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黒の女神  作者: 紗月
大地の章
138/179

Ⅵ.剣と盾 47

47.



「まさか女神の方から訪ねて来てくれるとは思わなかったよ。」

ソファを勧めながらエドが小さく笑う。

「突然、ごめんなさい。平気だった?」

「もちろんだよ。よく部屋がわかったね。」

大きな窓を背に、セリナはソファに座る。

部屋に入り邪魔になったヴェールは早々に取り去り、それをたたんで自分の横に置いた。

「お城の人に、案内してもらったから。」

案内してくれたルーイは、セリナを部屋の前まで連れて来た後、会うのは遠慮しておくと言って帰ってしまっていた。

彼らが直接会うのは問題でもあるのかもしれない。

視線を感じて顔を上げると、エドがこちらを見つめていた。

「髪切った?」

「あ、昨日少し……。」

指摘を受けて、セリナはおどおどと自分の髪を触る。

「やっぱり、なんだか雰囲気が変わったと思った。今の髪型も良く似合っているよ。」

さらっと褒め言葉を口にするエドに、セリナは思わず照れてしまう。

「あ、りがとう。」

(いや、あれだ。自然な台詞で出て来るのもすごいんだけど、ほら、髪をほめられたの、こっちに来てから初めてだから!)

怖がられた印象が強いせいで、過剰に嬉しさが増しているらしい。

さらさら持続中の自分の髪を指ですきつつ、セリナは視線を彷徨わせた。

「そうだ。明日、王と謁見の約束を取り付けたよ。」

「アジャート王と? 良かった。」

エドからの報告に、セリナはほっとする。

「どこまで伝わるか、とにかく向かい合ってみようと思う。」

「きちんと話できるといいね。」

頷いて、エドが困ったように眉を下げた。

「昨日の。王とのやり取り、驚かせてしまったよね。以前からだけど、国王とはあまり関係が良くなくて。」

「……。」

(エドの考えは、王様と反することが多いみたいだし。)

親子とはいえ、簡単にはいかないのだろう。

「ルードリッヒから何か聞いた?」

問われて、セリナは首を横に振った。

「いろいろ事情があるんだって、それだけ。」

「事情、ね。」

「エド?」

「王宮は多くの人間がいるから。立場や利害や血筋が絡んで、複雑になってしまう。」

呟くように言って、エドは視線を空に投げた。

「国王には、正妃も含めて6人の妃がいて、5人の王子と7人の姫がいる。」

出て来た数字に、セリナは目を見張る。

「この国の王子は、ある程度の年齢になると皆なんらかの要職に就くんだ。内政部や軍部や外務部の官吏に。」

「エドが、神殿にいるのもそれで?」

「司祭部の上級神官も要職の1つだよ。本来は、王都の大神殿に所属するんだけどね。」

エドが苦笑を見せる。

彼がいたのが、本来とは違う場所だという事実をセリナは飲み込んだ。

「国王と王妃のグレーティア様は、あまり良好な仲ではないんだ。きっかけはわからないし、原因が1つだけというわけでもないのだろうけど、現状を簡単に言えば、政治に口出しする王妃を、国王が快く思っていなくて。」

会ったばかりの王妃を思い出し、セリナは目を瞬く。

「子どもの頃、僕は体が弱くてね。よく寝込んでいたんだ。体力は平均以下で、剣術も人並み。せめてと思って、勉学には励んでそれなりの成績は修めるよう頑張ってはみたけど。それでもアジャートは軍事国家だから、王の後継者としては頼りなかったんだろうね。重要な政務に関わることを許したのは、側室の子・第2王子が先だった。」

エドの言葉を聞きながら、セリナは堂々としたアジャート王の姿を思い出す。

病弱だった子供時代を過ごしたという、中性的な印象のエド。

(頼りなく見えたのかな。……エドが?)

