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来世でも君を愛してた。  作者: 付谷洞爺
6/7

前世でも君を愛してた。

その後、俺と四ノ原は何度か遠島の家を訪れていた。

 とはいえ、大抵の場合はただ話をして終了で、その次に一番多かったのが遠島が眠っているというパターンだった。

 病気がちという話だったし、病気は更に酷くなったのだろう。そのせいで体力が落ちているのかもしれない。

 あんな啖呵切っておいて今更何言ってんだって感じだけど、本当に俺が何かしてやれるのだろうか? 自信、なくなってきた。

「どうしたの? なんか暗いね」

「四ノ原……まあな。遠島のことを考えてた」

「あー……遠島さんね。そりゃあそんな顔にもなるよね」

「ああ」

 四ノ原はバツの悪そうに、俺から目を逸らした。

 別に四ノ原が悪いという訳じゃない。とうより、そもそも誰かが悪いという話じゃないんだ。

 不可抗力。仕方がないこと。医者ですら匙を投げたのだから、医学的知識に乏しい俺や四ノ原が遠島のために何かしてやれることなんて、最初からなかったのかもしれない。

「どうする? 今日も遠島さんのところに行くの?」

「ん、まあな。他にしてやれることもないし」

「だね。遠島さんが登校するようになってからの知り合いなんてわたしたちくらいしかいなかったし」

「だな。俺たちが行かなかったら、あいつ本格的に知り合いゼロになってしまう」

「それは、よくないね。いろいろと」

「よくないな」

 四ノ原が肩をすくめる。

 それが空元気だと、俺はよく知っていた。

「それで、今日のお見舞いどうする? フルーツはもう飽きちゃっただろうし、何か別の……ゲームとかにする?」

「ああ、そうだな。ずっとベッドの上で退屈しているだろうから、そっちの方がいいかもしれないな」

「じゃあ決まりだね。帰りにゲーム屋さんによって帰ろう」

「そうだな」

 俺と四ノ原は放課後の予定を決め、一旦離れた。

 直後、HR開始を告げるチャイムが鳴り響き、教室前方から担任教師が姿を現した。

 

 

                         1

 

 

 そして放課後。俺と四ノ原は校門前で待ち合わせてから、ゲームショップへと向かうことにした。

「遅い」

「わ、悪い……ちょっと変な奴に絡まれて」

「変な奴って?」

「ああ。それより俺、ゲームショップなんて詳しくないけど、おまえ知ってるのか?」

「ええー! 意外だな、男の子ってそういうの好きだと思ってたのに」

「そりゃあ興味ある奴もいるだろうけど、ない奴もいるさ」

 四ノ原のわざとらしい驚き具合に、俺は肩をすくめて流した。

 こんなところでこんな奴と漫才をしている暇はない。さっさとゲームショップへと向かおう。

 俺は四ノ原を追い越して、車が来ていないことを確かめて車道を渡る。横断歩道のある場所ではないので、細心の注意が必要だ。

「ほら、早く来いよ」

「ちょっと待って。車来てるから」

 振り返るとまだ四ノ原が向こう側の歩道にいた。ので、急かすと、慌てて道路を渡って来た。

 無事に渡り終え、ホッと息を吐く四ノ原。

 何だか、一仕事終えた時くらい疲れていた。

「大丈夫か?」

「わ、わたしこういうのってあまり経験がなくて」

「ふーん? 意外だな」

「意外……かな?」

「ああ。俺は、おまえはもっと活発な奴だと思ってた」

「それは褒めてる? けなしてる?」

「褒めてはいないがけなしてもいない」

「どっちなの?」

「世の中、白黒はっきりしていないことの方が多いものだ」

「何それ? どういう意味?」

「さ、早く行こう」

 俺は四ノ原の疑問府を無視して、歩道を歩く。

 四ノ原はその後ろを、小走りに着いて来た。

「詳しくないって言ってたけど、場所わかるの?」

「まあ……この辺でゲームショップって言えば一ヶ所しかないしな」

「ああ、まあそだね」

 俺の返しがよほど納得の行くものだったらしい。四ノ原はそのまま押し黙り、俺たちは会話もないまま、黙々と歩道を歩いていた。

「……あのさ」

 しばらく歩いていると、四ノ原が声をかけてくる。

 俺は振り返ることをせずに「ん?」と応じた。

「君って……あの子のことどう思ってる?」

「あの子……というと、遠島のことか?」

「そう。どう思ってる?」

「どう思ってる、とは?」

「その、好きだーとか嫌いだーとか」

「……好きでも嫌いでもない」

「何その答え。ずるいんじゃない?」

 四ノ原の若干責めるような言い方に、俺は困り果てて頭を掻いた。

「ずるいと言われてもな。好きだとか嫌いだとか言えるほどあいつのことを知っている訳じゃあないし」

「ん……まあそうだよね」

 納得した、という訳でもないだろうが、四ノ原はそれ以上の質問を重ねてくることはしなかった。

 それからまたしばらくはお互いに無言の時間が続いた。

 この時間はだいぶ気まずい。一体、何を話したらいいのだろうか。

 全く話題が浮かばず、俺は内心で冷や汗をかいた。

 早くゲームショップにたどり着いてくれ。そう、強く願う。

 すると、俺の願いが届いたのか、ゲームショップの看板が見えてきた。

 あと数メートルの距離にあると教えられて、俺は内心でテンションが上がった。

 これでようやく、この気まずい時間も終わる。

 そう思うと駆け出したくなるのをぐっと堪え、やや早歩きでゲームショップを目指す。

「あっ……ちょっと早いよ、待って」

「お、おお、悪い」

 いつの間にか四ノ原を置いて行ってしまっていたらしい。

 俺はその場で立ち止まり、後方で俺を追い駆けて来る四ノ原を待った。

「どうしたの? そんなに慌てて」

「いや、慌ててたつもりはなかったんだが。……すまん」

「別にいいんだけど、どうしたんだろうって思ったよ」

 にへへ、と笑う四ノ原。

 俺は彼女から目を逸らし、頬を掻いた。

 それこそ、気まずい空気を全身に感じて、だ。

「どうしたっていうか、ほら、さっき看板が見えただろ? 目的地までもうすぐだと思って」

「ああ、ゲームショップの看板が見えてたね。だけど、そんなに慌てなくたって逃げないと思うよ?」

「そ、そうだな。何してたんだろうな、俺」

「ははは、変なの」

 四ノ原の無邪気な笑顔に、俺は何だか後ろ黒い気持ちになった。

 特別悪いことはしていないはずだし、隠しごとの類いはもちろんない。にもかかわらず、こうした気持ちになるのはどうしてだろう?

 四ノ原と一緒にいるから、そう思うのだろうか?

