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黒の女神  作者: 紗月
空の章
10/179

Ⅱ.世界の名 9

9.



(うぅ……。)

なんとか唸り声を押さえて、セリナはソファに身を沈めた。

「お疲れのようですわね。」

その様子を見てティリアが苦笑を浮かべる。

「マーラドルフ先生は厳しかったでしょう?」

問われたもののセリナは返事に窮する。どう答えるべきだろうと、余計な考えを巡らせる。マーラドルフとは礼儀作法の先生である。40代半ばの女性で、きっちり頭の上で結った赤茶の髪が印象的だ。

「熱心な方だから、呼びに行って正解でしたね。」

「はい。」

「お茶と甘いお菓子でも用意しますわ。」

疲れに沈むセリナを見かねて、ティリアはそう告げた。

お茶の用意を始めたティリアの背に向かってセリナが問う。

「どうしてですか?」

「はい?」

質問自体は聞き取ったものの、意図がわからずティリアは首を傾げる。

セリナは逡巡したように口を開閉させる。聞きたいことはたくさんあるのだが、まずは無難な質問を選び再度尋ねた。

「どうして礼儀作法の勉強なんてさせるんですか?」

驚いたように目を開いてから、ティリアは小さく笑んで答えた。

「ここで生活するのに困らないだけの知識を教えるように、と。そう言いつかっています。」

誰から、と聞きそうになってポンとクルスの顔が浮かぶ。

(うーん。)

返す言葉に詰まっているうちにティリアは用意に戻った。

ティリアの読み書き指導のほか、礼儀作法の先生がついて早数日。

姿勢や歩き方の基本から挨拶やお辞儀の仕方。それは立ち居振舞いの美しさのためだと、この際目を瞑るつもりだった。

身につくかどうかは別にしても、知っていて損をすることではない。

(特に。こんなふうに王城にいる間は、必須の知識ではあるよね。)

王制の敷かれたこの国では、いわゆる『階級制度』が存在する。

そして階級ごとに異なる対応をする必要があるという。

(相手を見るってのが、そもそも礼儀から外れてる気がするけどさ。)

けれど、それはこの国以外から来た者の考えでしかない。

(王だの貴族だのに失礼な態度をとるわけにいかないのは、私でもわかるし。そもそも相手の身分に関係なく、知らずに常識外れな行動をしないためでもあるし。)

ジェスチャー1つでも、文化によって意味が変わってしまうという話はセリナも知っている。

マーラドルフがテーブルマナーについてレクチャーを始めた時も、黙って聞いていた。

(“晩餐会”とか私には関係ない気がするけど。)

災いの存在を好んで食事に招待するなんて酔狂だ。ちなみに、目が覚めてから今まで食事は部屋でとっている。

「どうぞ。」

ほわほわと湯気の上がるカップとケーキの皿が置かれる。

(いったいどこからケーキが出てきたの。)

お皿の上には、白いクリームの上に赤いイチゴが飾られたタルトケーキ。


この世界で暮らし始めて、徐々に『魔法大国』の意味を理解してきた。

セリナにとっては『何もない空間』から、今みたいにケーキが出てきたりするのだ。

ティリアによれば、きちんと規則と法則と条件があるらしいが。話で聞いた防壁以外に、特に何も見聞きしなかったため魔法の定義が違うのかと思っていたのだが大間違いだった。

そもそも初っ端の治療から治癒魔法の世話になっていたのである。

(私が知らなかっただけで。)

電気だと思っていた部屋の灯りも、こちらでは“光灯”と呼ぶ光魔法の産物だという。電気じゃないのかと聞いたら、しばしの問答の後で雷属性の魔法ですかと返された。

ちなみに、説明したが原理を尋ねられ白旗を揚げた。

(スイッチはあるけど、コンセントはないもんねぇ。そのスイッチも、魔法発動のための紋章の代わりとかいうし。)

なまじ知っている物に似ているから、勘違いを起こすのだ。

(不可思議……そして紛らわしい。)

魔法を使うには素質が必要で、誰でも簡単にできるわけではないし、自由に使えるのは一握りの上級者だけであるという。それを魔力の少ない者でも使えるようにして、広く一般に普及した“光灯”は大発明らしい。

