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黒の女神  作者: 紗月
大地の章
103/179

Ⅱ.変革する景色 12

12.



砦の正面広場で、セリナはジーナと並んで出立の準備が整うのを待っていた。

「急いで調達させたけど、サイズが合って良かった。ドレスじゃなくて悪いけど。」

「いえ。」

出発の朝にジーナから渡されたのは、それまでの寝間着のようなワンピースではなく、胸下で切り替えの入ったチュニックのようなシャツと若草色のズボンだった。

フィルゼノンでの装いに比べれば実にシンプルだが、セリナにとってはこういう服の方が馴染みがある。

移動用の服装なのか、ジーナも同じような格好だった。

ただ彼女は、アウターの如く白衣を着ているので、普段とさして変わりない見た目だ。

「目立つから、スカーフを被っておいて。日除けにもなるし。」

渡された大判のスカーフを受け取って、セリナは頷く。

ざっくりまとめた髪を束ねているのはジーナから借りた髪留めだ。

そろそろ伸びた髪をどうにかしたいな、とセリナは髪を摘まんで考える。

フィルゼノンでは周囲に刃物は置かれていなかった。

以前、前髪を切りたいとメイドに言ったら、とんでもなく怖がられたのは苦い記憶だ。

(呪いをかけられるとでも思ったのか、ってくらいの怯えだったもの。)

準備に走り回る人の間から、ルーイがやって来るのが見えて、セリナは背筋を伸ばした。

昨夜のことが蘇り、僅かに緊張が生まれる。

ジーナも相手に気づいたらしく、セリナに声をかける。

「私、荷物を運んで来るから、後はルーイ様の指示に従って。」

「はい。」

おとなしく頷いては見たものの、胸中は複雑だった。

(結局、何もできないまま。)

このままルーイの行動に従うのも妙な話だが、昨日裏庭で機会を逸したのは判断が遅れたせいだ。

(でも、あのタイミングじゃ、クラウスに追いつかれていたかもしれない? あぁ、もう。正直、今後どうすればいいのか見当も立たない。)

フィルゼノンの害にならないようにとの思いはあるが、そのために何をすべきか、1つも浮かんでこない。

「難しい顔をして、どうした。」

「……。」

「昨日は王都へ戻ると言ったが、予定が変わった。オレたちは次の任務地へ行くことになったんで、一緒にヴァルエンの都を拝めそうにない。」

ふうん、と素っ気なく聞いていたセリナだったが、次の台詞に顔色を変えざるを得なかった。

「途中で“ダンヘイト”と合流するから、そこでセリナの身柄は彼らへ引き渡すことになるだろう。」

「?! 嘘でしょう、嫌よ。あの人たちは嫌!」

「逃げようなどと考えないでくれよ? 拘束したくないからな。」

「っ!」

「おい。言ってるそばから、逃げるなって。」

身を翻そうとしたセリナの腕を、ルーイは呆れ顔であっさりと捉える。

「放して! 嫌だったら。どう利用するつもりか知らないけれど、私を名目に戦争を始める気なんでしょう!? ルーイはそれでいいの!? 争いあって憎しみを増やすだけの愚かな行為を! たくさんの人が傷付くことを、みすみす招き寄せると!?」

セリナをしっかり見つめて、ルーイは無情に言葉を紡ぐ。

「止める気はない。やり方は様々だが……脅威には対応しなければ、国を守れない。」

「そんなにフィルゼノンは脅威だと!? あちらに攻める気はないのに!」

「セリナは、それをどう証明してくれる?」

「そんなのっ…ルーイも彼らと話をすればわかるわ。」

「甘いな。そんな不確かなものじゃ何も守れない。」

ルーイは掴んでいた腕を解放する。

「王都になんて行かない。」

告げたところで、駄々をこねる子どもほどにも意味を持たない宣言だった。

ルーイは困ったように息を吐いて、声を落とした。

「まー、なんというか、実はな。戦は戦でそうなんだが。もう1つ、妙な噂があってな。」

打ち明け話をするような態度に、セリナは思わずルーイの言葉に聞き入る。

「王は、セリナを後宮に迎え入れる気だという。」

「……後宮?」

「王の妃が住む場所だ、女神をその仲間に加えたいらしい。」

意味を理解して、セリナはみるみる青ざめる。

「なんで…!」

「元から勝利の女神に据えたがってはいた。それの延長か別の理由か、ひどくご執心だという話でな。」

「わけが…わからない。そんな……。」

勝利の女神として掲げたところで、どれほどの意味があるのかセリナにはわからない。

仮に、女神や災いと目されるセリナが恐怖の対象で、フィルゼノンへのダメージに繋がるとしても、わざわざ敵国から連れ去ってまで手元に置こうとする理由としては弱すぎる。

「女神の名」を開戦の理由に使うとしても、王の後宮へ入れる必要などないはずだ。

(それとも牢へ入れる代わり?)