 俺は訳がわからず、困惑するばかりだった。

「ところでさ、君」

「な、何だよ?」

 どきりとした。あまりにタイミングがいいものだから、どくんと心臓が大きく跳ねた。

「いや……あの」

「何だよ? また遠島がどうしたとか言うつもりか?」

「ううん、遠島さんのことはもういいんだけど。今度は違う子のことなんだけど」

「……? 違う子?」

 四ノ原が遠島以外の人間の話をする。

 考えてみればそれはあたり前のことだった。最近は遠島と一緒にいることが多かったから、遠島の話題が自然と多めになっていたが。

「その……わたし、とかどう思ってる?」

「どうって……そりゃあおまえはいい奴だし、いい友達だ」

「ああ……うん、そうなんだ。友達、なんだ」

「当然だろ。どんなに時間が経ったって俺たちの関係性は変わらない。そうだろ?」

「うん……うん、そうだね」

「どうしたんだよ?」

 何となく、四ノ原の態度がおかしい。

 しゅんと肩を落とし、落ち込んでいるように見える。

 俺はその場で立ち止まった。

 四ノ原も俺に合わせて、足を止める。

「大丈夫か? 俺、何か変なこと言ったか?」

「……ううん、何でもないよ。何でも」

「むっ……そうか」

 四ノ原がぶんぶんと手を振ってくる。

 それから再び、歩き出した。

 俺は四ノ原の背中を追う形で、彼女のあとを追う。

「何でもない、ねぇ」

 いくらなんでもそれは無理がある。

 四ノ原の態度は、明らかに何かあると言っていた。それが何であるかは、俺にはよくわからないが。

 それでも、彼女が今苦しんでいることは明白だ。

 なら、力になってやりたいと思うのが友達というものだと俺は思う。

「けど、な」

 何でもないと四ノ原は言った。それを覆すことは、容易ではないだろう。

 どんな問題があるにせよ、四ノ原がそれを話してくれる気になるまでは、何もできない。

 俺は四ノ原のことについては、頭の中で一旦保留することにした。

 

 

                         2

 

 ゲームショップで購入した品物の入った包みを片手に、俺たちは何度目になるかわからない遠島家を訪れていた。

「ええと……」

 呼び鈴を押すと、返事は返ってこなかった。あの老人は今日は留守なのだろうか。

 俺は門に軽く触れる。と、きぃぃ、と開いた。

 鍵は、開いているらしい。

 俺と四ノ原が訪問することは昨日の内にあの老人に伝えてある。

 だから、このまま勝手に上がったとしても、不法侵入にはならないだろう。

「ちょっと待って、勝手に入っちゃうの?」

「いいじゃないか。あの人もいないんだし、仕方がない」

「で、でも……」

 俺が門を開けて入って行こうとすると、四ノ原が不安そうな声を漏らす。

 普段は肝が座っているくせにこういう時には度胸がない奴だ。

「別におまえはここで待っててもいいんだぞ? あ、それ届けといてやるから」

「んな! 別に大丈夫だよ!」

 俺が手を伸ばすと、四ノ原はゲームショップで買った品物を庇うように身を捻った。

 それから、俺に続いて門の中に入ってくる。

「ああもう、やっちゃったぁ」

「何だよ? そんなに怯える必要なんてないだろ」

「必要あるよ。……何でわたしがこんなことを」

「やってしまったものは仕方がない。取り返しがつかないんだから、うだうだ言っててもどうしようもないだろ」

「わかってるよぉ……」

 かくして不法侵入を果たした俺たちは、これまた鍵の開いていた玄関から堂々と家の中に入った。

 あの老人と遠島以外、誰も住んでいないのだろうか。

 家の中は人の気配がまるでなく、生活感と呼べるものがほとんど感じられなかった。

「お出かけ中……みたいだね」

「だな。さっさと遠島のところへ行こう」

「うん」

 この状態だとお茶の一つも出てこないだろう。別に期待してた訳じゃないが、出てこないのならここでじっとしているのもおかしな話だ。

 俺と四ノ原はいつものように廊下を進み、遠島の部屋へと向かう。

 こんこん、とノックする。と、中から返事があった。

「はい。おじいちゃん?」

「えっと、俺だ」

「……入って」

 許可を得て、俺たちは遠島の部屋へと入った。

 当然、遠島はベッドに横になっていて、どこか達観したような笑みで俺たちを迎えてくれた。

「あなたが来てくれとは思わなかった。嬉しい」

「ここ数日、俺は毎日来ていたんだけどな」

「そう? んー? ちょっとよく覚えていないなぁ。記憶があやふやなんだよね」

「そうなのか」

 そんなもの、なのかもしれない。

 遠島の人格が表だっていたり、国木田キクの人格が表層に出てきていたりしていれば、記憶の混乱が出てくるのも当然というものだ。

 俺はそのへんをとやかく言うほど狭量な器の持ち主ではないつもりだ。

「ところで、今日はいい物を持って来たぞ」

「いい物? ああ!」

 四ノ原が手にしていた包みを見て、遠島が大声を出した。

「それって……」

「プレゼント。遠島さんに」

「あ、ありがとう……四ノ原さん」

「どういたしまして」

 俺も一応金は払ったんだがな。どうして四ノ原にしか礼は言わないんだ?

 ……ま、いいか。遠島がなんだか嬉しそうだし。

「で、どうする? 早速開けるか?」

「いいの?」

「いいよ、だって遠島さんのだし」

「じ、じゃあお言葉に甘えて」

 四ノ原が遠島にプレゼントを渡す。遠島はそれを照れくさそうに受け取って、表面を一撫でした。

「じゃあ、開けるよ?」

「うん、どうぞ」

 四ノ原が言うと、遠島は丁寧に包みを解いていく。

 俺たちが遠島へのプレゼントとして買ったのは、いわゆるすごろくゲームだった。

 二人以上のプレイヤーがルーレットを回し、コマを進めて遊ぶゲームだ。

 絶対に一人じゃできないこのゲーム。つまりこれは、俺たちの意思表示だ。

 何度でも一緒に遊ぼうという、意思表示だ。

「……ありがと」

 ぎゅっと、すごろくの箱を抱く遠島。

 その顔は少しばかり上気し、目の端にはうっすらと淡い滴が溜まっていた。

「嬉しい。……すごく嬉しい」

「そんなに喜んでもらえるとは」

「プレゼントした甲斐があったな」

 俺と四ノ原は視線を交わし、思わず笑った。

 遠島の言い様がおかしくて、それにこれほど喜んくれるとこちらが嬉しくなる。

 俺たちはその後、しきりに笑っていた。声を出して、声を殺して、笑っていた。

 しばらくの後、俺たち三人はようやく笑うのを止めた。

 それから、スッと遠島がすごろくの箱を俺の前に差し出してくる。

「……早速、遊ぼう」

「ああ、そうだな」

 俺はすごろくの箱を開いて、中身を取り出した。

 ルールブックを読みつつ、進行していく。

 すっかり日が落ちるまで、俺たちはすごろくで遊んでいた。

 

 

                         3

 

 

