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黒の女神  作者: 紗月
大地の章
106/179

Ⅲ.理想的な地図 15

15.



疾走する馬の背は、容赦なくセリナをがくがくと揺さぶる。

落ちないようにしがみついているが、無理に乗せられた体勢はやはり不安定さが残る。

いつの間にか周囲に木の影が増えていた。

日暮れの時刻を過ぎて、ただでさえ厚い雲に覆われていた空はずいぶんと闇を濃くしている。

湿った冷たい風が吹き、どこまで行くつもりなのかという不安も増して知らず眉が寄った。

「降りそうだな。」

独り言のように呟いた男に、セリナは再び視線を上げた。

確かに。と思ったが、同意を示すことはせず馬にしがみつく腕に力を込める。

巻いていたはずのスカーフは、気づいた時には無くなっており、髪が風に遊ばれる。

しばらく走った後で、男は手綱を引き馬の速度を緩めた。

前を流れる小川にかかった木の橋があり、それを渡ろうとしているらしかった。

(助けたとか言ってたけど、このままじゃ……。)

先のわからない居心地の悪さを抱えているセリナが逡巡している間に、男は馬を降りる。え、と声を出すより前に、彼によってセリナは馬を下ろされた。

がしゃん、と音をさせて兜を脱いだ男は、それを脇に抱える。

「ここで休むことにしよう。」

言われて振り返れば、まるで山小屋のような木で組んだ小さな建物がそこにあった。

暗くなった空の下、一陣の風が吹き抜けた。

「快適とはいかないかもしれないけれど、濡れ鼠になるよりは良いからね。」

どう行動すべきかと迷ったセリナの視界に、同じ鎧を着た人物を乗せた馬の姿が見えた。

その視線に気づいたのか、金髪の男があぁ、と小さく頷いた。

仲間の1人が追いついたのだと理解して、セリナはその場に踏みとどまる。

(今、逃げても分が悪い。もっと隙を見計らってじゃないと。)

