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黒の女神  作者: 紗月
大地の章
131/179

Ⅴ.正義の真 40

40.



シャトーアルジャイド、ラウドグリム系団フラット“ダンヘイト”隊員。

それがビアンカ=ハウゼンの所属だという。

長々しいそれは、聞いた直後に忘れてしまう程度の些末な情報でしかない。

彼女は、『薬師』だ。

それ以外の何者でもない。

彼女が興味を持つのは、薬師としての仕事のみ。

彼女に命令できるのは、“我が王”たるアジャート王だけだ。

我が王の命を仲介するゆえに、一応“隊長”の言葉に耳を貸すようにはしているが、あくまで彼はビアンカと我が王の中継ぎでしかない。


小さな引き出しが並んだ棚の横で、ビアンカは丹念に調合作業を進める。

彼女だけが知る素材の組み合わせと分量で調合された『薬』は、乳白色のトロリとした液体として器の中にある。

そこに赤い色粉を足して、ビアンカは微笑んだ。

ゆっくりと丁寧な手つきで混ぜ、さっきよりも固まった状態になったそれは真っ赤だ。

小指で薄く取り、ビアンカはそれを己の唇に乗せる。

手鏡に映した唇を眺め、満足げに息を吐く。

「美しい。」

自分の研究室の、道具が揃った状態で調合する『薬』は美しくてビアンカを幸福にする。

あぁ、けれど。と思い出す。

適当に揃えた道具で調合せざるを得なかったものの、アレはビアンカを満足させた。

材料がないから、というどうしようもない事態ではあったが、結果は悪くないものだった。

薬草・ナーラスだけで、調合した純粋なアレは。





命を受けてフィルゼノンへ潜入した後。

ビアンカは、『ツヴァイ』のペアとなったラルフ=シュヴァイザーと行動を共にしていた。

情報を集めていると、面白い存在を見出す。

そこで接触を図るべく、彼らのアジトらしき場所へ足を運んだのだ。



***



「おい、ビアンカ。勝手に先走るな。」

不機嫌そうな声が後ろからして、ビアンカは腕を組んで振り向く。

「走ってなどいないわ。」

見本のように優雅な歩行だった。

高いヒールの靴で床板を踏みつけ、さらにラルフを睨みつける。

「一歩遅かったな。」

カンテラを持って部屋に入って来たラルフが、中を見渡してから目を細めた。

ただでさえ鋭利な瞳が、鋭さを増す。

遅れて入って来たのはお前の方だ、と指摘してやろうとして止めた。

間違いを立て続けに指摘するのは可哀想だ。

フィルゼノンの王都より東の町・ラトル。

その郊外に立つ荒れた屋敷。

ビアンカは痛みの目立つ部屋を眺める。

2階建ての小さな屋敷だ。階段や床の板は朽ちて穴が開いている所もある。

さらに周囲の様子を探るが、屋敷の中に人の気配はなかった。勘が、不在ではなくもぬけの殻の状態だと告げていた。

「ここは捨てられたのね。」

せっかく訪ねて来たが、行き違いになったようだ。

さらにラルフが隣の部屋の扉を開けるが、同じような状態を確認できただけだった。

「つい最近まで使われていたのは間違いないが、無駄足だったな。」

面倒くさそうに男が、首を回す。

「引き上げるぞ、今からなら夜明けまでには王都に戻れるだろう。」

「せっかくこんな外れまで出て来たのに。」

カンテラの灯りが揺れる中、ビアンカはテーブルの上の灰皿を覗き込む。

「?」

溜まった灰色に、一部白が混ざって見える。

屋敷の灯りはついてないしラルフは別の方を照らしているため、外からの月光を頼りに指を伸ばし摘まんだ、その時。


「伏せろ!!」


ラルフの声と同時に、床に押し付けられる。

そして破裂音と熱風に襲われた。

衝撃の第一波を避け、顔を上げれば燃え上がる炎が迫っていた。

「時限発火……の魔法か。」

ラルフの言葉が終わるより前に、別の方向から同じ衝撃が起こった。

ビアンカとラルフは、瞬時に判断し屋敷の外へと走り出す。

