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黒の女神  作者: 紗月
大地の章
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Ⅲ.理想的な地図 19

19.



休憩を挟みながらも先を急ぐ一行が、ベリラという村に辿り着いたのは翌日の日暮れ前だった。

遠目に村が見えて、さらに近づくと畑の間の道に出た。

そこにいた者たちがこちらに視線を向けるが、興味がないのかすぐに作業を再開する。

日没を前に、片付けをしている最中らしかった。

「今日はこの村で休もう。」

馬を止めそう言ったエドは、そのまましばらくその場で周囲を眺める。

「エド様?」

怪訝そうなイザークと同じ気持ちで、セリナは首を傾げる。

つられて辺りを見れば、収穫というには褪せて見える畑が目に映る。

夕陽を背にしているため、足元には長い影が伸びていた。

同じ風景を目にしているはずだが、エドが何を思っているのかはわからなかった。

「いや……行こう。」

エドは手綱を引いて馬の歩みを進めた。



人家の並ぶ一帯を前に、馬から下りる。

「宿はなさそうですね。」

集落の規模を見てイザークが呟く。

「どこか屋根を借りられそうな場所を探します。」

セリナとエドは道の端に寄って、イザークを待つことにする。

ちらほらと家路を急ぐ人たちが行き交っているのだが、どの人物も見慣れない2人を眺めていく。

不審者を見るようなその目は、決して歓迎している様子ではない。

「もう少し向こうで待とうか。」

エドの言葉に小さく頷いて、馬を連れ村の入り口から少し奥へと移動する。

井戸があり、その側に木製の質素なベンチを見つける。

エドから目で合図され、2人はそちらへ足を向けたのだが。


「井戸は使わせないよ。」


途中で硬質な声が投げつけられた。

声のした方を振り向けば、怖い顔でこちらを睨んでいる大柄な女性が立っていた。

「よそ者は出て行け!」

次に声を上げたのは、女性の足元にいる小さな男の子だ。

「見慣れない者がうろついていると言われて来てみれば。」

別の方向から声が聞こえ、顔を向けるとそちらには老人が立っていた。

セリナの前に出たエドは穏やかな口調で応じる。

「明日には出て行く。すまないが、今宵一晩ここで足を休めさせてもらう。」

「ここには何もない。」

「我々は何もしない。」

「水も、食糧も。よそ者に与える物は何もじゃ。」

「……迷惑をかけるようなことはしない。」

「ならば、井戸から離れろ。」

言いながら老人は手に持っている“得物”を握り込む。

「誤解だ、そこのベンチで休もうとしていただけで。」

「いいから離れんか!!」

説明するエドの言葉を遮って、老人は持っていた“剣”を抜いた。

「……っ!」

セリナは、エドへと向けられた剣先に息をのむ。

エドはセリナを促してその場から後退する。

「エド様!」

戻って来たイザークが、通りの向こうで狼狽した声を上げるが、エドはそれを手で制した。

「先程の言葉が本当ならひとまず追い出しはせんが、夜が明けたらさっさと出て行け。」

剣を突きつけたまま脅す老人。

睨み続けている女性と男の子。

遠巻きにこちらを見ている何人かの村人。

エドとセリナは井戸とは逆方向へ迂回して、イザークのいる場所まで移動する。

「エド様! 大丈夫ですか!」

「大丈夫だ、騒ぐな。」

静かだが有無を言わせないエドの声に、イザークは言葉を飲み込んだ。

「それより、良い場所はあった?」

「は、はい。向こうに……。」

一つ頷いて、エドはセリナを振り向く。

「行こう。」

歩き出した一行の背中を、男の子の声が追って来た。

「さっさと出て行け!」







イザークに案内された先には、放棄されていたと一目でわかる馬小屋があった。

乗っていた馬を繋ぎ、端に空いた区画にセリナは座っている。

柱を組んだだけの小屋に壁はないが、野宿を決めた彼らにとって、一応の屋根があるこの場所が一番上等な寝床であるらしいことは、なんとなくセリナにも理解できる。

手際よく野営の準備を進めて行く彼らに、何か手伝いをとは思ってはみても邪魔にしかならなくて所在無く突っ立っていると、休んでいてくださいとイザークに気遣われてしまった。

