナを窺う間があった。

「誰からそんなことを。」

だが、王が怪訝そうな表情を浮かべたのは一瞬だった。


「あぁ、聞くまでもないか。1人しかおらぬな。」



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