 それからしばらくの間、俺たち三人の間ですごろくがブームになっていた。

 最初は正直言って、ただ本当に付き合っていただけだったのだのだが、次第に俺も四ノ原もすごろくの奥深さにのめりこんでいった。

 子供の頃はよくやっていたように思うのだが、果たしてここまで面白いと感じていただろうか。

 感性の変化に戸惑いを感じつつ、俺は今日もルーレットを回した。

 そんな日が、一週間ほど続いた。

 週末になって、俺と四ノ原は遠島家を訪れていた。

「さあ、勝負だ」

「負けないよー」

「わたしだって」

 遠島がすごろくを取り出し、俺たちが広げる。

 そうして今日も、俺たち三人の遊びが始まった。

「……ふふ」

「遠島? どうしたんだ?」

「ああ、ごめん。ちょっとおかしくって」

 すごろくが始まって数分経って、遠島がくすりと笑った。

 俺と四ノ原は不思議に思い、顔を見合わせる。

「何だか、夢みたい。こんな日が何日も続くなんて」

「どういうことだ?」

「おじいちゃんから聞いてると思うけど、わたし実は病気がちでね。よく学校を休むんだ」

「あ、ああ……それは聞いたけど」

「だから、あまりこうして遊ぶことってなくって。現実味がないなぁって」

「そっか」

 四ノ原がルーレットを回す。からからから、という音がして、ルーレットは回転を続けた。

 次第に速度が遅くなる。五の数字が書かれたマスで止まった。

「いーちにーいさーんしーいごーお」

 四ノ原の操るコマがマスを移動していく。目的のマスに止まり、そこに書かれていたお題を読んでいく四ノ原。

「えーと、何々。……交通事故に遭う、現金五万円を失う。一回休み」

「中々にシビアだな。まあまだ序盤だし、問題はないだろうけど」

「そーだね。まだまだこれからだよ」

 四ノ原は力こぶを作るように腕を曲げ、自分の持ち金の中から五万円を共用銀行へと入れた。

 次は俺の番か。からからから、とルーレットを回す。

「俺は……三が出たな」

 三マス、コマを進める。と、そこにも何やら指令が書かれていた。

「何だ? えーと、最愛の恋人に浮気される。二万円失う」

「ぷぷー、最愛の恋人に浮気されちゃうんだって。うけるー」

「うけるか。第一、何で俺が二万失うんだよ。普通貰うだろ」

「まーまー、そういうルールなんだし、仕方がないよ。ほら、次は遠島さんの番だよ」

「う、うん」

 全く、妙な指令もあったものだ。

 俺は納得できない気持ちを抑えつつ、遠島を見守ることにした。

 からからから、と遠島の手によってルーレットが回る。

「えー、六だ。いち、にい、さん、しい、ごお、ろく」

 遠島が自分のコマを進めていく。

 当然、遠島が止まったマスにも指令があった。

「んん? 結婚詐欺に成功。他のプレイヤーから二万円ずつ受け取る」

「何だそりゃあああああああああ!」

 あまりに理不尽ない内容に、俺は思わずキレていた。

 だってそうだろう。何だ結婚詐欺に成功って。成功すんなよ。

「ま、仕方ないね。ルールだし」

 四ノ原もこれには納得がいかなかったらしい。ぶぅーっと頬を膨らませながら、渋々といった様子で二万円、遠島に渡していた。

 その様子を見て、俺も泣く泣く遠島に二万円渡す。

「納得できない」

「そういうルールだから。まいど」

 遠島は嬉しそうに俺たちから二万円ずつ。合計四万円を受け取った。

 何がまいどだ。全く。

「さあ次だ次。確かおまえは一回休みだったな」

「くっ……ここにきてこれが効いてくるとは」

 四ノ原が悔しそうに歯噛みする。

 それはそうだ。何せ一度休みということは、挽回するチャンスを一度潰されたようなものだからな。

 俺だったら卓をひっくり返してしまいたくなる。

 俺はからからから、とルーレットを回す。すると、今度は四の番号で止まった。

「いち、にい、さん、よん。今度は……犬の死骸を発見する。精神的にダメージを負い、一回休み。……納得いくか!」

 何だよ犬の死骸って。そりゃあ車に乗ってたら道路とかにたまにあるけどさ。

 あれ見て俺、確かにかわいそうだなとは思うよ。けど……何だろう。くそ!

「じゃあ次はわたしね」

 遠島がルーレットを回す。

 そんな感じで、俺たちはすごろくに興じた。

 遠島も四ノ原もすごく楽しそうで、俺も……まあ楽しかった。

 だから、このすごろくは実際のところ、大成功と言っていいだろう。内容はともかくとして。

 そうこうしている内に、今日も今日とて日は暮れていく。

 

 

                          3

 

 