2人に近づいて来た仲間は、馬を下りて膝をついた。

「早かったね。」

「“ダンヘイト”は第2隊が上手くかく乱させたようで、今のところこちらに追っ手はかかっていません。」

「そう。」

応じてから、男は笑みをセリナに向けた。

「有難いことに、しばらく休む時間はありそうだ。」

中性的な風貌の男の、その言葉に邪気はなく、セリナは虚を突かれる。

鎧の重々しい音をさせて立ち上がった仲間に、男は自分の馬の手綱を預けた。

鍵のかかっていない小屋の扉を引いて開けると、セリナにも入るよう促す。

その場を動かないセリナに、困ったように眉を下げた。

「警戒するのも無理はない。けど、雨が降り出す前に、中に入って?」

2頭の馬を引く仲間が、ガシャンと音を立てて、セリナに近づいた。

反射的に、セリナはビクリと体を震わせてしまう。

「こら、怯えさせるような真似はよしなさい。」

注意を受けて兵士は、その場で足を止めると頭を下げた。

「申し訳ありません。」

声からして、仲間もまだ若い男のようだ。

セリナの行動を待っている2人は、どうやら無理に何かをさせる気はないらしい。

ポツリ、と頬に当たった冷たい感触に、雨が降り出したことを知る。

「……。」

馬がぶるる、といなないて首を振るのを、兵士が宥める。

セリナが動かないでいる限り、あちらの兵士も馬も動かないようだ。

それでは、同じく雨に濡れてしまうという状況である。

「追ってくるダンヘイトを撒く、という目的は同じはずだよね。」

扉を押さえたままの男が、ゆっくりと語る。

「それに、僕らには雨をしのぐための場所が必要だ。」

「っ。」

ぽつぽつと当たる雨粒が増えだした。

気持ちが揺れたのを見逃すはずもなく、ダメ押しのような言葉が掛けられる。

「我々に、状況を説明する機会をくれないだろうか。」

まるで安心させるように薄紫の瞳を細めて微笑んだ。

金髪の男は「どうぞ」と我が家の如く、再度扉へと誘導する。

ぎゅう、と胸のあたりの服を握りしめて、身構えた心境を保ったままセリナはそれに従った。





小屋に入った男は、さっと内部を点検してから、どこからともなく毛布と燭台とロウソクを持ち出し、さらに置いてある木箱の中を探る。

暗い室内にも関わらない手際の良さにセリナが訝しんでいると、その視線に気づいて、男は手を止めた。

「この小屋は、僕らの拠点の1つなんだ。必要な物は、だいたい用意されている。」

管理してくれている人がいるから、と付け足した。

セリナがぼうっと突っ立っている間に、彼は手馴れた様子で鎧を外すと壁際の棚の下に積み上げる。

すっかり身軽になってしまうと、彼の風貌と相まって、とても武器を持つような兵士には見えなかった。

馬を繋ぎに行っていた兵士は戻って来ると、簡素な台所のような場所で火を熾しだす。

いつの間にか兜を脱いでいた兵士は、声からの予想を裏切らず、若い男だった。

こげ茶色の短い髪をした彼は、金髪の男より幼く、セリナと同じくらいに見える。

こちらも戻ってくるなり、鎧を脱いだので、動くたび鳴っていた金属音は解消された。

扉を入ってすぐの部屋に木製の椅子と机がおかれ、その反対側が台所。

奥に扉が2つあって、開け放されている方は寝室のようで木製のベッドが見えた。

後でわかったのだが、もう1つの扉はトイレだった。

「ここはどこ。」

熾した火をロウソクに移し、燭台を机に上に置くと部屋はそこそこの光源を得た。

雨音の強くなった外は、既に真っ暗だ。

引いた椅子を、どうぞと手で示してから彼は向かいの椅子に手をかける。

「ここはサラニナと目的地とのちょうど中間辺り。すぐ側にメルンという小さな村がある。」

相手は、ゆっくりと説明を進める。

「目的地はオルフという町だ。明日には着く。」

「…追っ手は大丈夫なの?」

武装を解いてしまった2人にはずいぶん余裕があるように見えるが、ダンヘイトにここが見つからない自信があるのだろうか。

「強行して先を急ぎたいのはやまやまだけど、この雨の中、女神を野宿させるわけにはいかないかと。」

「……。」

「まぁ、座って。」

セリナはちらりと椅子に目をやって、それでも扉から近いその場所に留まる。

「では、話は時間をかけずにすまそう。」

特段気を悪くした様子もなく、彼はセリナに向き直ると膝をついた。

「!!」

「僕の名前は、エドワード=シュタット。」

初めまして、とにこやかな自己紹介をされ、この状況を忘れそうにすらなる。

唖然とするセリナをよそに、立ち上がった彼はもう1人を手で示す。

「彼はイザーク=ユーバイト。僕の部下…というより右腕だね。」

視線を向ければ、彼も膝をついて頭を下げていた。

「あなたたちは、何者なの?」

「“銀の盾”と呼ばれている。どう言えばいいのか、この国を良くしようと思う者たちの集まりで……。」

そう言って、途中で一度言葉を切る。

「反乱分子と、そういう言い方もされている。」

反乱、と繰り返したセリナに、エドは首を振る。

「反乱を起こそうとしているわけではないんだ。ただ、考えが対立することが多いだけで。」

椅子の背に両手を置いて、エドは燭台の火を見つめた。

ジーナが『非正規軍』と称していたくらいだから、組織的な武装勢力なのだろうとセリナは推察する。

「女神が国王軍によって、無理矢理フィルゼノンから連れて来られたと聞いた。」

「……。」

「その上、王は女神を、後宮に入れようとしていることは知っている?」

セリナは頷く。

意外だったのか、顔を上げたエドは躊躇いがちに次を口にした。

「念のために聞くけれど、それは女神の望みだったなんて事実は?」

「まさか! そんなわけない!」

思わず声を荒げて否定したセリナに、エドは安堵したようだった。

「そう、今更だけど邪魔をしたわけでないと確認できて良かった。」

まぁ、あの状況ならそうだよね、と1人で納得したように頷く。

「……どういうこと?」

尋ねたセリナに、彼は肩をすくめた。

「隣国から誘拐して来た相手を身勝手に、自国の後宮に押し込むなど。一国の王の振る舞いとは思えない。到底、許されることじゃないよ。」

だから、とエドはさらに言葉を続ける。

「国王の元へ連れて行かれるのを黙って見過ごせなくてね。」

「それであの襲撃を?」

「城に入ってしまったら、簡単に手出しはできない。王軍の各隊は仲が悪いから、混乱を起こせばお互いが好機と捉えて仲間割れする。まさに今回みたいに。」

セリナは探るような目を向けた。

「後宮入りを阻止することだけが目的だったの?」

「今回の襲撃については、そうだね。」

エドの表情から嘘と本当を見極めようと目を凝らす。

「じゃあ、もし私が城へ行きたいと言ったら、どうするの?」

セリナからの質問に、エドは小さく首を傾げた。

「どうって……見送るのか、それとも連れて行ってあげるのかってこと? ご希望とあらば、ちゃんと送り届けるよ。まぁ、城へ着くより先に“ダンヘイト”のお迎えが来ると思うけど。」

