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来世でも君を愛してた。  作者: 付谷洞爺
3/7

二人の時間

遠島が登校して半日も経たない内に、俺と遠島が付き合っているのではないかという噂が流れ始めた。

 それというのも当然だろう。何せ遠島は自己紹介が終わるとすぐ、辛抱たまらんといった様子で俺の腕に自分の腕を絡めてきたのだから。

 何をするんだという俺の言葉も聞かず、遠島はその決して発育のいいとは言えない胸を押し付けてくるのだった。

 その翌日。俺の教室内での立場は非情に微妙だと言わざるを得ないだろう。

 なぜなら今日も、遠島が俺の側にやって来ては色々と聞いてもいない自分の身の上話を始めたからだ。

「……で、わたしは思ったんだ」

 ぐっと拳を握り、天井を見る遠島。

 それを聞き流し、俺はちらと周囲を見回した。

 注がれる、クラスメイトからの邪悪な視線。

 ちくちくと刺さるようなそれらを何とか無視して、俺は黙って遠島の話を聞いていた。

 俺が反応を示さないことがよほどお気に召さなかったのか、遠島はぷくーっとほほを膨らませ、唇を尖らせた。

「どうしてわたしの言うことに頷いたりしてくれないの?」

「どうしてと言われてもなぁ……」

 俺は遠島のことなんて何も知らない。だから遠島のことを知りたい。

 と、普通の恋人同士ならそう思うのだろう。きっと。

 しかし俺と遠島は付き合ってなどいない。それどころか俺はこいつに対して好きだの嫌いだのといった区分は持ち合わせていなかった。

 それを正直に言ったところで、この女にはさして意味はない。

 なぜならとっくに遂行済みだからだ。一度実証されたことを繰り返すなんて、それはバカのやることだ。そして俺はそこまでバカじゃない。

 俺は言葉を探して虚空を見回した。この状況では、きっと助け舟など期待できない。

 自分でどうにかするしかない。

「……おまえ、他の奴らのところにはいかないのか?」

「どういうこと?」

「俺にばっか話しかけて、他の奴とも仲よくなろうとは思わないのかって言ってんだ」

「それは思うけど、けど……何よりあなたのことが大切なの!」

「ちょ、おまっ……!」

 こんなところで大声で言うなよ、みんなこっち見てるだろう!

 遠島の不意打ちを喰らい、俺は慌てて周囲を見回した。

 ひそひそと囁き合う姿が映る。俺と目が合うや、サッと逸らす奴もいた。

 一体どんなありもしない噂話をしていることやら。それを考えるだけで、頭が痛くなってくる。

 俺は腕に巻きついてくる遠島をどうにか引き剥がすと、すっくと立ち上がった。

「どこへ行くの?」

「トイレだ。ついて来るなよ?」

「ははは、それはないよ。何言ってるの、もう」

 からからと遠島が笑う。

 いやおまえ、今の勢いだとついて来そうだと思ったから注意したってのに。

 何なんだ、こいつは。まあいい。

 俺は教室を出て、宣言通りトイレへと向かう。

 その途中で四ノ原と出くわした。

「……何だか疲れたような顔しているね」

「そう見えるか?」

「うん。何となくだけど」

「実際疲れた。何なんだよ、あいつ」

「知り合いなんでしょ? 違う?」

「違うな。俺はあいつのことを何も知らない。名前だって今日初めて知ったんだ」

 だから、知り合いのはずがない。あそこまでインパクトのある奴を忘れるなんて、ありえないことだ。

 だが、そんな俺の弁明は四ノ原には届かなかったらしい。猜疑心に満ちた視線で、侮蔑を込めて俺を見下してくる。

「別に君の交友関係をわたしがどうこう言えた義理じゃないんだけどさ、ああいう態度はどうかと思うよ」

「何だよ、ああいう態度って?」

「本気で言ってる?」

 信じられないというように、眉間に皺を寄せる四ノ原。

 俺は四ノ原の言っていることが、全くと言っていいほどわからなかった。

「どうして彼女、遠島さんが君のことをあれほど好きなのかはわからない。まさか一目惚れとかじゃないだろうし。とすると君と彼女の間で何かがあったと推測して然るべきだと思うんだよね」

