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来世でも君を愛してた。  作者: 付谷洞爺
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変な女

パラッとページをめくる。

 するとそこには、背中に大火傷を負った子供の痛々しい写真がでかでかと表示されていた。

 写真はカラーではなく白黒で、今からおよそ百年前に外国人の手によって撮影されたものだと記載されていた。

「えー、当時の生活は貧困を極め、国民は一致団結して戦勝国へなろうと必死だった」

 富国強兵。祖国主義。神風特攻隊。

 両開きのページのあちらこちらに、そんな文言が何度も登場する。

 国民の大半の命を犠牲にして戦いを推し進めていったその挙句、敗戦国となったのは言うまでもない。

 結局は、命のムダ使いだったということだ。

 教室の前の方、教団の後ろで版書をしながら、いかに百年前のその戦争が悲惨だった化を語る教師。彼とて直接見聞きした訳ではない。

 ただ伝え聞いた話を目の前の生徒に語って聞かせているだけだ。

 こんなことに何か意味があるのだろうかと俺は思う。

 所詮は他人からの伝言ゲーム。どう言ったところで、当時の彼らが体験した恐怖、苦痛、屈辱、怒り、哀しみ、嘆き、憤り。そんなものを感じることなどできないのだから。

 どれほど想像力を働かせたとしても、結局は想像でしかない。

 歴史は繰り返すという。だからムダなことなんだ、こんなことは。

 テストの点数稼ぎ以上の意味はなく、無論社会に出ると何の意味もない。

 俺は頬杖をついて、滔々と語る教師の話をあくびを噛み殺しながら聞いていた。

 それでも、テストの点数稼ぎほどの意味があるのなら、今の俺にとって聞いておくべきことなのだろう。

 そうしておおよそ、三十分という時間が過ぎた。

 うつらうつらと船を漕ぎ出した俺の耳に、終業を告げるチャイムの音が聞こえてくる。

 俺はハッと顔を上げ、周囲を見回した。それまで授業を行っていた教師が出て行き、教室には一種の弛緩した空気が流れ出す。

 やっと終わった。

 昼休み終了後の五時件目の授業。四次元目は体育で、昼食を食べ友人と騒いでいたから、先ほどの授業ではその疲れが出たのだろう。酷く眠たかった。

 俺は大きく伸びをすると、これまた大きくあくびをした。さっきは思いっ切り出せなかったからちょうどいい。

 それから友達と少しの間駄弁り、HRを終え、帰り支度を済ませる。

 友人とまた明日と挨拶を交わし、帰路につく。

 部活のある連中はまだ練習に励んでいるようだ。部活はなくとも教室で駄弁りたいだけの連中も、同様に教室に残っているらしい。

 俺はそのどちらにも属していなかった。それというのも人づきあいは得意な方じゃないからだ。とはいえ苦手とも言えない。まあ普通と言っておこう。

 誰かと話すのは嫌いじゃない。けれど、長く一緒にいると苦痛を感じてしまう。

 感覚としてはそんな感じだろうか。どちらかと言えば一人の時間を大切にしたいと、そう思うから。

 校門から学外へと出ると、途端に何かから開放されたような気分になった。たぶん色々と学校の中じゃしがらみを感じていたのだろう。これでも。

 俺は長く落ちる影をぼうっと見つめながら、急ぐでもなく家を目指した。

 

 

                       1

 

 

