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黒の女神  作者: 紗月
大地の章
127/179

Ⅴ.正義の真 36

36.



「エドたち、大丈夫かな。」

大岩の影から顔を出し、辺りを窺いながらセリナが呟く。

枯れ葉の揺れる立木が点在している大地には、大小の岩が転がっている。

大きいものは人がすっかり隠れてしまえるほどのサイズだ。

エドや“銀の盾”にとって重要人物になるらしい、イレの地の元領主・グラシーヴァ。

彼を保護するため峠を越えてさらに北上して来たが、アーフェを目前にした合流地点に盾の仲間たちの姿はなかった。

その理由が、ダンヘイトの兵士に急襲を受けたせいだということはすぐにわかり、一気に緊張が走った。

エドたちは仲間を助けに向かったが、セリナはイザークと他数名の盾のメンバーと共にその場に残された。

(ダンヘイトと顔合わせるわけにもいかないしね。)

そして、今。大きな岩に身を隠し、彼らの戻りを待っていた。

吹く風に深緑色の外套がはためき、セリナは被っているフードを押さえる。

「イザークは、一緒に行かなくて良かったの?」

エドから残るよう指示されたイザークは、セリナの問いに一瞬だけ眉を下げる。

「こんな時には足手まといになりますから。」

こげ茶色の髪の少年が、そっと腰のあたりに手をやる。

「僕に剣の腕はないので。」

ダンヘイトと交戦をしていたはずだが、彼はそう呟いた。

「そう、なの? 私はてっきり。」

セリナが首を傾げたところで、メンバーの1人が声を上げた。

「エド様たちが戻って来たぞ。卿も一緒だ!」

セリナとイザークも、その方向に目を向ける。

先刻去って行った騎影たちが、近づいてくるのが見えた。

「“ダンヘイト”からは逃れられたようだな。」

誰かのそんな声が聞こえ、セリナも肩の力を抜く。

大岩の陰から出て彼らを迎えるが、事態はそれほど易しいものではなかった。

「女神!」

呼ばれてセリナは先頭にいるエドに近づく。

「卿が重傷だ、急いでアーフェへ向かう。馬に乗って。」

簡潔に事態を説明し、彼がこちらへと腕を伸ばす。

さっと視線を走らせれば、アルノーの馬上にぐったりとした人物の姿がある。

「ひどいの?」

思いがけず訊いた声は強張っていた。

「必ず助ける。」

エドの後ろへと引き上げられて、セリナは彼の外套を掴んだ。

それぞれが機敏に体勢を整え、乾いた風が吹く中、一行はさらに北へと駆けた。







アーフェの砦は、荒れ地の中に黒くそびえていた。

石で組まれた壁と通路を抜けて、開けた場所で馬を止める。

侵入者に気づいた砦の兵士たちがばらばらと集まり周りを取り囲んだ。


「オッズ将軍。」


エドが声を張る。

目の前の建物の重そうな扉が開き、屈強な男が姿を見せる。

鍛えられていると一目でわかる壮年の大男だった。

左頬に大きな傷を持つ彼が『将軍』なのだと、セリナは誰に言われるでもなく理解した。

並んでいるこちらを一瞥したその男は、口を開きかけて途中で引き結んだ。

エドが馬から下り、セリナも足を地に下ろす。

盾の仲間たちも馬を下り、その場に膝をついた。

「ここで彼の保護を頼みたい。」

急いた口調でアルノーの馬を振り向き示す。

アルノーだけは卿を抱えたまま馬上に残っている。

「っグラシーヴァ卿ではないか。」

呻くように正体を言い当てて、男はエドに視線を投げる。

「彼の身の安全がかなうのはこの地以外にない。」

エドの言葉に、事情を察したのか相手の険しい表情がさらに険しくなる。

「彼は追放された身の上。それを、ここで匿えと仰せか。」

「オッズ将軍。」

エドが一歩前に出た。

「卿を襲ったのは“ダンヘイト”の、おそらくラルフ=シュヴァイザー。」

氷のような瞳をした男。

「姿を見せたのは1人だが、彼の命を狙っていた。とどめを刺すため、まだ近くにいるかもしれない。」

この砦の責任者であるディラン=オッズは、エドの説明にぐぅと低い声をもらす。

「王に立てつくような行為を、我は断じて成しはしませぬ。」

「知っている。けれど、イレの地を押さえるために、卿の身柄が必要だ。死なせるわけにはいかない。」