「待て待て、俺とあいつの間には何もない。誓って本当だ。俺たちは初対面なんだ」

 何ならつきまとわれて困っているのは俺の方だくらい言ってやりたかった。

 言わないけど。

「ま、君たちのことなんてわたしにはどうだっていいことだよ」

「そんな冷たいこと言うなよ。おまえからもあいつに言ってやってくれよ」

「一体何を言えと? わたしから彼女に」

「他の奴とも話せって。そして友達を作れって言ってくれ」

 そして俺を自由にしてくれとも。

「わたしには無理だよ」

「な、何で……!」

「わたしの話なんてあの子が聞いてくれるとは思えないからだよ」

「そんなことはない。……きっと」

「もっと自信を持って言って欲しいんだけど」

 四ノ原の呆れ顔が嫌に突き刺さる。

「そんなこと言われたって俺も困る。俺だって全くの初対面なんだ」

「まだそんなことを言ってるの?」

 四ノ原はふぅとため息をつき、目を伏せた。

「わたしだって、仲よくなれるんなら仲よくなりたい。けど、そうはいかないんだよ」

「そんなことはない。四ノ原ならきっとあいつと友達になれるさ」

「無理無理。何せあの子、ずっと君にべったりなんだもん」

 肩をすくめ、嘆息する四ノ原。

 それを聞いて、俺は「うっ……」と言葉を詰まらせた。

「た、確かにな。ずっと俺と一緒にいたんじゃ話かけづらいよな」

「そういうこと。だから、わたしはそろそろ諦めよっかなと思ってるんだ」

「おまえ、遠島が来るの楽しみにしてたのに。いいのか?」

「いい訳ないんだけど、仕方ないから」

「仕方ないって……」

 話は終わったとでも言いたげに、四ノ原は俺の脇を通り過ぎていく。

 俺は四ノ原の後ろ姿をジッと見ていた。その、寂しそうな背中を。

 

 

                     1

 

 