「活発で、剣の腕に優れていたのは第3王子。母親は側室のアンネリーゼ様で、今も王の寵愛を一番に受けている妃だ。」

出て来た名前に、先ほど見た女性が蘇る。

「王家の色と呼ばれるアメジストの瞳を色濃く継いで、国王によく似ていた第3王子は、母親と同様に王のお気に入りで、直接剣の指導を受けることもあったらしい。」

思い描いた相手と、エドの語る特徴が一致する。

「戦で功績を上げ出してからは、彼の地位はさらに固まった。軍部所属で指揮官をしているルードリッヒ……彼が、第3王子。」

寵愛やお気に入りという言葉に、セリナは窺うようにエドを見つめる。

(母親の立場が子どもにも関係するなら、エドの境遇もそこに影響を受けてるってことなのかな。)

「ちなみに、アンネリーゼ様は綺麗な物や美しい物が好きで、政治には一切興味がないらしい。そういうところも王は気に入っているのだと、侍女たちが話していた。」

(ルーイの母親、アンネリーゼ様が王の寵姫。)

「王妃としては、国のために心を砕くのは当然だと思っているから、お互いの溝はなかなか埋まらないみたい。軍部を優遇する国王に対して、王妃は内政に手を出しているから。ある意味でうまく調整を取っているのだけど、出過ぎた真似だと思われるのも仕方のない状態で。」

一度言葉を切って、エドは再び苦笑いを見せた。

「そこに第1王子である自分の息子を政務に関わらせると、さらに火に油だよね。適性的に、軍属にも向いていない。」

「それで神殿?」

エドが頷く。

「争い事は昔から苦手だったんだけど、城にいるとどうしても王と王妃の間に摩擦を起こす存在になってしまって。僕自身、王のやり方には疑問を持つことが多くて、考えが合わなかったし、王もそれはわかっていたはずだから。城を離れるのは、もう自然な流れというか、それしか方法がないというか。」

エドは膝の上で両手の指を組んだ。

「あの頃は、それでも王が間違っているはずないと、そう考える自分もいたし。まして諫めたり口出ししたりなんて、とてもできなかったから。王都からオルフの神殿へ離れたんだ。」

セリナはかける言葉が出て来なかった。

(王子が、エドとルーイの他にも3人。)

エドに見せた王の硬い態度に、セリナの胸が痛む。

(ルーイに見せる態度があるから余計に。)

他の子どもたちがどうなのかはわからないが、少なくとも第2王子も王の近くにいるという。

「ごめん。僕ばかり話してしまって。話があって訪ねて来たんだよね?」

表情を緩めたエドに、セリナは少し躊躇ってから、「聞きたいことがあって」と切り出した。

「“銀の盾”のことなんだけど。」

「うん。」

次の言葉を待つエドの姿に、セリナは続きの台詞に迷う。

(これまで敢えて自分で距離を取ってて、エドたちもそれに合わせてくれてたのに、今更とかやっぱり私、都合良すぎなんじゃ。)

目指すところが同じなら、と昨日は考えたが、相手を利用する行為なのではないだろうかと浮かんだ思いに口が重くなる。

部屋に沈黙が落ちて、エドが不思議そうに首を傾げた。

「もしかして、“銀の盾”が何をしようとしているのか、ってことかな?」

「ぅ。」

図星を指されてセリナは、反応鈍く頷いた。

一度、天井を見上げてからエドはセリナに向き直る。

「隠すつもりはないよ。あまり踏み込むつもりはないのだと思っていたから、意外だったけど。」

「今更、だと思うよね。」

「争いを避けようとして行動を起こすのに、頼ってくれたのだとしたら嬉しいよ。」

エドの言葉に、セリナは少し後ろめたさが和らぐ。

「僕らは、戦を止めるために動いている。“盾”の目的はそれだけだから。」

「今の私には、その手立てが見えなくて。」

セリナは俯く。

(“黒の女神”という立場を、どう利用すればいいのかすら見えていない。)

もっと自分のことも女神のことも知るべきなのだと、イサラに助言をもらっていたのに。

「計画は極秘だ。今から話すことも、決して口外しないと誓って。」

エドは、静かに話し出す。

セリナは深く頷いた。


「盾の狙いは、城の穀物庫だよ。」


「さらに言えば、『兵糧』。」

「ひょう……つまり兵士の?」

「そう、戦争のために用意された食料。それを奪取し、民へ分配する計画だ。特に、収穫が十分ではなかった地方へ。」

べリラの村で、冬を越すのに十分な蓄えがないのだという話を聞いていた。

(働き手を取られ、収穫した物も戦争のために納めていると。)

