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黒の女神  作者: 紗月
大地の章
108/179

Ⅲ.理想的な地図 17

17.



イザークが部屋に戻って来たのは、『すぐ』と言っていた割には時間が経ってからだった。

階下に来ていたのは“銀の盾”の仲間だったと教えてくれたほかは、なにも聞けないまま時間が過ぎたが、日が傾き始めた頃、ようやくエドが戻って来た。



「長い時間、待たせてしまってごめんね。」

白い装束は脱いでいたが、清潔な服装に身を包んだ彼は、確かに神殿に属する者だと言われれば納得するような雰囲気を持っていた。

少なくとも、兵士と言われるよりはそれらしい。

「神殿の……用事は終わったの?」

セリナの言葉に、おやという表情を浮かべて、エドは側に立つイザークを見た。

「祝福の様子をご覧に。」

「あぁ、そうか。説明が必要かと思っていたから、ちょうどいい。」

言いながらエドは、部屋に置かれていた椅子に座った。

壁際のソファに座ったままのセリナとは、微妙に距離が開いている。

イザークはランプに灯りをつけた後で、窓の鎧戸を閉じていく。

「すぐに戻って来たかったんだけど、途中で人に掴まってね。昨日今日の不在をごまかすためにいろいろ立ち回っていたら、こんな時間になってしまった。」

エドの台詞に、セリナは彼の事情の一部を把握する。

「神殿には内緒なの?」

「ん? それは、まぁ。バレたら大問題だ。」

「じゃあ……銀の盾と神殿が、繋がっているわけじゃないのね。」

「僕は確かに、リヴァ神殿に籍を置いているけど、向こうとこっちは無関係だよ。」

てっきりそういう関係性のある組織なのかとセリナは考えたのだが、違うようだ。

「とはいえ、“ダンヘイト”も神殿が女神を匿っているんじゃないかとは疑うかもね。許可なく神殿に踏み込む権利はないから、容易く手は出せないだろうけど。」

「神殿も、女神を匿ってくれるような場所?」

あぁ、とエドは困ったように眉を寄せた。

「僕が言うのもなんだけど、神殿をアテにはしない方がいい。中には、信仰よりも権力に心傾ける者もいるから。そういう人物に見つかれば、居場所なんてすぐに密告されてしまうよ。」

そこへ逃げ込もうと考えたわけではなかったが、頼りになる機関というわけではなさそうである。

(神殿といえば、巫女姫のあの神聖さのイメージがあるけど。そうでもなさそう。)

エドは、立ったまま隣に控えているイザークを見上げて問う。

「アルノーたちは、ここに?」

「祝福の後、アンナを訪ねて来たので状況は聞いています。出入りが目立つので、すぐに北のアジトに移りました。」

小さく頷いたエドに、イザークは先を続ける。

「彼らの話では、追っ手は“ダンヘイト”のみ。2手に分かれた内の1つが、この町に来ているようです。」

「ここも時間の問題か。ハーデンへ動く準備は。」

「指示通り伝達しておきました。」

2人の会話から、楽観的な状況ではないとわかる。

(彼らも、私と同じくらい“ダンヘイト”に見つかるとまずいみたい。)

神妙な顔をしていたエドは、セリナに目を止めて取り繕うような笑みを浮かべた。

「忙しなくて悪いね。さて、本題の……女神の今後について話をしよう。」

言われて、セリナは僅か背筋を伸ばす。

「まずは、そうだ。オーフェン軍は君の味方?」

「え?」

オーフェンというのが何を指すのかわからず、セリナは目を瞬かせた。

「ルードリッヒ=オーフェン。あの時、彼の軍が女神を守ろうとしていたようだから。貴女が自身の意思で国軍に残るつもりなのだとしたら、戻れるように手配する。」

「戻れるようにってルーイのところに?」

思いがけない提案に、セリナは戸惑う。

「“ダンヘイト”には捕まりたくないと言っていたけれど、オーフェン軍のことは敵視していないみたいだから。ルーイ…ルードリッヒの庇護を受けると言うなら、それも1つの選択肢だ。」

戸惑ったままで、セリナは静かに話を聞く。

「彼らの行先なら、北部国境近くのアーフェだとわかっている。」

そういえば、そんな名前の場所へ向かうとルーイも言っていたことを思い出す。

「あの後も行軍は中断していませんが、追いつけないわけではありません。」

イザークの補足説明に、セリナの中に疑問が浮かぶ。

(さっきも、追っ手はダンヘイトのみだって。)