(魔石だの魔力の凝縮だの説明してくれたけどイマイチわかんなかったな。)

浴場の湯を沸かすことも食べ物を保冷することも魔法の力である。

遠く離れた場所への伝令や物資のやりとり、さらには空を飛ぶとか空間移動とか。そういったことも可能らしい。

(わかったのは科学技術の代わりに魔法技術が発達してるんだってこと。電気、ガス、電波とか、そういったものが魔法でできるってことよね。)

理論を言うなら、科学技術についても理解困難なので今のセリナにとっては魔法と大差ない。

(空間移動とか、一瞬で物を遠くに送るとかはすごいよね。一般的に移動はまだ馬とか馬車とかみたいだけど。)

上級・中級魔法使いは、国の魔法省や研究所、魔法騎士団、蒼の塔などの関係者に多い。

中に呪文詠唱や紋章を必要とせず、属性に縛られない魔法使いがおり、さらにその中の優秀な一部の者を“賢者”と呼ぶ。

下級魔法使いは町や村で薬師や占い師として生活しているものが多い。

(根本的なところはどこでも同じようなモノ。)

ちなみに、クルスは高位の魔法使いで、魔法省の特別顧問という地位についている大物だという。さらにジェイク=ギルバートという宰相と並んで、首席補佐官を務める王の片腕的存在でもある。

(まだ若いのに。でも魔法壁を張った術者の1人、と言われても、こう……あぁすごいんだろうなーっていう感じで自分でも理解してるんだかなんだか。)


「どうかしました?」

ケーキを眺めたまま黙り込んでいるセリナに、ティリアが怪訝そうに声をかけた。

はっと顔を上げ、セリナはソファに沈んでいた体を浮かせた。

「いえ、ちょっと魔法の不思議を考えていたもので。いただきます。」

『食べる』と『晩餐会』の思考回路が繋がって、再びセリナの脳内にテーブルマナーの話が戻ってくる。

向かいに座ったティリアに視線を合わせ、口を開いた。

「あいさつやマナーは、確かに必要かもしれないけれど。ダンスのステップは、いったいなんの役に立ちますか?」

「……ここで暮らすには必要なものですわ!」

ほんの僅かな間の後、必要以上に力強く返された言葉は、胡散臭さかった。

今日ここまで疲れを感じるのは、勉強内容がソレだったからである。

他の作法と違い馴染みがないぶん難易度が高い。しかも、今回のマーラドルフ先生は恐ろしく厳しかったのだ。

「必要でしょうか?」

「マーラドルフ先生は見込みのある生徒には熱心なのです。」

帰って来たのは誉め言葉だが、答えではない。

つまり彼女も必要ないことを遠回しに認めているのだ。

ティリアがフォローするように言葉を続ける。

「教養としては必須なのですよ。」

誰にとってなのか、対象を言わないのは優しさか、ズルさか。

結局のところ。自分には必須でも必要でもないということを推察して、セリナは力無く笑う。

持ち上げたフォークを皿に戻して居住まいを正した。

「あの。」

つられるようにティリアも背筋を伸ばし、セリナを見る。

「どうして、私なんかに勉強を教えてくれるんですか。私は、迷惑な存在じゃないんですか?」

「まぁ! セリナ様!」

心外と言わんばかりに、ティリアは声を上げる。

「これまでどなたからどのような話を聞いてきたのか知りませんが、迷惑などととんでもない。」

「でも。」

「迷惑ならば保護したりしません。ましてや生活に必要なモノを、ここまで親身に取り揃えることなどするはずがない。」

納得できない顔のセリナに、ティリアはひとつ息をつく。

「セリナ様は“賓客”として認められているのですよ。それを迷惑とは不敬の極み。手助けできることがあるのに、世界に放り出された頼るべきモノもない少女を放っておくことの方がどうかしていると、そうわたくしは思います。」