少しの沈黙の後、将軍は歩を進めエドの前に立つ。

そして、横のセリナに目を向けた。

「この方は。」

「オッズ将軍の元にも噂は届いていると思っていたけれど?」

迫力のある上方からの視線にセリナは身構えてしまう。

やがて将軍は一度俯く。

「黒の女神様はどちらにお付きか。」

将軍からの問いに、エドは苦笑を見せた。

「さぁ、それは聞いていないけれど、ねぇ?」

話をふられてセリナは目を瞬く。

「女神が側についているのは、エドワードかエドかって。」

訊かれてセリナは狼狽える。

(彼の立場の話、よね? 王子か銀の盾のリーダーか?)

セリナにとっては同じ人物で、分ける必要性を感じていない。

フードを外し、それを正直に答える。

「別にどちらに、というつもりは。」

顔を上げた将軍が眉間にしわを刻む。

機嫌を損ねたのかとセリナは怯むが、将軍はエドの方を見ていた。

「では、貴方様は今どの立場でこの話をしているのですか。」

低く重い声。

今度沈黙したのはエドだった。

向かい合えば頭一つ分も背の高い将軍を見上げるようなかたちになる。

「エドワード=シュタット=ハイネスブルグとして言っている。」

静かな声。

セリナは2人の間で、両者を交互に見つめた。

「と答えれば、卿を保護してくれるのか?」

将軍は眉間にさらに深いしわを寄せた。

それ以上のしわはもう、と余計なことをセリナが思ったところで、彼が一歩後ろへ下がる。

そして、そこで膝を折った。

「エドワード様のご命令であれば、謹んでお受けいたします。」

将軍は叩頭して、王子に敬意を払う。

回りを囲んでいた兵士たちも、一斉に構えを解きその場で礼を取る。

(またこの光景。)

固まるセリナとは対照的に、エドは表情を緩めた。

「貴方なら引き受けてくれると思っていたよ。オッズ将軍。」

手振りで立ち上がるよう促された将軍は、機敏に次の行動に移る。

「卿を中に運べ、医者を呼ぶんだ。」

兵士たちもすぐに動き出す。

「砦の門を閉じろ、許可を持たない者を中に通してならんぞ!」

指示を飛ばす将軍の姿を見ながら、セリナは胸を撫で下ろす。

とりあえず、保護しようとしていた卿の身柄を預けることに成功したようだ。

(確かに“銀の盾”に協力するというのは難しいよね。)





そのままの流れで、一行は砦の一角で休息をとることが許可された。

銀の盾のメンバーは、あくまでも市民を一時的に収容したという扱いであったが、エドとセリナ、それからイザークは砦の奥へと案内された。

客間なのか会議室なのか不明だが、木のテーブルセットの置かれた部屋に通される。

リシュバインの砦と同じように、壁の一角に装飾らしい深紅の布が張りつけられていた。

「明日には王都に向けて、出発するよ。」

エドから告げられた予定に頷きかけて、セリナは疑問を口にする。

「あの人は大丈夫?」

「卿のこと? 手を尽くして助けてくれるはずだから、信じるしかない。」

首肯するセリナに、エドは思案気な表情を見せた。

「我々がここでできることはないし、王都の動きが気がかりだからアーフェに長居をするつもりはないんだ。」

「……そうね。」

エドはイザークに声をかける。

「卿の様子を訊いてくる。将軍のところに行ってくるが、イザークは女神の側に。」

部屋を後にするエドを見送ってからセリナは、扉の横に立っているイザークに目を移した。

セリナは来ていた外套を脱ぐと、それを椅子の背に掛ける。

「イザークも、楽にしていれば?」

「いえ、僕は。」

セリナは木の椅子に腰を下ろす。

イザークがこのまま衛兵のように動かないのではと心配になり、セリナは首を捻る。

「じゃあ。」

と呟いてみてから、お願いを口にする。

「お茶を淹れてもらってもいい?」







お湯をもらって来ます、とどこか嬉しそうな様子で部屋を出たイザークは程なくして、ポットとコップの載ったトレーを持って戻って来た。

茶葉は自分の荷物から取り出したらしく、慣れた様子で淹れたお茶を、セリナの前に置いた。

「ありがとう。」

緑色のお茶が揺れるコップをセリナは両手で包む。

一口飲んで、ほぅと息を吐いた。

(緑茶だなぁ。)