 その後、遠島が俺の側を離れることはなかった。

 休み時間から放課後に至るまで、文字通り四六時中俺と一緒に過ごしていた。

 お陰で俺はこの上ない倦怠感を身にまとわせ、どこか気怠げな心持ちで帰路についていた。

 たった一日、あいつと一緒に過ごしただけだ。だというのに、どうしてこう疲れるのか。

 その答えはただ一つだ。

「……なぁ遠島」

「どうしたの?」

「そろそろ離れてくれると助かるんだが」

「嫌ー、だめ」

 遠島は即答し、更にぎゅーっと俺の腕に自分の腕を強く絡めてくる。

 そんなことをすると、遠島の決して小さくはない二つの膨らみが俺の腕に当たる訳で。

 俺としては、反応に困るというかなんというか。

 そのところをわかっているのかいないのか、俺に腕を絡めてくる遠島は非情に上機嫌だった。

「……はぁ、仕方がない」

「付き合って?」

「あーはいはい……って何突然言い出すんだ、おまえ!」

 びっくりした、あまりにさらっと言うもんだからテキトーに返事をしてしまうところだった。

 俺の反応が気に入らなかったのか、遠島はぷーっとほほを膨らませて抗議してくる。

「突然じゃないし。ここまでやってるんだから、わたしの気持ちに気づいてくれてもいいでしょう?」

「いやいや、待てよ。ちょっと待て」

 俺は必死になって、状況を整理しようと努めた。

 まず、なぜ遠島は俺にここまでの好意を向けてくるのか。

 当然俺を好きだからだ。ではなぜ好きなのか。ここがわからない。

「おまえは一体、何を考えているんだ」

「えー? だめ?」

「だ、だめというか……」

 俺たちはまだ出会って日も浅い。お互いのことをよく知らない。

 だから何だ、もっとお互いに相手を知ってからだな。

 と、俺が頭の中で反論を組み立てていると、遠島は殊更不満そうな顔になった。

「いいじゃん、別に。そんなことは小さなことだよ!」

「小さくねぇ! 全く持って小さいことじゃないんだよ! 自分が何言ってるかわかってる?」

「わかってるから、付き合お? ね?」

「わかってないだろう、おまえ!」

 話が通じねぇ。

 俺は何だか頭が痛くなってきて、その場に蹲った。

 何だ? どうしてこんなことになってるんだ? 全く意味がわからない。

「だ、第一、おまえ何だってそんなことを言い出すんだ?」

「えー……決まってるじゃん、そんなのぉ」

 さっきまでとは打って変わって、急にもじもじし出す遠島。

 ああん? おまえ、そんな風に恥ずかしがるような奴じゃないだろう、絶対に。

 何だか無性にいらいらするな、こいつ。

 俺は自分の中の怒りをどうにか押さえ込みながら、ほほを赤らめ、くねくねと腰をくねらせる遠島の言葉を待った。

「そんなのぉ……好き、だからだよ」

「……………………あっそ」

 ずいぶんと気を持たせた挙句にその答えか。

 予想通り過ぎる返答に、俺は小さく嘆息した。

 何が好きだから、だ。俺と遠島の間に恋愛感情はおろか友情の類いすらありはしないというのに。寝言は寝て言え、バーカ。

「んじゃ俺は帰るから。お疲れー」

「待って待って、どうして帰っちゃうの?」

「どうしてって……だってなぁ、おまえの茶番に付き合ってやるほど、俺も暇じゃないんでな」

 家に帰ったら色々とやるべきことがある。マンガの新刊買いに行ったり、ゲームしたり。

 他人から見たらくだらないことだろう。でも、俺にとっては重要なことだ。

 一日の疲れを取り、気力を充実させるために。

「だから、俺はもう行く」

「じゃあわたしも」

「……は?」

 何言ってんだ、こいつ?

 俺は遠島の言っている意味がわからず、思わず振り返った。

 すると、するりと俺の腕に遠島の腕が絡みつく。

「わたし、あなたの家に行きたい。いいよね?」

「よよよよくねーよ!」

 何だこいつ! 何だこいつマジで!

 バクバクとがなり出す心臓を落ち着けようと、空いている方の手を胸の前に持っていく。

 が、そんなことで何がどう変わるという訳でもない。

 心臓は鳴り止まず、俺は自然と肩で息をしていた。

「おま、自分が何を言ってるのかわかってるか!」

「もちろんだよ、ちゃんとわかってる」

 遠島はにへへ、と笑う。

 いやいや、おまえその顔は全くもってわかってないな。

「男の家に来たいって何言ってんだよ」

「変?」

「変だ。付き合ってる訳でもないのに」

「じゃあ付き合っちゃえばいいじゃん」

「いいじゃん、じゃねぇよ! どうしてそうなるんだ!」

 本当に、遠島の考えていることはわからない。

 何でそう簡単に、よく知りもしない男に色目使えるんだ? ビッチなのか?