予想とはずれた答えが返されて、セリナは表情を曇らせる。

「それを……邪魔しないの? 後宮に入りたいと、言っても?」

質問の意図に気づいて、エドが小さく微笑んだ。

「行きたい先があるのなら、君はどこへだって行くことはできる。そうだろう?」

「……。」

「僕らが問題視したのは、国王のやり方が強引すぎるってことだ。両者が合意の上でって言うなら、まぁ…この件はしばらく様子見ってところかな。」

エドの言葉を頭の中で繰り返して、その意味を探る。

(彼らは、王のやり方に反発したから襲撃を企てた? おかげで、私は“ダンヘイト”から逃げることができたわけだけど。それは、結果的にってだけ?)

どこかから風が入って来たのか、ジジ…と音がしてロウソクの火が揺れる。

「今は、同じ相手に追われる者同士だ。一緒にいる間は“ダンヘイト”の追撃から、守ってあげられる。」

エドの言葉にセリナは顔を上げた。

「追われているのは、私のせい?」

セリナを連れ去ったから、追手がかかっていると思ったので、そう聞いたのだが、エドは首を横に振った。

「元々、銀の盾は彼らに敵視されている。“ダンヘイト”には、王に逆らう国賊に見えるんだろう。」

(つまり、『敵の敵は』ってことね。)

僅かな沈黙の後、エドは再びにっこりと笑みを浮かべた。

「難しい話は一度置いておいて、食事を摂ることにしようか。明朝オルフに向けて出発する、今夜は早く休んだ方がいい。」






出された食事は、硬い干し肉のようなものとチーズ。

こんな状況で、寝床と食事が用意されているだけ恵まれているのだから、文句を言っては罰が当たるというものだが、癖の強いそれらが口に合ったかといえば、答えは否だ。

エドと話している間中、微動だにせず無言を貫いていたイザークという兵士は、食事にしようと会話が切れた途端、立ち上がり先述の食を用意した。

ただし、淹れられたお茶だけは種類こそ不明だが、温かさに思わずほっと息をつくほどには美味しいものだった。

セリナに、奥の部屋を使うように言ったエドは、イザークと共に椅子に腰かけて夜を明かすらしかった。

毛布を奥から持ち出し用意していた態度からするに、最初からそのつもりだったのだろう。


「……。」

枕元にある燭台で、ロウソクの火が揺れている。

どういう意図があるのかわからないが、話を信用するなら逃げ出す理由はない。

(女神に用があるってわけじゃなさそうな口ぶりだった。行きたいところへ行けるって。)

強引な後宮入りの話をよく思わないという彼らの考えが本当なら、ダンヘイトとは対立する。

追ってくるダンヘイトを撒くためにも、彼らに付いてオルフへ行くのが最善だろうか、とセリナは思案する。

ここで彼らと別れても、行くあてはない。むしろ、置いて行かれる方が困ることになる。

近くに村があると言っていたが、だからと言ってセリナに道が拓けるわけではないのだ。

(銀の盾、反乱分子、国にたて突くやばい組織だったりするのかしら。いえ、それにしては、紳士的ではあるけど……信用していいのかどうか。)

ロウソクの火を眺めて、セリナは頭を悩ませる。

(ルーイのこともあるけど。わかっているのは、ダンヘイトには捕まりたくないということ。)