「彼らは、追っ手としては動いてないの?」

襲撃を受けて応戦したルーイたちも、セリナが攫われたことを把握しているはずだ。

だが、探したり追いかけたりという行動は取っていないらしい。

「女神を逃した失態を犯したのは“ダンヘイト”だからね。」

「?」

「追跡すべき責と、その権利があるのは“ダンヘイト”。手元から離れてしまった女神に、オーフェン軍は手を出す理由がない。彼らに与えられている命令は、他にあるし。」

「そういうものなの? なんだか、襲撃をかけて来た“銀の盾”のことを、放っておくなんて意外に思えるのだけど。」

「今はマルクス鎮圧に向かうのが、最優先事項だと判断したんだろう。」

エドの説明に、セリナはひとまず納得する。

(引き渡しに失敗したとかで、責任を取らされたりする…という事態にはなっていないのなら、まぁ、良かった。)

ルーイの性格からして、都合のいいように上手く立ち回りそうだから、セリナが心配するまでもないだろう。

「望んでオーフェン軍に戻るなら、彼らは女神を歓迎する。」

エドからの言葉に、セリナは顔を上げる。

なぜ彼が言い切れるのか、とも思ったが、セリナ自身も同じ考えはあった。

(“ダンヘイト”には引き渡さない、と言ってくれていたルーイだから、彼らのところに戻っても邪険に扱われることはない。)

きっとダンヘイトからも守ってくれて、後宮入りの話も最悪なことにはならないだろうとも思う。

「どうしたい?」

問いかける男は、セリナからの返答を待つ態度だ。

(ルーイのところへ戻るかどうか、ということ?)

「どう…したいか。」

続く言葉を迷うセリナに、エドは質問を重ねる。

「これからどこへ行き、何をしたい?」

何をしたいかの答えは浮かばないが、行きたい場所はすぐに浮かんだ。


「私は、フィルゼノンに戻りたい。」


聞いていたイザークが、エドを見やる。

「そう、か。そうだね。」

エドはうーんと唸りながら天井を仰いだ。

「……。」

困らせる回答だったのか、と気まずさを覚えるが、セリナは、いやいやと内心で首を振る。

別にわがままというわけではない。

天井から視線を戻したエドは、机の上で手を組む。

「今すぐに送り届けることは無理だ。距離的にも、外交的にも。それに国境には、厄介な魔法壁があって、越えられない。」

フィルゼノンの国を守るそれが、帰り道の妨げになる。

(ルーイも言ってた。国境を越えるのは、侵略する時だって。)

気持ちが沈みかけたセリナの耳に、予想外の言葉が届く。

「だけど、叶えられない希望ではない。」

「え?」

「約束するよ。君がフィルゼノンに帰れるように手を貸そう。」

「本当?!」

思わず勢い込んで声を上げたセリナに、エドは笑みを向ける。

それにつられて表情を崩しかけて、セリナははっと身を強張らせる。

「でも、それって……両国の関係が改善したら、とか。そういうこと?」

一瞬きょとんとした顔を見せたエドだったが、今度は声を立てて笑いを見せた。

「ごめんごめん、言葉が足りなかったね。」

組んでいた手を解いて、エドはひらりと手の平を振る。

「隣国に行く方法がないわけじゃないんだよ。実際、出入りしている者たちはたくさんいるし、“ダンヘイト”だってフィルゼノンに入国していたでしょう?」

改めて指摘されれば、確かにその通りだった。

「越えるのが難しいのは、アジャートとフィルゼノンの境目のこと。」

地図がないからなぁ、と言いつつ、彼は宙で指を動かす。

「周辺国の位置関係はわかる? 南にアリッタ海があって、北にカルダール山脈。」

「えぇ、なんとなく。」

「今いるここから南へ下り、海路を使ってロザリアに入る。そこからフィルゼノンへ。これが正攻法。」

経路を説明する指が、セリナから見て反時計回りに動き、Uターンして止まる。

大回りして、フィルゼノン東部へ辿り着く動きだ。

「女神を逃すまいとして向こうも港に監視を置いているだろうけど、抜け道はある。この国から送り出すことは、不可能じゃない。」

「簡単に他国へ入れるの?」

「通行証があれば。ただ、先は長いよ。船の旅は危険も多いし、無事にフィルゼノンに入っても……確実な保護を受けるまで安全は保障されない。気力を削る行程になるかもしれない。」

覚悟は必要だ、と言外に告げられ、セリナは胸の前で両手を握りしめた。

土地勘はないし、旅にも慣れていない。さらに追っ手を気にして、身分も隠してと、どう考えても楽な道行きではないだろう。

(でも、戻る方法がある。)