「とにかく、俺はおまえと付き合うつもりはない。わかったか?」

「……わかった」

 しゅん、と目に見えて落ち込む遠島。

 何だか、俺が悪いことをしたみたいじゃないか。

「……わかったよ。少しだけだからな」

「ほんと!」

 パアアアッと、遠島の表情が明るくなる。

 さっきから落ち込んだり喜んだり、忙しい奴だ。

「しかしおまえも変わった奴だな」

「そう?」

「ああ、男の家に来たいとか、普通言い出さないだろ」

「そんなことないよ、あなたの家なら当然行きたいし、お父様やお母様にご挨拶だってしたいもの」

「……意味わかんないぞ、それ」

 どうして両親に挨拶をする、なんて発想になるのか。普通の女子高生なら、まずは告白して交際するところから始めるだろう。

「ところで、さっきから気になってるんだけど」

「あ? 何だよ?」

「そちらの人は誰?」

「そちらの人……? ってうおお!」

 遠島に言われて振り返ると、そこには四ノ原が般若のような顔で立っていた。

 俺は驚きのあまり、尻餅をつきそうになった。

「四ノ原、おまえ何で……」

「何でってそりゃあ、君の後ろ姿が見えたからだよ」

 ちらと四ノ原の視線が俺から遠島へと移る。

「もう仲よくなったんだ。教室でもくっ付いてたし、前から知り合いだったとか?」

「いやいや、全然知らないんだが」

 こんな変な奴、知り合ったら絶対に忘れないだろう。

 だがしかし、どんなに記憶を探ってみても遠島のような人間に心あたりなどなかった。

 それは即ち、俺と遠島は知り合いなんかではないということだ。

「ふーん……ねぇ遠島さん」

「な、何? えーと」

「あ、わたしは四ノ原。四ノ原春風って名前。よろしく」

「ええっと、よ、よろしくお願いします」

 四ノ原が差し出した手を、遠島はおずおずといった様子で握り返していた。

 む? 何だ? 俺にはあれほどくっ付いて来たのに、四ノ原相手だと態度が違うな。

 よくわからん奴だ。

「いやー、大変だったねー。入学初日から入院だなんて」

「うん、まぁ……でも、こうしてちゃんと退院できたから問題ない、かな」

「本当だよ。よかったよかった」

 ぶんぶん、と四ノ原が遠島の手を握ったまま激しく振り回す。

 遠島はどこか困ったような顔をしていたが、別段振り解こうとしないあたり嫌という訳ではないようだ。

 ただただ、反応に困っているようだ。

 さて、仲よくなった様子だし、俺はこれで失礼するとしよう。

 俺がそーっと二人から離れようとすると、目聡い四ノ原によってがっしと肩を掴まれた。

「どこへ行くの? まだ話は終わってないよ?」

「いやぁ……二人とも仲よくなったし、俺いらないかなーと思って」

「へへ、身勝手なこと言うんだね」

「そんなに身勝手でもないと思うんだけど……」

「黙れ」

「はい。ごめんなさい」

 こぇぇぇ! 何で四ノ原の奴こんなに怒ってんの? 全く訳がわかんないんだけど。

 俺はくるりと半ば強制的に身を反転させられ、ビシッと直立させられる。

 何? 一体これから何が始まるんです?

「あの、二人は一体どういう仲なの?」

「んー? 何、遠島さんわたしと彼の関係が気になるの?」

「へ? 彼? え?」

 四ノ原のムダに洗練された言い方に、びくびくと狼狽え始める遠島。

 そしてそんな遠島を、面白そうに眺める四ノ原。それはもう、玩具を与えられた子供のようにきらきらとした顔つきだった。

 嫌な予感しかしないな、これは。

「ねぇ遠島さん。あなたと彼の関係は?」

「か、関係……?」

「そう、関係性。まさか恋人なんて言わないよね? だって二人はほとんど初対面だし」

「こ、恋人じゃない……」

 遠島が小さく首を振る。

 俺があれほど拒絶していたんだ。さすがにはっきりとは言えないか。

 俺はホッと胸を撫で下ろした。ここで自信満々に恋人です、なんて言われた日には、俺は明日からクラスの連中にどんな目に遭わされるかわかったもんじゃないからな。

「じゃあわたしはこっち側」

「はぁぁ! 何考えてんだ、おまえ!」

 四ノ原がぎゅっと俺の左腕に自分の腕を絡めてくる。

 おま、こんな往来のど真ん中でそういうの、止めてくれよマジで……。

 俺は即座に周囲を見回した。一瞬ホッとしたのも束の間、今度こそピンチだ。

 幸いなことに、周りには知り合いの姿はなく、俺と四ノ原がくっ付いている様子を見られた気配もない。

 それでも人通りがあることに変わりはない。

 俺はカァーッと全身が熱くなるのを感じた。

「おい、離れろよ!」

「どうしてぇ? いいじゃない、別に」

「いや、おまえ場所を弁えて行動しろ。ここをどこだと思ってるんだ」

「いやいやだって」

 スッと、四ノ原が目の前を指差す。

 即ち、遠島を。

「と、遠島?」

 おずおずと遠島に声をかける。が、返事はない。

 遠島はぷるぷると肩を震わせ、俯いていた。どうしたんだ、一体?

 俺は四ノ原の腕を振り解き、遠島の顔を覗き込んだ。

「な、泣いてる……!」

 すると、そこにはぽろぽろと涙を流す遠島の姿があった。

「何で泣いてんだよ、そこまでのことかよ」

「な、泣いてないし!」

 ぐるんと背を向け、ごしごしと目もとを拭う遠島。

 ……明らかに泣いている様子だったが、ここは気にしないでおくのがベターだろう。

「あらら、やり過ぎちゃったかな?」

 四ノ原がてへぺろ、と小さく舌を出す。こいつ、本当に反省してるのか?

 全く反省しているように見えない四ノ原は放っておくとして。

 どうにかして、遠島の機嫌を直させないとだめだろう、これは。

「えっと……大丈夫か、遠島?」

「だから泣いてないって」

「いや、そんな話はしてないが」

 目もとを赤く腫らして振り返る遠島。

 その顔はどことなく、幼い子供のようだった。それがまた何とも言えず、胸のあたりをくすぐる。

「……仕方ないな。俺んち来るか?」

「え……?