「このままセリナを“ダンヘイト”に預ければ、どう足掻いても逃れられなくなるだろうな。それを阻止したい輩も思いつかないし、あちらで助けてくれる人もいない。後宮に入ったが最後、一生外へは出られないだろう。」

「っ!」

セリナはルーイを睨みつける。

「そんなの冗談じゃない!」

「だろうな。」

あっさりとした肯定の言葉を放つルーイの顔には、意地悪な笑みが浮かんでいる。

「“ダンヘイト”には、手柄を横取りしないと言ったものの。遠征して来た我々を、休憩所のように利用した礼をまだしてなくてね。セリナをあっさり渡すのは、芸がないと思っていたところだ。」

「?」

「セリナの窮状を救えるのはオレしかいない。」

「……どういうこと。」

その言葉を待っていたかのように、ルーイはにっこりと笑顔を作り直して見せた。


「オレの妻になれ。」





「…………は?」


聞こえたには聞こえたが、脳が理解を拒んでいる。

「自分で言うのもなんだが、今のところ王に対して意見できるのはオレくらいだ。ついでに、横取りなんて真似が許されるのもね。まだオレは、後宮入りの話を正式に耳にしたわけじゃない。先手を取れば、いくら王でも手を出しにくくなる。」

呆然自失気味のセリナに構うことなく、ルーイはしゃべる。

「ましてやオレとの方がお似合いとくれば、邪魔する方がヤボってもんだ。」

「いや、あの。」

やはり彼の思考回路は不明が過ぎる。

(なんか、頭痛してきた。)

「相手が変わればいいってものじゃないし。仮に、それで後宮の話を潰せるとしても、ルーイが王の怒りをかって、どうにかなればなんの意味もなくなる。」

「親子ほど年の離れたオヤジの妻に収まりたいのか? 愛人も多いぞ? その点、オレなら、年も近いし、現状妻も側室もゼロ。出世頭で将来有望、おまけに顔もイイ。老い先短い相手と添って、早々に未亡人になりたくないだろう?」

王様に向かってなんという暴言を吐くんだ、となぜかセリナの方が慌てる。

「だから、そんなことしたら……!」

「言っただろ、現状そんな方法が赦されるのはオレだけだと。」

不敵な笑みを浮かべる相手に、セリナはなんとか冷静さを保って問う。

本当はもう頭を抱えたい。

「なぜ、ルーイにそんな力が?」

「戦将軍と呼ばれるほどの腕を、殊の外お気に召されてな。軍功を挙げるオレを随分引き立ててくれる。軍事大国じゃ、力がモノをいうってことだ。先の手柄の褒章も、まだだし。」

「それだけで?」

「いいや? それだけってわけでもない。」

あっさり首を振る。

「だが、今知っとけばいいのは、窮地の姫君を助けてやれるのはオレだけだって事実だ。」

「……。」

「オレの妻になるなら、当然“ダンヘイト”に引き渡す理由はない。彼らには、自分たちの失態を痛感してもらおう。セリナには、一緒にマルクス鎮圧に従軍してもらうことになるか。」

「マルクス?」

「小競り合いの絶えない北西の国だ。」

「フィルゼノンには……。」

「戻りたいのか?」

「戻りたい。」

「大事な人に会いたい?」

「…っもちろん。」

答えて、セリナはルーイを見上げる。

「みんなのこと心配だし、謝りたいことばかりあるの。戻りたいに決まってるわ。」

「……みんな?」

ルーイは目を瞬く。

「『パトリック』は?」

「もちろん心配よ! ラスティも、どうなったのかわからないし。私の護衛に付いていたばかりに、あんなことに。」

「護衛……ねぇ。」

「何よ。」

「んー? あそこまで怒りを爆発させるくらいだから、てっきり想う相手なのかと思ったんだが。」

「ばっ、変なこと言わないでよ。」

『大事な人』で、一番に名前が挙がらなかったなら、セリナの言葉は事実なんだろうな、とルーイは肩をすくめる。

「あの国に戻る期待はするな。情勢が落ち着けばその機会もあるかもしれないが、今国境を越えることができるとしたら『侵略』する時だけだ。開戦を望まないなら、諦めるしかない。」

