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黒の女神  作者: 紗月
大地の章
100/179

Ⅱ.変革する景色 9

9.



「気分はどうだ?」

「……。」

「あんまりカッカしてると、また倒れるぞ。」

無視するセリナに、ルーイは肩をすくめる。

「つれない態度だな。命の恩人に向かって。」

セリナは、歩み寄って来たルーイを思わず見上げる。

「恩人は、ドクターってことで落ち着いたんじゃ……。」

「んー、直接的には? だが、本質的にはオレだろう。」

未だにこだわるとは大人げない。と、じっとりとした目を向ける。

アメジスト色の瞳は笑っていて、どこまで本気なのかわからない。

「何しに来たのよ。」

顔を背けて口を開く。

「用事がないなら出て行って。」

強めの口調で言い放ち、ベッドの上で半身を起こした状態で扉を指さす。

ここは、セリナが初めにいた部屋だ。

「まぁ、そう言うな。いろいろ、知りたいこともあるんじゃないのか?」

問われて、セリナは再度ルーイを見上げる。

「聞きたいことがあれば、答えるぞ。」

そう言いながら、ルーイが椅子を引き寄せて座る。

「気に入らないのは、“ダンヘイト”を助けたこと? それとも監視を容認したことか?」

連れて来た方法が乱暴なことは、ルーイとて初めからわかっているのだ。

「どちらもオレからすれば当然で、咎め立てされることじゃない。」

「……。」

救援を断る理由にはならないのだ、と正論を告げるルーイに、セリナを説得しようとする様子はない。

だが、セリナとの関係を築くことを諦める気もないらしい。

(こちらにだって理はあるのに。)

目の前の男を非難しても、八つ当たりのようになるだけだ。

視線を下げて、セリナは力を抜く。

(意地を張って無視しても、役には立たない。なら。)

「その、“ダンヘイト”というのが彼らの名前?」

声から棘が消えたのに気づいたらしく、ルーイはおやという顔を見せた。

「そうだけど。それを今頃聞く?」

「今頃って言われても、知る機会なんかなかったもの。」

その言葉にしばらく間を開けてから、ルーイは「あぁ」と頷いた。

ギゼルの自己紹介を、すっぱり聞き逃していたのは目の前の少女だ。

「そうそう、今朝“ダンヘイト”はこの砦を出立したよ。顔を見たくないというのは、実現しそうだな。謝れという望みは叶いそうにないが。」

「この間の人は、いるんでしょう。」

「マルスか? できるだけ君の視界に入らないようにする、とは言っていたようだぞ。」

「それは気遣い?」

むしろ、見えないところから監視されている方が怖いし、嫌がらせだ。

見たくないと言いだしたのはセリナ自身なので、それについての文句は飲み込んで眉をひそめる。

「無理矢理連れて来ておいて、なんの説明もしないくせに。」

「“ダンヘイト”は、王の命令で動く部隊だ。」

「王?」

セリナは表情を曇らせる。

「女神を、王の元まで連れて行くこと。」

「アジャート王が、指示して攫わせた?」

「欲しいのは、“黒の女神”。目的は、限られてるだろう?」

「女神がなんの役に立つと? 他国に潜り込んであんな真似したら、休戦条約だって破られてしまうかもしれないのに。」

言った後で、その内容にすぅと血の気が引く。

(そんなことになったら、本当に“災厄”だ。)

