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黒の女神  作者: 紗月
大地の章
137/179

Ⅵ.剣と盾 46

46.



翌日。

約束通り訪れたジーナと挨拶を交わしているタイミングで、部屋の扉を叩いたのは、城の兵士だった。

「王妃様からです。」

取り次ぎのメイドが差し出したのは、トレーの上に載った白いカード。

同じ光景を昨日見たばかりだ。

カードに何か文字が書かれているが、残念ながらセリナには読めない。

戸惑っているのに気づいたのか、メイドが静かに告げる。

「王妃様がお会いしたいと仰せです。」

(呼び出し状だ。)

いつまでも差し出されたままのトレーに、セリナは仕方なくカードを取り上げる。

ほっとしたようにメイドはトレーを下げた。

開いたカードの中にも文字が走っている。

招待文なのだろうが、内容はさっぱりである。

カードを握ったままジーナに目を向けると、彼女も困惑の表情を浮かべていた。

「これって。」

「うーん、本物みたいだし。さすがに断れない、かなぁ。」

ですよねぇ、と肩を落とすセリナに、メイドが近づく。

「お支度を。」

そう言われて抵抗する間もなく、メイドたちに身支度を整えられる。

最後にヴェールを被せられ、兵士へと引き渡されるように部屋を追い出された。

「これは早々に私の手に余る事態発生ね。危険はないと思うけれど、ルーイ様を探してくるわ。」

「は、はい。」

「それまで、なんとか乗り切って。」

同行を許されないジーナとは部屋の前で別れて、後を託す。

セリナは困惑したまま兵士の後を歩き、どこをどう通って来たのかもわからなくなる。

(どこまで連れて行かれるの? しかし、なんとか乗り切るって、どうすれば。)

さすがに不安になって来た頃、兵士が足を止めた。

精巧に花の模様が彫られた金縁の扉の前に、1人の女性が立っていた。

「お待ちしておりました。王妃様はこの奥でお待ちです。」

頭を下げた兵士はそこに留まり、セリナはどっしりとした女性と美しい扉をくぐった。

ジーナが判断した通り、王妃からの呼び出しなのは本当のようだ。

格子模様の回廊を進んで、1つの部屋に辿り着く。

「どうぞ。」

促されて、セリナは不意に足がすくんだ。

こんなふうに呼び出しを受けるからには、何か理由があるのだろう。

(王妃様から見た私の存在って。)

動かないセリナに、女性が後ろで怪訝そうにしている気配がする。

湧き上がって来たのは、逃げたい、という思いだった。

「そう緊張せずとも良い。」

突然、聞こえた声は柔らかいものだった。

ぎくりと肩を揺らしたセリナが顔を上げると、中から女性が姿を見せたところだった。

落ち着いた赤色のドレスを身にまとう女性の口元には扇子。

優雅な仕草でセリナを室内へと誘う。

「初めまして、ディア・セリナ。わたくしはこの国の王妃・グレーティアです。」

「は、はじめまして。」

「昨夜は貴賓室で休まれたとのこと。貴女様の居室なら、こちらにも用意がありましたのよ。」

はぁと口の中で呟きながら、セリナは視線を彷徨わせる。

「陛下から貴女様のことは頼まれております。何かわからないことがあれば、なんでも仰ってください。今日、お呼び立てしたのは、セリナ様の部屋をご案内しようと思いまして。」

「あ、あの!」

声を上げれば、王妃はすぐに口を閉じて、セリナの続きを待った。

「私、その。えっと、その部屋って後宮ってことですよね。それなら、私っ。」

「あぁ、聞いております。ルードリッヒ王子のことですね。」

「え。」

「後宮へ、すぐに入るというわけではないと。それはそれで、良いのです。ただこちらの、城の中を見ておくことくらいよろしいでしょう?」

にこりと微笑まれて、セリナは言葉に詰まる。

「わたくしも、あなたにお会いしたかったものですから。」

王妃の風格とでも言えばいいのか、有無を言わせぬ迫力がある。

「では参りましょう。」

エドの髪色は、母親譲りなのだと気づく。雰囲気もどことなく似ている。

ヴェールを被ったままのセリナは、上げるタイミングも分からず、薄い紗越しに王妃を眺める。

手入れされた王妃のさらさらとした金色の髪は、素直に綺麗だと思った。

(ちょっとだけでも、昨日ジーナさんに髪をお願いして良かった。)

自分の髪はヴェールで隠れてはいるのだが、セリナはそんなことを思った。


部屋への案内だけではなく、庭園や壁画などの紹介でも足を止める。

さながら観光でもしているようだ。

先程から側にいる女性は、どうやら王妃付きの侍女のようだった。

セリナたちの後ろにつかず離れずの距離でいる。

山を切り開いた敷地の南側にあたる後宮は、想像以上に広い。

「側室たちの紹介は、また改めて致します。正式に決定した後での方が、お互い良いでしょうから。」

女神を迎える準備ができている、ということをひとまず伝えたかったらしい。

見せられた部屋も、豪華でありながら派手というわけでもなく、配慮を感じる設えだった。

ただ、自分のための部屋だと言われても、その気がないセリナには他人事だ。

(丁寧に説明されても、困るというか。)