「食料がなければ、進軍自体できない。強制的に開戦を止められる。」

なるほど、とセリナは口の中で呟く。

成功すれば一石二鳥に思える。

「でも城の穀物庫からって、簡単な話じゃないよね。」

「簡単ではないよ。国庫を襲撃するなんて、まさに反乱。奪取する者も、それを配るのも、もちろん仲間の足がつかないように準備はしているけど、正直命がけの計画だ。」

分配自体は、それぞれの町や村にある穀物庫の前に、寄付という形で置くのだと言う。

神殿が行う祝福―施しーと、似たようなものだと。

そこに至る前の、奪うこととそれを運ぶ間のことがネックになる。

計画は緻密に練られているようだが、さすがにエドもその詳細については口にしなかった。

(まるで義賊ね。でも、確かにそれなら開戦を足止めできる。)

「アジャート国王は、簡単に意見を翻したりしない。それはわかっている。だから、強制的な力が必要なんだ。この国と民に目を向けるだけの時間が。」

「……。」

見つめるセリナに、エドは口調を和らげた。

「僕はできるならば話し合いで解決したい。だから、準備はしているけれど、それを実行するのは、本当に最後の手段だと思っている。」

内容を反芻して、セリナが口を開く。

「明日の謁見の結果次第では、ってこと?」

そう訊くと、エドはゆっくり頭を縦に動かした。

(王が謁見を受け入れたなら、話し合いの余地はあると思っていいのかな。)

昨日の王の態度からすれば、それが簡単なことではないとわかっている。

それでも、と期待を持ってしまったセリナの心に気づいたのか、エドが口を開く。

「きっと僕らの気持ちは同じだね。“盾”の力が不要になることを、僕も願っているよ。」

真摯な表情のエドに、セリナは小さく頷いた。

「もう1つ、聞きたいことが。」

言いながらセリナがエドに向き直ると、彼も表情を改めて背筋を伸ばした。

「どうぞ。」

促されて、セリナは緊張気味に言葉を紡ぐ。

「アーフェにいた時、エドは近くにフィルゼノンから使いの騎士が来ていたことを知っていた?」

少しだけ、エドの表情が揺れた。

「……知っていたの?」

「どうして黙ってたの?」

詰りたいわけではないが、つい責めるような口調になってしまった。

「ごめん。先に話しておくべきだったよね。」

肩を落としたエドが、視線を伏せる。

「その情報は、確かにあの時掴んでいた。だけど、真偽がわからなくて。話の出所が怪しかったし、罠の可能性もあると思った。」

「ワナ?」

「女神をおびき出すための、ダンヘイトのフェイクだと。不確かな情報で女神を混乱させて、危険には晒せない。」

申し訳なさそうなエドを見つめながら、セリナはマルスの言葉を思い出す。


―――アーフェではイヴァンがその機会を狙っていたようなので、飛び出して行かなくて正解かもしれませんね。死闘が起きていたでしょうから。


(ワナではなかった。けれど、エドの心配は当たっていた。)

少年は軽い調子で死闘と口にした。

(それに巻き込まれていたのは、リュートだったかもしれない。)

雷雨の中、木々に囲まれた『あの時』のように。

二度と経験したくない場面が、セリナの脳裏に浮かぶ。

「女神、大丈夫?」

悄然とした様子のままエドが、セリナを覗き込んでいた。

「本当にごめん、ちゃんと伝えるべきだった。」

慌てて首を横に振り、無理やり笑みを作る。

「いいの。ただ、どうだったのか聞きたかっただけだから。」

もしも、に意味はない。

考え得る最悪のことは、起こらなかったのだ。

「ねぇ、エド。」

呼びかけて、セリナは口を閉ざす。

エドが不思議そうに首を傾けた。

「ううん、やっぱりなんでもない。」

「本当に? なんでも言って?」

「ありがとう。」

セリナは、もう一度笑みを作り直した。

もう1つ。彼に尋ねようとした疑問は、喉にひっかかって出ていかなかった。

「僕も1つ、聞いても?」

組んでいた指を解いて、今度はエドが口を開いた。

どうぞ、とエドに目を向ければ、相手は目を伏せた。

「ルーイと、結婚するの?」

「え?」

「それとも後宮に?」

「どっちもしないから!」

慌てて否定する。

(私は、フィルゼノンに戻りたいんだってば。)

頭の痛い問題を思い出して、セリナは項垂れた。

「それなら。」

頭上から、静かな声が降って来て、セリナはゆるりと視線を向けた。

「エド?」

神妙な表情でエドが、セリナを見つめている。

「陛下でもルードリッヒでもなく、僕を選んで欲しい。」

セリナはその場で固まった。

「返事はすぐじゃなくていい。」

そう言って、エドが眉を下げる。

「その2つの道以外を選ぶのに、利用するためでも構わないから。」

言葉を返せないまま、セリナはエドを見つめた。


結局、そのまま2人とも次の話題は出て来なかった。


沈黙が落ちる中、じゃぁそろそろ。とセリナが身じろぎすると、はっとしたようにエドが顔を上げた。

立ち上がり、セリナがヴェールを持ち上げる。

それにくっついて、ふわりと白いものが宙を舞った。

「?」

ソファの隙間から出て来たのは白い羽だった。

(羽毛? ソファから、じゃないよね。クッションもないし。なんで?)