「女神が原因で、開戦なんて……。せっかく穏やかさを取り戻しつつあるのに、そんなの、絶対ダメよ。」

「フィルゼノンに“女神”がいることは、アジャートの脅威。」

「なぜ? 放っておけば、自滅するかもしれないでしょ?」

「おや、それこそ『なぜ』?」

逆に問われて、セリナは言葉に詰まる。

理解が及ばない。

「“黒の女神”が災厄を運ぶ、なんて言ってるのはフィルゼノンだけだ。本来、“黒の女神”は災いの神などではない。ここでも、フィルゼノンでも。」

「……。」

「魔法が精霊の力なら、神の力とはどんなものだろうな。未だに魔法が溢れているあの国に、さらに天の力が与えられるとは不公平だと思わないか?」

「私は神様じゃないし、どんな力も持ってない。」

「そう? でも、フィルゼノンは君を“黒の女神”だと認めている。」

「それは。」

「君の中に、秘められた力がないとは言い切れないだろう?」

ルーイは、セリナに意味ありげな視線を向ける。

同じような言葉をかけて来たのは、巫女姫シャイラだったか。

不意に。セリナは、ポセイライナの神殿に入った時のことを思い出す。

「……そんなもの何もない。」

表情の硬いセリナに、ルーイは上体を逸らして手を広げる。

「まー、差し当たりどちらでもいいんだ、そこはな。」

側に置かれていた水差しに手を伸ばし、ルーイはグラスに注ぐ。

「『魔法大国に降臨せし神の力』。それが意味するものは、祝福か、災いか。」

もう1つのグラスに手をかけて、セリナに視線を向ける。

気づいて、セリナは小さく首を横に振った。

「その存在を認めた上で手元に置いたフィルゼノンの行為は、どういうつもりにしろ、周辺へ圧力を与える。」

「それじゃ……保護しなければ、良かったの?」

「いいや? 認めないのは傲慢に映るし、排斥するのは不遜に過ぎる。どうしたって、非難はされる。アジャートにとっては、願ってもない口実だ。」

「口実って。」

グラスに一度口を付けた後、ルーイは持ったままのそれに目を落とす。

「かつては事情が重なり、フィルゼノンから手を引かざるを得なかった。けれど、相手の提示による休戦条約の締結は、アジャートにとって屈辱でもあったからな。」

条約を反故にする理由があるなら、喜んでそれに飛びつくだろうと。

「必要なのは女神の“力”じゃない。その存在、“名”だよ。」

「……だからね。」

「何?」

「だから。“黒の女神”なんて存在が現れた時点で、“災厄を運ぶ”ことになる。」

その言葉に、ルーイは顔を上げる。

「初めからアジャートにいれば、こうはならなかった?」

「さあ、それこそ神の啓示だとでも言って、わかりやすい理由に仕立てられた……かもしれない。」

「結局、フィルゼノンにとっては煩わしい存在ね。」

「他の国にいたとしても、アジャートとフィルゼノンは君をめぐって均衡を崩すことになる。薄氷の上に敷かれた休戦条約だ。今の状況に不思議な姫君が現れた時点で、そこに石を投げ込む事態は避けようがない。」

「“女神”が、戦の理由になるのね。」

(ならば、やっぱりジオに嫌な役目を頼むことになる。)

グラスをテーブルに戻して、ルーイは腕を組む。

思いつめたような表情のセリナに、ルーイはぽつりと呟く。

「オレは、そうは思わないけどな。」

「……え?」

「そうは思わない。」

しばし考えてからセリナは口を開く。

「理由にはならない、と?」

「“黒の女神”の存在は、“災厄”ではない。」

驚きに目を大きくしたセリナに向かって、再び言葉を紡ぐ。


「“黒の女神”は“災厄”を招かない。」


息をのんだセリナの視線が泳ぐ。

どう受け止めるべきか迷っていることが、相手にも伝わる反応になってしまった。

「……アジャート側から見れば、ということ?」

「そうじゃない。見方の問題だ。」

「?」

だからそう聞いているのに、とセリナは怪訝さを露わにする。

「いずれ、セリナにもわかるよ。」

訳知り顔の男にむっとして、セリナは口を開く。

「でも、“使者”なら“災厄”を招くかも。」

ルーイが小さく笑う。

「賢者の予言?」

「……。」

「肩書が多いのは、羨ましいな。悪くない。」

笑いを含んだままの声で言われて、セリナは目を瞬いた。

(なんで、今なんか小馬鹿にされた?!)