 家に帰り着くと、まずもって誰もいなかった。

 などと言っても、別に一人暮らしという訳じゃない。単に俺が一人っ子で、両親が共働きというだけのことだ。

 なので、俺は渡されていた玄関の鍵を取り出し、家の中に入る。当然、シンと静まり返った家の中は物寂しく、人の気配がなかった。

 親父とお袋にとって、ほとんど寝に帰るためだけの場所なので、基本的に生活集はあまりしない。故に物が少なく、それを片づいていると両親は言う。

 俺としては単に、散らかりようのないだけだと思う。が、わざわざそんなことは口にしない。する意味がないからだ。

 そんな他愛ないことを考えながら、俺は二階にあてがわれている俺の部屋へと向かった。

 パタンと扉を閉め、床の上に鞄を放る。

 制服から部屋着に着替えると、見えない縛りから解放されたような気分になってベッドの上に身を投げ出した。

 全身から力が抜けていくこの感覚。一日の中で、俺が一番幸せを感じる瞬間だ。

 何とか今日も生き延びたな。

 謎の安心感に包まれる。無事に帰って来れてよかったと、そう思う。

 きっと、今日行われた最後の授業のせいだろう。

戦争の話。

 俺と五歳しか違わない奴らが、下手をすれば同い年の連中が命を賭けて戦った話。

 あんなものを聞いてしまったから、こんなことを考える。

 馬鹿馬鹿しいとわかってはいてもつい、頭を過ぎってしまう。

 全く、どうしてしまったのだろうか、俺は。

 益体なく考えていると、不意に眠気が襲ってきた。

 俺は抗うことなく、すんなりとその睡魔を受け入れる。

 すぅっと、眠りに落ちた。

 

 

                       2

 

 

 夢を見た。怖い夢だった。

 立ち上る煙と人間の肉の焼ける匂い。

 鼻と目を覆いたくなるようなその光景おまえに、しかし俺は微動だにすることができなかった。

 まるで、俺の体ではないかのように言うことを聞かず、手にしていた薄手の帽子を胸に当てて、目の前の光景を黙って見つめていた。

 パチパチと木の爆ぜる音がして、立ち上る炎の向こう側に人の形をした影を見つける。

 その影が正しく人間だと気づくと、今度は途端に悲しくなった。

 何体も折り重なるようにして炎の中にいるその影の中に、友人がいたような気がしたのだ。

 あるいは親戚。

 または近所のおばさん。

 もしかしたら、兄弟や恋人。言葉を交わしたことすらない人もいたかもしれない。

 それでも悲しかった。炎の中にいるというのに唸るどころか身動き一つ、身じろぎ一つしないその理由を考えて。涙が溢れた。

 溢れて溢れて、止まらなかった。

 体中の水分を失ってしまうのではないかと思われるほど、泣いた。

 やがて炎は下火となり、鎮火されてしまった。

 あとには、真っ黒に焦げた死体の山が残された。もはや誰が誰か、判別することすら不可能なほどに焼け爛れたその姿に、胸の奥が切り刻まれたように痛かった。

 できるなら、彼らを蘇らせたいと。本気でそう願った。

 不可能だと理解はしている。だが、そう願わずにはいられなかった。

 そこで、目が覚める。

 ゆっくりとまぶたを持ち上げ、顔を上げた。

 両目の端を涙が伝っていると気づいたのは、少しぼうっとして、頭が冴えてきてからだった。

「全く……何だってんだ」

 俺は涙を拭い、ベッドから這い出る。

 階下へと降りると、洗面所で顔を洗い台所へ向かう。

 そこには、作り置きされていた俺の分の朝食があった。

「……別にいいって言ってんのに」

 両親ともに朝は早い。だからか、ここ数年まともに顔を合わせた記憶はなく、大した思い出もなかった。

 それを恨みに思ったことはなかった。二人とも大変だと理解はしているし、こうして毎日朝飯を用意していてくれることには感謝している。

 だから、まあ毎回ありがたくいただく訳ではあるが。

「それにしても、今日は一弾と気合が入ってるな」

 朝食自体は豪華とは言い難かった。しかし、母親の現状を鑑みれば、妙に力の入った料理と言わざるを得ないだろう。

 何か……いいことでもあったのだろうか?

