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黒の女神  作者: 紗月
大地の章
119/179

Ⅳ.豊穣の歌 28

28.



王領・ホワイトローズ。

ラスティは、ちょこまかと動き回る侍女の姿を遠くに捉えて、ふと息を吐く。

(少しは元気になったのか。)



***



ラグルゼから塔へ戻る直前のこと。

グリフの指示を受け、“緋の塔”へ戻るべくアエラを呼びに行く。

部屋の前、ノックしようと挙げた手が宙で止まる。

深呼吸を1つして、それから扉を叩いた。

返事はないが部屋へ入ると、共有スペースの椅子に侍女はいた。

寝室に引っ込んでいなくて良かった、とちらりと考える。

「アエラ。」

相手に殺意はなかったらしく、峰打ちで済んだアエラの外傷はほぼない。

雨に濡れて一時的に体力を落としたが、気力で保っているようだ。

ラスティはすぐ横の壁に体重を預ける。

「アエラ。」

もう一度呼ぶと体をビクリと揺らして、振り向いた。

「ナクシリア様。」

その顔には憔悴の色が見える。

「あの。」

小さい声で何か言いかけて視線を落とした。

「メイヤード様がいらした。準備ができ次第パトリックを連れて、我々も塔に帰る。」

「はい。」

部屋に沈黙が落ちて、ラスティが壁から身を浮かしかけた時だ。

「パトリック様の具合は?」

「まだ目を覚まさない。」

「そうですか……。」

何か言いたげに視線を泳がせて、一度ラスティに目を止める。

口を開くのかと思ったが、そのまま下を向いてしまった。

「……。」

こういうはっきりしない空気感は苦手だった。

思わず苛として、ラスティは声を出す。

「言いたいことがあるなら言ってくれ。」

抑え気味に言ったつもりだったが、思いがけず声音は厳しくなってしまった。

怯えたようなアエラの表情に後悔するが、今更取り消すこともできない。

「ごめんなさい、その。ただ、わたし。」

おどおどした様子に、ラスティは視線を外した。

責めたいわけではない。

ただ、話すことが得意ではないし、相手を気遣って話を振るのも苦手だった。

それを隣でフォローしてくれる親友は、ここにはいない。

むっと眉間にしわを刻んだラスティに誤解して、アエラはあわあわと口を開く。

「その、セリナ様は怪我をされてないかどうか、と思って。」

出てきた名前に滑稽なほど動揺が走る。

「そ、れは。」

「う、ごめんなさい。こんなこと口にして。あんな酷いことをする敵に捕まったなんて、考えるだけで。」

今にも泣き出しそうなアエラに、ラスティは息を吐いた。

「無事に決まっている。でなければ、わざわざ攫ったりしないだろう。」

自分の嘘くさいセリフに、ラスティは内心で呆れる。

攫われている時点で『無事』ではないが、それ以外に告げる言葉がなかった。

「はい。」

信じたのかどうかわからないが、素直に頷いたアエラに安堵する。

彼女の表情が晴れることはなかったが。



***



あれからも落ち込みがちだが、何かしている方が気が紛れるのかイサラの指示の下で動き回っているようだ。

今の状況を伏せるために、王家の縁荘に転移してきた。

ここの執事の手配で、医者が呼ばれパトリックの治療は続いている。

どうやら容体は落ち着きつつあるらしいが、まだ意識は戻っていない。

かちゃり、と腰の剣が音を立て、ラスティは柄に手を置く。

(ここにいていいのだろうか。)

もう何度目かになる疑問に、彼は視線を足元に落とした。

2日前。

ラグルゼに迎えに来たグリフ=メイヤードに、謝罪は受け付けてもらえなかった。

早々に“緋の塔”へ戻るよう指示を受け、それに従った。

騒ぎにしない方がいいことは理解しているが、焦りは残る。

(きっと何か考えが。)

視察に同行させることも、ポセイライナへ行かせることも。

危険をはらんでいることは見越した上で、許可されたことだ。

守り切れなかったという失態、仲間の負傷、失った存在で焦りと後悔とに苛まれるが、単身で何か行動に出ることはできなかった。

(もし立場が逆だったら、アイツなら。セリナ様を助けに動いていたかもしれないな。)

視察の中でも、彼は彼女へ傾倒している様子を滲ませていた。

(パトリックのヤツ……命がけでセリナ様を。)