「!!」

足元が揺れて、ビアンカはその場に倒れ込む。

弾みで、ウェストバックの中身が床に飛び出た。

「薬が!」

床をすべった銀色の箱に慌てて手を伸ばすが、既に延焼が広がる火の海の中だった。

「諦めろ、退け!」

火の広がるスピードが速く、煙もひどい。

ビアンカは燃えるそれを置き去りに、外へと走った。

箱の中身は、ビアンカの様々な作品たちだった。

騒ぎで人が集まる前にと、随分離れた場所まで非難してから、2人は足を止める。

「大したもんだな。」

「罠をしかけてられていたの?」

表情を変えずにラルフが首を回す。

「オレたちを狙って? まさか。向こうは、こちらのことを知りもしないだろうよ。」

「じゃあ、あいつらの証拠隠滅処理に巻き込まれたっての。」

「だろうな。警備隊が目をつけていたようだし、やってくれる。大賢者ノアの信望者とやらだったか。」

氷の瞳を細める男を横目に、ビアンカは歯噛みする。

「ノアだかなんだか知らないけど、あの爆発を仕掛けたヤツ許さない。」

「そんな靴を履いているからだろ。」

「違う。こいつが床に転がっているのが悪いのよ。」

原因はボタンだ。

床に転がっていたそれを踏んだせいで、こけたのである。

決してヒールで床を踏み抜いたわけではない。

悔しまぎれに掴み出して来た金色のボタンに目を止めて、ビアンカは語勢を落とす。

「あら。これ、王宮騎士の制服についているボタンね。古い物でもない。」

その意味に気づいて、ビアンカは口角を上げた。

「証拠を全部消してしまうあの火事に、わざと残していったってことはないよね。」

「今標的にしているのも王宮の兵士だろ、そいつは。」

「あの坊やは違う。思想を持っているようには見えない。けど、あぶりだすのに、坊やを使えるかも。もし、見つけられたら『協力』し合えるかもしれないわ。」

「目的が重なるとは思えないが。」

「女神を連れ出せればいいんでしょう。城の中に彼らの仲間がいるなら、利用できるかもしれない。それに、これ。」

ぴらりと紙の切れ端を、男の前に差し出す。

紙片に、走り書きのような文字。そして、その一部が丸で囲まれている。

「ショウ=ディーン……人の名前だな。丸のついた“ディー”に何か意味があるのか?」

「灰皿の中の燃え残りよ。不用心な素人ね、ここからも辿れるかも。」

火事を起こして燃やされてしまうはずのものだった。

あの火勢ではアジトは全焼だろうが、辿るための手掛かりは十分だ。

肩をすくめた男に、女は付けたす。

「ラルフは、ナーラスを調達してちょうだい。なくなった分を調合しなければ。」

「簡単に言うな。この国ですぐに集められるものではない。」

「はん! 小奇麗な王都だって、扱う者くらいいるでしょう。手元に薬がないなんて、薬師失格。あぁ、落ち着かない。」

「それはお前くらいだ。」

「黙れ。あたしの『薬』がなければ、お前の矢などただの棒だ。」

「……。」



***



しばらくして男が調達して来た薬草で、道具もまともに揃っていないながらビアンカは作業をした。

緑色の髪をした女医は、アレを副産物と呼んでいたが、間違いも甚だしい。

白衣を着た女の顔を思い出そうとしたが浮かばず、その行為はさっさと諦める。

「アレこそが完成品。」

純度の高い万能薬ナラティアこそ、ただの副産物だ。

余ったから手元に置いておいただけの物。

女神に使うことになったから、結果的には役にも立ったが。

美しいのは、『トリトニシアン』の方だ。

ナーラスの根から作り出す毒薬。

ビアンカが計算したとおりの即効性で効く作品。

即死ではない。死に様も醜くはない。

薬が全身に回り、自由を奪い……と考えて、ほぅと吐息をもらす。

(できれば最期が見たかった。)

それはビアンカのいない場所で使われ、挙句なぜか解毒したというから、彼女をひどく失望させた。

(坊やに使ってみれば良かったかしら。)