「!!」

息をのんだセリナの髪がさらりと流れた。

それを今更のようにルーイは不思議な気分で眺める。

たかが黒、されど稀有な『黒』。

「予定では、サラニナの地で“ダンヘイト”と落ち合うことになっている。それまでにセリナの好きな道を選べ。王と対峙するなら、それもいいだろう。」

「……。」

不安を隠そうともしない瞳で見上げて来るセリナに、ルーイは口を開く。

「この手を取るなら守ってやる。セリナがこの国にいる限り。」

「ほんとに、あなたって何者なの。」

それには答えず、ルーイは笑みを深くする。

「どうして、王に逆らってまで助けてくれようとするの? “ダンヘイト”に仕返ししたいだけじゃないでしょう?」

「言っただろう。」

「?」

「セリナを気に入ったと。」

ふっと笑うルーイの笑顔に、セリナはどきりとした。

けれど、それに騙されたりはしない。

(それが全くのウソだとは言わないけど……。)

これまで、それなりに友好的な扱いをされてきたのは、ある種の興味を持っているからだ。

それを気に入っていると形容するのは偽りではない。

(けれど、それだけで動いたりしない。)

セリナは手を握りしめた。

不意に、持っていたスカーフをルーイが取り上げる。

「あ。」

剣を振るう武骨な手がスカーフを広げ、それをセリナの頭に載せてからふわりと巻きつけた。

慣れた手つきではないが、気遣いを感じる所作だった。

「あぁ、そうだ。行軍に貴人用の馬車はないからな。セリナは、オレの馬に乗るように。」

そう告げて、歩き出そうとするルーイに、セリナは顔を上げる。

「“ダンヘイト”と一緒に行くのは嫌。」

(ルーイにどんな裏があっても、このままアジャートのシナリオ通りに動くわけにはいかない。)

利用される相手がルーイに変わっただけともいえるが、後宮入りの話はぞっとする。

(ルーイが本当のことを言っているかどうかはわからないってことも、ちゃんとわかってるけど。)

「なら、この手を取るか?」

真剣な表情でルーイは右手を差し出した。

その手の平をぱしんと打つ。

「妻にはならない。けど、ルーイの仕返しには協力してあげる。」

セリナの台詞に、ルーイは楽しげに笑った。

「ほぅ、強気だな。だが、誤解するなよ?」

言って口元に笑みを乗せたまま、アメジストの目を細める。

「“ダンヘイト”の手柄を奪うなら、セリナを直接王のところまで連れて行く方が手っ取り早いんだぞ。さらにオレの功績も上がるし?」

「…っ!!」

秒殺でやり込められてセリナは言葉に詰まる。

「そう何度も甘い顔はしてやらんぞ、セリナ。結論はサラニナまで待ってやろうと思ったが、気が変わった。今、答えを聞こうか、どうする?」

再度挙げた右手はルーイの顔の横だ。

(これは、立場を悪化させてしまった気がする。)

余裕の表情で見下ろしてくるルーイの態度が腹立たしい。

だが、ダンヘイトに差し出される事態だけは、回避したいところだ。

「生意気言ってすみませんデシタ。」

棒読みで謝った後、セリナはルーイの腕を掴んだ。

手を取るにはつま先立ちを強いられるため、せめてもの抵抗である。

ははっと声を上げて、ルーイが思わずという感じで吹き出した。

「やはり、いいな。悪くない。」

完全にからかわれていると、セリナはむっとした表情を作る。

途端、思いがけずセリナの腕が引っ張られた。

「!?」

ぐらりとバランスを崩すセリナを、ルーイが空いた手で支える。

「ちょっと!」

密着した状態に慌てて離れようとするが、例によって力では負ける。

「言っておくが、オレは“ごっこ”をする気はないからな。」

「え? な……。」

抱き込まれたまま、真剣な表情のルーイはセリナに顔を寄せた。

(ウソ!)

「っ!」

ダン!と力強い音がして足元が揺れる。

それと同時にルーイの口から「ヴっ」という呻き声が出た。

「お前なぁ……。」

容赦なく足を踏みつけられたルーイは、呆れ顔でセリナを見下ろす。

「最低っ!!」

怒りながらその場を離れるセリナに、苦笑をこぼしつつルーイは声をかけた。


「あまり遠くへ行くなよ。じきに出発だ。」


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