「あー楽しかった」

「それはよかったね。また来るよ」

「うん、また来て」

 遠島と四ノ原が玄関前で手を振り合う。

 こんなところまで出てきて大丈夫なのかと思うが、本人がそうしたいというのだから俺から言うべきことは何もない。

 俺は女子二人のきゃっきゃうふふを眺めつつ、考える。

 遠島には、あと半年時間が残されている。即ち、あと半年は俺たちもこうして遠島の家に遊びにやってくるのだろうということだ。

 なら、何か別のを持ってくる必要があるな。

 そんなことを考えていると、四ノ原が門の前に立つ俺のところまでやって来た。

 そこからまた、手を振り合う四ノ原と遠島。

 本当に好きだね、おまえら。

「んじゃ、またな遠島」

「うん、ばいばい」

 玄関先で大きく手を振る遠島。

 俺も、軽く振り返した。

 また明日、という願いをこめて。

「……それにしても、あれであと半年の命とか信じられんな」

「そうだね。まだまだ長生きしそうなのに。どうしてあと半年しか生きられないんだろう」

 しゅん、と肩を落とす遠島。

 うーん、マズったらしい。

 話題を変えようと、必死の話を探す。けど、俺のトークスキルではいい話題は中々振ってこない。

 どうしたものかと黙り込んでいると、不意に四ノ原が先ほどの話題を蒸し返してきた。

「何でもっと生きられないんだろう……」

「……さあな」

 原因なんて俺にわかる訳がない。

 けど、何となく前世の記憶。……つまりあのじいさんのお母さんの魂とやらが関係している気がする。何となく。

「遠島さんは、どう思ってるんだろう」

「わからん」

 ただ、納得はしていないだろうな、というのは何となくわかる。

 すごろくをして遊んでいた時の彼女。俺の周りにまとわり付いていた時の彼女。

 俺が知る、ごく少ない遠島との接点。

 たったそれだけでも、わかる。もっと生きていたいという願い。

 遠島友里は死を受け入れてはいない。納得もしていない。

 諦めているのだ。諦めて、受容している。俺にはそんなふうに見えた。

 だからこそ前世の記憶なんて空想を作り出して、言い訳を作っているんだ。

 彼女には友達と呼べる人間は誰もいない。恋人なんてもっとないだろう。

 あと半年後には、遠島は人知れずこの世を去る。

 誰からも見向きもされず、一人で死ぬ。それは……とても悲しいことだと思う。

 せめて誰かのために死ねれば、まだよかったのだ。

 だから遠島は作り上げた。前世の記憶を。

 国木田キクという名前の人物のために、自分は行動し、死ぬのだと。そう自身に言い聞かせるために。

 それが、遠島が自分自身にできる、唯一の慰めだったのだ。

「だとしたら、別に付き合ってやってもいいのかもな」

「ええ! 何? どうしたの、突然!」

「へ? 何が?」

「やー、今付き合うとか言ってなかった? 偉そうに」

「一言余計だ。……んなこと言ってないし」

「いやいや、言ってたよ、ちゃんと」

 四ノ原は面白がるようにそう言った。

「……まあ、俺が何を言っていたかについては一先ず置いておこう」

「ま、いいけど」

 四ノ原の見透かしたような態度が気に喰わない。

 けど、今はそんなことを言っている場合ではない。

「何が気になってるの?」

「何が……と問われるとちょっと……。遠島は一体なぜ、あんなことをしているんだ?」

「あんなこと? ああ、変な妄想癖のこと?」

「そうだ。あれさえなかったなら、きっと俺は遠島のことを好きになっていたんだと思う」

「かわいいもんね、彼女」

 冗談めかして肩をすくめる四ノ原。

 その声に、どこか棘があるように感じたのは、俺の気のせいだったのだろう。

「実際はどうかは知らない。あくまで仮定の話だ」

「わかってるよ、そんなこと。わざわざ付け足すまでもない」

「それはよかった」

「それで? あの二重人格癖があったら、どうして彼女を好きになれないの? 気持ち悪いから? 不気味だから?」

「……正直なところ、それもある。普段の遠島はすごくいい奴だ。それだけに、あの変な病気のせいで、台なしになっている」

「それは……否めないね。けど、同時にしようのないことだとも思う」

「そう、俺や四ノ原にどうにもできないのと同じように、彼女自身にもどうにもできないことなんだろう。だからこそ、余計に悔やまれる」

「それで、どうするの? 二重人格を治療してあげるの?」

「まさか。俺はその道の専門家じゃない。そういったことはプロに任せておけばいい」

 もっとも、彼女の命は残り少ない。そんなことをせずとも、いずれは他人格も揃ってこの世から消滅してしまう。

 だから、わざわざそうしたことをする必要がないのは自明の理だ。

「ではどうするの? 遠島さんが残りの人生を謳歌できるよう、もう一人の彼女には引っ込んでいてもらうようにお願いする?」

「そうしたいのは山々だ。国木田キクのお陰で、遠島の寿命の半分は無意味に浪費されるのだから。それはよくないことだと思う」

「ふふ」

「? 何がおかしい?」

 思わずといった様子で唐突に笑い出した四ノ原に、俺は首を傾げた。

「ううん、何でもない。ただ、よほど遠島さんのことが好きなんだなぁと思って」

「俺が? まさか」

 ありえない。会って間もない同級生を好きになるなんて。

「言っただろう。二重人格まがいでなかったなら、好きになっていたって」

「違うよ、それは」

 不意に、四ノ原が立ち止まる。

 俺も彼女につられて、足を止めた。

「もう既に君は遠島さんが好きなんだよ」

「……はん、まさか。ありそうもない話だ」

「でも現実に起こっている」

「どうしてそう思うんだ? 根拠は?」

「そうしてわたしの言い様に怒っているところだよ。まさしく愛だね」

「なぜそこで愛が出てくるんだ」

 四ノ原の見当違いな推理に、俺はため息を吐いた。

「おまえのそういう想像力豊かな部分には本当に呆れる」

「褒め言葉として受け取っておこう。……それで?」

「それで、とは?」

「実際のところ、どう思ってるの? 彼女のこと」

「言っただろう、いい奴だって」

「どうでもいい奴……ではなないよね?」

「…………」

 何が言いたいんだ、こいつは。

 俺は四ノ原の質問を無視して、彼女に背中を向けた。

 そうしてから、再び歩みを進める。

「待ってよ。置いて行く気?」

「当然だろ。変なこと言う奴は置いて行くに限る」

「それはちょっと酷いと思うなぁ」

「だったら言動には気を付けることだ」

 下手なことを言うと、また置いて行くぞ。

 四ノ原が隣に並び立つ。そうしていると、にやにやと四ノ原の面倒臭い笑い顔が目に付いた。

「な、何だよ……?」

「いやー、君も中々に人間臭いことをするものだなぁと思ってね」

「意味わかんないんだけど」

 俺は人間だ。当然、人間臭い反応もするに決まっている。

「自分では気付いていないのかもしれないけど、君は時々……というよりかなりの頻度で人間らしくないと思える時がある」

「そレこそ酷くないか? 俺はロボットじゃないんだから」

「ロボットの方がまだ可愛げがあると思わない?」

「つまり俺はロボットよりよほど機械じみていると?」

「そうは言わない。だけど、人間らしくはないなと思っていただけ」

「そもそも人間らしいとは何だ? そんな規定に意味があるとは思えないんだが」

「意味なんてないと思う。でも、だからこそ重要なことなんだよ、きっと」

 四ノ原が俺の前に躍り出る。

 背中に手を回し、くるりと一回転する。

 器用に後ろ歩きをする。要するに、俺と視線を交わしている状態だ。

「意味なんていらない。ただ、感情的になればいい。理性的なことは素晴らしいことだと思うけど、でも素敵なことだとは思わない。高尚であることが、必ずしも誰かの救いになるという訳ではないように」

「……意外だな」

「意外かな?」

「意外だよ。まさかおまえがそんな小難しいことを言い出すなんて」

「……わたしのことバカにしてる?」

「まさか。称賛しているんだ、これでも」

 俺は自分の手の平を、四ノ原の頭に乗せた。

 小さな子供にするように、優しく撫でる。

「……何のつもり?」

「何って……何だろう」

 四ノ原は責めるような視線で俺を睨んでいた。が、身じろぎ一つすることなく、俺に頭を撫でられていた。ので、嫌ではなかったのだろう。嫌だったら、嫌だと言うか俺の手を叩き落とすだろうから。

「そんな顔をするな。お互い様だろ?」

 最初に俺を人間らしくないと言ったのは四ノ原の方だ。

 なら、俺が何を言ったところで、四ノ原に気分を害するような権利はないはずである。

「言ったでしょう。理性的なことは素敵なことではないと。わたしは今、感情的になっているの」

「だから? 俺を殴る? 蹴る? どんなことをしても俺は抵抗しないと約束しよう」

 なんて言いつつ、俺には確信があった。

 四ノ原はそんなことはしない。感情的になることが素敵なことだと口では言っていても結局は理性でものを考えているだろうから。

「……この話はこれでおしまい」

「おまえから振ってきたんだろ。……まあいいけど」

 これ以上の不毛はいい合いは無意味だ。本当に何も生み出さない。非生産的ここに極まるとはこのことだ。

 それから俺たちは、無言のままに帰路に付いた。

 これから、何が俺たちを待ち受けるのか、想像すらできずに。

 

 

                         4

 

 