部屋を見渡すが、それらしい物は見当たらない。

「どうかした?」

「これ。」

「羽? あぁ、昨日クッションが破れてしまって、中身が散ったんだ。片付けきれてなかったんだね。」

「どこから出て来たのかと思った。」

伸ばされたエドの手に、セリナは拾い上げた白い羽をのせる。

それをテーブルの上に置いて、立ち上がったエドがセリナの前に回り込む。

「女神、ヴェールを。」

「え?」

「そのままだと人目を引いてしまうから。」

丁寧な手つきでヴェールを整えたエドに、セリナは礼を述べる。

微笑む相手に、つられて笑みを返す。

「明日の謁見が終わったら、また君と話がしたい。今度は、僕から会いに行ってもいいかな。」

もちろん。とセリナは応じる。

(エドが説得できればそれが一番いい。それが無理でも、“銀の盾”の動き次第では、戦が止まるかもしれない。……それから、私自身の問題もどうにかしないと。)

出そうになったため息をなんとか飲み込む。

「部屋まで送ろうか。」

「いえ、大丈夫。ありがとう。」

じゃあ、とエドはセリナを見つめる。

「また明日。」

エドが真剣な表情のまま、するりとヴェールから手を離した。



エドの部屋の扉を後ろ手に閉め、顔を上げると、見た顔の兵士が待っていた。

今朝から案内役を言いつけられているあの兵士だ。

セリナを見て頭を下げた彼は、やはりそのために待っていたらしい。

(ここに居るのを知ってるのはルーイだから、彼が手配してくれたんだろうな。)

そちらに歩き出そうとして、廊下の奥から歩いて来るイザークの姿を見つけた。

相手もこちらに気づいて、会釈を見せる。

「それ、どうしたの?」

深緑色の大きな布を抱えているイザークに、セリナは目を丸くする。

「カーテンです。エドワード様の部屋の窓に、と思って。」

セリナは部屋にあった大きな窓を思い出す。

そういえば、あの大窓にはレースカーテンすらなく、景色が一望できていた。

覗く者もいないのだろうが、外からは丸見えになってしまう。

「あの大きな窓の。付いてなかったの?」

「ちょっとした手違いで、取り換えることになっただけです。」

へぇ、と首を傾げるセリナに、イザークが、あ。と呟いた。

「実はお伝えしたいことがあったんです。」

「私に?」

はい、と頷いて声を落としたイザークに、セリナは顔を近づける。

「エリノラさんのことですが、無事王都へ来ているとアルノーさんから知らせが。」

「!」

内緒話のように告げられた内容に、セリナは表情を緩める。

「良かった。」

ほっと息をついたセリナと同様、イザークの顔にも安堵が見えた。

「では、僕はこれで。」

壁際で待機している兵士を気にしながら、ぺこりと頭を下げたイザークは、セリナが出て来たばかりの部屋へと入って行った。

セリナは、しばらくその扉を見つめていたが、静かに背を向けた。



部屋へ戻るためだと思われる廊下を、兵士の後について歩く。

広い城内は、とても1人では歩けそうにない。

(そういえば、ルーイに聞けば、クラウスの居場所はわかるのかな。)

クラウスとの取引はまだ果たされていない。

(先に王都に行くって言ってたし、城にいるのだと思ったんだけど。あぁ、けどその前に。武器庫の場所を調べないといけないかも。)

ルーイかジーナに尋ねるとしても、どう切り出せば怪しくないのだろう、と考えて眉を寄せる。

どう聞いても怪しくなりそうだ。


「わぁ。」


そんなことを考えながら戻った部屋の前で、見つけた人物にセリナは思わず声を出してしまう。

壁に背を預けていた男も顔を上げ、セリナの姿を捉えたようだった。

その場で、ゆっくりと姿勢を正したのはクラウス=ディケンズその人だった。



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