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黒の女神  作者: 紗月
大地の章
126/179

Ⅳ.豊穣の歌 35

35.



「いやはや、今年のリビス祭も盛況だったようですなぁ。」

遠くから聞こえた声に、ジオはガゼボの椅子に腰かけたまま、読んでいた本から顔を上げた。

片手に外套とステッキをかけたグリサール伯爵・アルフレッド=ターナーが、庭園の入り口でクルスに声をかけているのが見えた。

「式典を見られなかったのは残念でした。まぁ、祭の間に戻って来られなかったので、そもそもですがねぇ。」

ははは、と楽しそうな笑い声を上げる。

作り笑いには見えないため、皮肉のような台詞と並んで、彼の本心が掴めないという状況が出来上がっている。

クルスもさすがなもので、そんな言動にもそつなく適当な返答であしらっている様子だ。

ジオが『狡猾な鷹』だと称する紳士は、かつて“ソラリスの鷹”として先王に仕えていた男だ。

別名を“王の影”ともいい、名としては知られているが、その正体を知る者は王を除き誰もいない。

王の片腕として長年仕えて来た宰相ジェイク=ギルバートでさえも、前フィルゼノン王の影であった“ソラリスの鷹”の正体を知ったのは、ジオが即位した後で鷹が自身の任を退いたのちのことである。

先王の逝去に際し、ジオは自身の“鷹”として仕えるようアルフレッドに打診した。

しかし、老いを理由に断られたため、先王との約束に従いグリサール伯爵としての地位を与えた経緯がある。

“ソラリスの鷹”としての働きは一切表に出ず、彼の前歴にあるのは外交官の補佐として長年国外に赴任していたというものだ。

引退した“鷹”を今回引っ張り出したのは、彼の持つツテを利用するためだったのだが、ジオの命に、おとなしく協力の姿勢を見せたのは少し意外だった。

本来ならもう開くべきではない過去である。

是以外の答えをジオが許さないことは彼もわかっていたはずだが、アルフレッドへ協力を強要できる話ではないのだ。

視察途中でセリナと既に接触していたことが大きかったのだろうと、ジオは考えている。

外套と帽子を受け取った侍従が下がり、グリサール伯爵は庭園の奥へ足を運んで来る。

陽の光の下、きっちりとした服装に身を包んだ上品で優雅な紳士の姿。

(何も知らなければ、この者が王の影だったとは思わないだろうな。)

伯爵はにこやかな表情のまま、臣下の礼を取る。

「滞りなく今年の収穫祭も終えられましたこと、真に陛下の……。」

「首尾は。」

ジオは表情もなく頬杖をついたまま、短く問う。

既に人払いがされ、同席者はクルスのみだ。

休憩の合間に入れたこの会合に、余計な時間は使えない。

「思わぬ時間を取りまして、面目次第もありません。」

気分を害した様子もなく、伯爵はゆるりと頭を下げる。

「アジャートとマルクスでまた衝突が起こりました。あちらが取り込み中ゆえ、今は『道』を繋ぐだけの進捗にございます。」

「すぐに使える『道』だろうな。」

「はい。」

彼にはマルクス国との繋がりがある。“鷹”として動いていた時の実績の1つだ。

「衝突はどうなった?」

「一進一退というところです。昔から不安定な地ですが、おそらく今回も決着がつくことはないだろうと思います。」

情勢の悪化に、ジオは思わず眉根を寄せる。

(あちらの軍がアーフェへ移動したのは、この衝突のせいか。)

