記憶というすり替え作業
喫茶店に出た後に、俺の電話がうるさくなりだした。表示されている文字を見てうんざりした。出ざる負えないのだとも思えなかった。
「もしもし。」
明らかにぶっきらぼうな言い方をしているのはわかっている。何年もあっていないのに今更感がぬぐえないのだ。
「親に対しての態度がなってないぞ。刹那。」
「勝手なことを言うなよ。で、なんだ?用事がないのなら切るぞ。」
「次の休みの日はかえって来い。重要な話なんだからな。」
早口で言うだけ言って切ってしまった。しまったというよりはそのほうがよかった。早とちりで説明をしないをせずに決めていく姿を幾度となく見ている。幼いころからその行動が許せなかったのかもしれない。勝手に納得しているようにも思えるが、うなずいてみて困るだけなのだ。数多にも同じような連絡をしているのだろう。伊丹が死んで事件が解決するようにないから早めに跡継ぎを探っているのかもしれない。ぼおっとしているとさっきと同じ音が鳴っている。
「もしもし。」
「兄貴、親父から連絡来たか?」
「あぁ、来たよ。いうことだけ言って切って終わりだ。どうかしたか?」
先ほどの声色よりも優しくなっているのは自分で理解してしまっているのである。数多も連絡が来たのを報告をしているのである。
「次の休みとか言っていたけど、近いうちの休みって何時なんだ?」
「明日だ。会社の事件でな、休みにすり替わったんだよ。」
「俺はさ、バイトがあっていけそうにないや。だから、改めて話し合おうよ。」
数多も忙しいであろうに電話をかけてくるのは律儀であると思ってしまう。俺に似たのだろうか。何も教えていないのに・・・。
「そうだな。帰ったらなんて疲れているからさ。休みの日でも話すか。」
「そうするよ。兄貴、有難うね。」
弾んだ声を耳に澄ますのかと思ったのだ。自分で勝手に進めているのだろう。切った電話の重さがさっきと明らかに違っていた。眺めていた空も色が変わったように見えた。都合のいいように解釈をしているのかもしれない。風の動きも空の色も雲の色も判断することができるのだろうからと。ビルの森に埋もれているのは人並みを基準に生きすぎてしまったのだろうから。とぼとぼと足を進めるだけでも価値があるのだと思い、履きつぶしたスニーカーが行く道を選んでくれているようにも思えてならなかった。すがすがしいほどに正直であるほうがバカを見たとしても気分がいい。だましたという記憶がないからだ。