 事態が急変したのは、それから三日後のことだった。

 時刻は午前三時半を少し過ぎた頃。

 まだ夜も明けきらない時間帯に、突如として家の電話が鳴り響く。

「……誰だよ、こんな時間に」

 どうせ親が出るだろう。そう決めて付けて、俺は再び毛布を被って目を閉じた。

 けど、電話は一向に鳴り止まない。けたたましい着信音が鳴り響き、俺の眠りを妨げくる。

「ああくそ!」

 俺はベッドから跳ね起き、一階にある固定電話機の前へと向かった。

 全く、誰だよこんな夜中に。

 非常識な輩に腹を立てつつ、受話器を取る。よほど切羽詰った用事じゃなかったら、即刻切ってやろうと思っていた。

 だが、俺は自分の耳に届いてきた。声に思わず絶句した。

 電話の主は、俺のよく知る人物だったのである。

「……四ノ原か?」

「ごめん、こんな夜遅くに」

「別にいい……ことはないが、どうしたんだ?」

 ずいぶんと沈んだ声をしている。ので、すぐにただごとではないなとわかった。

「……遠島さんが姿を消したそうだよ」

「は? 何言ってんだ、あいつは」

 自宅のベッドで寝ているはずである。なにせあいつは具合が悪いのだから。

 安静にしていなくてはならない。そう、以前に自分で言っていたような気がする。

 だから、遠島がいなくなるはずはなかった。それは、俺や四ノ原だけじゃない。あの老人に対しても迷惑をかける行為だから。

 遠島が自ら進んでそんなことをするはずはない。

「……何の冗談だ、それは?」

「冗談なんかじゃないよ。今、おじいさんが一人で探して回ってるんだって」

「でも……ええと」

「わたしもおじいさんを手伝おうと思ってる。君も来てくれない?」

「それは……」

 もちろん、構わない。遠島を探すくらい、お安い御用だ。

 そう、すぐに返事をしてやりたかった。けど、できなかった。

 なぜなら、俺は遠島の居場所を知らない。見付け出せる自信もない。

 下手なことを言う訳にはいかなかった。

「……えっと、できる限りのことはやる」

「君……そういうところがロボットみたいなんだよ」

「何だよ、この間の続きか?」

「何でもない。じゃあ、よろしくね」

 ぷつっと、通話が切れる。

 俺は呆然とした心持ちで受話器を置いた。

 置いて、考える。

 遠島が行きそうな場所。好きな場所。

 全然、思い浮かばなかった。

 そもそも俺は、遠島のことなんて何も知らないのだ。遠島のことでわからないことがあったとしても、当然のことだ。

「どこにいるんだ、遠島」

 俺は寝巻きのまま、外に飛び出した。

 心当たりなんて当然ない。それでも、何もしない訳にはいかないだろう。

 どこにいるんだ? ……と、考えるまでもなかった。

「んな!」

 俺んちの玄関先に、小柄な人影が一つ、うずくまっていた。

 それは紛うことなく、遠島だった。

「な、何してんだ、おまえ!」

「あ、あれ? ……どうしてここにいるの?」

「それはこっちのせりふだ。おまえこそどうしてこんなところにいるんだよ!」

 俺は遠島を抱き起こした。

 すると、遠島はどこか嬉しそうににへら、と笑い、それからきょろきょろと周囲を見回す。

「ここは……どこ?」

「どこっておまえ……ここは俺んちの前だ」

「あなたの……ということは、彼女の言っていたことは本当だったんだね」

「彼女? 彼女って誰だ? 四ノ原か?」

「違うよ。……キクさん」

「キク……国木田キクか。言っていたってどういう意味だ?」

「ええとね、それは……」

「いや、今はいい。それより一先ず俺の部屋に」

 ひゅうひゅう、と苦しそうな呼吸を繰り返す遠島。

 一刻も早く部屋に連れて行ってベッドに寝かせてやろう。それから救急車を呼んで、それから……。

「だめ……」

 きゅっと、遠島が俺の服の裾を握ってくる。

 俺はぎょっと目を剥いた。

「だめっておまえ……それこそだめだろ。何言ってんだ」

「わ、わたしは平気。だから、止めて」

「な、何だってそんなことを言うんだ。だめだ、一先ず俺の部屋に連れて行って、それから」

「それは嬉しい。けど、だめ。だめだよ」

「何がだめだって言うんだ」

 遠島が苦しげに唸る。だからこそ、俺は遠島からその苦しみを取り除いてやるためにベッドに運び、救急車を呼ぼうとしていた。

 けど、本人がだめだという。一体、どうしてだ?

「彼女は……キクさんが言ったの。あなたに会いに行けって」

「国木田キクが? どうしてそんなことを」

「た、たぶん、麟太郎さんに会いたかったんだね」

「はあ? 何言ってんだ、おまえ」

 今はそんなことを言い合っている場合じゃない。

 俺は遠島を抱え上げ、立ち上がった。

「ど、どこへ……?」

「俺の部屋だ。救急車がだめでも、横になっていた方がいい」

 なぜ遠島がこれほど頑なに救急車を嫌がるのか、見当も付かない。が、このまま道端に寝かせておく訳にもいかない。

 俺はジタバタと暴れる遠島を抱え、自室へと向かった。

 両親が起きて来ないだろうかと不安だったが、どうやら目を覚ます気配はない。

 全く、なんて平和ボケした二人だろう。

 遠島を俺のベッドの上に放り投げる。それから、携帯を取り出した。

「どこへ電話をするの?」

「安心しろ。救急車は呼ばない。四ノ原とおじいさんがおまえのことを探しているから、見付かったと報告するだけだ」

「……わかった」

 遠島はそれすら納得がいかないのか、多少ぶすっとした様子だった。

 だが、救急車を呼ぶ、と言った時ほどの反対はなかった。まあさすがにどれだけ反対されようとこれは強行しただろうけど。

「ああ、四ノ原か? 遠島が見付かった。ああ、俺んちの前に倒れてた。……いや、呼んでない。本人の意思だ。ああ、よろしく頼む」

「四ノ原さん……何て?」

 ぷつっと通話を切る。と、遠島がおそるおそる訊ねてきた。

「バカじゃないのって伝えてといてって言われた。あとおまえのおじいさんにはあいつから連絡するらしい」

 いつの間にそれほど仲よくなったのか。本当に、四ノ原のコミュ力は底が知れない。

 遠島はそれを聞いて安心したのか、ホッと胸を撫で下ろした。

「それで、おまえは一体あんな場所で何をしていたんだ?」

「そ、それは……ぐっ」

 俺が問いかけると、四ノ原は苦しそうに胸を抑えだした。

「おい、大丈夫か!」

「……うん、大丈夫。大したこと、ないから」

「大したことないってふうには見えないんだがな。やはり病院に行った方が……」

「だめ、だよ。それはだめ」

「だから、どうしてだめなんだ?」

 訊いた途端、押し黙る遠島。

 いやいや、そんなふうにされたんじゃ何もわからない。

「少しは喋ってくれよ。頼むから。おまえに一体何があったんだ?」

「……彼女が、言うんだ。あなたに会いに行ってって」

「彼女とは? 例の国木田キクか」

「そう。彼女。彼女は麟太郎さんを愛しているから、だからあなたに会いたいと言ってた」

「だからといって何で俺なんだ? 俺は麟太郎とかいう奴じゃないんだが」

「彼女にとって、あなたは麟太郎さんなの。それ以外の何者でもなく」

「……迷惑な話だ」

 そう、迷惑な話だ。

 前世の記憶でも妄想でも二重人格でもこの際どうだっていい。

 俺にとって、今のこの状況はこの上なく迷惑極まる。なぜなら、全く見ず知らずの人間……まあ死人らしいけど。から愛をささやかれたところで、俺は一体どんなリアクションをすればいいのか。全然わからなかった。

 だから、俺ははん、と吐き捨てる。

「おまえはそれでいいのか? その国木田キクとやらに踊らされて」

「……いいんだよ。わたし、残り少ない人生なんだよ」

「……そう、だったな」

 これほど動き回る奴だ。あと半年で死を迎えるなど、到底信じられなかった。

 けど、本当のことらしい。それは、あの老人が神妙な顔付きで言っていたから間違いないだろう。

「あと半年で死んじゃうってわかって。わたし、友達とか全然いなくって。昔からよく学校休んだりとかしてたから、仕方ないんだけど」

 仕方がない。そう言って諦める遠島を、俺は責めることも慰めることもできなかった。

「そしたら、頭の中に声が響いたの。とても綺麗な声」

「それが……国木田キク」

「その通りだよ。彼女はわたしに生きる意味をくれた。理由をくれた。わたしを必要としてわたしを頼ってくれた。だからわたしはわたしの全てを使って、わたしが生きていられるあと半年間を全部使って彼女の願いを叶えてあげるの」

「……例えば、それが全くの偽物だったとしても?」

「どういう意味? わたしが嘘を吐いているとでも言いたいの?」

 遠島はむっと、眉根を寄せた。

 不機嫌になったその顔には、俺もさすがにたじろいだ。

「別にそいういう訳じゃない。そもそも、嘘というのは自覚が必要なんだ。他人を騙す以上、自分の言葉や行動が偽りだと自覚していることが、何より大切。けど、今俺はそれを感じない」

「全く? 全然?」

「ああ。これはよほど嘘がうまいか、もしくは本人が本気かのどちらかを指し示している」

「だったら、わたしはよほどの嘘吐きなんだね」

「俺はおまえにそこまでの頭はないと思っている。だから、おまえは本当のことを言ってると踏んでいるんだがなぁ」

「でもわたしが本当のことを言っている保証はないよ?」

「その通り」

 だから、ここからは俺が遠島を信用する、しないといった話になる。

 そして、その二択なら俺は遠島を信用するという方を選ぶだろう。

「あなたはわたしを疑わないんだね。どうして?」

「その方が楽だからだ。疑うというのは、思いの他体力を消耗するから」

「それは言えてる」

 くすくす、と遠島が笑う。はて、俺は何かおかしなことを言っただろうか?