「は?」

「でも、さっきはだめって言ってたのに……」

「別にだめなんて言ってないだろ。非常識だって話をしてただけで」

「大差ないと思うけど」

「うるさい。それでどうするんだ? 来るのか、来ないのか」

「もちろん、行くよ!」

 遠島はニッコリと満面の笑みを浮かべ、頷いた。

 あーあ、よりによって四ノ原の前でこんなことを言うなんて。ろくなことにならないだろうな、きっと。

「それじゃー早く行こう」

「待って!」

 ほら、来たよ。

 我が家へと舵を切ろうとした俺たちの足を止めたのは、四ノ原の怒気を孕んだ静止だった。

「どういうこと? どうして遠島さんが君の家に?」

「あーと、まぁちょっと色々あって」

「色々じゃあわからないよ! 二人はほぼ初対面のはずなのに、どうしてもうそうこまで仲よくなってるの?」

「初対面じゃないよ」

 スルリと俺の腕に自分の腕を絡めてくる遠島。

 四ノ原を見る目が、完全に動物が天敵を睨みつける時のそれだった。

 その視線を受けてか、四ノ原も遠島を睨み返している。

 バチバチバチッと、謎の火花が散っていた。

 ここは早く、この場から離れた方がよさそうだ。

「ええっと、それじゃあまたな、四ノ原」

 俺は遠島を右側に貼りつかせたまま、四ノ原に背を向ける。

 そうして、四ノ原から距離を取る。

 しばらく歩いてから角を曲がった。その時にちらと四ノ原の動向を伺う。

 追って来てはいないようだ。もしかすると、俺と遠島の関係性に驚いて立ち尽くしているのかもしれない。

 それなら好都合……でもないな。

 明日、学校で何を言われるかわかったものじゃない。

「どうしたの?」

「くっ……何でもない」

 今から明日のことを考えていても仕方がない。

 俺は遠島を連れ立って、自宅へと帰って行くのだった。

 

 

                     2

 

 

