ノリで了承しちゃいけないことも確かにあった。
神絵師といえど、許されないことはある。自分が言いたいのはそれだけである。
「いっやー、マジやばい…マジ、羊助さん神ですわ…やばい…美人…生きてる…超生きてる…うちの子生きてる…神…」
『いやあ、それほどでも…』
わざわざ音声チャット繋いでおいて語彙力が死んでるが、仕方ないのである。何故なら神絵師がうちの子を描いてくれたから!うちの子を気に入ったからって、わざわざデザインを起こして一枚絵を描いてくだすったから!!長編主人公とかじゃなくて短編二三本書いただけの子でもうちの子はうちの子で自分の世界の中に生きてるので五体投地ものである。何より自分の画力では表現できない美人さが絵にされててマジ神に感謝するしかない。
「こんなん描いてもらったらエディドヤの話増やすしかないっスわ…ネタひねり出すとこからやんなきゃなんねーっすけど」
『そう?あ、イラスト用にデザインラフも描いてみたんですけど』
「マジっすか」
見せてもらったラフも素晴らしかった。マジ神。うちの子神に愛されてる…嫁に出すかのような気分だ…。
「羊助さんマジ神…」
『烏屋さんさっきから語彙力死んでますよw…あ、ネタなんですけど、エデちゃんが俺のせかいに訪問者として訪れるってのはどうです?』
「神からのリクエストとあらば平伏して受け取るしかない…精一杯紡がせてもらいます。一回羊助さんの作品確認したりしないとっすけど」
『え、マジ?言ってみるもんだなぁ。じゃあ、お願いしますね、烏屋さん』
「おうともさ!」
思わず拳を突き上げたのが、最後の記憶である。
回想終わり。
そして今自分は、神絵師にリデザインされたうちの子の姿で異世界に訪れているわけである。誰が自分でうちの子を演じるって言ったよ…。
そもそも自分はあまり一人称視点で話を書かないタイプの物書きである。基本は、三人称。長編やシリーズものは大体三人称で書いたはずだ。ただ、短編は一人称でも書いている。
エディドヤはそんな一人称短編の主人公の一人になる。古からの神の血を引く王族の御落胤で、神からの啓示を受けて王に担ぎ上げられそうになるが、死んだふりをして一介の術師に戻り、のんびり暮らしている子である。まあ、よくある設定だ。本業は羊飼いで、精霊術師を兼業している。
今回、羊はオプションとしてついてこなかったが。まあ、装備や衣装は羊飼いに術師要素を足した感じである。鐘の付いた鈍器になりそうな杖もある。
「…しっかし、流石神絵師のモデリング…水鏡でも美人ですわ…」
川の流れに自分の姿を映してうっとりしてたら傍目にはナルシストだが。さて。ここでエディドヤの他者視点での外見描写を抜粋してみよう。
それは男装の少女にも、可愛らしい顔立ちの少年にも見える中性的な人間である。日々羊たちと歩き回ったことで付いたしなやかな筋肉が全身を覆っており、華奢な印象はないが、男らしく筋肉質というほどではない。気品のある面立ちは整いすぎて人形のようでもあるが、羊たちに優しく話しかける時の微笑は天使もかくやという愛らしさに満ちている。日の光を浴びてキラキラと輝く銀髪は元気いっぱいにあちこち跳ねているが、なんとか一つの三つ編みにまとめられ肩口から前に流されている。切れ長の瞳は琥珀色をしており、長い睫毛に縁どられている。紅を引かずとも唇は薄紅に彩られており、頬も健康的に赤みがさしている。日に焼けて淡く色づいた肌にはところどころ魔術紋が描かれており、これはある少数民族の、子供の健やかな成長を願った呪いと似ている。身に付けている衣装は羊飼いのそれだと思われるが、かなりの軽装である。そのシンプルさ故に少年の美しさが際立っているとも言えるが、逆にみすぼらしくもある。しかし、その中で左手にはめられた指輪と、両耳を飾る金と赤石のピアスが目立っていた。
確か、エディドヤが初めて街を訪れた場面での描写である。作中で何回か着替えているので、自分の現在の服装とは若干異なるが、概ねそんな感じだ。神絵師のデザインしたのは、悠々自適の羊飼いライフに戻った後のものと思われる。
何度でも言おう。元々美人という設定のうちの子だが、神絵師の神モデリングにより芸術作品の如き美しさになっている。一人称視点ではじっくり見るには不便なのが残念だ。ぜひ三人称でじっくり眺めまわしたかった。眺めるなら神視点だよ、やっぱり。
「美人は何しても美人だからずるいよね…いや、美人じゃなくなった美人とかそんな見たくないけど」
しかしまあ…どうしたものか。エディドヤは優れた術師という設定なので、自分も何かしら使えるかもしれないが、うまくいく保証はない。というかそもそも異世界に突然放り出されても何していいものやら困る。特に目的が提示されてるわけでもないし。というか、元の世界の自分は今どういう状態になっているんだ。…死んでないよな?邯鄲の夢コースもそれはそれでキツイ気はするが。