 とにもかくにも、どうにか遠島を説得して病院に連れて行く必要があるな。

 俺では、彼女の苦しみを癒すことも減らすこともできないのだから。

「それで、おまえは一体何が目的だったんだ?」

「何がって……まるでわたしが悪者みたいな言い方は止めて」

「違うと言い張るのか。他人の家の前で倒れ込んでいて、違うと主張する。その神経の図太さには敬意を表したくなるな」

「……むー、あなたは意地悪だなぁ」

「今更だろ。おまえ、俺のことを好きならもっと俺について調べておけよ」

「わたしじゃなくてキクさん。それに、好きなのはあなたじゃなくて麟太郎さん」

「……だったな」

 遠島のじとーっとした視線に、俺は思わず目を逸らした。

 何だか、非情に居心地が悪い。何だろう、このねっとりとした感じ。背中が痒い。

「……ま、あなたのことは好きだよ、わたし」

「え? 本気で言ってる?」

「人間性というか、ちょっと他の人とは違うところとかね。恋愛感情はないよ。残念でしたー」

「こいつ……」

 ニッと口の端をつり上げる遠島。

 ……ったく、いたいけな男子の心を弄ぶとは。悪女め。

「まあいい。それでだ、病院……」

「嫌」

 まだ最期まで言い切らない内から、遠島がぷいと明後日の方を向く。

「まだ何も言ってないだろ」

「どうせ病院行けって言うんでしょ? 嫌、絶対に嫌」

「なぜそこまで病院が嫌なんだ?」

 まあ確かに、受け答えははっきりしているし、しゃきっともしている。病院なんて必要ないし、そもそも病気なのかと疑いたくなるレベルだけど。

 それでも、あと半年の命なのだったら、普通は病院にいるべきだ。こんなところで寝てたって体調はよくならないし、むしろ悪化してしまう可能性すらあるのだから。

「だって……病院に行ったらあなたと会えない」

「うっ……よくそんなこと平気で言えるな」

「わ、わたしだって恥ずかしいし! けど、あなたと会えなくなるとキクさんが悲しむから」

 ああ、なるほど。そういうことか。

 遠島が顔を真っ赤にしてした主張に、俺は納得してしまっていた。

 国木田キクという人物のことはこの際置いておくとして、そういう人物が自分の中にいると思い込んでいるのなら、さっきみたいなことを言い出したとしても頷ける。

 自分ではなく他人のために行動する。そうした心境を理解できないほど、俺も子供ではないつもりだ。

 し、しかし……何つーか、恥ずかしいものは恥ずかしいな、これ。

 かーっと、体中が熱くなる。

「勘違いしないでよね!」

「べ、別に勘違いなんてしてないっての! おまえこそ、多少見た目がいいからって調子に乗ってんなよ!」

「何を……! わたしなんて別に全然よくないし! ふんだ、そんなこと言われたって騙されないんだから!」

「おまえなんか騙したってどうしようもないだろ! 変なことばっか言ってんなよ!」

「この……」

「んだよ……」

 がるるる、とお互いに相手を威嚇し合う俺と遠島。

 けんかなんてするつもりはなかった。だけど、遠島がけんか腰に何やら色々言ってくるのだから仕方がない。

 とはいえ、病人相手にこれ以上ムキになっていたとしても先に進まない。

「……今はいいけど、もしおまえがこれ以上悪化するようなら、おまえの意思とは関係なく病院に連れて行くからな」

「仕方がないね。全く……強引なんだから」

 そう言って肩をすくめる遠島。

 俺は何だか納得のいかないものを感じつつ、ぐっとその場は堪えた。

「……んで? 俺んちに来るっていうおまえの目的は達成したんだろ? なら、さっさと帰れよ」

「わたしの目的じゃないけどね。……とはいえ、それは無理な話なんだよ」

「は? 何でだよ?」

「キクさんのお願いは、まだ半分も達成していないから」

「お願い……だと?」

 国木田キクのお願いとやらは、俺の家に押しかけることじゃなかったのか?

 俺は旋律に背筋を凍らせながら、遠島の次の言葉を待った。

「そ。彼女のお願いは全く別のこと」

「別のこと……って何だよ? 悪いが、麟太郎とかいう奴に関することなら俺には無理だぞ」

「わかってるよ。そのくらい。彼女だって薄々感づいてることだから」

「……そっか」

 今更という気がしなくもなかったが、そうか、わかっているのか。

 なら、話は早い。それに、そう無茶な願いごとをされることもないだろう。

「それで? 何なんだ、願いごとっていうのは」

「……彼女と、キスをして欲しい」

「ぶっ! ……何言ってんだ、おまえ!」

 それはつまり、おまえの唇を奪うということで、だからええと……!

「む、無茶振りなのはわかってる。けど、それが彼女の願いなんだからしょうがないというか何というか……」

「お、おまえはいいのかよ、それで」

「わたしは……いいの。彼女のために何でもするって決めてるから。それに、あなただったら別に問題ないかなって」

「は、はああ! 訳がわからないんだが! どうして俺だったらいいんだよ!」

 さっきまで言い争いをしていた相手にそんなことを言われても反応に困る。

 というか、こいつまじで言ってるのか? なんかほんのりと顔が赤い気がするんだが。

「わ、わたしだって緊張する、けど。でも、これしか方法がないの」

「そんなことないって。他に手段なんていくらでもあるだろ」

「だめ。そんな悠長なこと言ってられない」

「うっ……何でだよ?」

 切羽詰まったように視線を鋭くする遠島。

 どうして、そこまで必死こいて国木田キクの願いを叶えようとするんだ?