 そして到着した、俺んち。

 家族は出かけているようで、鍵を開けて中に入ると家の中は静まり返っていた。

 出迎えてくれたのは、我が家で飼っている白猫が一匹。

「わー、可愛い」

 遠島は手を叩いて喜んでいた。どうにか自分のところへ来ないかと苦心していた様子だったが、我が家の猫は結構な人見知りで、見ず知らずの人間にはまず懐かない。

 遠島も例に漏れず、軽くあしらわれていた。

「残念だったな。今から出かけるみたいだ」

「そうなんだ。彼女のとこに行くのかな?」

「あいつはメスだ」

「じゃあ彼氏?」

「去勢済みだから違うと思うぞ」

 どちらにせよ、猫の恋愛事情なんか俺にはどうだっていいことだ。

 俺はどうしたものかと視線をさまよわせる。

 俺の部屋に連れて行く訳にもいかないだろう。かといっていつまでも玄関先で突っ立っていたってどうしようもない。

「あがるか?」

「是非!」

「お、おお……」

 遠島がもの凄い勢いで迫ってくる。

 俺は気圧されるように上体を仰け反らせた。

 遠島を家に上げ、とりあえず俺の部屋へと案内する。

 それから俺はお茶でも用意してやろうと再び階下へと降りた。

「……何だってんだ、あいつ」

 俺のことをろくに知りもしないだろうに、どうしてあいつは俺を好きだ、なんて言うのだろうか? そこに一体、どんな理屈が隠れているのか。

 全くわからなかった。一体遠島の頭の中身はどんな構造なのか、一度見てみたいくらいだ。

 俺はコップに二人分のお茶を入れ、茶菓子を持って自室へと戻った。

 ……まぁ予想はしていたが、遠島は全く大人しくしているような奴ではなかった。

 俺のベッドの下に顔を突っ込み、ごそごそと何かを探している。

 ん、まぁおそらくはエロ本でも探しているんだろう。お約束だ。

 だが残念だったなぁ。そこは先月うちのバカ母が掃除したばかりだ。例のブツなら既に別の場所に移してある。

 しかし、ここで得意げにそんなことを言う気にはなれなかった。

「……おい、何やってんだ、おまえ」

「うわああ! びっくりしたぁー」

 言葉の通り、遠島はびくんと全身を震わせて振り返った。

 その表情に一瞬、安堵の色が過ぎる。が、それも束の間のこと。

 自分が一体全体何をしていたのかを思い出したのだろう。かぁーっと顔を真っ赤に染め、わたわたと手を振って弁明を始める。

「違うの、これにはちょっとした訳があって」

「ほう? 他人んちで家探しするのに一体どんな理由があるってんだ?」

「あう……ごめんなさい」

 しゅんと目に見えて落ち込んでしまう遠島。

 とはいえ悪いのは遠島の方だ。同情するつもりはない。

 俺は部屋の真ん中にあるテーブルにお茶と茶菓子の乗ったお盆を置き、ベッドの端に腰を下ろした。

「ま、座れよ」

「じ、じゃあ失礼して」

 俺が椅子をすすめてやると、遠島は遠慮なく即座に腰を落ち着けた。

 おい、言ってることとやってることが違うぞ。……まぁいいけど。

「それじゃあ聞かせてもらうか」

「聞かせるって? わたしに何を聞きたいの?」

「とぼけるな。何のためにおまえを連れて来たと思ってるんだ」

「そう言われても困るなぁ」

 とぼけているのか本当に困っているのかわからなかったが、ともかくこれ以上聞いたところで遠島が俺の質問に答えてくれることはなさそうだ。

「まぁいい。んで、何か面白い物はあったか?」

「全然見つからない。男の子なら当然あると思ったんだけど」

「はっ! そりゃあ残念だったな。なら帰るか?」

 何だ、ただエロ本探しに来ただけか、この女。

 俺はどこか拍子抜けした気分になって、ホッと肩を落とした。

 よかった。クローゼットの奥に隠し場所を変更しておいて本当によかった。

「んーん、まだ帰らない。……ん? どこ見てるの?」

「へ? ああ、いや何でもない」

「クローゼット……ははん、なるほど」

「ま、待て遠島」

 呼び止めるも虚しく、遠島はすっくと立ち上がり、クローゼットの前へと立つ。

 バンッ! と勢いよく開き、ぐるりと中を見回している様子だった。

 何でそんなにエロ本探しに必死なんだよ、こいつは。

「それ飲んだらさっさと帰れよ」

「えー、どうしてそんな酷いこと言うの?」

「酷いことなんて言ってないだろ。普通のことだ」

 部屋に女の子連れ込んでるなんて家族に知られたら大事だ。何を言われるかわかったものじゃない。

 本当なら、連れて来たくもなかったってのに。

「もう、連れないなぁ。……ああおいし」

 遠島はホッと一息つくと、改めてぐるりと部屋の中を見回した。

「うーん、何にもない部屋だね。少しは何か飾ったら?」

「うるさい。余計なお世話だ」

「何だったら今から買いに行く? 放課後デートしようよ」

「どうして俺がおまえとそんなことしなくちゃならないんだ。悪いが他をあたってくれ」

「ちぇ、あなたと一緒がいいのに」

 ぶすっと唇を尖らせ、不満を隠そうともしない遠島。

 四ノ原の前にいる時はあれほどおしとやかだったのに。ほとんど別人のようだ。

「……ま、少し話をするくらいなら問題はないが」

「本当? やった」

 遠島がにんまりと笑んだ。はて、どうしてそんな顔をするのか、俺にははなはだ疑問だった。

 ま、聞いたところではぐらかされるだけだろう。それに、こういう場合は大抵ろくな理由じゃないと相場は決まっている。話がこじれるのは目に見えているんだから、聞かない方が吉だろうな。