来た通路を戻り、庭へと下りる階段の前で王妃は足を止めた。

「なかなかゆっくりお話しできる機会もないでしょうから、お聞きになりたいことがあればどうぞ。」

「い、いえ。」

愛想笑いのような微妙な笑みでセリナは、言葉を濁す。

開いた扇子をゆったりと動かしながら王妃は、口元に弧を引く。

「では、何かあればその時に。いつでも歓迎いたします。」

「歓迎ですか。」

不思議な気がして、セリナは小さく繰り返す。

「何か?」

「い、いえ。なんでもありません。」

セリナの言葉に、グレーティアは微かに首を傾ける。

「後宮の住人が増えるのは、嫌なのではないか、と。そうお思いかしら。」

あけすけに指摘されて、セリナは視線を泳がせた。

黙ったセリナを見つめながら、王妃は扇子で口元を覆う。

「セリナ様をお迎えすることは、喜ばしく思っておりますよ。」

透かしと白金で飾られた扇子がゆったりと動く。

「陛下からセリナ様のことを任された者としては、そのお言葉に従うのみ。それゆえ、ここにおいて、わたくしは貴女の力になります。」

青色の瞳が細くなる。

「それがこの国の正妃としての務めでもありますので。」

会ったばかりの相手の、しかも王妃という立場にある人の本心を、セリナが見抜けるとも思えないが。それでも、言葉に嘘は見えなかった。

ふと、王妃が微笑む。

「先程の扉までは、こちらの侍女が案内を。わたくしはここで失礼しますが、またお会いしましょう。」

扇子を閉じ、優雅な動きでドレスを軽く持ち上げる。

再び開いた扇子を揺らして、王妃は背を向けた。





角を曲がる前に、グレーティアは一度だけ去り行く女神の姿を振り返った。

口元の扇子を揺らしながら、青い双眸を細める。

会いたかった、というのは本心だ。

王が執着する“黒の女神”。

(あれが、女神。)

噂や事前の調べで知っていた相手だが、直接自分の目で。

表情を変えることなく、グレーティアは廊下の先へ足を進める。

(周囲を振り回しているのならたいしたもの。権力者たちに振り回されているのなら、気の毒なこと。)

どちらにせよ、と考えて、扇子を閉じた。

(王も『わかっている』のは明白ですし、問題はない。)





「足元お気を付けくださいませ。」

侍女から注意を促されながら庭へと続く階段を下り、セリナは格子模様の回廊を歩く。

植木の切れ間に差し掛かったところで、突然にぎやかな声が飛び込んで来た。

驚いて顔を向ければ、中庭奥の一角で白いテーブルセットを囲んでいる人たちが見えた。

7名ほどの集団。

座っているのは2人で、他は侍女たちのようだ。

数秒立ち止まっただけだったが、向こうもこちらに気づいたようで、会話が止まる。

こちらに背を向けて座っていた人物が振り返り、弾かれたように立ち上がる。

「あ。」

遠目にも正体を把握して、セリナは目を丸くする。

立ち上がった相手は、なかなかの勢いでセリナに近づいて来た。

「なぜ、セリナがここにいるっ。」

「えぇとー。」

上から睨むような視線を向けて来る男の正体はルーイだ。

台詞から考えて、ジーナから話を聞いてここに来たわけではないらしい。

今日はオリーブ色の制服ではなく、白いシャツに紺のジャケット姿だ。

どう説明しようかと考えているうちに、ルーイは側にいる侍女を見て事情を把握したようだった。

「王妃様に呼ばれたのか。」

自分で確認するように呟いて、ルーイは珍しく険しい表情を見せた。

「用事は済んだのか。」

尋ねた侍女が首肯するのを確認して、彼は息を吐く。

「そうか。なら、行くぞ。」

急に肩を押され、セリナはこけそうになる。

「ちょっと、ルーイ。急に何するっ……。」

抗議の声を上げたが、後ろから鈴のような声が響いた。


「まぁ、ルードリッヒ。そちらの女性はどなた?」


いつの間にか、近くに寄って来ていたのは、座っていたもう1人の女性だ。

侍女が後ろからパラソルを差し掛け、別の侍女が彼女の白いドレスの裾を持ち上げている。

おっとりとした雰囲気の、オレンジ色の巻き髪の女性。

首元にも、耳元にも、手元にも、一目で高価とわかる宝石が輝いている。

そして口元で広げた扇子も金の細工が艶やかな一級品だった。

声を掛けられたルーイは、一度目を閉じてから、女性に向き直る。

「突然、離席してしまい失礼しました。こちらの女性はディア・セリナ、“黒の女神”様です、母上。」

「母っ?」

驚きで声を上げたセリナだったが、すぐに自分の口を押さえる。

(母上って!? ルーイの? この人が?!)

