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黒の女神  作者: 紗月
大地の章
122/179

Ⅳ.豊穣の歌 31

31.



精緻な文字が並ぶ真っ白い書状に目を通し、サインをしかけたところでジオは顔を上げた。

執務室の続きの間に、知った気配があった。

立ち上がり隣室へと向かい、そこで予想通りの人物がソファに座っているのを見つける。


「突然の訪問だな、叡智の賢者。」


ジオに気づいて、メリオブルーのローブを着た男は立ち上がると会釈をする。

王の部屋に取り次ぎなしで入って来たことなど微塵も感じさせない、恭しい態度だ。

「視察からお戻りだと伺いましたので。」

彼を相手に咎める気もないジオは、向かいのソファに座り足を組む。

「何かあったのか?」

「お伝えしたいことがあって参りました。」

座り直した賢者が、口を開く。

「先日、国立研究所に所管されていたノアの設計書が何者かによって持ち出されました。」

ここ数か月“蒼の塔”が主体となり、ノア=エンヴィリオの蔵書について整理を行い、その管理にも目を配っていたことはジオも知るところだ。

ノアに関することで動きがあれば、賢者の耳に入ることは当然とも言える。

「借り出されることは有り得る話だろう。」

「偽名で?」

「あぁ……なるほど。続けてくれ。」

ジオはひらりと手を振って、止めた話を相手に返す。

「調査の結果、その人物は突き止めています。意外な相手でしたが、この件は後で。」

わざわざ言われた前置きに、ジオは苦笑を浮かべて沈黙を守る。

「問題は、その設計書のレプリカが作成されたようだということです。既に返却されており、術の痕跡も巧妙に消されていて把握しづらいのですが、間違いないでしょう。」

「魔力を辿れないのか、“叡智の賢者”が?」

「かなり高位の魔法使いの術です。設計書のプロテクトを外して複製し、元に戻している。」

「どの設計書だ。」

「『高尚なる守りの手が統べる魔力の壷』、その原版。」

長々しい名前だが、それは有名な書でもあった。

「結界魔法の元になっている術式の書だな。原版は難しすぎて、全てを活用するには至っていないはずだ。」

内容の6割程度を一般レベルに使用できるように編成し直して、結界として活用している。

魔法防壁も、その壁を支える“レイポイント”の周りの結界も、執務室などで利用される防音魔法もすべてこの術式を基本において魔法陣が創られているのだ。

「魔法の基礎を構築する、“大賢者ノア”の非常に優秀な設計書。我々の生活に欠かせない礎の陣。」

「ここから派生した各種の結界魔法は非常によくできたものです。ですが、原版の解読部分から、元々の設計書としては“魔力増幅装置”としての役目を見ることができます。」

「守りの手が統べる魔力という名の通りだな。」

結界を外周に張り、その内側の魔力を増加させて統治する。

「それ自体は装置に過ぎません。問題なのは、中でなんの魔法を発動させるかということです。その設計書自体、解読は困難で……並の魔法使いに扱える代物ではない。増幅させても、軸となる魔法がたいしたものでなければ、効果の程は知れています。けれど、もし解き明かし扱うだけの力を持つ者がいるとして、それを悪用されれば。」

