表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
黒の女神  作者: 紗月
大地の章
129/179

Ⅴ.正義の真 38

38.



「貴女は、あの国のことをどこまで知っているのでしょう。」

クラウスは独り言のように呟いて、先を続ける。

「魔法防壁に守られていることはさすがにご存知ですよね。」

頷いたセリナを見てから、またクラウスは視線を外した。

「6年前、フィルゼノンとアジャートの戦いは熾烈を極めていました。アジャート軍の一部は首都メルフィスにまでおよび、被害を出した。」

仕立屋の夫婦からも聞いた話だ。

「王都にまで戦火が至ったのは、完璧だと信じられていた“魔法防壁”が崩されたから。防壁の隙を突かれ、アジャートの術師に陣を壊されてしまったせい。

想定外の事態にフィルゼノン軍も乱れ、被害が拡大。“緋の塔”がアジャート本隊を押さえ、都まで進出していた一軍もすぐに追い返したが、西の地ルディアス領で激しくぶつかり合うことに。」

「ルディアス、ダイレナンね。」

頷いて、クラウスはしばし沈黙する。

視線はどこか遠くを見ていた。

「態勢を立て直したフィルゼノンは、国境までアジャートを退けた。再びの侵攻も凌いで、その後休戦条約を……。ただ、ルディアスの地での戦いで先王は深手を負い、それが元で逝去された。」

(先王ってことは、ジオの父親。)

それで、ジオが王位を継いだのだ。

「一連の被害の始まりは、防壁の崩壊にある。

かつて魔法防壁を創り、代々それを守って来たディケンズ家は、休戦後にその責任を取って断絶。遥か昔より王家に仕えた重臣、魔法一族の筆頭であったディケンズ家の落日は一瞬だった。」

セリナはただクラウスを見つめる。

「刑の執行を待つか、誇りを守るか。」

「え?」

自分に向けて問われたのかと、セリナは思わず声を出す。

「祖父と父に与えられた選択肢だ。」

「……。」

「私も侍女だった妹も城を追われて、一族は散り散りになった。」

クラウスは遠くを眺めたまま、僅かに眉を寄せたようだった。

「まるで、私たちが首都を焼き払った犯人かのようでしたよ。結局、残党狩りが議会で決定して、東に逃れていた私と妹は国を出ることにしました。直系の血を継ぐ者だったからでしょう。ロザリアを目の前にして追尾の手が掛かり、手負いで魔力も尽きて、追い詰められて。」

塀の上に置かれたクラウスの手は固く握られている。

一度口を閉ざし、静かに言葉を紡いだ。

「そこで、妹は死にました。私は崖から落ちて……、どういうわけか偵察に訪れていたルードリッヒ様の目にとまり、助けられました。彼の手引きでロザリアへ逃れ、そののちアジャートへ。魔法の能力をかわれて、何度か手を貸しているうちに雇われて今に至ります。」

一気に説明を終えて、クラウスは小さく息を吐いた。

「取り返しのつかない事態に、ディケンズの責任は、目に見えてわかりやすかった。」

自嘲交じりの台詞だった。

(筆頭の魔法一族。魔法防壁を支えていた一族が、すべての責任を取らされたってこと?)

「でも、そんな。ジオがそんなこと。」

セリナの動揺は、小さな呟きとなってこぼれた。

「どんな一面を見たのか知らないが、たかだか数カ月いただけだろう。あの王の何を知っている。」

「けれど……。」

イメージがつながらない。

確かに出会ったばかりのジオは怖いところもあったが、それだけでないことを知っている。

いくら責任を取らせるためだからといっても、一族全体を滅ぼすような命令を出せる人なのだろうか。残党狩り、と言った彼の言葉が妙に違和感をもたらす。

(それとも、私がそれを信じたくないだけ?)

彼の王としての覚悟の強さなら、セリナも知っているのに。

胸元を両手で握る。

クラウスがセリナに向けたのは、憐れむような瞳だった。

「目の前で。かつて仲間だった騎士が、自分の妹を殺す光景がどんなものか想像できるか。」

「っ。」

息が詰まる。

「その血で濡れた剣を向けられる気持ちがわかるか。」

わからない、わかるわけがなかった。

そんなふうに全員を罰するほどの罪を、彼らが犯していたのだろうか。

ジオがそんな判断を下していたのだろうか。

セリナには、わからなかった。

返す言葉が見つからなくて、セリナは唇を震わせる。

「今の魔法防壁は以前のものより、より複雑で、緻密で、強固なもの。張ったのは、フィルゼノン王。」

再び視線を遠くに投げたクラウスは、セリナに向けて話してはいなかった。

「自分が迫害した者に、それを崩されたらどんな気分だろうな。」

笑みもなく、ただ淡々と語るクラウスに背筋が冷たくなる。

「完璧な防壁など存在しない。」

「クラウス。」

「女神殿は。」

切り替えたように、彼の視線がセリナに向く。

相手におされて、セリナの台詞は続きを成さなかった。

「ウォールツリーと呼ばれる、魔法壁の要となるポイントを知っていますか。」

(ウォールツリーって、ヴィラの? ジオやアシュレーが魔法を使っていた場所。確か、街の防壁だと。)

