疑問に尽きる
俺の中は決まっていた。あとは阿久津の気持ち次第だと思うのだ。階段側はざわざわしていてわかっている。簡単に開けられないことも警察側の意図もわかっている。警察も検察も自分たちのためのメンツのためで人が死んでも隠すほどの落ち度のある組織なのだ。根が腐りきっているのだ。人殺しを見つめるだけで消さないのだ。それで犠牲になったとしても関係ないと決めるのだ。落ち度の塊なのに、税金で生きているのに、一般人には厳しいくせして身内に甘かったら元も子もない。本末転倒って言葉を知っているのか?飲まれてしまうのだ。だから、OBも悪事を働くのだと思った。過ちを繰り返して冤罪を生んでも、証拠をなくしても情のかけらもないのだ。此処まで来たら質の悪さがにじみ出てくるのだ。偉そうに立っている割に何もない。令状がないと入れないのと同じなのだ。同じことを繰り返さないようにするのなら真摯に受け止める力のない組織は同じことをすぐに繰り返す。裁判を起こしても悪くないと言い切ってしまう。それじゃあその人の人生をお前らで返してみろと言いたくなる。生きていればまだましだが、死んだときはいったいお前らは責任をはき違えてするに決まっている。謝るだけが全てじゃない。それ以外にもないか思案する能力もない。組織の駒として切られて終わるに過ぎない。ちっぽけな屑と化すのだ。お笑い種だとしか言えない。正義感を振りかざしている悪人だろう。仮面は豪華な癖に何も守れていない。自分の都合だけならそこら中の政治家や官僚と価値は・・・。過ちを認めてずっと謝罪をするべきなのだ。遺族から認められようが認められまいがやるものなのだ。それもなければただの作業をしている。流れ作業なのか。人の命というものは?
俺はくだらないことを思った。くだらないでは済まない部分にあふれている。人に干渉しなくなったが故に子供が大人に殺され、事件を喧嘩を称して警察が人殺しを促したのだろうか。すぐにできることを怠った全てのつけの責任から逃れることばかりを優先してしまっている。政治家は統計を圧力で変えるのだ。ろくな大人はニュースに映るのは少ない。大人は手本などと子供に対して大きなことを言っていても何も感じないのだ。何処が手本なのか?子供に殴れといって殴ったら殴っていないと詭弁を言う教師のことか?詭弁ばかり言ってまかり通ればいいのか?損得では済まないものにあふれているのだ。そちらに目が行かぬのは狭い範囲でしか見れない知恵を大人でもらうのか?