しみじみとそう考えたところで、イザークと目が合った。

「?」

首を傾げると、彼は慌てたように顔を背けてしまう。

それから、窺うように視線をちらりと寄越す。

妙な態度に理由を尋ねようかと思っていると、セリナの怪訝さを感じ取ったイザークが取り繕うように頭を下げた。

「すみません。」

「どうかしたの?」

いいえ、と首を振って俯くイザーク。

追及の言葉をかけるのを迷って、セリナはコップを口に運ぶ。

(なんか変。)

今度はセリナがイザークを窺うように視線を向ける。

それを受けて、少年は視線を彷徨わせた。

「えぇと……。」

あまり自分から声をかけてこないイザークが、おずおずと口を開く。

「淹れたお茶をおいしいと、言ってくださったでしょう。」

「え?」

「ハーデンで。」

ぽつりぽつりと、気まずいような照れたような表情で言葉を続ける。

「覚えていないかもしれませんが。あれ、とても嬉しかったです。」

「お、覚えているわよ、ちゃんと。本当にそう思ったもの。初めから、イザークが淹れたお茶はとてもおいしかった。」

「ありがとうございます。」

横に立つ少年が、少し笑う気配がした。

「実はずっとお礼を言いたかったのです。良かった、きちんと伝えられて。」

“緑茶”に似た味が懐かしかったという一因を除いたとしても、彼の淹れたお茶は美味で、ほっと息をつくことができたことは間違いない。

(お礼を言うなら私の方なんだけど。)

「僕は強くもないし、頭も良くないし、エドワード様のお役に立てることなんてほとんどないんです。神殿でも盾でも、せめて身の回りのことをするくらいしかできなくて。」

「……。」

「エドワード様も淹れたお茶を褒めてくださったことがあって。だから。」

嬉しかったんですと、イザークは続けた。

「役に立ってないなんてこと、ないと思うけれど。」

思わず出たセリナの言葉は、ただの気休めではなかった。

「信頼しているからこそ、一番近くにいるわけでしょう。さっき、イザークは戦力にならないからだなんて言っていたけれど、私は逆なのかと思っていた。」

「え?」

「あの場の戦力として、残して行ったのだと。」

イザークは戸惑ったような顔を見せる。

「いえ。僕は、剣も馬もちゃんと訓練を受けたわけではないので、本当に皆さんの中に混じると足手まといに。それでも一通り扱えるようになったのは、エドワード様のおかげなんです。」

ふと、セリナは彼が拾われたと言っていたことを思い出す。

「エドと、出会ってどのくらい?」

「8年になります。僕が7つの時でした。」

戦で焼け落ちた村に、神殿から一行が派遣されてきた。

それは事後処理であり、復興の支援であり、傷ついた人々を慰めるという神官たちの務めであった。

その一団にエドも同行していたのだという。

家族と住む場所を失ったイザークは、そこでエドから差し伸べられた手を取り、彼の所属する神殿に身を寄せた。

そうでなければ、今頃どんな生活をしていたかわかったものではないと。

故郷の事情を淡々と告げたイザークだったが、エドのことを語る時には表情を緩めた。

「その頃から、エドは困っている人を放っておけない人だったのね。」

セリナのことも似たようなものだったのだろう。

「エドワード様は素晴らしいお方です。」

応じたイザークに、心酔している様子を見て取ってセリナは瞠目する。

「必要なことは、なんでもエドワード様が教えてくださいました。何も持たない僕に、こんなにも目をかけてくださって、感謝してもしきれません。エドワード様は、本当に僕の恩人なんです。」

常になく饒舌なイザークを、セリナは意外に思った。

「誠心誠意お仕えして、一生をかけて恩に報いるつもりです。」

(以前からしっかりしているとは思ったけれど。そういう強い思いがあるからなのかな。)