国境を挟んで、マルクス領ソアラとアジャート領アーフェは戦の絶えない地だ。

ジオは口元に手を当てる。

木々が揺れた。

流れた雲が太陽を隠し、辺りが少し暗くなる。

「いつ出立できる。」

「陛下の命があれば、いつでも。」

淀みのない返事に、ジオは頷く。

「ではそのまま待機せよ。」

「御意。……して、誰にこの役目を?」

「適任な者を。」

ジオの応じた言葉に納得したような表情を見せて、アルフレッドは胸に手を当てた。

心当たりがあったのかどうかは定かではないが、名を追及するような真似はしない。

雲が動いたのか、辺りが再び太陽の明るさに照らされる。

風が吹いていた。







私室へ戻ったジオは、持っていた本を机に置く。

昼間、目を通していた『ファトレ』。ノアの予言の書である。

そのままバルコニーへと足を向けた。

夜空には、星が輝いている。

襟元を緩めて、手すりに背を預ける。

ここ数日で指示したことを整理して、その布陣に抜かりがないか思考する。


収穫祭は、盛況のうちに幕を閉じた。

式典も町のイベントも、大きな問題は起こらず、民はこの冬を越えるための準備に向かう。

城内でも、冬支度が本格的に始まるだろう。

式典の役目を果たした巫女姫は、何事もないように帰路に就いた。

(シャイラのことだ。「いろいろと」気がついていたのだろうがな。)

言いたいことはあったはずだが、これ以上周囲に対立した様子を晒す必要もなかったのだろう。

ジオとしてもそれは望まない展開だ。

騒がしい精霊たちに疲弊していないといいが、というのは本心だ。

さらに心配な点をあげれば、帰りも馬車での移動を希望した彼女が、寄り道をしないことだが。同時に馬鹿な真似はしないだろう、とも思う。


既に役目から引退したアルフレッド=ターナーに作らせた道。

魔法防壁に守られたフィルゼノンから、国境を越えてアジャートに通じる手は使えない。

それゆえ、回りくどい方法を取ることにしたのだ。

先王の代、“王の影”と呼ばれたアルフレッドが繋いだ糸。

アジャートと国境線を争うマルクスの地に、ひっそりと転移の魔法陣が創られている。

もちろん、国として置いたものではない。

アルフレッドとマルクスの国境を守る将軍との信頼関係の下、彼らの私的な親交に利用するためにと置かれたものだ。

政治的な要素が皆無かと言われれば、そうではないのだが、あくまで名目は個人のものである。

魔法壁を壊さず、フィルゼノンからアジャートへの道を通すにはそれ以外にない。

(あの国へ抜ける唯一の穴。)


ラシャク=ロンハールを通じて聞き取った、マルグリットの持つ情報。

アジャート王家出身の彼女が知る神話や伝記にまつわる昔話は、現在のアジャートで語られるものと大きく違いはしない。

それは、アジャート国王その人が知っているはずの物語。

フィルゼノンとは異なる話、価値観、役目。

黒の女神を欲する理由。

(私が知るそれとは違う……『対外的』に口にするだろう理由。使うとすれば、戦乙女の名、勝利の女神の栄光。)

戦うには知識がいる。

圧倒的に存在する経験の差を、少しでも埋めるための知識が。


風が冷たく感じる季節になって来た。


澄んだ空気に、見上げる空の星も良く見える。

「どうか。」

無意識に呟いた。

それに続く台詞がなくて、言葉が空回る。

何を言えば良かったのか、考えるほどに浮かばない。

怪我をしていないか、怖い思いをしていないか。

けれど、無事でいてくれ、とそう思うのはどこか違う気がした。

案じる気持ちは否定しないが、ジオは掴み切れない思いに眉を寄せる。

手すりから背を離し、向きを変えて両腕を乗せる。

導きの光が輝いていた。


あぁ、とひらめきのようにその思いが言葉に姿を変えた。


(護らせてくれ、と。)

自分の心を理解して、ジオは思わず口元を緩めた。

捉えた気持ちに納得したからだ。

初めから、変わっていない。

(身勝手な願いだな。)



遥か西の地。

村はずれの壊れかけた馬小屋の下で。

少女が同じ空を見ているとは、思いもせずに。


ジオは、静かに星を見上げた。







すぐに、また鳥が知らせを運んでくる。

アジャート軍の動きと“銀の盾”という組織の存在。


そして。


『ハーデンより北上、“銀の盾”と共に行動。王軍の追跡継続中。推定目的地はアーフェ』という知らせを。





Ⅴ.正義の真 へ続く

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