「じゃあ質問だ。おまえ、俺のこと好きなんだよな?」

「ええー、どうしてそんなこと聞くの? 恥ずかしいなぁ、もー」

 遠島は顔を真っ赤に火照らせ、くねくねと身を捩った。

 気持ち悪いな、こいつ。

 俺は胸の内に抱いたその感想を口にすることなく、こほんと咳払いをする。

「本当に聞きたいのそんなことじゃない。おまえと俺はほとんど初対面みたいなものだ。なのに、そんな人間を好きになるなんてことが本当にあるのか?」

「ええっと……一目惚れ、とか?」

「悪いが俺はそういうの信じてないんだ。それに、おまえ本当に俺のことが好きなのか?」

「……ま、やっぱりわかっちゃうよね」

 遠島は観念したというように、ひらひらと手を振った。

 そうして、お茶を一口含んでから、言う。

 信じられないような一言を。

「あなたのことを好きなのは、正確にはわたしじゃない」

「は? あーと……え? どういうことだ?」

「そのままの意味だよ。ありのままの意味」

「ありのまま……」

「その通り。あなたを好きなのは、わたしの知ってる人……うーん、この言い方も適切じゃないよね。何て言ったらいいんだろ?」

「俺が知るか。……んで? どういうことなんだ、それは」

「前世の記憶とか、過去の因縁とか。言ってしまえばそういうお話」

 テーブルの上から茶菓子の包みを一つ摘み、開ける遠島。

 そのまま口の中に放り込み、咀嚼する。

「んく……どう? これなら信じる?」

「ますます信用ならんな。おまえは一体何が目的なんだ?」

「目的はあなたと知り合うこと。仲よくなって友達になって恋人になることだよ」

 遠島は目を逸らし、どこかくすぐったそうにそう言った。

「むっ……そ、そうか」

 何となく、俺は遠島の顔をまともに見ることができなかった。

 ――と、その瞬間不思議なことが起こった。

「ただいまー……ってあれ? 何この靴」

「げっ! あの声は!」

 帰って来やがった。けど、まだ予定よりだいぶ早い。

 どうなってるんだ、一体。

「どうしたの? ってわわ」

「隠れるんだ、早く」

 俺は遠島をベッドに押し倒し、自分も寝転がった。

 頭から毛布を被り、やり過ごそうと試みる。

「入るわよー……って何してんの、あんた?」

「か、母さん、早かったんだな」

「ええ、ちょっと予定が変わって。……あんたこそ何してるのよ?」

「あの、ええっとこれは……な、何でもないんだ」

「……ははぁん、お邪魔だったかしら?」

 母さんが何かを悟った様子で、ニッと笑った。

 俺は母さんが何を察したのかを察して、サァーッと青ざめる。

「ところであんた、汗すごいわよ? 熱くないの?」

「で、でんでん! 全くちっとも熱くなんかないが!」

「あっそぉ……ま、ほどほどにして切り上げなさいよ。それと、避妊はちゃんとすること。あんたたちはまだ学生なんだから、そのへんは弁えなさいよ」

「んな! ちがっ」

 弁明しようとするが、母さんは俺の話を聞くつもりなどないらしい。

 ぱたん、と扉を閉め、部屋から出て行ってしまった。

 いやいやいやいやいや! ちょっと待てやごらああああああ!

 何でそうなるんだよ、何で!

 俺は母さんの寛容っぷりにほとほと呆れてしまった。

「くそ、何で俺がこんな目に……」

「親公認なんて……すごくいいお母さん」

「待て、どうしておまえはそんなに嬉しそうなんだ? あんな誤解をされて」

「だって、これはもう責任をとってわたしをお嫁にもらうしかないと思うんだけど」

「それはおかしい」

 俺はのそのそとベッドから這い出した遠島に向かって、ビッと人差しを突き出した。

「例えばそれが事実なら仕方のないことかもしれない。嫌々でも俺は責任をとるために力を尽くすだろう。だが、今回のことは全くいわれのないことだ」

「事実なんてどうだっていいこと。重要なのは周囲の認識だから。……それに、今すぐ既成事実を作ったってわたしはいいんだよ?」

 一旦は離れたと思った遠島が俺の方にしなだれかかってくる。

 俺は遠島から距離を取ろうと身を捩ったが、遠島は離れようとはしなかった。

「ああくそ、離れろよ」

「そんなこと言わないで。……わたしと気持ちのいいことしようよ。ね?」

「気持ち悪いことの間違いだろ」

 何でおまえとそんなことをしなくちゃならないんだ。

 遠島の訳のわからない言い分を軽く却下して、俺はようやく遠島から距離を取る。

「どうしてそんな反応するの? それでも男の子なの?」

「どういう意味だ!」

「どういう意味も何も、そのままの意味だよ。せっかくわたしから誘ってあげてるのに」

「おまえの目的がわからない以上、軽率な行動はできない。そう思っているだけだ」

「目的だなんて……そんな大それたことは考えてないよ」

 遠島はやれやれといった様子で、小さく吐息した。

 ため息をつきたいのはこっちだっての。

「とにかく、もう満足しただろ。今日はもう帰れ」

「でもいいの?」

「ああん? 何がだ?」

「だって今、下にお母さんいるんでしょ?」

「うっ……」

 遠島のしてやったりというような得意げな顔を見て、のどを詰まらせる。

 そうだ、今は下の階に母さんがいるんだった。この状態で遠島を帰せば、確実に今夜のからかいのネタにされる。

 いや、それだけならまだいい。これが親父の耳に入ったりしたら、こんこんと説教を受けるハメになるのは明らかだ。

 俺はその場に蹲り、頭を抱えた。

「どうすればいいんだ。何もやましいことはしていないのに、どうして俺がこんな目に遭わないといけないんだ」

「誰もいない家に女の子を招いている時点で説得力なんてないんだけどね」

 ニッコリと、遠島が微笑んだ。

 こいつ、まさかこの展開を見込んでうちに来たがったのか?