「“名”と言えば、王の御名を知っているか?」

切り替えられた話題に、セリナは反応が遅れる。

「ぎょめい?」

「名前だよ、名前。王様の。」

王の名と言われ、脳裏に浮かんだのはジオの顔。

(ジオラルド=アシオン=レイ=クライスフィル。)

レーニアの咲く丘で、その名を知ったのはつい最近のことなのに、ずいぶん遠くに感じる。

「自分を呼びつけた相手の名くらい、知りたいだろう。」

「…………アジャート王のこと?」

「フィルゼノン王だと思ったのか?」

「べ、別に。」

そんなわけないだろう、という顔でルーイに聞き返され、セリナはまた視線を泳がせる。

「炎帝の名を持つ現国王・ウルリヒーダ=ハイネスブルグ。覚えて役に立つかどうかはわからないけどな。」

(すごい言いよう。自分が仕える王でしょうに。)

「どうして、アジャート王はフィルゼノンに戦いを仕掛けるの?」

問いかけに、ルーイは天井を仰ぐ。

「まぁ、わかりやすいところで、西の豊饒・東の文化、さらには古の遺産といったあの国の富は魅力的だな。けれど、戦いの理由を説明するとしたら、それは簡単じゃない。確かに王は好戦的な面があるが、むやみに戦を仕掛けているわけじゃ……と、どうかしたか?」

不思議そうな顔のセリナに、ルーイは言葉を途中で切る。

「古の遺産?」

首を傾げてセリナは問う。

「ん? あぁ、魔法のことだ。」

「そんな言い方もするのね。この世界では、魔法は当然に存在しているものかと。」

「フィルゼノンが特別だろ。だから『魔法大国』と称される。大魔法使いや賢者と呼ばれる者を輩出した数は圧倒的だぞ。」

「そう、なの?」

「過去には、他国にも多くいたが、ずいぶん人口は減った。そもそも力の源になる精霊がいないからな。」

ポセイライナで見た精霊を思い出して、セリナは首を傾げる。

「いない…のではなくて、人の目に見えなくなっただけじゃ?」

突前現れたあの精霊たちに、珍しがられたのはセリナの方だ。

巫女姫シャイラの祈りに呼応して、光となって現れたその景色をセリナは覚えている。

「自然に感謝する心や、世界を想う者には、今だって精霊はその力を貸している。だから、フィルゼノンでは今も魔法が栄えていて……。」

「なるほど、精霊が認めるだけの人間が減ったと? その理論だと、フィルゼノンには優れた人格者が多いということになるな。魔法が衰退する国の民は、心が貧しいか?」

「そ、そういうつもりじゃ。」

「魔法使いの素質には、心根も必要。それも結構だが、大きいのは血筋だ。」

「血筋……。」

「国の始まり以降、5王時代の隆盛を経て受け継がれる世界樹の神々の力。」

『世界樹』の単語に、セリナの体が思わずぴくりと揺れる。

「フィルゼノンの始王レオンハルトも、その王を支えた女神も飛びぬけた霊力の持ち主で、さらには、重臣たちもそれなりの守護精霊を宿していたという。強い力は、子孫へも影響する。」

「誰でも潜在能力として持っているって。」

「まぁ、5王時代には人と共に精霊が暮らしていて、魔法も日常に溢れていたというし。個人差はあれ、誰しもが魔力は宿しているから、それを潜在能力と呼ぶならそうだろう。」

ルーイは視線を戻して、足を組む。

「だからって、誰でも使えるはずだってのは言い過ぎだ。フィルゼノンに限らずどこでもそうだろう、魔法が使えるのはそういう家系だからだ、と。クラウスもそうだ、あれもずっと王家に仕えてきた魔法一族。」

(王家に?)

