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黒の女神  作者: 紗月
大地の章
112/179

Ⅲ.理想的な地図 21

21.



蹄の音が変わったと思ったら、地面が石畳になっていた。

セリナが顔を上げた先、石を積み上げた低い塀の向こう側。

眼下にオレンジ色の屋根の連なる街並みと、きらきらと陽光を反射している海があった。

小舟と、さらに沖には大型船の姿も見える。

「海を見るのは初めて?」

「え? いえ、そういうわけでは。」

「じっと見ているから、珍しいのかと思った。」

笑いを含んだエドの声に、あいまいにセリナも笑う。

後ろにいる相手には見えていないだろうが。

(海は珍しくない……けど、あの沖の船影。あれって帆船?)

映像や絵などでも見たことはあるし、その物自体を知識として知ってはいるが、海の上に浮かぶ“正真正銘の本物”はお目にかかった経験がない。

(大海を渡る船なら、もしかして私もあれに乗るのかしら。)

「こっちです。」

先導するアルノーについて石畳の坂を下ると、風に乗って潮の匂いがした。

道の両端にはきれいに積まれた石垣が続く。

何度か角を曲がった後で石畳が切れた場所に着き、茂った木々を潜り抜けたところで馬を止めた。

「ここ?」

エドの手を借りながら、地面に足をつける。

目の前にはオレンジ色の屋根をした2階建ての家があった。

(これがハーデンのアジト。)

こじんまりとした可愛い建物だ。

「アル!」

ばたん、と茶色の扉が開き、中から青い髪の女性が出て来た。

「よお、エリノラ。」

前を歩くアルノーが片手を上げて応える。

「アルノーさん!」

セリナが成り行きを見守っているうちに、先の女性に続いて中から5人の男女が姿を見せた。

彼らはエドとセリナの姿に気づくと、揃って膝をつき深々と頭を下げた。

エドが軽く手を振る。

「みんな無事で良かった。」

その場で地面を見たまま、1人の男が口を開いた。

「エド様、そちらの御方が?」

「そう、お守りするように。」

返答を受けて、彼らが息をのんだのがわかった。

重々しく頷きさらに頭を低くする面々に、セリナは反応に困る。

(今のは……女神だと紹介された、ってことかな。)

アンナのように平伏されないだけ、マシなのかもしれない。

「とにかく中へ。」

アルノーの言葉に、エドが頷く。

「さぁ、こっちだ。」

振り向いたエドに促されたセリナは、膝をついたままの人たちを横目に彼の後を追う。

「エリノラ、馬を頼む。」

「お任せを。」

アルノーと女性のそんなやりとりが背後から聞こえた。



2階の奥の部屋へ通されたセリナは、シンプルな家具が置かれただけの室内を眺める。

エドが脱いだ外套をイザークが受け取るのを見て、セリナは自分のフードに手をかける。

「今、港の様子を見に行っている者たちがいるそうです。そろそろ戻る頃だと。」

そう言いながら、少し遅れて部屋に入って来たアルノーも、外套を脱いでいた。

赤銅色のツンツンとした短髪に顎ひげ。

日焼けなのか色黒で、体格のいい彼はまるでスポーツマンといった風だが、きっとそうではないのだろう。

青年というには年かさで、壮年といったところだ。

なんとなくフードを脱ぎそびれて、セリナは腕を下げた。

「そう、戻ったらすぐに話が聞きたいな。」

口元に手を当ててエドが何事かを考え込む。

「オルフの襲撃の後、そちらの追撃は止んだ?」

「街道を避けて撒きました。その分遠回りになりましたが、ここを知られるようなことにはなっていません。そちらは、何か動きはありましたか?」

「それが……湖のアジトも襲撃されたと連絡が。逃げ出せたようだが、負傷者が出た。」

エドは渋い顔で告げた。

「!! あちらも知られていたと? あれほど気をつけていたはすなのに、面目ありません。」

「いや、アルノーのせいではない。本格的に仕掛けて来たということだろう。」

「今のところやられたのは南部だけですが、この分じゃ北部の拠点も。」

「警戒するよう伝令を出しておいたが……。」

「あちらにも召集を?」

「いやそれはまだだ。だが、合流したら…―――。」

ふとエドの言葉が止まる。

「戻って来たらしい。」

窓の外に向いた視線が細められる。

「まずは彼らの報告を聞こう。」

「わかりました。」

「少し席を外す、女神はここで休んでいて。」

「え?」

「イザーク、女神を頼む。」

「はい。」

イザークに告げてから、エドはアルノーと一緒に部屋を出て行ってしまった。

(襲撃。)

セリナは胸を押さえる。

他の場所も襲撃を受けていたことなど、ちらりとも匂わせなかった。

(いちいち私に言わないのは当然だとしても。彼には余裕があるように見えていた……あれはそう見せていただけ?)

状況は切迫している。

今だって安全だと言い切れるわけではないのだろう。


―――お守りするように。


「どうかされましたか?」

イザークに声をかけられ、セリナはびくりと顔を上げる。

「いいえ、なんでも。」

「ソファに掛けてお待ちください。お茶でも用意いたします。」

1つ頭を下げてイザークも部屋を出て行き、セリナはソファに腰を下ろした。

そこでようやく、セリナもフードを脱ぐ。

(“女神”のせいで銀の盾への追跡が厳しくなっているのかもしれないと、わかっていてもどうすることもできない。)

思わずため息がこぼれる。

何とも言えない自分の状況に落ち込みかけた時、外から人の話し声が聞こえてきた。

「?」

さっきエドが覗いていた窓とは別の方向。

家の裏手に向いた窓が、片方開いていた。



「―――…今年は収穫もそこそこあるらしいが、値段は上が…そうだな。」

「…の街道で商隊を狙った窃盗が横行…し…る影響もあるって話だ。」

「グリの火事で、畑をだいぶ焼いたとか。」


馬の鳴き声混じりで近づいて来た会話に、思わずセリナは耳を澄ませる。

(裏に、馬小屋が?)