視察の途中で見た場所だ。

思い当たった光景に、戸惑いながらも頷く。

「見せてもらったことがある。」

「見た? その存在を教えるだけではなく?」

へぇ、と意外そうな表情を隠しもせず、クラウスがセリナを凝視する。

「ずいぶん大胆なことを。壁を構築する『要』ならば、それは弱点ともいえる場所です。そこを崩せば、防壁自体を揺るがすことができるのですからね。まぁ、もちろんそこも結界で守られていますが。」

(あの時は、同席するかどうかはどちらでもいい、と。選ばせてくれたはず……。)

視察の時は、そこまで重要な場所だとは考えていなかった。

「国と各地の街を守るために、いくつもあるソレは“レイポイント”と呼ばれ、それぞれが複雑に関連しあって均衡を保っています。」

ポイントがあるのはフィルゼノン国内。

(入るには一旦、国境の魔法壁を越えなきゃならない。けど。)

「クラウスは……それを狙っているの?」

セリナの問いに、クラウスは僅かに口角を上げる。返事はなかった。

「防壁を壊して、また戦争を? そんなことになったら、たくさんの人が傷つく。」

「戦争でもないのに、妹は殺されました。」

復讐なんて、と言いかけてそれを飲み込んだ。

「それに。戦争をしたいのは、私ではありません。」

諭すように告げられて、セリナはさらに沈黙する。

握られていたクラウスの手は、既に解かれていた。

握りしめたままなのはセリナの方だ。

「ほらね、面白い話ではなかったでしょう?」

責めるでもからかうでもない調子で、クラウスが判じる。

「……。」

「まだ、他に何か?」

(クラウスの言うようにジオが……。)

と考えかけて、セリナはゆるゆると首を横に振った。

それを返事と受け取ったのか、クラウスが言葉を紡ぐ。

「では、そろそろ貴女の騎士についての情報開示をしても? 姫君。」

話題を変えた彼に、これ以上セリナへ話すことはないのだろう。

ここでセリナが何を思ったところで、彼らの真実など知り得るはずもない。

(フィルゼノンに戻る。そうすれば、きっとわかることもある。今は、目の前のことを。)

言い聞かせるようにそう心の中で思う。

不意に。

(塔を出る前に、イサラからもそう言われたっけ。)

頼りになる侍女の顔を思い出して、背筋が伸びる。

ならば。

今は知り得ることのできるものに手を伸ばそう、と。

一呼吸おいて。

「取引、だったわね。」

確認するように呟いて、祈るような気持ちで、セリナはクラウスを見上げた。

「パトリックは。彼は無事なのよね?」



「生きています。」


端的に返った言葉に、セリナは大きく息をする。

ゆっくり息を吐いて。漏れた声は無意識だった。

「よかった……っ。」

ずっと脳裏に焼き付いていた、あの雨の日の光景。

否定しても否定しても、嫌な想像は消しきれなかった。

ようやく安堵の思いに包まれて、セリナはクラウスに顔を向ける。

「さらに言うなら、動けるほどには回復しているらしいです。城には戻っていないようですが、無事には違いない。」

「調べてくれてありがとう。」

そう告げると、クラウスが妙な顔を見せた。

「アエラとラスティのことは? 何か知らない?」

「聞かれたのはパトリックという騎士のことだったはずです。」

身を引いたクラウスに、セリナは肩を落とす。

「そ、そうよね。」

頭上からため息が落ちて来た。

「そう簡単に引き下がられると、甲斐がないですね。」

え?と顔を上げると、クラウスの翡翠色の瞳と視線が合う。

「その2人が、さっきの騎士と同様に女神殿の側に付いていた者たちのことならば。無事ですよ。」

「あ。」

ほっとしたセリナの前に、クラウスの手が差し出された。

「お返ししておきます。」

以前、渡したオリーブの葉だった。

葉先の割れたそれを、セリナは丁寧に受け取る。

「さて、これでこちら側の責務は果たしました。」

セリナが何かを言うより早く、クラウスが話をまとめる。

「よろしいですね。」

勢いに押されるようにセリナは頷く。

クラウスは塀から離れると、一歩距離をとった。

「王都での再会を期待しています。」

「クラウス。」

身を翻しそうになった相手を、慌てて呼び止める。

青年は、期待通りセリナの声に立ち止まった。

「ありがとう。」

泣き笑いのような顔になり、上手に笑えなかったけれど、セリナは微笑む。

「……。」

クラウスはしばらく無言のままセリナを見ていたが、その視線をマルクスとの国境があるという北西へ向けた。

「先に行きます。」

静かな声で一言だけ告げて、クラウスは視線をセリナに戻すこともなく背を向けた。


残されたセリナも、視線を遠くに投げた。

ばさばさ、と羽音がして空を見上げる。

真っ白い鳥が1羽飛び去るのを見送って、セリナは胸元を握りしめた。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