 俺は不思議に思いつつ、朝食を平らげた。

 シンクに食器を置き、手早く身支度を整える。そうしてから、家を出た。

 カラッと晴れ渡った快晴。しかし、どこか不穏な静けさを感じさせる、そんな印象を持った空だった。

 いいや、考えすぎだろう。

 俺は気怠さを訴える体を何とか引きずって、学校を目指す。嫌々だけど。

「それにしても、なんて暑さだ」

 夏はまだ少し先のことのはずなのに、歩いているとじっとりと汗ばんでくる。

 不快だ。

 俺が一路学校への道を歩いているとご近所さんやクラスメイト、同級生などが挨拶をしてくる。ので、俺も挨拶を返す。

 その反面、どこか苛立ちのようなものを覚えた。

 はっきりとした理由は定かではないが、たぶんこの暑さのせいだ。

 背中にじっとりと汗を滲ませ、学校へとたどり着いた。

 靴を履き替え、教室へと向かう。

 教室の中は騒がしく、俺は思わず顔をしかめた。

 うるせぇ……。

 ざわざわとやかましい教室に入り、自分の席に座る。

 鞄を置き、窓の外を見る。すると、どこか夏の入りを感じさせる雰囲気があった。

 そう感じられたのは、屋内に入って少し気持ちに余裕ができたからだろう。

 俺は頬杖をつき、クラスメイトたちを遠目に眺めていた。

 そうして時間を潰していると、始業を告げるチャイムの音が鳴る。

「おら、席につけおまえら」

 担任教師が入って来て、がやがやと今だ談笑を続けているクラスメイトを叱責する。

 途端に教室が静になった。これでようやく、ホッと一息だ。

 担任教師による出席確認が始まった。出席番号順に名前を呼び、各生徒がそれに答えていく。

 俺の番になり、いつものように滞りなく返事をした。

 椅子に座り直して窓の外を見る。

 と、出席番号が一つ飛ばされたのがわかった。

「……遠島友里はまた休みか。ま、仕方がない」

 担任教師の諦め混じりの嘆息が聞こえてくる。

 俺は何となく、その様子を横目に見ながら、入学式以来学校に姿を見せることのないクラスメイトのことを考えた。

 遠島友里。年は当たり前だが俺たちと同い年で、入学式には出席したがそれ以降の授業、学校行事には姿を現すことはなかった。

 どうして学校に来ないのだろう。担任教師からの説明もなく、ただの憶測やデマ、果ては秘密結社の陰謀論まで出回っている始末だ。

 けれど、俺は知っている。なぜ遠島友里が学校に来ないのか。その理由を。

 遠島友里は入学式当日に交通事故にあったらしい。それからずっと、意識不明で入院しているのだと、教師どうしが話合っているのを偶然にも聞いてしまったのだ。

 それが入学式の翌日のことだ。

 だから、俺は実しやかに囁かれている噂の類いがただの噂だと知っている。

 全く馬鹿馬鹿しいといったらない。

 どいつもこいつも、勝手なことばかり言って喜んでいる訳だ。

 本当に下らない。

「遠島さん、また来なかったね。どうしたんだろう?」

「ん? ああ、そうだな。心配だ」

 俺の前の席で、担任教師の話を聞いていた同級生がひそひそと声をかけてくる。

 確か名前は……四ノ原春風、だったな。

「へぇ……佐島くん心配なんだ、遠島さんのこと」

「何が言いたいんだよ?」

 俺は何だか嫌な予感がして、ぴくりと眉を立てた。

 四ノ原はそんな俺の様子に気づいているがあえて無視しているのか、ニタニタと女子が浮かべるには不気味な笑みを浮かべている。

「別にぃ……何でもないよ。ところで佐島くん」

「な、何だよ?」

「遠島さんとはお知り合い?」

「いや、知り合いというほどのことはないけど。入学式の時に少し見かけたくらいで」

「ふーん、でも心配なんだ。たったそれだけしか会ってないのに」

「たぶん向こうは俺の顔は愚か名前すらしらないはずだ。……悪いか?」

 入学式以来学校に姿を見せないクラスメイトの心配をすることは、それほどおかしなことなのだろうか。何だろう、俺の感性が変なのか?

「んーん、全然悪くないよ。わたしも心配だから」

 そう言う四ノ原の顔は、全く同級生を心配しているという顔ではなかった。

 四ノ原は遠島の事情を知らないはずだ。学校側がその情報を意図的に隠蔽しているから。

 どうしてそんなことをするのか。気にならないではなかったが、知る術などないのだから気にするだけムダというものだ。

 話はそれで終わりだとでも言うように、四ノ原はスッと前を向いた。

 ちょうど担任教師が俺たちを睨んでいたから、いいタイミングだったと言えるだろう。   

 俺もあまり目立つのは好まないからな。

 

 

                     3

 

 