「国どころか世界を滅ぼす危険もある。」

ジオの言葉に賢者は頷き、さらに言葉を続ける。

「その設計書はノアの物によくあるように、メモとも落書きともつかぬ……文字とも記号ともわからぬ多くの書き込みがあるのですが、その中に『樹』と。」

「世界樹、だと?」

「御意。そして、設計書を持ち出した者は、“エンヴァーリアン”です。」

あっさり正体を断定した賢者に、驚くこともなくジオは足を組み直す。

「その設計書、未だに全てを解読できた者はいない。」

「“蒼の塔”でも、解読は成されていません。けれど、ノアについての彼らの知識は計り知れないところがあり、魔法使い……得体の知れないその者の存在も、気がかりです。」

「それの解読を、賢者、そなたも?」

「最優先で取り組むつもりです。」

そうかと応じて、ジオは瞳を伏せた。

エンヴァーリアンの企みだとすると、世界を滅ぼすといった手段に用いる可能性は低い。

彼らの目的は、“黒き使者”に対する何かであり、国や世界へ対する何かではない。

それでも物騒なものを創ろうとしているなら、放っておくわけにはいかない。

落ちた沈黙を破ったのは、賢者だった。

「女神を、手放したのですか。」

上げた視線の先で、ジオの目にローブの不思議な光沢が映る。

「今はアジャートにその身がありますね。」

「さすがに敏いな。」

賢者の言葉に僅かな非難の色を感じて、ジオは意外に思う。

「エンヴァーリアンが、この国を離れた“女神”を“使者”ではなかったと判断する可能性はあると思うか。」

「陛下……。」

続く言葉はなかった。

答えるべきか真意を問うべきか、判断に迷ったらしい。

「は、賢者の珍しい顔が見られたな。」

からかいの言葉を発して、ジオは息を吐く。

賢者の反応を見たくて、思いついたことを口にしてみたが、期待などしていないことだ。

「今回のことに“エンヴァーリアン”は入る余地もない。」

「はい。」

アジャートとの関係は古い。

直面している問題は、絡まりあった隣国との仲にある。

(過去が、いつまで経っても過去にはならない。)

眉間に力が入りそうになって、ジオは反対に口角を緩めた。

「アジャートはさておき、設計書の件を進めるには叡智の賢者の力が必要だ。」

話を切ったジオの意図に気づいたのかどうかはわからないが、対面の賢者もにこりと笑う。

「お任せください、ジオラルド陛下。」

邪気のないその表情を見せられれば、途端に年相応になる。

いつものことながら、ジオは一瞬の不可思議さを味わう。

目の前の『少年』が恭しいお辞儀をした。

「頼んだぞ、リオン=ローゼンベリー。」







執務室に戻ったジオは、立ったまま机の上に目を落とす。

(あぁ、『ラ・サウラ』の話も聞きたかったのだが……また今度だな。)

今はアジャートのことがあるし、予言の書『ファトレ』を見てからでも遅くはない。

途中にしていた真っ白い書状を思い出し、ペンを執る。

神殿から届いた物で、数日後に迫った収穫祭についての内容だ。

サインをしようとして。ふと賢者の話が蘇り、今度は止めることなく眉を寄せた。

設計書を借り出した者がエンヴァーリアンだと断定した彼は、その者の名前も把握していた。

去り際の彼から告げられた名前を、頭の片隅に置く。

(女神は不在。ならば、しばらくは泳がせるべきだろう。)

これは大きな手掛かりだ。

(カイル=テフナー。“コナー”と“彼女”の接点は? 城の中で知り合った? では、“ローグ”という男はどうだ。確か、“クジャ”と“コナー”には共通点があったと。)

そこまで考えて、ジオは顔を上げた。

(“彼女”もそこにいた? では、“ローグ”もその頃そこに……。)

持ち上げた書状とペンを机に戻す。

(魔法使い、高位の使い手。ノアの設計書に手を加えられる程の者で、国がその能力を把握していないなどということがあるのか。国外の者、地下に生きる闇の魔法使い、あるいは。)

机の端に腰を浅くかけて、口元に手をやる。

(城や塔・神殿に所属しているが、その正体を隠している者。)

名の知れた者だけではなく、その高い能力を表には見せていないだけの可能性もある。

(アジャートのことだけでも頭が痛いというのに。)

窓の外に向いていた視界に、白い影が映る。

「!」

待っていたモノにジオは思考を中断して窓へと歩み寄る。

その窓を開ければ、一羽の鳥が枠に止まった。

使いの鳥が運んで来た手紙をその足元から外し、内容に目を通す。


『ディア・セリナ、ルードリッヒ=オーフェンの軍に保護され命に別状なし。リシュバインの砦に身柄有り』


不明だった安否を把握し、ジオは息を吐く。

(ルードリッヒ=オーフェンか。)

アジャートに在って、女神が危害を加えられる可能性は低い。

それはこの男にも当てはまる態度だ。

(リシュバインということは、遠征軍を指揮していたのはこの男か。こちらが視察を終えた今、あちらも一度は退くはず。)

大人しく窓枠の上に止まっていた鳥に、そっと手を伸ばす。

軽く指を回せば、鳥は光を残して姿を消した。

魔法で飛んで来た知らせだ。

受け取ったことは、今ので送り主にも伝わったはずだった。

遥か西。ジオは、アジャートの方角に目を向けた。



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