準備が落ち着いたところでエドが側に膝をついた。

「さっきはごめんね。怖い思いをさせてしまった。」

セリナは緩く首を振る。

「気を悪くしないで。」

「そんな。」

「戦が続いて、どこの村でも生活は苦しい。人手は足りないし、収穫も十分とはいかない。」

セリナは村に入る前に見た畑を思い出す。

「治安も良くないから、見知らぬ相手には警戒もする。あんなふうに威嚇するのは、村を守るためだろう。」

困ったような顔を見せたエドに、セリナは無言で頷いた。

「お2人とも食事をどうぞ。」

たき火の前にいるイザークから声をかけられ、顔を上げる。

用意された器に乗っていたのは、アンナの家でも出された芋だ。

茹でたじゃがいも2つ、という光景。

ただし良く似ているソレが“じゃがいも”かどうかは定かではない。

(アジャートは、お芋が良く取れるのかな。)

迷惑をかけないと言っていたエドの言葉通り、用意されたそれらはイザークの鞄から出て来た物であり、水も近くの小川へ汲みに行ったらしかった。

「ありがとう、イザーク。」

立ち上がったエドはたき火の前に移動し、セリナもそれに倣った。

イザークから器を受け取り、エドに視線を向ける。

「さっきの……。」

「ん?」

「ここでは、おじいさんまで剣を持っているのね。」

鍬などの農具なら有り得そうな画だが、農村で老人から向けられるものとしては違和感がある。

(勝手なイメージだけど。)

「それも自衛のためだろうね。この村は違うようだけど、粛正……規律維持などの理由で兵が目を光らせていて、政策を非難するものや逃げ出そうとしたものは捕らえられてしまうような所もある。」

エドは、苦笑を浮かべる。

「逃げて行く先もないのだけれどね、国を出るにも国境には兵士がいるし。」

無言のままのイザークが、飲み物の入ったカップをそれぞれの前に置いた。

「中央では官吏が、この辺りでは地方軍か領主の私兵。最近では自警団と名乗ったごろつきまでもが大きな顔して民を取り締まるほどの荒れようだ。」

「どうしてそんなことに。」

「国が黙認しているからね。力の強い者を優遇するのは、現王のあり方でもある。……畑や村人を見て気づいた?」

「?」

「女性と子どもと老人。働き手である若者がいない。」

「……。」

「夫や息子は徴兵されて、必死に畑で作物を育てるけれど兵糧だとかで上に持って行かれる。それがきっちり自分たちの家族や兵士の元に届くならまだしも、それも怪しい。疑いがあっても、確かめようもない。冬を越すのに十分な蓄えは用意できないし、戦続きの混乱のその終わりも見えない。そんな状況がもう何年も続いている。」

静かに語るエドの言葉を、セリナは器を両手で持ったまま聞き入る。

(軍事大国って……そう呼ばれていた国が。)


「だから、変えたいと思っている。」


聞こえた言葉に、セリナの手がぴくりと震えた。

「待っていても何も変わりはしないだろう? だから、動く。」

笑みを見せるエドに、イザークが小さく頷き目を伏せた。


「“反乱”を起こすつもりなんか、ないんだ。けど、こんな状態の国を目の当たりにして何もせずにはいられないから。」


強い意志を宿した薄紫色の瞳を前に、セリナは何も言えずに見つめるしかできなかった。









馬に積んでいた毛布を渡され、それを敷くと寝床はいくらかマシなものになった。

(あんなに慌てた出発だったのに本当に用意がいい。それとも、彼らの身の上からすればあらかじめ備えておくのは当然なのかな?)