 さて、本日の授業がおおかた片づいた夕暮れ時。

 俺は昇降口で、ボーッと突っ立っていた。

 特に誰かを待っているという訳ではない。ただ何となくここにいて、山間に消えゆく太陽を見つめているだけだ。

 クラスメイトや同級生と挨拶を交わし、一しきりそうしてただ立ち尽くしていた。

 その作業にもやがて飽きがくる。

 そろそろ帰ろうと太陽から目を離した。――と、びくりと肩が震えた。

 それというのも、呆然自失の体で立ち尽くす俺の背後に四ノ原が忍び寄っていたからだ。

 にんまりと、女子っぽくない笑顔とともに。

「……何してるんだ?」

「それはわたしのせりふだよ? 君こそ何をしていたのかな?」

「何でもいいだろ。おまえには関係のないことだ」

「ふぅん……? ま、いいや。それより、少し聞きたいことがあるんだ」

「聞きたいこと? 何だよ?」

「えっとねぇ」

 四ノ原はくるりと背を向けると、くるくると指先を回している。

 まるで、何かこちらをおちょくっているような気がするな。

 俺は四ノ原の言う聞きたいことに対し、嫌な予感を抱いていた。そして俺の予感は大概よく当たる。

 案の条、四ノ原が訊ねてきたのは俺を困らせるだけの問いだった。

 具体的には、四ノ原の友人の所在を訊ねられた。俺のわかる訳がないので、知らないと答えておく。

 俺の回答は四ノ原にとっても予想通りだったのか、大して残念がったりはしなかった。

 かわりに、こつんと俺の肩を叩いてくる。

「つーか君、いつ見てもしけた顔しているね」

「……余計なお世話だ」

「もっと楽しみなよ? 何せ高校生活は一度きりなんだから。あとで後悔しても知らないよ?」

「そんなことを同級生に言われるとは思わなかった」

 四ノ原がそんな含蓄のあることを言うなんて以外……でもないな。

 こいつは割とこういうアホみたいなことを言う奴だからな。

 そこで俺たちの会話は途切れた。そのタイミングを見計らって、俺は校門を目指した。

 もちろん、四ノ原には挨拶を言っておく。すると四ノ原からも返事が返ってきたので、そこで俺たちの会話は本格的にお開きとなった。

 ……はずだった。

「何ついて来てんだよ?」

「失礼な奴だな、君は。わたしも帰ろうとしているに決まっているじゃないか」

「待ってなくていいのか?」

 確かこいつは友人を探していたはずだ。まだ学校の中にいるのなら、待っていた方がいいんじゃないかと俺は思うのだが。

 しかし、四ノ原はそうは思っていないらしい。

 俺の隣に並び、校門を出る。

「大丈夫だよ。何せ今日は早めに帰るって事前に言っていたからね」

「知っていたのならどうして俺にあんなことを聞いたんだ?」

「万が一、まだ学校に残っているのなら一緒に帰ろうと思ったけだよ。君はずっとあの場所にいたっぽいから、君なら見ているかと思ったが」

 期待外れだったということか。

 俺は嘆息して、肩を落とした。

「あっそ。それは悪かったな」

「別に責めてる訳じゃないんだけど」

「それで、どうしておまえは俺の隣にいるんだ?」

「へ? だって、一緒に帰る人いなくなっちゃったんだもん」

 何言ってんだおまえは? 的なきょとんとした目を向けてくる四ノ原。

 いや、おまえそれ理由になってないからな。

 とはいえ、これ以上四ノ原に何を言ったところでムダなんだろう。ここは早々に諦めるのが賢明か。

 それ以降、俺は口を閉ざした。四ノ原も別段喋りかけてくることなく、俺たちは淡々と我が家への帰路を歩いていく。

 しばらくして、四ノ原が立ち止まった。立ち止まる義理なんてないが、半ば反射的に俺も足を止める。

「わたしの家、こっちだから」

「そうか。んじゃまたな」

「うん、また明日」

 四ノ原と手を振り合い、別れた。

 んー、何だかここの絵面だけ見ると、恋人どうしみたいだな。絶対違うけど。

 四ノ原が恋人……。一緒にデートとかしてる姿を想像して、ないなと改めて思う。

 別段、四ノ原のことは嫌いじゃない。明るくて素直ないい奴だと思っている。

 しかし、どうも苦手なのだ。うまく言葉にできないが、苦手だ。

 だから恋人とかにはちょっと。友達としては本当にいい奴なのだが。

 何がだめなんだろう。

「さてと、んじゃ俺も」

 帰ろう。と爪先を我が家の方角へと向ける。

 と、歩き出そうとした俺の背中に呼び止める声がかかった。

「……えっと、誰?」

 俺は反射的に立ち止まり、振り返った。

 するとそこには、一人の女の子がいた。年の頃は俺と同じくらいか一、二歳年下といったところだろう。全体敵にほんわかとした雰囲気をまとっており、にっこりと柔らかな子供っぽい笑顔がずいぶんと印象的だ。