「属性は遺伝しないが、魔力の強さは魂に由来する。本人の適性にもよるだろうが、血が薄くなればその力も弱くなる。継承者がいなければ、そこで途絶える。力を使える者が減るのは道理。」

「魔法が、無くなるってこと?」

「すぐにとは言わないが、いずれはな。」

セリナは口を閉ざして、視線を落とした。

(魔力は血筋。なら、私の魔力が皆無なのも納得。)

この世界の誰もが持っている物を持っていないこと。

それは“世界樹の外”の存在だということを、示す事実でもある。

(災厄の使者。)

ルーイの話について、セリナは有効な反論が出て来ない。

ティリアたちからの説明に、なんの疑いも持っていなかったというのに、だ。

(魔法が無くなる。)

立場や育った場所が違えば、考えや感じることは変わる。

この話が、ルーイの見解なのか、アジャートでの捉え方なのか、セリナには判断できないが、今まで考えもしなかったことだ。

(けれど、いずれ無くなると言いながら、アジャートは魔法を求めている。)

「それでも、魔法の力は魅力的なのよね?」

「まあな。この国にも城や王都には相当数いるが、それでもクラウスレベルの魔法使いは、貴重な存在だ。」

「彼は、優秀な魔法使いだったの?」

「らしいぞ。それなりに、重用されていた一族だったそうだが。」

「なのに、なぜ。」

「……その理由が知りたいなら、本人に尋ねてみろ。」

ルーイは笑っていたが、それ以上答える気はないらしく、口を閉じた。

これまで全く縁がなかったセリナでも気づかないほどに、フィルゼノンは魔法が日常に浸透していた。

ここはそういう世界なのだと、驚きながらも受け入れたのは、その日常がセリナの『常識』を軽く超えていたからだ。

手の出しようがない類の話と、割り切れたから。

(異世界だから、そういうものなのか、と。もし私が初めからフィルゼノンの外にいたなら、もっと魔法に疑問を持っていたのかな。)

魔法は、身近なモノでは決してなかった。

足元が崩れるような感覚。

ここに来てから耳にする内容が、それまで見てきたものに亀裂を入れる。

そのひび割れから落ちる欠片を留める術もなく、セリナは変わる景色に困惑を深くする。


「それにしても。」


と、告げたルーイが、ため息をつく。

「こう言っちゃなんだが、見事にフィルゼノンに傾倒してんな。」

「……は?」

「それとも洗脳か? 世界を越えて来た無垢な姫君ならば、初めに見聞きした情報が全てになるというのはわからなくもないが。」

「変な言い方しないでよ。別に、洗脳なんかされてないわ!」

「自分の存在は“悪”。アジャートは“敵”。そう考えるのは、自分の意思によるものだと?」

「っ!?」

「たかだか数ヶ月。住んでいた国が、セリナの“世界”か。」

言葉に詰まって、セリナは唇をかんだ。

「かの王は、“災い”すら巧みに操るらしいな。」

「な!」

「助けられたか? 優しくされたか? 君に救いを与えてくれたか?」

投げられる言葉に、否応なくジオの姿が浮かぶ。

「忠誠か思慕か…うまく相手を懐柔できれば、なるほど上出来だ。」

「いい加減にして! なんなの!!」

思わずセリナは声を荒げる。

「彼は、そんな人じゃない。」

「本当に?」

「厳しいけど、優しい人だもの。操るとか、策略とか、そんなの違う!」

「それは真実?」

「ルーイが、何を知ってるっていうのよ。」

「確かにな。セリナに対して、あの王がどんなだったかオレは知らない。」

ルーイは組んでいた足を解く。

「セリナがその目で見て、判断したのならそうなんだろう。」

「……。」

椅子から立ち上がったルーイが、セリナを見下ろして苦笑いを浮かべた。

「なんで、セリナの方が、納得してないって顔なんだよ。」

仕掛けてきた割に、一方的に了解して、あっさり議論を引き上げたルーイとのやり取りに、消化不良を起こすのは当然だ。

(人のこと、好き勝手かき乱しといて。)

「知らない!」

怒り込みの返事を投げれば、何が嬉しいのかルーイは、はは。とこの場に不釣り合いに笑い声をもらした。

(くっ、なんか腹立つ!!)


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