偵察から帰って来た者たちの馬を預かった者たちだろうかと、セリナは予想する。

直接、彼らの姿を捉えることはできないが、どうやら3人いて内1人は女性らしい。


「スーラ・マは例の衝突で壊滅的被害だと聞いたわ。」

「どこも危機的な状況には変わりない。比較的落ち着いているのは……イレの地か?」

「王都の中心部とカナグラード、後はオルフだな。」

「まぁ、オルフの町が保っているのは、エド様のおかげだが。」

「神殿が“祝福”をしているのはもうオルフくらいだろ。」

「けど、今やエド様も不在にしているわけだし、いつまで保つかしら。」

「北のイレだが、このところあそこもキナ臭い噂が出てるな。」

「はぁー、まったくどこもかしこも。あ! 横の餌まで取るなよ…ほら、いい子だから。」

「こっちにも飼い葉ちょうだい。」

「マルクスがまた攻めて来たと言っていたが、あれはどうなった?」

「あぁ、アーフェの国境線だろ。国軍が北に向かっていた。オーフェン軍だ。」

「おかげで南部からは目が逸れたな。まぁ、ここはここで別のが張り付いているが。」



―――最近では自警団と名乗ったごろつきまで…。

そんなエドの言葉が不意に思い出された。

(アジャートって治安が悪い場所が多いのかな。)

重い口調ながら、馬の世話をしながらのそれは彼らにとって日常会話らしい。

(フィルゼノンでは、そんなこと感じなかった。私が知らないだけ? いいえ、でも。)

コンコンとノックの音がして、はっとセリナは顔を上げた。

「お待たせしました。」

顔を見せたのは、お茶を淹れて戻って来たイザークだ。

そそくさと窓際を離れて、ソファに座る。

受け取ったカップに口を付けて、セリナは動きを止める。

「……あれ。」

「どうかされましたか?」

「このお茶。」

白いカップの中で揺れる液体に、セリナは目を瞬く。

「何か。」

イザークが首を傾げた。

(これってまさか。)

立ち上る香り。

彼の淹れたお茶はいつも美味しかったし、今回だってそうなのだが。

はっとした様子を見せ、慌ててイザークはその場で膝をつき、さらに深く頭を下げた。

「べ、別の物とお取替えいたします!」

「え? あ! 違ッ…そういう意味じゃなくて!」

誤解を与えたことに気づいて、セリナは立ち上がりイザークの行動を押し留める。

「おいしいから! 取り替えなくて大丈夫!」


「2人とも、何をやっているんだ?」


横から飛び込んで来た声に、戸口を向けば、きょとんとした表情のエドが立っていた。

「いえ……なんでも。」

ひとまずこの場は大人しく座り直して、セリナはカップを両手で包む。

膝をついたイザークは、壁際でそのままの態勢だ。

一度ずつセリナとイザークを見てから、エドは口を開く。

「今後のことについて話をしようと思って。」

目の前のソファに座ったエドの動きを目で追う。

「地図を持って来たんだ。」

そう言って彼が机に置いたのは、大陸地図とハーデンの町の地図だった。

「幸運なことに、明日ロザリアとの往復船が着く。ここでの停泊期間は5日。その間に、乗り込むことができれば海を渡れる。」

思いのほか早い展開に、セリナは目を瞬く。

「これを逃すと次は一ヶ月以上先になってしまうんだ。通行証の準備が少し厄介だけど、出港までにはなんとか間に合わせる。」

ここで一ヶ月となれば、ばれるリスクは高くなるし、隠れ切ることも難しくなる。

急ぎたい気持ちはセリナも同じだ。

「ただ、見張りがね……街のあちこちにいるから、警戒しないと。」

「“ダンヘイト”?」

「彼らもだし、そうじゃない兵士もいる。」

「……。」

「“ダンヘイト”自体は少人数の隊だけど、彼らは兵士を動かせる。途中で襲って来た者は単独行動だったとしても、あの経路がばれていたなら、隊として既にハーデンを押さえていても不思議じゃない。見張りの者の話では、それらしい者の姿は確認できなかったようだけど……うかつには港へ近づけない。」

「そう。」

「オルフでもう少し足止めできると思ったんだけどね。」

エドは微苦笑を浮かべた。

「もし必要なら、道案内と護衛を兼ねて“盾”から人を同行させる。行けるのはロザリアまでにはなるけど。」

「……ありがとう。」

こちらの地理に疎いセリナにとって、この上ない支援だ。

「じゃぁ、この先の手筈について説明しておくよ。」

地図を広げるエドの動きに、セリナはカップを机の端へ避ける。

「あの。」

地図へ視線を落とす前に、エドに声をかけた。

顔を上げたエドに、一度躊躇ってからセリナは再度口を開く。

「エドたちは、“銀の盾”はこれからどうするの?」

少し間を置いて、エドは神妙な顔を見せた。

「それも、これから決めることになる。」

(これから…って。)

人手を割いてくれるというエドの言葉に、追われている彼らが今後どうするのかと、疑問に思っての質問だったのだが。

「まず、船の乗り場だけどーーー。」

(“銀の盾”よりこっちを優先してくれている?)

「……。」

説明をしているエドを横目に、ふるふると小さくセリナは頭を振った。

「どうかした?」

「いえ。」

不思議そうな顔の青年に、続けてくださいと手振りで示してから、セリナは急いで地図に目を向けたのだった。


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