x. 三人が支配した原っぱ
――バサバサバサッ!!
「めえええぇぇぇぇ!!」
赤ずきんは子ヤギの大きな喚き声にクスクスと笑っていた。
「大丈夫、ただのコウモリよ。この辺りは暗がりだから少し多いかもしれないわね。でも大丈夫。私たちを襲ったりはしないわ。」
「めぇぇぇぇ…」
赤ずきんの優しいなだめにも通用しなく、子ヤギはもう怖くてたまらないという風に、赤ずきんにしっかりしがみついて時折物音がしては目を閉じて震えていた。
「ねえ。やっぱりおばあさんの家に行って正解よ。私のおばあさんはね、オオカミには詳しいのよ。
だから、おばあさんに頼れば居所がわかるわ。もうすぐ着くからね。」
もうすぐ着く、という言葉に子ヤギは表情が明るくなり、少し早歩きになったように見えた。
そんな様子を見て赤ずきんは今度はウフフッと口に手を当てて可愛く笑った。
「あら、子ヤギさんに追い越されちゃったわ。私も早く歩かないと。」
二人はさっきよりも一層に早歩きで目的地のお婆さんの家に向かった。
―「ねえ、ねえって。子ヤギさんってば。」
子ヤギの腕をつかもうとしてもスタスタ早歩きでどうも掴めない。
それに子ヤギの腕はとても細いのだ。
なので掴もうとするとスカッと抜けてまた後ろ姿が離れていくといった繰り返しが続いていた。
子ヤギはお婆さんの家が間近ということもあって俄然やる気になっていた。
「ねえ、そっちは少し危ないの、とても近道だけどあまり気がすすまないの。」
心配する赤ずきんの声をよそに子ヤギは振り返ってこう言った。
「大丈夫だよ!近道で行こうよ!こんなとこに長くいるより、うんと近道して早く、オオカミに詳しいおばあさんのとこに行った方がいいと思わない?赤ずきんちゃん!僕もう怖く無いよ!だって、おばあさんのところはもうすぐなんだから!」
自信を持って大きな手振りで話すとすぐまた進行方向へ振り返り、スタスタッと歩いて行った。
赤ずきんは付いていくしかなかった。
子ヤギが折角奮闘しているんだからと感じたのかもしれない。
まるで成長を見守ってるような気分にでもなったのかもしれない。
だからしっかり者で有名な赤ずきんもその気配に気づかなかったのかもしれない。
その気配はソロ、ソロ、と不気味に二人に近づき、気付いた時には遅かった。
赤ずきんは自分の目が捉えた姿を見て表情が険しくなった。
辺りを見回すと、その気配は一体、二体、三体、…と茂みからソロソロと現れてくるのだ。
「ヴーーー…グルルル…」
恐ろしい威嚇の鳴き声と共に。
そう、その気配はオオカミだったのだ。
なんということだ。
しかも、それは群れで。
そして、完全に赤ずきんと子ヤギは取り囲まれていた。
威勢良く歩いていた子ヤギはハッとその気配に気付いて息が止まった。
「ああ。囲まれてしまったわ。この道はね、ごくたまにオオカミの群れが通るのよ。この森を通って隣の森におそらく行くみたいなの。」
赤ずきんは冷静に子ヤギに説明した。
恐怖心が限界を超えた子ヤギには何一つ聞こえなかっただろうけども。
「ああ。仕方ないわね。いいわ、子ヤギさん、私の後ろに下がっていて。私とその木の間に、いて。」
赤ずきんが完全に狼と戦う姿勢になると、
オオカミたちはそれを察したのか
「アオーン!」と短く鳴いた後一斉に飛びかかってきたその時、
バーーーーーン!!!!