一瞬だけそんなことを考える。

もう顔も名前も覚えていない相手だが、思い出す気もない。

いかにもな育ちの良さと純粋さがにじみ出ているような青年だった。

王宮兵士や騎士が通うその酒場に入り込むのも簡単で、そこで働くはずだった給仕の女と入れ替わっただけだ。

情報を引き出すのも、楽な仕事だった。

役に立つかどうか未知数だった“エンヴァーリアン”と呼ばれる者たちを調べたのは、火事の『お礼』をしたいのが大きな理由だ。

利用できるなら使おうとは思っていたが、女神の奪取に必要ではなかった。



フィルゼノンの王都を去る日。

酒場の裏口から路地へと出たビアンカには、視察に同行する“女神”の目的地がわかっていた。

だから、視察団の先回りをして女神を待ち伏せする計画も容易く立てられた。

坊やからの情報に加えて、『シスリゼ教会』のことを知ったのは幸運だった。

偶然にもその教会を見つけたのは、祈り好きの狂戦士。

彼もたまには彼女の役に立つらしい。

集めた情報を整理して並べれば、行き先を当てることは難しい推理ではなかった。

(女神の目的はわからなかったけれど。)

その日、路地裏から闇夜に浮かぶクライスフィル城の影を見た。

美しくそびえる城の姿に、ビアンカは口元を緩めたのだった。

浮かんだ思いも些末なもの。

フィルゼノンもたいしたことないのね、と。


「ふふ。」


小さく笑いをこぼして、ビアンカはそっと自分の唇をなぞる。

これはビアンカ専用の口紅。

真っ赤な唇が弧を描く。

魅惑的な赤。

けれど触れた者に訪れるのは死だ。

彼女は薬師。毒薬を愛する者。


「仕事だよ。」


突然の少年の声。

ビアンカは栗色の瞳を眇め、手鏡越しに声の主を睨んだ。

音もなくやって来たのは、マルス=ヘンダーリンだ。

何が楽しいのか、ニコニコしている相手とは対照的に、邪魔をされたビアンカは不機嫌さを露わにする。

「今度のペアは、あんたなの?」

さらにヘラっと笑う男。

「内容は。」

緩くウェーブした紫色の髪を片手で払うと、机の上を手早く片付けて立ち上がる。

見おろした少年から、簡単な返事が戻って来た。


「『お迎え』です。」









大地に転がる大きな岩に背を預けて、男は視線の先に建つ砦を眺めていた。

今度の『狩り』の対象がいる場所だ。

強固な門が閉じられたそこにいるのは“将軍”と呼ばれる男。

その男の庇護下に置かれた対象者を狙うのは、少し面倒だ。

だが、ここで足を止めている理由は別にある。

(待つとしてもせいぜい一晩だろう。)

今、あの中には面倒な存在がいるのだ。

わざわざこのタイミングで踏み込む必要はない。


星が輝く空には薄く雲がかかっていた。

男は取り出した煙草をくわえると、慣れた様子で火をつけた。

(酒があればな。)