 有り得ないことだとわかってはいたが、どうしても疑ってしまう。

 しかし、今このアホのことを気にしていてもどうしようもない。

 俺は遠島を家から追い出すべく、策を巡らせる。

「……まずは部屋から出る。そのあとは階段を降りて玄関まで一直線だ」

 つまり、その間に母さんと鉢合わせさえしなければ、まだ勝機はある。

「よし、行ける」

 俺はぐっと拳を握り、決意を固めた。

 見つかる可能性なんて考えない。そんなことを考えていたら、永遠に行動できなくなってしまう。だから、行くぞ。

「遠島、行くぞ……って何やってんだ、おまえ」

「えー、もうちょっといたいよー」

 振り返ると、遠島は俺のベッドの腕で全身をすりすりしていた。

 枕の顔を埋め、すぅーっと大きく匂いを嗅いでいる始末だ。

「止めろ止めろ! すげー恥ずかしいから」

 全身にぶつぶつと発疹が起こるようだ。

 俺はぶるりと身を震わせ、遠島をベッドから剥がし起こした。

「とにかく、今日はもう帰れ。途中まで送ってやるから」

「わーい、ありがとう!」

「バカ、大声出すな」

「えー? だってもうお母さんにはわたしがいるってバレてると思うよ? 玄関に靴置いてたし」

「それは……」

 遠島の言う通りだ。けど、そこは理屈ではなく感覚的な問題なので、黙らせておく。

 ゆっくりと、なるべく音を立てないよう扉を開ける。

 俺の部屋のすぐ目の前は階段になっていて、その階段を降りれば玄関までは一直線だ。

 簡単なミッション。そのはずだ。妙なイレギュラーさえなければ。

「よし、行くぞ」

 階段下、そして廊下に誰もいないことを確認しつつ、俺は遠島を先導して玄関へと向かう。

 ここまで、母さんと鉢合わせすることもなく、残る課題は靴を履き終えるまでの時間、母さんがリビングから顔を出さないかどうかということだ。

 母さんは今朝から出かけていた。なら、きっと疲れていることだろうからその点は大丈夫だと思うが、果たして上手くいくかどうか。

 そーっと、階段の影から顔を出す。

 大丈夫そうだ。

「行ける」

 俺は小さく遠島に合図する。俺の意図が伝わったのか不明だが、遠島は身を屈め、せかせかと近づいて来る。

 それから少しの間、周囲の様子を伺っていたが、母さんがリビングから顔を出す気配はない。

 俺は遠島を連れて、玄関にたどり着いた。一緒になって靴を履き、外に出る。

 うちから少し離れた場所に公園がある。とはいえブランコと砂場がちょこんとあるだけの、簡素で寂れた公園だ。

 地元の子供だって、今では全く寄りつかない寂れた公園だ。

「……ここまでくれば一安心だろ」

「何もこんなところにまで来なくたっていいのに」

「そんな訳にはいかない。何せ相手は母さんだからな」

 用心するに越したことはない。特にこうした場面においては。

「んじゃ、今日はもう帰れ」

「え? 送ってくれるんじゃ……?」

「送ったじゃないか。ここまで」

「な、何それ!」

 憤慨した様子で、遠島が俺を睨み据えてくる。

 しかし、普段から他人を睨みつける、という行為に慣れていないのか、遠島の瞳には全くと言っていいほど眼光と呼べるものはなかった。

 俺はしっし、とノラ犬でも追い払うような仕草をして、遠島を遠ざける。

「さっさと帰れ。そして二度とくるな」

「べーだ! ……また学校で」

「……ああ、まぁ学校だったら」

 俺と遠島の関係性は最早、学校では話題の的だろう。

 今更否定して回ったところで、燃焼材を投入するようなものだ。

 噂が一人歩きして、余計に酷い噂を招く恐れの方が断然高い。

 なら、学校でのことは早々に諦めてしまうのが賢明だろう。

 俺は小さく肩を竦めると、ため息を吐いた。

 遠ざかって行く、遠島の後ろ姿を眺めながら。


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