大きな音がしたと思ったら一匹
のオオカミがドサッと倒れた。
赤ずきんがあれっと思うと倒れたオオカミの向こうに大きなライフルを構える人の影があった。
そして、もう一度バーーーーン!!!!と撃つとその音はこだまして鳥たちも流石に全羽飛び立った。
仲間がドサドサッと倒れて行くのにおののいて残りのオオカミ達は間髪入れずに逃げて行った。
その人影は近づいてきて、目があった途端、赤ずきんは突然ぱあっと光を放ったように笑った。
「アッサム兄さん!!」
赤ずきんは一度フードを頭の後ろに避けて頭を出すと、駆け寄って抱きしめた。
アッサムはその抱擁に応えてしっかりと赤ずきんを受け止めた。
アッサム「危なかったじゃないか!今この時にここに着けたことを神に感謝するよ。怪我はないかい?どこか痛む?」
赤ずきん「痛くないわ!どこも!アハハッこんなところでこんな時に会うなんてどうかしてるわ!アッハハハ!そうよ、私たち危なかったの。」
アッサム「よく笑えるね、大変な状況だったのに。もう少しでやられるとこだったんだよ。」
赤ずきん「ごめん、ごめん…だって怖かったから。今は怖くなくなったの。だから思わず笑いが…込み上げてきてしまって。ウッフフ…だめだわ止まらない!」
アッサム「ああ!そうか、そうだね、怖い思いした後だからね、そうか、でも怖い思いをしたのに笑えるということは無傷だったってことだよ。本当に良かった。ハハハッ。」
赤ずきん「私何とかしようとオオカミ達に立ち向かったんだけど…ねえ?子ヤギさん?あなたも見たでしょ、私が戦おうとしたところ。あんなに多い数だから、やっぱり無謀だって、無茶だって思ったでしょ?フフッ。」
「………。」
赤ずきん「どうしたの?安心して話していいのよ。もうこの辺にオオカミは一匹もいないんだから。」
赤ずきんの問いかけにも無反応な子ヤギは白樺の木に寄りかかりながら放心状態で棒立ちしていた。
目を丸くして。
いつもなら少しの風にもふわふわとそよぐようなやわらかな毛並みに包まれている子ヤギだがこんな怖い思いをしてその白い可愛い毛は冷や汗でビッショリと濡れていた。
それは今にも滴り落ちそうなぐらいだ。
子ヤギを下から上まで見上げると、惨劇になろうかというところだった場面がいかに恐ろしいものだったかと説明するのに一見は百聞にしかずということわざが一番適していたということがよくわかる。
震えるのも忘れた子ヤギはどこかに飛んでいた感覚が戻ってきたのかやっと話し始めた。
子ヤギ「僕…。馬鹿なことしたよ。僕…。僕…。ぼ…うっうっ…うえええんめええええっめえっ…っく…めぇっ」
赤ずきん「まあ!大丈夫よぉ。もう、私もあなたも無事だったんだから気にしないの、ね?」
子ヤギ「だって、だって僕のせいでオオカミに会っちゃったんだ!僕が、ちゃんと、赤ずきんちゃんのいうことを聞いておけばよかったの、めぇっ…ひっく…めぇぇっ!」
赤ずきん「うん。でも私はね、オオカミが出てきても、大丈夫なのよ。」
子ヤギ「…えっ?大丈夫?って?どういうこと?」
赤ずきん「うん。色々あるけどとにかく大丈夫なの。私の家は代々森の中にお家があって、住み続けていたし、ね?それなのに私ちゃんと元気でいるでしょ?」
子ヤギ「あれ。うん、そう言えばそうだね!赤ずきんちゃんたちはオオカミの近くにいたのに元気でいるね、今もずっと」
赤ずきん「そうよ、だからさっきのことは気にしないで?それよりも怖がりのあなたが勇気を出して前に進んでくれたことの方が、大きいことなんだから。」
子ヤギ「うん…。うん…!」
心温まる二人のやりとりを背にアッサムはこんなことを呟いていた。
「今の群れにいなかったなあ!ハクギンオオカミ。」
その呟きを耳にした赤ずきんは少し考えたようにしながらアッサムに問いかけた。
「ハクギンオオカミなんて、この森にいたかしら?私ずっと住んでいたけど一度も見かけたこともないわ。」
アッサム「やっぱり赤ずきんちゃんでも見たことないか…。俺は今日この森にハクギンオオカミがいると信じて狩りに出てきたんだけど、無謀だったかな。」
