ⅳ. 町と森とじゃ事情が違う
―――パーン!パーン!パーン!
銃声ではない。
乾いた空砲の音がこだましている。
空砲を打つ際に出た煙が西風に乗って伸びている。
藁の積み上げられた押し車にふかっと座った子供達がその雲のような煙を眺めていた。
「ほうら、あんたたち。そんなとこに座っていると藁の神様がお仕事ができないじゃないか。降りてあっちへ、みんなのいるとこにお行き。」
恰幅の良い奥さんがほらほら、と声をかけながら子供達を仕事場から追いやった。
子供達が広場に楽しそうに走り去っていくのを見送ると、持っていたほうきとちりとりを休めて、その奥さんは大きくはない作業場らしき場所から出てきた一人の青年に声をかけた。
「いやあ、今日は天気も良くていい祝い日になったねえ。広場の方ももう賑わい始めているよ。どうだい、アッサム。仕事の方はもう終えたかい?」
奥さんにそう話しかけられ呼びかけられたアッサムという男は作業用にはめていた革の手袋を脱ぎながら答えた。
「ああ。そうだね。ミイカさん。今日はもうこの辺にするよ。俺もそろそろ広場の方へ顔を出さなきゃ。車輪のエッジをかけ終わってこの木屑の山を片付けたら着替えるよ。」
アッサムの隣には仕上げ終わったばかりの大きな車輪が作業場の壁に立て掛けられている。
アッサムは話を続けた。
「今度のはもしかして王室の方に行くかもしれないんだ。だから気を引き締めないと。なんてったってあのエラ様が、乗られるかもしれないんだからさ!この馬車は。」
エラ、とはここより西に行った都街を通ってさらに西にそびえ立つ水色の屋根の大きなお城に住む王室のお姫様だ。
アッサムという青年はどうやら馬車や荷車を作る車大工のようで、エラのいる王室ご用達の馬車に携わる車大工を目指してるようなのだ。
「あんた、軌道に乗ってきたようだから安心したよ。大工の仕事を始めたはいいけどアッサム。その当時はサボってばかりですっかり趣味の猟に没頭してしまって、言い聞かせるのに苦労したもんだよ。」
ミイカさん、と呼ばれたその奥さんは、アッサムが軌道にのるまでの道程を振り返りやれやれ、良かった…というように語らった。
そんなミイカの苦笑いをアッサムも苦笑いで少し照れながら笑い返し語らいを広げた。
「猟か。近頃はオオカミもめっきり減ったから森に出てもなんの収穫もないよ。出会うのはクマばかりさ。クマは俺の範囲じゃないから興味が湧かないよ。オオカミでなきゃ。ああ。また猟に出たくなってきたぞ、ミイカさんのせいだ!」
と言うとミイカもその言い草に、なんだい!と突っぱねると同時に二人は笑った。
―――森はそろそろ深いところに入ってきた。
子ヤギはブルブルと震えが止まらず、赤ずきんの腕をがっしりと掴み付かず離れず歩いた。
赤ずきんは前をまっすぐ見据えて歩いていたが、子ヤギが怯えていたのをわかっていたので子ヤギに歩幅を合わせていた。
「ねえ?子ヤギさん。すぐにオオカミは見つかると思うの。私勘が良くてね、すぐ近くにいる、そんな気がするわ。」
赤ずきんがすぐ近くに狼がいる、というと
子ヤギはえ!っと驚いて更に赤ずきんにギュッとしがみついた。
それはそうだろう、目の前で兄弟たちが丸呑みにされている光景を目の当たりにしたのだから。
そこはかとない恐怖であろう。
「でも大丈夫よ、私狼のことはわかっているし、とにかく大丈夫なの。」
赤ずきんがなぜ絶対と言わんばかりに大丈夫だって言うんだろう…?と疑問に感じた子ヤギだったが森の奥からゴウ、と噴き出してくる風に目をつぶり恐れおののいてその疑問は吹き飛んでしまった。
赤ずきんはオオカミが近くにいると言ったが、それは事実、嘘ではなかった。
辺りは立派な木々がそびえ立つ緑で取り囲まれていた。
緑の中の木と木の間は感覚が少しずつ空いており、密集感はなかった。
森、というより林という方が本来正確なのだろうが、緑の葉が多く厚く蓋をして形成され、所々日が差すだけで全体的に辺りは暗かったのでそこは森というものであろう。
その暗い森にある木と木の間に少し前から、大きく動き移動し、つけ回ってくるものがあった。
大きなシルエットの眼光はギラギラともう少なくなってきた木洩れ日のかけらに照らされて近づいてきた森の奥の中で怪しく光っている。
赤ずきん達が一歩二歩進むと、そのシルエットもまた、一歩二歩同じように付け回して行った。
大きな木漏れ日に差し掛かった時、その姿は全体を照らされた。
そこにはグヘへと不気味に笑うあの茶色毛の大きなオオカミがいた。
オオカミが美味しそうだ、と言っていたあの赤ずきんを目の前にしてジュルッと舌舐めずりをして。
おやおや。今日もやっぱり赤ずきんは美味しそうじゃないか。グヘヘへへ。それに子ヤギ!あいつは貧弱で太っていないから食べ応えがなさそうだが、いいおまけだぞ。今日はなんてついてるんだ!子ヤギ六匹に、人間一人、そして子ヤギがまた一匹!
浮かれ上がったオオカミはとても小さな声で子ヤギ六匹、人間一人、そして子ヤギがまた一匹!と、歌い、小躍りしながら赤ずきん達の後を追っていた。
「だいぶ暗い道のりになってきたわ、
子ヤギさん大丈夫かしら?でももうすぐおばあさんが住む家につくわからね。もう少しの辛抱よ。」
赤ずきんは子ヤギを気遣い、ギュッと抱きしめながら歩き続けた。
「そ、そ、そ、そうだね!も、も、もうすぐ、だね、おばあさんの家はいったこと、ないや!こんな奥まった森の にくるのも、は、は、初めて、だよ!」
と、怖い思いを押し殺して赤ずきんに笑顔を見せ、勇気を振り絞って一歩また一歩と歩き続けた。
「茶色毛のオオカミに丸呑みにされた、あなたのお兄さんや、お姉さん達を助けなければ。」
その赤ずきんの言葉に、後ろでガハハ、クフフ、と笑いながら楽しそうに付いて回っていた狼の足が一瞬、止まった。
…子ヤギの兄弟達が…なんだって?オオカミが丸呑みだって?茶色毛の…って、おいらのことじゃないか!ここいらでオオカミといったら一匹オオカミのこのおいらぐらいだ。それに子ヤギを丸呑み…それも今日やった、朝飯にな。
足を止めていたオオカミは少し考えていたが、すぐに口角を不気味に上げニヤッとした。
ほーう。なるほど、子ヤギはまだいたのか。生き残りだな?あの家にまだ残っていたとは。うまく隠れたな、あのチビめ。俺様の目を欺くとはいい度胸じゃあないか。よし…グヘヘ。思い知らせてやる。そうだ、あいつらを食う前に少し脅かしてやろう!
と、今度は今まで浮かれて小躍りしながらの尾行をやめ、赤ずきん達を見据え、しっかりと鋭い爪のあるその大きな足で落ちた葉っぱの地面の上をサク、サク、と踏んでしばらく後をつけ、その直後に一瞬で四つ足姿になりサッとその場から走り去ってしまった。