「まぁ、貴女が? 噂はお聞きしてましてよ。初めまして、わたくしアンネリーゼと申します。」

挨拶されて、セリナも慌てて頭を下げる。

(後宮の住人。王妃様とはまた随分タイプが違う。)

王妃は、落ち着きのある隙のない大人の女という感じだったが、目の前の妃はふわりとした甘さがある、幼さを残した女性という感じだ。

「母上、久しぶりに茶会にお招きいただいていた途中で申し訳ありませんが、彼女を部屋までお送りしたいと思いますので。」

「えぇ、もちろんよ。ルーイ。そうすべきだわ。」

うふふと笑って、アンネリーゼはルーイの背を押す。

その様子があまりに嬉しそうで、セリナは思わず戸惑ってしまう。

(もちろん年上の女性なんだけど。なんというか、振る舞いが可愛い人。)

「というわけで、彼女はオレが連れて行く。」

後ろに控えていた、王妃の侍女にそう告げるルーイ。

「中の宮で兵士が待っています。」

「兵士にもオレから言う。問題ない。」

「承知いたしました、ルードリッヒ王子。」

頭を下げた侍女が、その場を後にする。

(あれ、王妃様があそこで帰ったのって、もしかしてここでの茶会に気づいていた?)

むむ、と眉を寄せたところで、再度ルーイに肩を押される。

「もう、乱暴にしないでよ。」

「いいから歩け。」

命令口調に、セリナはヴェールを上げてルーイを睨む。

「後宮は王を除いて男子禁制。」

「何、急に。」

「幼子は別として。宮に母親がいるから、さっきの中庭までは入ることが許されている。それでも、この年になれば向こうから招かれなければそうそう来ることはない。あの庭の向こう、後宮の中は、いくら王のお気に入りだろうと手を出せない場所。」

ルーイが立ち止まり、セリナの前に立つ。

「その気になれば、セリナの意思に関係なく奥に押し込められることだってある。そんなことになったら……。」

向けられたアメジストの瞳は真剣。

そこに焦りの色が見えていて、セリナは言い返せなくなる。

「心臓に悪いことはやめてくれ。」

「ご、ごめん。でも、突然呼び出しを受けて連れて来られて、ジーナさんもいたんだけど、断るとか無理な状態で。」

「ジーナが?」

「ルーイを探してくるって、言ってくれてたんだけど。」

「とにかく、中の宮に戻るぞ。」

セリナの腕を取ると、ルーイは大股で歩き出す。

「ル、ルーイ?」

大きな歩幅に引っ張られ、セリナは小走りで付いていく。

さっきくぐった金縁の扉が見えて来たところで、ルーイがセリナのヴェールをぐいと下した。

「もー、さっきから乱暴ね。」

歩調を緩めたルーイが、ぶつぶつと文句をこぼすセリナの頭に手の平を乗せる。

うん?とヴェール越しに見上げるが、ルーイは前を向いたままだ。

「セリナが悪いわけじゃねーのは、わかってるんだがな。」

独り言のように呟いて、セリナに顔を見せた時には、いつものルーイだった。

「あー、部屋に不在なのを見たジーナがオレを罵倒する声が聞こえるー。」

「幻聴?」

「違う! いや、むしろここはファインプレーだと、押し通すところか。」

悩まし気な様子のルーイは放っておいて、セリナは折れたヴェールの端をぺしぺしとはたいて直す。

「なんでヴェール。視界が悪くなって歩きづらいのに。」

「あ? そんなの兵士連中に見せてやるのがもったいないからだ。」

「何それ。」

「ほら。」

と腕を示され、セリナは渋々その腕に掴まった。

そういうのを要求したわけではないのだが。

薄い紗だから、見た目に黒色が隠されているわけではない。

ミステリアスさを演出するには正体がバレすぎているし、目隠しの効果も期待できない。

(王妃様の扇子みたいに、ちょっと顔を隠す感じがアジャートの流行なのかしら。)

であれば、セリナの場合上から被せられるという仕上がりになるのか、と眉をひそめつつも妙に納得する。

扉の横で待っていた兵士は、言っていた通りルーイが追い払ってしまう。

セリナの帰り道を案内するために待たされていた彼には、ちょっと気の毒だ。

ルーイに目を向けると、些細な動きに気づいて彼が顔を向けて来た。

「どうした。」

ヴェールで見えにくいはずなのに、よくわかるものだ。

(でも、まぁ。さっきのルーイはつまり。後宮にいた私を、心配してくれたってことだよね。)

「あー、殿下のところか?」

「へ?」

「案内するって言ってたからな。昨日、連れて行ってやれなかったし。会えるかどうかわからないが、行ってみるか。ん? 違うのか?」

「い、やぁ。ううん、違わない。」

思わぬ提案だったが、エドのことが気にかかっていたのは事実だ。

聞きたいこともある。

「そうか? じゃぁ、こっちだ。」

「ありがと。」

「おう。」

今のお礼は、案内に対するものではなかったのだが、まぁいいかとセリナは息を吐いた。



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