赤ずきん「ハクギンオオカミっていうと、私のおばあさんから聞いた話では、遠い白い寒い冷たい陸に住んでいるという話よ。ここはどう見ても白より緑だからいないんじゃないかしら。」
アッサム「あれ。そうかなあ…。詳しいなあ!おばあさんから聞いたとしてもさすがかつて森に住んでいただけあるね!負けそうだ、ハハハ。」
子ヤギ「ハクギンオオカミってなに?なに者?」
アッサム「真っ白な、光に当たると銀色に輝く美しい毛皮を持つ幻のオオカミのことだよ。耳がこう、大きくてさ。俺は今日そのハクギンオオカミを捕らえにきたんだ。」
赤ずきん「だから森にいたのね。ハクギンオオカミに感謝しなくてはいけないわね。」
アッサム「ん?ああそうだね、その為にいたから赤ずきんちゃんを探し当てられたんだから。…あっと、そうだそうだ、これ。君のだろ?」
アッサムは右のポッケをガサゴソと探し、拾ったハンカチを出した。
赤ずきん「あ、それ、私のハンカチよ。いつの間に落としたかしら。見つけてくれてありがう、私も気付かなかった。」
子ヤギ「さっき、最初今日会った時、僕の涙拭くのにハンカチを貸してくれたから…その時かもしれない。」
赤ずきん「あっ、そうね。そうだその時だわきっと。風に流されてこんなとこまで飛んできていたのね。びっくりね。」
ハンカチを受け取った赤ずきんは刺繍に綻びがないかと、確認して、これは大事な物なの、と大切そうに右のポッケにしまった。
そしてふと、アッサムは子ヤギがなぜ赤ずきんといるのだろう、こんなとこまで何をしにきたのだろう、と疑問が出てきたので、子ヤギの顔を見つめ聞いてみた。
「子ヤギくんはなぜ涙を…流していたんだい?」
話の流れから率直に気になったことを聞いた。
「う、うん…実はね…」
森の中にできた、小規模な原っぱの中に三人がいる。
そこは木が一本あるだけで太陽を遮る緑はなく
春の爽やかな風がそよそよと吹いている。
黄緑色の原っぱの中にもう死んだオオカミが倒れている。
三人はしばしの間、子ヤギが話す言葉中心にうなずいたり、質問したり、考えたりしていた。
ここまでの経緯を子ヤギは丁寧に話し、アッサムも何が起きているのかを把握し、赤ずきんはこれからしようとしていることを話した。
アッサム「そうか、よし!俺もその話、一肌脱ごう!その茶色毛の大きなオオカミを仕留めてやろうじゃないか。…でもお腹の中に六匹の子ヤギたちがいるんだろ。少し難しい手段になるな。そんな大きなオオカミなら今持ち合わせている小さい罠は効かない、せいぜい少し足を止めて時間稼ぎできるくらいだろうな。」
赤ずきん「これからね、オオカミに詳しい私のおばあさんのところに行ってそのオオカミの居そうなところを教えてもらいに行こうと思うの。」
子ヤギ「だから僕、ここまでこんな深いところまで来たんだよ、普段は絶対にこないところだよ。おばあさんの家はもうすぐなんだって。だから近道をしてここを通ったの。」
アッサム「そうか、じゃあ、俺は罠を仕掛けながらそこまで一緒に行くよ、それからは君らはおばあさんの家で待ってるといい、その茶色毛のオオカミは俺が今日中に仕留めるから。」
子ヤギ「え、ちょっと待って僕も行くよ、だって僕の兄弟達だから!だから僕がいかないと駄目なんだ。だって…僕が残ったんだから僕が助けないと。」
アッサム「いやあ、君は勇敢だなあ。こんな小さいのに武器も持たないのにその勇気に敬意を称するよ。でも。君たちは充分、ここまで戦ったからあとはプロの俺に任せておいで。必ず君の兄弟達を取り返すから。」
赤ずきん「そうね、うん。そうよ。アッサム兄さんだったら腕を信じられるわ。だって、兄さんの腕前は都街に轟くほど名手だし、私も狩をしてるところを見たけど、的を外したのを見たことがないわ。信じていいはずよ。」
アッサム「そうだよ、赤ずきんちゃんと仲良しなら彼女が嘘をつかないことも知ってるよね?だから俺に任せなさい。」
子ヤギはもうそれ以上は何も反論しなかった。
とにかく、お婆さんの家に着くまでは自分の役割を果たそうと、颯爽と今いた原っぱを後にして一番先頭に立って歩いて行った。