「……実はわたし、あと半年って病院の先生に言われたんだ」

「あ、ああ」

 それは知ってる。あの老人が教えてくれたことだからだ。

 だから、あと半年はある。半年間は確実な猶予が。

 と、そんなふうに考えていた俺の思考を嘲笑うかのように、遠島がとんでもないことを口にする。

「……わたし、あと三日で死んじゃうの」

「は……? 何だよそれ、どういう意味だ?」

「そのままの意味だよ。あと三日。それがわたしに与えられたタイムリミット」

「わ、悪い冗談だ。おまえがあと三日で死ぬ? はは、笑わせてくれるぜ」

「冗談……なんかじゃないよ」

 遠島はにっこりと薄く微笑んだ。

 どこか悟ったようなその表情に、俺は思わず悲鳴をあげそうになった。

「……本当に?」

「本当。……とは言っても、先生が言った訳じゃないんだけど」

「だったら、なんで?」

「わかるんだ、なんとなく」

「なんとなく……だって?」

 専門家の意見ではない。なら、きっと誤診のはずだ。その可能性の方が大いに高い。

「病院で診てもらった方が確実だろ」

「だめだよ。どうせ、病院じゃあわからないから」

「なんでだ? ちゃんと検査をしたら、原因がわかるかもしれないじゃないか」

「……事故に遭って入院した時ね、色々と検査をしたんだよ」

「検査……?」

「そ。なんだかゴテゴテした機械に何度も通されて、お腹の中を見られたりした」

 楽しそうに、その時のことを語る遠島。

 それも、老人から聞いている。事故にあった当初、様々な精密検査をしたと。

 そして見つかった。頭の中に、妙な影が。

「それが、わたしが長く生きられない原因」

「どうして、そんなのが?」

「わからないよ。先生も首を捻るくらいだから。わたしみたいなろくに学校にも通えていないような奴にわかる訳がない」

 でもね、と遠島は顔を上げた。

 じっと、俺を見る。俺と、視線を交わす。

「わたし、わかってたんだ。それが、キクさんだって」

「……は?」

 意味がわからなかった。

 脳に現れた黒い影。その影と国木田キクがどうして繋がるのか。どうやったら彼女がその影の原因となり得るのか。その全てが、俺にはまるで理解できなかった。

 思考が混乱する。ぐらぐらと、揺れ動く。

「ふふ、困ったって顔だね」

「だって、そりゃあおまえ……いきなりそんなこと言われたって」

「そだね。……でも、どうしようもないことなんだよ」

「そ、そんなこと……!」

 ない、と言おうとして、言えなかった。

 なぜなら、それは無責任なことだからだ。

 俺には遠島の死を取り除いてやる術はない。だから、軽々しくそんなことを口にすることは不可能だ。

 俺の心境を察した訳でもないだろうが、遠島は不意に俺から視線を外した。

「もしこのキスが終わったら、わたしは二度とあなたの前に現れたりしないから。だから、あなたは何も感じなくていいんだよ」

「何を言って……そんなこと」

「ごめんね」

「おい、遠島?」

 ぱたり、とそれ以降口を閉ざしてしまった遠島。

 俺は彼女ともう一度話したくて、肩を掴み、起こそうと必死に揺り動かす。

「……麟太郎様?」

「……どうして」

 次の瞬間には、さっきまでの遠島の表情は引っ込んでいた。

 かわりに、国木田キクの人格が表に現れている。

「ああ、麟太郎様」

「待て、俺は麟太郎なんかじゃない」

 抱き付いてくる国木田キクを引き剥がそうと、俺は必死で彼女の頭を押さえる。

 それが気に喰わなかったのか、国木田キクは眉間に皺を寄せ、唇を尖らせた。

「どうしてわたくしを拒絶なさるのですか? わたくしとあなた様は、あれほどに愛し合っておりましたのに」

「どうしてって……そりゃあ俺は麟太郎なんかじゃないし」

「いいえ、あなたは紛れもなく麟太郎様ですわ。その凛々しいお姿を見間違えるはずがありませんもの」

「……黙れ」

「いいえ、黙りませんわ。わたくしとあなた様は添い遂げる運命なのです。例え、死が二人を分かつその時がこようとも」

「え……?」

 その一言に、俺は違和感を感じた。

 いいや、それだけじゃない。思い返せば、おかしな点はたくさんあった。

 例えば、俺を麟太郎とかいう奴だと思い込んでいるところとか。

「……俺は誰だ?」

「おかしなことをお訊きになります」

「答えてくれ」

「あなた様は麟太郎様でございます。わたくしの最愛の人」

「今はいつだ? どういう状況なんだ?」

「何をおっしゃいます? 今は大戦のただ中でございましょう? あなた様がわたくしのところへ生きて戻っていらっしゃったこと、本当に嬉しく思っておりますのに」

「大戦って……」

 どういう、ことだ? どうしてそんなことを言うんだ、こいつは。

「今現在、多くの戦友の方々が死地にてお亡くなりになられていることに心を痛めておいでなのは重々承知しております。けれど、今は……今だけはわたくしとこうしていてくださいまし」