コップを包む自分の両手を眺めて、何気なく事実をはじき出す。

(同じくらいの年かと思ってたけど。イザーク、私より3つも年下だ。)









「オッズ将軍。」

「殿下。」

巨体を2つに折って出迎えた男に、エドは苦笑を浮かべる。

「今、こちらからご報告に伺おうとしておりましたところで。」

「気を遣わなくていいよ、こっちの立場も立場だし。あ、だからその呼び方もやめてくれないかな。」

「は、はぁ。」

「卿の様子はどう?」

「傷が深く危ないところでしたが、なんとか一命は取りとめました。ただ、いつ意識が戻るかはわからないとのことです。」

「そう、ひとまずは良かった。でも、警戒はしておいて。このままダンヘイトが見逃してくれるとは思えないから。」

「ダンヘイトですか。」

将軍の眉間にしわが現れる。

エドは緩く頭を振った。

「王は何をお考えなのだろう。こんな手段は、あまりにも。」

肩を落としたエドは、将軍を見上げる。

「……マルクスとの衝突は、沈静化したようだね。」

「現在は両軍とも、自陣へ退いています。」

砦の北側の塀へ上れば、衝突の爪痕を容易に確認できるだろう。

「オーフェン軍が遠征して来たはずだけど。」

「鎮圧後、王都への召還命令があり、帰路へ着きました。」

ディラン=オッズは渋面を崩さないまま答える。

「そう。僕も、一度王都に戻ろうと思っている。」

「それが良いかと存じます。」

「どちらで、とは訊かないのだね。」

くすくすと笑うエドに、将軍の眉間のしわが深くなった。

「怒らないで。」

笑みを向けたまま、先を続ける。

「ねぇ、将軍は。」

ディラン=オッズは、血の気が多く戦場では鬼人の如くだが、義に厚く真っ直ぐな性格をしている。

先のフィルゼノンとの戦争で活躍した名将でもある。

その戦い以前からも武勲の多い彼を、国王も重用していた。

けれど王への諫言が元で、中央から辺境へと異動になった。

アーフェが重要な地であることは疑いようもなく、この地を守る彼の功績は正しく評価をされているが、中央の軍部とは繋がりも希薄だ。

評価されていることが、何かに反映されることもない。

諫言は武人として筋の通ったものだった、とエドは思っている。

当時、誰も言えなかったことを、彼だけが王に説いたのだ。

戦のさなか、フィルゼノン国王が亡くなり隣国は喪に服した。

その期間は休戦を、と。

さらなる追撃に出ようとした王に、そう進言して。そして、北へと左遷された。

結果として。

アジャートは、様々な要因から望んだようには隣国へ進軍することはできず、フィルゼノンから提示された休戦条約に渋々ながら頷く事態になる。

「中央へ戻りたいとは思わない?」

真顔になったディラン=オッズは、静かに答えた。

「このアーフェの地を守るように、とそれが国王陛下のご下命であれば、それを完遂することが我が務め。」

眉間のしわは消えている。

エドは小さく嘆息して、逞しい男を眺めた。

「あなたが我が国の将軍であることを、誇りに思うよ。」

「畏れ多いお言葉です。」

アーフェを守るオッズ将軍がいるから、中央はフィルゼノンへと目を向けられる。

きっと軍部は、それを当然だと思っているのだろう。

エドは、窓に近づくと空を見た。

薄く引かれた白い雲。

ぼんやりとしたそれに、何とも言い難い気持ちを重ねた。


「王都へ行って、王と話をしようと思っているんだ。」


ゆっくりと振り向いて、エドは将軍を見つめる。

「僕の言葉を、聞いてもらえるかどうかはわからないのだけど。」

「それでも、武力の前に。そうあるべきかと存じます。」

オッズ将軍の言葉だからこそ、伝わるものがあった。

言葉を交わす、ということをずっと避けて来たのは事実だ。

どうせ、という思いが強く、放棄していたことだから。

「そうだね。」

銀の盾を手放すつもりはないけれど。

王都へ戻るのは、まず『エドワード』であることは決めている。

(僕は僕の役目を果たす。)

薄い紫色の瞳が、少しだけ細められた。


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