脳裏に浮かんだのは、思わぬ形で別れてしまうことになった人たちの顔だ。

「……。」

セリナはアジャートとフィルゼノンの国境に意識を向ける。

一番近くて早いのはその境を越えることで、それができれば遠回りは必要ない。

(それは選べない方法。)

明らかに国境は越えられないという前提で進む流れに、その案を不用意に口にはできない。

ただでさえ、セリナの存在はフィルゼノンにとって“災厄の女神”。

(取り返しのつかない事態を招くような、そんな危険は冒せない。それに……。)

そこまで考えて、静止する。

どうかした?という顔を向けられ、セリナは慌てて頭を振る。

「いえ。」

「考える時間が必要かな? まぁ、さしあたってオーフェン軍のところにもダンヘイトのところにも行くつもりがないのなら、ここに……僕たちと一緒にいるといい。」

「……。」

「その途中で行き先を見つけたら、そこへ行けばいいから。」

「どうして私に協力を。」

疑念を隠しきれずに問いかけたセリナに、エドは真面目な表情を返す。

「先に、女神の道行きに手を出したのは僕らだ。最後まで責任を持つ覚悟はしている。勝手に連れ出しておいて、放り出すなんて真似はしないよ。」

呆気にとられつつイザークに目をやれば、視線に気づいた彼は小さく頭を下げた。

「道中でも言ったけど、君の味方だから。」

聞こえた言葉に、セリナは視線を戻す。

「女神が僕らの味方である必要はないから、どう捉えても構わないよ。」

セリナの視線を受け止めたまま、エドは微笑みを浮かべていた。







話を終えたエドは、再度神殿に戻らなければいけないと言って、アンナの家を後にした。


「窮屈かもしれないけど、家の外には出ないで。」

「えぇ。」

釘を刺すようなエドの言葉に頷けば、去り際の彼にふふと小さく笑われた。

「何?」

「素直だなと思って。」

信じてくれたのだと見えて嬉しかったんだ。とそう言われて、どう返していいのかわからなかった。

帰してくれるとの言葉は信じたいと思うが、信用したわけではないのが本音だ。

(それに“ダンヘイト”が近くにいるなら、外に出ないのは当然のことじゃ。)

「きっとあちらでも大切にされていたのだろうと、見ていればわかるくらいだよ。」

「……。」

不意をつかれて目を丸くしたのは驚いたから。

たいした反応にはならなかったけれど、確かに驚いたのだ。

「慣れない場所だろうけど、ゆっくり休んで。明日の朝、また来る。」

そう言って、静かに部屋を出て行った。



(あちら、っていうのは、フィルゼノンのことよね。)

―――大切にされていた。

その台詞が妙に心に響いたのは、きっと欲しかった言葉だったからだ。

ルーイやクラウスから突き付けられた現実を、反証する言葉。

ひび割れ崩れた“現実”を、繋ぎ止めるもの。

(私が過ごしたのは、嘘の世界じゃない。)

味方だと言ったエドの言葉の真意は掴みかねている。

(勝手に連れて来たから、次の行先までは面倒をみるってことよね。)

積極的にセリナに協力するという立ち位置ではないはずだ。理由もない。

一緒に何かを成そうという仲間同士でもない。

(女神が味方である必要はない、って。)

ぐるぐると回る考えに小さく唸って、セリナはソファに突っ伏した。

エドを見送るためなのか、イザークも出て行ったため、部屋には1人きりだ。

(彼らは、女神に関係なく、ただ国を……このアジャートのことを考えて、彼らなりの思想で動いている。)

ぼんやりと壁を眺めながら、セリナは頭を整理する。

(フィルゼノンに戻る道を用意してくれるというなら、断る理由はない。)

ふと。

あちらへ戻って、受け入れてくれるだろうかというネガティブな思考がよぎる。

アジャートに入った“女神”は、フィルゼノンにとってもはや『敵』となっているかもしれない。

ぎゅっと目を閉じ、ゆっくりと開いて、前を見据える。

(だとしても、パトリックやアエラの無事を私はこの目で確認したい。)

ソファから身を起こし、セリナは両手で顔を覆う。

(パトリックの無事を。)

震える手を握りしめ、セリナは唇をかんだ。

(たとえ、この先の道が楽じゃなくても。)

少し前までそうであったように。

当たり前のように守ってくれていた人たちは、ここにはいない。

リュートやティリアに助けを請うことはできないのだ。


―――どこへ行き、何をしたい?


問われた言葉が蘇る。

(私は。戻って、それを確かめる。)


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