探していた騎士の姿を見つけ、イシュラナ=ウォーカは顔を上げた。

声をかけようと近づくが、相手の様子に気づき立ち止まる。

顔は窓の外に向いているが、伏せられた視線は物思いに沈んでいる。

外を見ればシーツを干しているアエラの姿があった。



***



イサラが彼らと再会したのは、“緋の塔”の一室にある魔法陣の前だ。

祈るように手を組んで帰りを待っていたイサラは、部屋に巻き起こった風に吹かれて弾かれたように振り仰いだ。

「イサラ殿。」

グリフ=メイヤードが連れ戻って来た彼らを見て、イサラは色を失う。

状況は聞いていた通りだった。

気をつけて、と送り出した時とは1人欠けた帰還。

「指示は聞いていますね。」

質問ではなく確認の言葉に、青ざめたままで、それでもしっかりとイサラは頷く。

次いでグリフは陣を発動させていた魔法騎士・アシュレーに顔を向けた。

「『彼』の移動を手伝ってくれ。」

「はい。」

硬い表情で応じたアシュレーが、指示通り用意していた隣の陣へと彼を動かしながらグリフを見上げた。

「彼は……。」

「後のことは、“バトラー”に任せることになっている。」

表情を崩さないまま、騎士が視線だけ魔法陣の内へと向ける。

「ラグルゼにも、ここにも、城にも、置いてはおけない。急げ。」

やり取りに口を挟めないでいるイサラは、見守るしかできなかった。

「“彼のために”、今の我々にできるのは回復を祈ることだけだ。」

やがて陣が光を放ちだすと、グリフは一同に向き直る。

「ここにいる者は、“彼女のために”今できることを。」

「承知しました。」

答えたイサラは、ぎゅっと手に力を込めた。

陣が残光を散らしたのを認めて、グリフはアシュレーの肩を叩く。

「ベルウォール、ご苦労だったな」

「は。」

パトリック=ライズの治療は“ホワイトローズ”が担うことになっていた。

あちらにも既に連絡が行っており、準備を整えているはずだった。

彼の容体も気がかりではあるが、イサラたちにはまだここで指示されたことが残されている。

「イサラ殿、後はあなたにお任せします。」

王への報告と昼食会の準備があるからと、急ぎその場を後にしたグリフを見送って、イサラはラスティとアエラを振り返る。

「だいたいの事情は聞いています。大変だったわね。」

悄然とした2人。

静かに頭を下げたラスティと、アエラは泣きそうな顔でイサラの腕を取った。

「イサラさん。セリナ様、セリナ様が……ッ!」

「えぇ、知っているわ。アエラは怪我をしなかった?」

「わ、わたしは何も。」

ぶんぶんと首を振り、アエラは唇を噛みしめる。

「帰って来て早々だけど、2人にはしてもらうことがあるのよ。」

王が発した指示を、イサラは2人に伝える。

「セリナ様のことは一言ももらしてはなりません。」

「パトリックのことも?」

「少なくとも、この視察の間は隠し通しなさい。これはセリナ様を守るためなのです。」

「セリア様のため。」

アエラが弱々しく繰り返す。

「そして、今、それを成せるのは我々3人……。」

と言いかけて、イサラは隣の魔法騎士を見上げる。

「ベルウォール様の力もお借りできますか?」

「もちろんです。イシュラナ殿。」

「ここにいる4人で、視察を乗り切るのです。」



***



事の次第を聞かされたイサラは、その場で国王陛下から今後の態度について指示を受けた。

いずれ女神の不在が明るみに出てしまうとしても、アジャートが拉致した事実だけは隠し通せ、と。

なぜ、あの国の非道を糾弾しないのか。

なぜ、すぐに救出に向かわないのか。

疑問の余地はある。けれど、イサラはその疑問を差し挟むことはしない。

だから、イサラはその場で頷いたのだ。


視察を滞りなく進めるためにも、女神の随行者たちは塔に留まり“女神”の不在を隠さなければならなった。

塔の中にいるはずなのに誰にも姿を見られていない“ディア様”。

その印象を薄めるため、イサラたちは女神を視察の最終日・宴の席に出席させた。

と言っても、たいしたことではない。

ヴェールを被った女神が宴に姿を見せ、そしてすぐに退席する。

ちなみに、アエラが女神の衣装を着て、アシュレーが魔法で補正をかけた。

付き従うのはイサラとラスティだ。

視察中も公に出る時は、侍女1・護衛1で動いていたし、さほど知られていないセリナの姿が、短時間で偽物とばれる心配はなかった。

それに気づきそうな人物は、既に事情を知っている者でもある。

『旅の疲れから体調を崩してしまっていた彼女は、一足先に静養のため王城ではなく“ホワイトローズ”へ移動することになり、視察は無事に終了する。』

そういう筋書きだった。

多くの者に知らされるのはそこまでだ。

ただし、さらに事情を知る者には、“女神”の不在について追加で説明が加えられる。

「突然、侍女たちの目の前から姿を消した。それは故意の魔法による移動ではなく、現れた時と同じく天の意としか思えない事象であった」と。

その後、手を尽くして行方を探ったところ、アジャートへと降り立ったようである。

大変な事態になってしまったが、これを公言することはできない。

それ故なんとしても秘せよ、と。

こうして、あの日に起こった事情を知る者は最小限に抑えられた上で、“黒の女神”の不在は扱われた。

そして、それは。

この先不在の事実が露見したとしても、理由はあくまでも『天の意』によるのだと貫き通せという下命でもあった。


「イサラ殿?」


「っ!」

声をかけられイサラが振り向くと、不思議そうな顔をしたラスティが横にいた。

「どうかされましたか?」

「あ、いえ。」

外を見ると既にアエラの姿はない。

そもそも探していたはずの相手に、イサラは冷静を装って用件を口に出す。

「ちょうど良かった。ラスティに知らせがあったのよ、エリティス隊長がもうすぐ到着されるから出迎えを、と。」

「隊長が! 承知しました。」

深々と頭を下げる騎士に、イサラは曖昧に笑む。

その背を見送って、侍女は小さく息を吐いた。

(しっかりしなければ。)


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