毛布を引き寄せ、体を丸める。

「……。」

ゆらゆら動く影をしばらく目で追う。

枕元のロウソクを消そうと上半身を起こし、けれど直前で思いとどまる。

この火を消せば、室内は真っ暗になってしまう。

頭から毛布を被って、ベッドに横になると、途端外の雨音が聞こえてきた。

向こうの部屋にいるはずの2人の男だが、雨音のせいなのかもう寝てしまったのか、耳を澄ましても話し声や物音は聞こえてこない。


ぎゅと胸元を掴んで、セリナはさらに縮こまった。









かたん、という小さな物音に、セリナは瞼を開けた。

芋虫のように丸まった毛布の隙間から、部屋の扉を見る。

点けたままだったロウソクはいつの間にか短くなって、火が消えている。

雨音は聞こえず、部屋はうっすらと明るくなっていて夜が明けたのだと知れた。

かた、とまた向こうの部屋から音がする。

話し声は聞こえない。

壁側に目を向けると、昨夜は暗くて気づかなかったが、布が掛けられた場所の四方から光がもれている。

(窓、あったんだ。)

身を起こしそっと分厚い布をめくると、朝もやのかかる景色が見えた。

鳩の鳴き声が聞こえていて、その合間で、馬のいななきが小さく聞こえた。

時計がないのでわからないが、静けさの様子からしてまだ早い時間のようだ。

じっとしていると、扉の開閉する音がして、聞き取れない会話がされていた。

どうやら彼らが起きたようだと察して、セリナは窓の前で身動きせず扉を見つめる。

時折、向こうの部屋から小さな音は聞こえるものの、いっこうに扉が開く気配はない。

「……。」

肌寒いので毛布を肩にかけたまま、簡単に身支度を整える。

眠ったのか、眠っていないのかよくわからないまま夜を過ごした。

雨や風の音、何かわからない音に、いちいち目を覚ましていたせいで、寝起きだというのに疲労感が滲む。

加えて、昨日馬へしがみついたのが原因らしい筋肉痛が腕と足にある。

少しの間様子を窺うが、ノックされることも、声をかけられることもなく、静かなものだ。

(まさか、置いて行かれる…なんてことは、ないよね。)

靴を履いて、そっと扉を開くと、なぜだか良い匂いが鼻についた。

起きたセリナに気づいたエドが、おはようと笑う。

「良かった、女神をどうやって起こしたらいいのか迷ってたんだ。」

「はぁ……。」

相変わらず当たりの柔らかい応対に戸惑いつつも、セリナはエドが引いた椅子に近づく。

台所を見れば、イザークが食事の用意をしていた。

机に出されたのは、昨夜と同じ肉とチーズ。それから、マグカップのような器に入ったスープ。

「食べたら出発するよ。」

そう告げて食事を始めたエドを、セリナはしばらく眺める。

動かないセリナを見上げて、エドが小首を傾げた。

「それとも、他にどこか行きたい場所が?」

エドに問われて、セリナはゆっくりと向かいの椅子に腰を下ろした。

「……私、“ダンヘイト”には捕まりたくない。」

神妙な顔で頷いてから、エドは少しだけ口角を上げた。

「そういうことなら、力になれる。」

「……。」

しばらく机を見ていたが、セリナはやがてスープに手を伸ばした。

良い匂いの正体であるそのスープの味はなかなかのものだった。

そして、遅れて置かれたお茶は今日もやはり美味しかった。





食事を終えて、火の始末をした後で、彼らは身支度を整える。

また鎧を着るのかと思っていたら、積み上げた武具はそのままに、2人とも剣だけを腰に履いた。

「女神も、これを。」

棚から深緑色のフード付き外套を取り出した彼らは、それを身につける。

「君には少し大きいかも。」

エドの言葉通り、付いている留め具をかけただけでは、肩を滑り落ちるサイズだったのだが、それをイザークが、器用に留め具と反対側の外套の布を結び付けて、調整してくれた。

さすが器用だな、と褒めるエドに会釈して、彼は繋いでいた馬を引きに外に出る。

続いて外に出れば、昨夜の雨の名残で足元には水たまりができていた。

そこに映った白い影に、セリナは顔を上げる。

「……。」

馬を繋いでいた横木に、白い鳩が止まっていた。

じっと見ていたセリナに気づいたのか、鳩はバサバサとどこかへ飛んで行ってしまう。

「女神。」

声をかけられて振り向けば、既に馬に乗ったエドがこちらに手を差し出していた。

側にあった石を使って一段高い場所から、セリナは彼の手を掴む。

引き上げられて乗った馬の背は、昨日よりはずいぶんマシな乗り心地だ。

フードを被った背後のセリナを、肩越しに確認してからエドは馬の腹を蹴り、その後ろをイザークが追うように馬を走らせた。


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