 こんな子、知り合いにはいない。ナンパ……の可能性はないだろうから、道に迷った中学生が助けを求めて、といった方がまだ幾分か説得力はある。

 俺は体ごと彼女に向き直った。

 鞄を肩にかけ直し、再度問いかける。

「どうしたんだ? 迷子か?」

「むむ、迷子じゃないし。あなたを探していたの」

「……俺?」

 一瞬ムッとしたような表情になって、それからまた笑う。

 全く忙しい奴だ。いやそれより、だ。

「俺を探していた、とはどういう意味だ?」

「誰、今の女?」

「は? 同級生でクラスメイトだが。つかおまえこそ誰だって話をしていると思うんだが?」

「わからない、わたしのこと?」

「ああ、わからん」

 ん? 待てよ……どこかで見たことあるような気がするぞ。どこでだ?

 うーん、と唸っていると、そいつは残念そうに肩を落とした。

「……残念ですわ。わたくしとあなた様は婚約まで交わしましたのに」

「――はぁぁ!」

 ビクッと全身が跳ねた。

 婚約? 何だそりゃ、全然身に覚えがないぞ!

「ど、どういうことだ! 俺とおまえが婚約って……まさか、親同士が決めた結婚相手とかか?」

「いいえ、違いますわ。わたくしとあなた様。二人の間で交わされた契ですわ」

「待て待て待て、俺はおまえとそんな約束をした覚えもない。一体何のつもりだ?」

「……ごめんなさい」

 深く腰を折り、謝罪を口にするその女。

 俺はその様子を呆然と眺めていた。どことなく違和感を感じながら。

「お、おまえ……何なんだ?」

「……まだ、言えない」

 どこか罪悪感を感じているらしい。

 そいつはスッと踵を返すと、トタタタタッと走り去ってしまった。

 あとには、呆然と立ち尽くす俺一人が残されたのだった。

 

 

                        4

 

 

「……何だったんだ、あいつは」

 昨日の出来事を思い出し、俺は呆然と窓の外を眺めていた。

 俺の前に現れた謎の女。どこかで見たような気がしたが、一向に思い出せない。

 一体、どこで見たんだ?

「どうしたの、何だか浮かない顔しているねぇ」

「四ノ原……おまえには関係ないことだ」

 今は四ノ原の相手をしてやる気にもなれない。

 しっし、と子犬で追い払うように四ノ原をあしらった。

 すると、四ノ原はそれが痛く気に喰わなかったようで、俺の希望とは対照的にどっかと前の席に腰を下ろし、睨みつけてくるのだった。

「な、何だよ……?」

「君、なかなかに酷いことを言うんだね」

「は? 俺が何を言ったって?」

「酷いことだよ、酷いこと。わたしのハートは痛く傷ついた」

 およよ、とわざとらしく演技臭い仕草をする四ノ原。

 その様子がまた、俺の神経を逆撫でしてくる。

「……今、おまえにかまってやる気はないから。少し一人にしてくれ」

「嫌だー、絶対にここから動かないもん」

「先生が来てもか?」

「席変わってもらう」

 そんなことをしても無理矢理元に戻されるだけだというのに。

 強情な奴だ。

 俺はそんな四ノ原に呆れ、嘆息する。

「……それで、一体何だってんだ?」

「お? 相手する気ないって言ってたのにどうして?」

「さっさと席に戻れ。そして二度と近づくな」

「嘘だよ嘘。冗談に決まってるじゃん」

 四ノ原が慌てたように弁解する。

 全く、こいつは。調子がいいったらないな。

 俺は四ノ原に見せつけるように、大きく吐息した。

「それで? 何か話があったんじゃなかったのか?」

「おっと、そうだった。……ちょっと先生が話しているのを聞いちゃったんだけど」

「何だよ?」

「遠島さん。遠島友里さんって、最近退院したんだって」

 どくん……! と心臓が大きく跳ねた。

 遠島友里。彼女は確か、入学式の当日に事故に遭い、入院していたはずだ。

 その遠島が退院。それはまた急な話だな。

 いや、本人にとっては喜ぶべきことなんだろう。無論、俺たちにとっても。

 しかし俺は、遠島の退院を素直に喜べなかった。なぜだ?