 国木田キクが、再び俺の背中へと手を回す。

 今度は、俺も抵抗はしなかった。

 いや、それより考えなくてはならないことができたのだ。

 国木田キクが生きていた時間と俺や遠島が生きていた時間が決定的に異なることを、認識しなくてはならない。

 今、国木田キクは本気で悲しんでいる。そして、本気で喜んでいるのだろう。

 まるで、今まさに彼女自身に身に、災難が降りかかっているかのように。

 俺は多重人格についてそれほど詳しい方ではない。マンガや映画なんかで少し触れた程度の認識しか持っていない。

 だから、そんな俺の拙い知識を総動員して考えるなら。

 彼女は……国木田キクは今現在を持って、戦争の真っ只中にいる、ということになる。

 俺からすれば、教科書でしか読んだことのないような、血みどろの戦場にいることになる。

 それは本当なのか? この国木田キクがてきとーなことを言っているだけなんじゃないだろうか。ともすれば、これは全部遠島の虚言ということも考えられる。

「……あなた様は、わたくしを抱いてはくださらないのですね」

「抱いてっておまえなぁ……」

 あまりに露骨な単語に、思わず吹き出しそうになった。

 俺はどうにか口の中からエクトプラズマを吹き出すのを我慢する。

 耳元で、遠島の……国木田キクの柔らかな吐息が感じられた。

「わたくしはずっと、この時を待っていました。……あなた様は、そうではないのですか?」

「何度も言ってるだろう。俺は麟太郎なんかじゃないって」

「いいえ、あなた様は麟太郎様でございます。わたくしのよく知る、とても優しい、最愛の人でございます」

「……最愛とか軽々しく言うなよ」

「軽々しく口になどいたしませんわ」

 慈しむような、国木田キクの口調に、俺は心を絆されようとしていた。

 もう、このまま彼女の望むように、麟太郎として振舞うのもありかもしれない。

 遠島は自分はあと三日の命だと言った。遠島が死んでしまったなら、国木田キクの人格もこの世から消滅するだろう。

 せめてその間だけでも、彼女たちの望む俺であったとして、罰は当たらないだろう。

 俺はゆっくりと、おそるおそる国木田キクの背中に手を回した。

 ぎゅっと、わずかに両腕に力を込め、その体を抱く。

「……ああ、キクは幸せでございます。とても、幸せでございます」

「悪かったな」

「いいえ、大丈夫。キクは信じておりました。麟太郎様は必ず、わたくしのことを思い出してくださると」

「……ああ、そうだな」

 思い出してくださる、か。

 俺は胸の内にどす黒い何かが溜まっていくのを感じた。

 それはおそらく、罪悪感と呼ばれる何か。もしくは、後ろめたさとか、そんな言葉で言い表すべきもの。

「……せっかくこうして会えたのですから、思い出を作りましょう」

「お、思い出?」

 唐突にいいことを思い付いた、というように声を弾ませる国木田キク。

 俺は何だか嫌な予感がして、背筋を伸ばした。

「ええ、わたくしたちの愛の結晶……子供を」

「ごふっ!」

 これにはさすがに耐え切れなかった。

 俺は盛大に口の中からエクトプラズマを吐き出した。

「な、何だって!」

「何ってそのままの意味ですわ。わたくしと麟太郎様。二人の愛の結晶であるお子を、一緒に作りましょう」

「バカかおまえ、俺たちはまだその……結婚もまだで」

「でも、今しか機会はないと思いますわ」

「どうして……?」

「だって」

 国木田キクの表情が、曇った。

「今の逃せば、またあなた様は遠く戦火の大空へと飛び立たれるのでしょう?」

「それは……」

 そんなことはない。俺はただの学生なのだから、夜が明ければまた学校へ行く。それだけのことだ。

 しかし、今の遠島に、国木田キクにそんなことを言ったところで理解は得られないだろう。何せ相手は自分を戦時中の人間だと思い込んでいるようなのだから。

 だから、国木田キクのこの願いは、きっと妥当なものなのだろう。

 好き合った相手との間に子供が欲しい。女として生まれたからには、それが幸せなのだろう。

 例え仮初であったとしても、その願いを叶えてやりたいと思う。思う、のだが。

「……大丈夫だ。俺は必ず、おまえの元へと帰ってくる」

「本当でございますか?」

「ああ。本当だ」

「……わかりましたわ。このキクは、いつまでもお待ち申しております」

 すっと、国木田キクの体が俺から離れる。

 彼女の瞳が、ゆったりと閉じられる。

 顔の造りは絶対的に遠島のそれだ。なのに、目を閉じ、わずかに唇を突き出したその様子には、どきどきさせられてしまう。

 つ、ついにこの時が来たのか。

 俺は緊張に胸を高鳴らせながら、そう思った。

 キスをして欲しい、というのが遠島の願いだった。

 それは国木田キクという人物の望みであり、その望みを叶えることこそが、麟太郎としての俺の役割だ。

 頭では理解している。そんなことは百も承知だ。

 けど、実際問題としていざその瞬間になった時、俺は臆していた。

 緊張……もあったのだろう。遠島の肩に触れ、じっと彼女の唇を見つめる。

 つやつやとしていた。ぷるんとしていた。

 まだみずみずしく、けどどこか艶かしい。そんな唇だった。

 遠島の唇に俺の唇を重ねる。例えそれが必要なことだとわかってはいても、興奮を抑えられなかった。

 だ、大丈夫か、俺。鼻息が荒くなってないか。汗、ひどくないか。

「い、いくぞ……」

「はい、来てくださいまし」

 そして俺は、国木田キクとキスをした。

 長いような短いような、そんな時間。俺たちは唇を重ねていた。

 やがて、唇を離す。と、そこにはうるんだ瞳の国木田キクがいた。

 どことなく嬉しそうな、それでいて悲しそうな。そんな印象の彼女が。

「……これで、お別れなのですね」

「えっと……でも、ちゃんと帰ってくるから。大丈夫だ」

 きっと、麟太郎ならこう言うだろう。

 そう思われる言葉を、つなぐ。

 国木田キクは嬉しそうな、寂しそうな表情をして、にっこりと笑った。

 それがどういう意味を持つのか、俺にはまるでわからなかった。

 

 

                       5

 

 

 遠島の容態が急変したのは、その直後だった。

 突然に意識を失い、俺のベッドで苦しそうに呻き声を出している。

「おい、どうしたんだ、遠島!」

 遠島の体を揺り動かす。けど、返事はなかった。

 どうしたらいいんだ。と、俺は内心でパニックを起こしていた。

「ええと……そうだ、一一九番に電話を」

 携帯を手に取り、震える指先で番号を押す。

 数回のコール音のあと、ようやく繋がった。

 俺が事態を伝えると、すぐに救急車がやってくるということだった。

 すぐに両親をたたき起こした。どうせバレるんだったら、いつ起こそうが一緒だ。

 とにかく今は、遠島を一刻も早く病院へと連れて行くことが先決だ。

 ほどなくして、救急車が到着した。

 遠島と俺は救急車へと乗り込み、病院へと向かう。

 その時ほど、俺は俺自身の短い人生の中で、焦燥を感じたことはなかった。

 遠島の死。それは前々から言われていたことだった。

 遠島は死ぬ。自らも言っていたそれは、およそありえない速度で現実のものとなろうとしていた。

 遠島は病院に着くと、すぐに処置室に運ばれて行った。

 俺はその手前の廊下で、一人待っていることしかできなかった。

「……何だって、こんなことに」

 わかっていたはずだ。遠島がよくわからない病気だってことは。

 頭の中に黒い影を持ち、いつ何時死に至るかわからない病だってことは。

 けど、それにしたってあと三日は猶予があるはずだった。

 それが、これほど早くその時が訪れるとは。

 あとになって、遅れて両親が到着した。二人は何が起こっているのかわからないといった様子だったが、俺だって今の状況を説明してやれるほどの心理的な余裕はない。

 それから数分後。ようやく遠島の保護者でもある老人が到着した。

 老人は落ち着き払った様子で、じっと処置室の赤いランプを見つめていた。

「……ついに、この時が来てしまったか」

「えっと、どういうことなんですか?」

「? あなた方は?」

「ああ、私たちはこの子の親です。実は事態がよくわかっていない状況でして」

「なるほど。……簡単に言えば、孫娘はもうすぐ死んでしまうということですな」

「え? ええと……」

 反応に困った、というように目を逸らす俺の両親。

 それはそうだろうとは思うが、今はそういう反応は止めてほしい。

 遠島が苦しんでいるのだ。もっと、大人としてふさわしい態度をとってもらたいものだ。

 なんて感じで俺が八つ当たり気味に思っていると、処置中のランプが消えた。

 終わったのだろう。中から医者が出て来る。

「と、遠島はどうなったんですか!」

「一応手は尽くしたのですが……おそらく持ってあと数時間といったところでしょう」

「なっ! ……だって最初は半年って」

「何があったのか、こう容態が急変しては、もう助からないでしょう」

 冷たいとすら感じさせる医者の一言。

 俺はなお言い返してやろうとしたが、言葉が浮かばなかった。

 何も言わない俺を見てどう思ったのだろう。医者は俺の隣を通り過ぎ、両親の元へと向かった。

「ご両親ですか?」

「えっと、違います。あちらの方が」

「……すみません。では、あなたにお伝えしなくてはならないことがあります」

「何でしょう」

 落ち着き払った老人の声が聞こえてくる。

 孫が死にそうだってのに、何だってそんなふうな態度が取れるんだ、このじじい。

 俺が歯噛みしていると、処置室の中から遠島が出て来た。

 遠島は意識を失っているようで、すーっと柔らかな寝息を立てている。

「……ご家族の方ですか?」

「あ、我々は違います。ほら、行くぞ」

「待っていただけますかな」

 老人が俺の手を引いて行こうとした両親を引き止める。

「……えっと、何ですか?」

「彼にはこのまま、残っておいてもらいたいのですが、だめでしょうか?」

「なぜ、息子が?」

「それが孫の最期の願いだからです」

「…………」

 そうと言われては、無碍にすることもできないのだろう。

 うちの両親は一般庶民だ。こうした場面に遭遇することなど今までになかったし、この状況下においてどんな対応をするのが正解かなど、わかるはずもなかった。

「……どうするんだ」

「俺は……一緒にいようと思う」

「そうか。じゃあ、またあとで迎えに来るから」

「ああ。悪いな」

 そう言い残し、両親は帰って行った。

 ずいぶんと冷たい態度だとは思ったが、あの二人にとって遠島は全く知らない赤の他人だ。

 ああした態度も仕方のないことなのだろう。

 俺は半ば無理矢理そう納得して、老人を振り返る。

 老人は困ったような顔で笑っていた。

「すまない。嫌なことに付き合わせて」

「別に。何てことないことですよ」

「……ああ、本当にすまない」

 老人はすまない、と繰り返していた。

 俺は別段、老人のことを責めるつりもなどなかった。そのかわり、彼を慰めたりする気にもなれなかった。

 ただ、俺はじっと遠島がこの世を去る、その瞬間を待っていたのだ。

 そして二時間後。

 ピーッという電子音とともに、遠島はあっけなくこの世を去った。


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