礼を告げようとしたが、音にはならずにセリナは口を閉じた。

「それから、『私なんか』という物言いはおやめなさい。」

思わずティリアを見ると、力なく首を振っていた。

「自らを貶めるような。あなたは自分を過小評価しすぎですわ。」

「そんなことは……。」

「あります。」

きっぱりと言い切られ、セリナは再び口を噤む。

「えぇ、断言しますとも。セリナ様はとてもお優しい、聡明な方。」

それは言い過ぎ、と突っ込むが軽く流される。

「もっと自信を持ってかまわないのです。ここにいていいのです。堂々と胸を張ってなさい。それから、もっとわがままを言っても許されますわ。」

「!」

ティリアの言葉に胸を突かれた。


願いは隠して暮らしていた。

本当の自分の気持ちは押し殺して生きていた。

どこまでも理想的で親切な彼らに、すり切れるほどの気を遣って。申し分なく優しい家族に憧れ、溢れるほどの羨望と嫉妬を抱いて、自分の醜い心に自己嫌悪する。

他人でしかない自分は、迷惑をかけていると、そう理解してそこに居た。

(自信なんてとうに無くした。わがままなんて言えるわけがなかった。)

どんなに妬んでも、そこから離れることはできなかった。

なんて卑怯なのだろうと、蔑む自分自身。


―――私は、私であっていいのだろうか。


あの頃のセリナをティリアは知らない。

(でももし。そうであっても、受け入れてもらえるならどんなに……。)

「ありがとうございます。」

泣き笑いの表情で、それでも今度はきちんと音が紡がれた。

「いいえ。お礼なら、国王陛下に。」

ふんわりと笑顔を浮かべたティリアの言葉。

頷きかけて、セリナは固まった。

「…………はい?」

引きつった笑顔で首を傾げると、不思議そうに見返された。

(なぜ、今までの流れでその名前が?)

どこを取ればその発言に行き着くのだろう。

「なんで、ですか?」

思わず出た呟きは、恐ろしいほど失礼な言葉だった。

無意識に身を引いてしまったセリナに、戸惑いつつティリアが答えを返す。

「なぜって、すべての采配を振るっているのは王なのですよ? 勿論、実際に動いているの周囲の人間ですが、どうするのかという決定権を持ってるのは1人ですもの。今、ここで保護を受けているのは陛下の意思と尽力無くしてはありえません。」

言われてみれば、確かにその通りである。

(でも。)

「怪我をしていたセリナ様の治療を命じたのも、部屋を用意したのも、ここで暮らせるよう読み書きやこの世界の知識を教えるよう指示したのも、すべてジオラルド様です。」

(ジオラルド。)

言われて、そして気づく。彼の名前を今初めて認知したという事実に。

「クルセイトさんではなかったんですね。」

セリナの呟きにティリアは苦笑する。

「事務レベルでは動いていますよ。わたくしを教師役に推薦したのも彼ですが……それも、陛下のお考えの下でのことです。」

(保護するのが王の意思? そんなはずない。)

「何が目的なんですか。あの人が一番、私を嫌いなはずだもの。」

強い口調で言い切る。

(ぅわ……嫌いって、子供じゃあるまいしっ。)

言い切った後で『嫌い』という言葉がずいぶん安っぽい表現に聞こえ、関係を形容するにはずいぶん不似合いな気がした。

驚きの表情を隠せないままティリアは、顔を背けたセリナに対して口を開いた。

「何があったのかは存じませんが、それは思い過ごしだと思いますわ。」

「違う、だって……。」

殺そうとしたもの。そう続けようとした言葉が、のどに引っかかる。

「とても心の優しい方なのです。」

静かな声が、逸らしていた視線を上げさせた。

「放っておくことなどできなかったのですよ。」

ソファから立ったティリアがセリナの横に跪く。

「予言のことを言っているのでしたら、あまり気にしないことです。信じているのではなく、利用したに過ぎません。」

セリナの手を取り、真摯な顔で告げた。

「あのような予言を使わなければ、セリナ様を城で保護することは難しかったのです。」

どういうことか尋ねようとして気づいてしまった。

素性のわからない者を保護するのに、策を弄さねばならなかったのだという事実に。

言い換えれば。画策してまで、ここで保護してくれたということだ。

(“災いを運ぶ者”を利用した? ここで暮らせるようにするために?)

首にかけられた両の手。

今見据えてくるティリアの澄んだ瞳。

どこにも嘘があるようには思えない。

(本当のところは、どこにあるんだろう。)

セリナは困惑を深める。その後、流し込んだぬるい紅茶の味はわからなかった。


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