「いやー、めでたいねぇ。やっと遠島さんと友達になれるよ。ん? どしたの? 変な顔して」

「ああ、いや……何でもないんだ」

 ただ、四ノ原のように遠島の復帰を心から喜べないだけで。

 何が引っかかっているのだろう? 俺はほとんど顔も合わせたことのないクラスメイトに対して、どうしてここまで妙に心をざわつかせているのだろう。

 わからなかった。すぐに答えは出ない。そんな予感がした。

 よかったねぇ、と爛漫な笑顔を見せる四ノ原に、だから俺はすぐに賛同することができなかった。

 そして、そのタイムラグは四ノ原にとって首を捻らせるようなことだったらしい。

 四ノ原はどこか責めるような視線を俺に向けてくる。

「もしかして君、あんまり嬉しくない? 実は非情な奴だったんだ」

「そ、そんなことはない。ない、けど」

「けど?」

「何だか実感がないというかなんというか」

 友人が増える。それはもちろん嬉しい。

 けど……うーん。

「上手く言えないな。これは」

 俺は再度吐息して、四ノ原から視線を外した。

 天井を見上げる。そろそろ授業が始まる時間だ。

「ほら、さっさと戻れ。先生来るぞ」

「うへぇ……わかったよ」

 ようやく、四ノ原が俺の前からいなくなる。

 それと同時に、担任教師が教室に入って来て点呼を始めた。

 今日もいつもと変わらない一日が始まろうとしていた。

 

 

                     5

 

 

 一日の授業を終え、疲れた体を引きずって帰路につく。

 今日は四ノ原から不意打ちを喰らわないだろうかと冷や冷やしたが、そうした事態にはならず一先ず安心した。

 昨日と同じ展開になってしまったら、また会ってしまう予感があったからだ。

 あの変な女と。

 そんな事態は避けたかった。どうしても。

 面倒ごとには巻き込まれたくないからな。

「さてと、それじゃ帰るか」

 鞄を肩にかけ直し、坂道を降りる。

 昨日、四ノ原と別れた三叉路まで辿り着く。

 右、左と首を振った。例の妙ちきりんな女がいないか警戒してしまう。

 見当たらないことに、ホッと胸を撫で下ろした。

 また絡まれたら厄介だ。さっさと行ってしまおう。

 俺がそう思い、一歩を踏み出した。と、その時だ。

「いた、いたぁ!」

「……ちっ」

 思わず舌打ちが漏れた。

 何だこいつ? 待ち伏せでもしていたのか?

 俺は振り返らず、そのまま立ち去ろうと試みる。だが、女は俺の隣に駆け寄ってくると、早口にまくし立てた。

「また会えると思っていた。まるで運命みたい。あなたはどう? わたし、すっごく嬉しいって思う。思わない? そんなことないと思うよ。なぜならわたしみたいな美少女につきまとわれて喜ばない男の子はいないから。違う? 違う?」

「…………」

 うっぜぇぇぇ!