外套を撒きつけるように身に纏い、少し向こうでゆらゆらと揺れるたき火を眺める。

その周りにエドとイザークがいる。

木にもたれているイザークと、毛布を纏って横になっているエドは、どちらも目を伏せている。

眠っているかどうかまではわからない。

(悪い人たちではない、と思う。)

エドの話のおかげで、銀の盾のことを少しは理解できた気がする。

「……。」

会ったばかりの相手に付いて行くことに抵抗がないわけではない。

けれど、自分ひとりの力では何もできないのが現実。

異国の地で力を貸してくれる人に恵まれた幸運を、蹴るような真似はできない。

(いつだって、私は周囲に助けられている。)


フィルゼノンは女神を見捨てたと、ルーイは言った。


(心底、護るつもりはなかった。災いになるなら剣を向ける対象だと。)

容赦しないと言ったのはジオ。

(初めからわかっていたことじゃない。)

セリナはそれを知っている。


―――フィルゼノンは、“女神”を救いはしない。助けもしない。


小さくなってセリナは自分を抱きしめる。

(大丈夫。それは、絶望する理由にはならない。自分でこの先の道を閉ざす理由にはならない。)

ぐっと両手に力がこもる。

(大切にされていた。守られていた。)

セリナは、それを知っている。

だからこそセリナはあの国で暮らすことができたのだ。


相反する考えにセリナは、強く瞼を閉じて。

それから小さく呟く。

「大丈夫。」

(戻りたいと思う気持ち。その心に、従うだけ。)

そう考えて、浮かんだ自分の思いにしばし動きを止める。

「……。」

こんなふうに引っ掛かりを感じるのは、初めてではない。

(困るなぁ。)

握りしめていた両手から力を抜く。

アジャートに来てから何度か感じた引っ掛かりだが、その違和の正体には残念ながら心当たりがある。




アンナの家で、エドとの話の途中に。

自分ならば、国境を越えることができるかもしれないという考えがよぎった。

それはポセイライナでのことがあったからだが、それを簡単に口にはできない。

『選べない方法』である『防壁を通り抜ける』ことを、初めに相談するのは、と考えて浮かんだのは……。

それよりも前。

砦で、ルーイから。

会いたい人がいるかと問われて、浮かんだのは。


取り繕って、みんなだと口にした。その「みんな」には含まれないとしても「あの人」が特別だということにはならないはずで。

秘密を打ち明ける相手として浮かんだのは、そう約束をしたからだという理由が立つ。



そうだ、とセリナは深く頷く。

(ポセイライナの成果がどんなものでも、報告するって約束だったもの。それに。)



ティリアに。

騎士の訓練の見学に行こうと誘われたまま、実現していない。

リュートに。

まだ、西翼を案内してもらっていない。団章の紹介だってまだだ。

指切りをしたのに。

馬のこともある。

イサラから言われた時は、本気で考えなかったけれど、乗馬を習いたい。

もし、自分で馬に乗れていたなら、きっと今ここにはいないだろう。

アエラに。

きちんと自分の行動の理由を話すことだって、しなければ。

巻き込んでしまったことを謝りたい。

また自己満足だと、そうなってしまうかもしれないけれど。

ラスティと。パトリックにも。

それだって、会わなければ何も始まらない。

それにそうだった。

花売りのグレイシアさん。彼女に、まだお礼をしていない。

彼女の花を買いにいかないと。

それから。

それから…。



「……。」

(レーニアを見せてくれるというあの話は、もうダメになっちゃったよね。時期を外れてしまっただろうし、それに次の機会があるなんて思えない。)

セリナは再び服の上から胸元を握り込む。

この先の行方はひどく不透明で、掴みどころがない。


―――セリナの旅が実りあるものであるよう、それから無事に帰還するように、祈っているわ。


ティリアの言葉が不意に蘇る。

導きの星・ルピス。

旅人が目印にするという、北極星のようなあの星。

セリナは身をずらし、破れた屋根の端から夜空を見上げる。

ぐるりと視線を回しあの日の赤い光を探す。

(あった。)

暗さに慣れた目で星の瞬く空を眺め、見つけた光に安堵の息を吐く。

あの星がこの先進むべき道を示してくれるとは思わないけれど、離れた場所にいても見上げればフィルゼノンで見た空と変わらぬものがあって、その光に見守られていると思えば、こうして顔を上げていられる。

(待っていても、か。)

エドの言葉は、セリナ自身にも当てはまること。

顔を戻して、たき火の側の彼らを見やる。

起きているのかもしれないが、ごそごそと動いていたセリナを気にしたような様子は見えない。

見張っているような気配を感じさせない彼らの態度に安堵して、セリナはゆっくりと寝床に身を横たえた。


今はまだ、違和の正体を掴む必要はない。

『果たしたい約束を、あの地に残してきてしまった』と、それが理由になるから。


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