***



フィルゼノン、ラグルゼの酒場で。

陽気な笑い声と豪胆な怒声に交じって囁かれる噂話。

―――“緋の塔”に国王一行が災いの女神を連れて視察に来ている。

―――アジャートを警戒して、兵士たちが動いているらしい。

人々が集まる場所には、様々な情報が飛び交い、中には役に立つものもある。

それは、王都の酒場でも辺境の街の酒場でも同じだ。

「来たわよ。明日には合流できる。」

隊長からの連絡を受け取ったらしい、ビアンカ=ハウゼンがそう告げる。

「向こうは、きちんとケリ付けたんだろうな。」

王都で偵察していた『アイン』は、正体を疑われフィルゼノン側に尾けられたらしい。

「じゃなきゃ困るわ。目を付けられるなんて、間抜けね。」

まったく、と呆れたように女が肩を竦めた。

「お前のは、確かな情報なんだろうな。」

「あたしは間抜けじゃないもの。」

彼女の集めた情報の信ぴょう性を問えば、さらりと答える。

「目の前の獲物に、気づかないなんてアリエナイ。」

それは男自身のことをさして言った台詞だとすぐに気づき、女を睨みつけた。

今回、途中から『ツヴァイ』の行動の主導権を奪われたのは、ソレが原因だった。

「始めましょうか。」

赤い唇を引き上げた女を一瞥して、ラルフ=シュヴァイザーは席を立つ。



ラトル郊外の屋敷で火事に巻き込まれた後、ラルフはナーラスの調達に動いた。

―――あたしの『薬』がなければ、お前の矢などただの棒だ。

ただの棒とは心外だが、言い返す程本気で取り合うことでもなかった。

女は信用できないが、女の作り出す毒を信用できるのは確かだ。

苦も無く密売組織と取引を行い、薬草自体は簡単に手に入れた。

問題なのは、その現場に目撃者がいたこと。

そして、それが“黒の女神”であったということだ。

例の組織が“サルガス”という名だというのは、後で知った情報。

それを聞いたのも酒場だった。女がベルという偽名でもぐりこんだ城下町の店・ラーフ。



「ねぇ、聞いた?」

酒瓶をテーブルに置きながら、女は赤い唇を引き上げる。

「“サルガス”が捕まったって。」

「サルガス?」

「知ってるでしょう? 麻薬密売組織よ。」

取引は終わっているし、摘発されたところで無関係だ。

興味などないのだが、ビアンカは喜々として先を続けた。

「面白い噂があるのよ? 一斉摘発できたのは、“女神”のおかげなんですって。」



情報源だった“坊や”とやらから聞き出した話からソレを知ったビアンカは、ラルフに交渉を持ちかけて来た。

「目の前にいた対象者をみすみす逃し、挙句始末させようとしたなんて、我が王の耳に入ったらどう思われるかしらね。」

この事実を知っているのはラルフとビアンカだけだ。

黙っておいてあげてもいい。ただし、と続けた。

「フィルゼノンで『ツヴァイ』として行動する間の『指揮』をあたしにちょうだい。」

悪くない条件でしょう?と艶然と笑む。



そうして、フィルゼノンにいる間の任務に限りラルフはビアンカに主導権を渡す羽目になったのだ。

“女神”がどうしてあんな場所にいたのかを調べていた女は、その後も情報を掴んで来た。

ラルフが見たあの日の“女神”の姿とイヴァンの情報から、とある教会まで辿り着き、女神の視察同行の目的地を推測して先回りを提案して来た。

その後ダンヘイト隊長の許可も下りたとなっては、主導権を渡したラルフはそれに従うしかない。

(無駄の多い計画だったな。)

先回りという同じ計画を遂行するとしても、ラルフが主導権を握っていればあんな行動は取らない。

彼女の私情に付き合わされ、正直辟易させられた。



「馬車の車軸に細工?」

ラグルゼ警備隊の動向を監視しながら、先回りが成功していたことを知る。

“緋の塔”からこの警備隊に女神がやって来るという情報はガセではなかったようだ。

「目的地の確認と目的の見極めをしてから襲撃する予定だろう。そんなことをして、外出自体取りやめになったらどうする。」

「なら、そこを襲えばいいでしょ。」

「なぜ必要もない手間をかける。」

実に何気なく用意されている警備隊の馬車を遠目に確認しながら、ラルフは眉を寄せるのを止められなかった。

「女神は馬に乗れないはず。馬の移動に切り替えれば、タンデム(二人乗り)になる。不慣れな女を乗せてれば、騎士とはいえ機動力は上がらないし、十分な戦闘もできない。」

もっともらしい理由に聞こえる。だが。

「馬車から下したい理由は。」

「あたしの指揮に従えないの?」

「……女神を値踏みする気か。」

訊けば図星だったのか、ビアンカは嫌そうな顔を見せた。

「我が王が、ご所望されている女がどんなモノだか、知りたいだけよ。」

「気づかず馬車が横転して、女神が怪我でもしたら、お前責任取れるのか。」

「何言ってるの。その責任は、馬車の異変に気づけないようなフィルゼノンの騎士にあるだけでしょ。」

結果として、途中で馬車を捨て、ビアンカのシナリオ通りに馬での移動に切り替えた一行。

射るような視線を送っていたビアンカは、やがて勝ち誇ったように呟いた。

「“黒の女神”だなんて大層な名前の割に、平凡な女。」

これなら気に掛けるまでもなかったわ、と。

その後、碑石で女神の能力を垣間見たラルフは、そこで納得したものがあったのだが。

多分に私情を挟んだ評価を既に下し終えていた女には、どうでも良かったらしい。

そして、興味が失せていた女は、その先の襲撃でも敵を深追いせずに剣を引いたようだった。

女神を王の元まで無事に連れて行くことに憂いは無くなったらしく、意識のない女神にかいがいしく手当てを施していたくらいだ。



***



ふぅ、と紫煙を吐き出して、煙草を地面に擦り付ける。

アジャートに戻ったラルフは『ツヴァイ』の指揮を取り戻していた。

今回の片割れの所在は知らないが、単独行動は珍しいことでもない。

端から他人など信用してない男にとってみれば、気にすることでもなかった。

霞んだ星空を一瞥して、男は新しい煙草に火をつけた。



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