犠牲と判断
拳銃の向きを見たとき、何処にも怯える要素などなかった。俺にはかすかな望みなどない。御曹司として生きてきたこともなかった。親父やおふくろからはいらないと言い切られたときにほっとしていたのかもしれない。大きな屋敷で養ってもらったという記憶もなかった。金に目ざとい奴らだと思っていた。親父は社長をしていながらも恩恵を使った手腕であって、何も得られていないのだ。過去の特産物を使い切っているだけなのだ。それを利用して開拓をした。新たな事業を始める度に幹部からはキチンと見立ててからやってくれなど言われていた。その幹部は何処かに飛ばされるかやめて行った。俺と親しくしていた幹部がいた。その人は黄劉会から一度いなくなり、それから久世グループへと入って来たある意味珍しいタイプの幹部だった。その人は良く言っていた。
「刹那、俺はな、暴力団という異質なところにいたからわかるんだが、だますのはいいことじゃない。嘘も他人を守るために仕え。心苦しいときも来るかもしれない。自分の歩いてきた道を誇れるようになれ。」
その人は俺を呼び捨てにしていた。自分の歩いてきた道を誇れるようになれといわれたときは幼かった。だが、今になって思うのは誇れているかだ。その幹部の人は屋敷に顔出さなくなった。夏目に聞いたら親父が始末したといっていたのを聞いたと。彼は殺される覚悟で言っていたのだとわかった。暴力団という場にいた記憶は消せないのならば、戻って久世グループを変えるほうを選んだのだ。彼は暴力団への道は戻らないといつも言っていたらしい。
「あいつに大きなことを言っておきながら俺がまともじゃないと困るだろう。正義だけでは戦えないのは知っているからある程度の常識は持たせていないとな。世間に出たとき、井の中の蛙で困るだろうから。1人でもいい。普通の奴がいたってかまわないだろ。」
周りに口癖のように言っていたのだ。彼には子供がいた。幼い子供が2人。子供が人質に取られて殺された過去があったのだと死んだあとに伝えてきた。次男のほうに俺が似ていたのだ。やんちゃをするわけでもなく、のびのび生きているとも思えなくて、息苦しく生きているように見えた。その時、次男も殺されたと知った時、心の何処かでよかったと思ったらしい。でも消せない傷にもなっていた。孤独を知ったからこそ強かったのではないかと。自分の所為で犠牲になるのは懲りたといって暴力団をやめたのだ。やめて地道に生きた。奥さんは病気で亡くなったので、戻って生きたのだ。天罰を受けたと思って・・・。