 女は肩で息をしつつ、きらきらとした視線を俺に向けてくる。

 俺は無視を決め込もうとしたが、あまりのうざさに眉間に皺が寄るのを自覚した。

「どうして何も答えてくれないの? もしかして今喋れなかったりする? 大丈夫、だったらわたしがたくさん喋るから。えーとねぇ」

「……何なんだよ、おまえは?」

 あまりの苛立ちに、自然と声が刺々しくなる。

 が、それ以前に失敗した、と思った。

 なぜなら俺が女の話に反応を返してしまったからだ。

 パァァッと女の表情が明るくなった。

 反対に俺は立ち止まり、半歩たじろぐ。

「何だよ……?」

「やっと反応してくれた。もしかしたら嫌われてるかと思ったから」

 さっきまでの態度を見てまだ嫌われてるかどうか疑っていた段階だったのか。

 俺はこの女の能天気振りにほとほと呆れてしまった。

 どうしてそこまでお花畑な解釈ができるのか、本当に不思議でならない。

「俺に何の用だ?」

「用がなかったら話しかけちゃいけないの?」

 面倒臭ぇ……何なんだよ、こいつ。

「だめに決まってるだろ。俺はおまえを知らんし」

「どうしてそんなこと言うんだ! いじわるか!」

「いじわるではないと思う。何と言うか……気色悪いと言うか」

「気色悪い……そ、そんな」

 がっくりと肩を落とし、落ち込む女。

 何だ? 気持ち悪いと思われていないと思っていたのか?

 突然現れてなれなれしく接し、変な言葉使いで愛の告白をされて今もこうしてつきまとわれている。

 これで気持ち悪いと思わない奴はいないだろう。あるいは気色悪い。

「落ち込みたいのはこっちなんだがな」

「でも大丈夫」

 何が大丈夫なのかわからなかった。

 女はゆっくりと顔を上げ、ぐっとサムズアップする。

「これからお互いのことを知っていけばいいと思うんだ」

「何言ってんだ、おまえ?」

 おそらくはこれ以上ないというほどの晴れやかな笑顔。

 俺はその笑顔を目の当たりにしてゾクッと背筋に悪寒が走った。

 これからも、こいつにつきまとわれることは決定しているのか。

「んで、話を戻すが」

 俺はコホンと咳払いをし、女のせいで脱線した会話の軸を戻す。

「どうして俺につきまとう? おまえの目的は何だ?」

「んー、わたしの目的かぁ……」

 女は困ったというよいうに口元に手を当て、考え込むように眉間に皺を寄せる。

 どうやら、本当に困っている様子だった。

「わたしの目的はあなたと仲よくなることなんだけど。それ以上を求められても困るといいますか何といいますか」

「俺と仲よくなったからといってどうだと言うんだ? そもそも俺たち、全くの初対面だよな? どうして俺と?」

「……それが願いだからだよ」

「願い? おまえのか?」

 女はふるふると首を振る。違うということか?

「誰かに俺のことを探って来てほしいと頼まれた……とか?」

「違うよ」

 ならなぜ、俺と仲よくなりたいなんて思うのだろうか。

 俺とこいつは正真正銘の初対面だ。俺とこの女が顔を合わせるのは、これが初めてのはずなのだが。

 どうしてこの女はここまで、俺の固執する? 正直言って怖い以外の感情がわかない。

「わからないって顔だね。わたしのことを警戒してる?」

「当然だろ。おまえの真意が見えない以上、警戒をするのは。怖いという感覚はむしろ正常だと俺は思う」

 何せ俺とこいつはまだお互いに名前すら知らないのだから。

 知らない……よな?

「ところで昔のことってどこまで覚えてる?」

「昔のこと……?」

 とはどこまで遡ればいいのだろう。

 中学時代? 小学時代? 幼稚園保育園。幼少期。まさか胎児の頃の記憶まであるのか、なんて訊かれたりしないだろうな。

 女の唐突とも思える話題替えについて行けず、俺は目を白黒させた。

 そんな俺の様子が面白かったのか、女はにんまりと薄気味悪い笑みを表出させる。

「ふふ、君はなんていい反応をするのだろう」

「遊んでいるのなら帰れ。俺はそんなに暇じゃない」

「嘘。暇なくせに。どうせ帰ったところで何をするでもないくせに」

「やることなら山のようにあるさ」

 ゲーム読書宿題エトセトラエトセトラ。どこからどう見てもやるべきことは山積していた。

 俺が迷惑そうに渋面を作ると、女は肩をすくめて仕方ないとでも言いたげに吐息した。

「それじゃあわたしは帰るから。また明日」

「あ? どういう意味だ、それは」

「すぐにわかるよ」

 女はウインクを一つすると、サッと踵を返した。

 その様子が妙に様になっていて、また腹が立つ。

「何なんだよ、あいつ」

 頭の片隅にいらいらとしたものを感じ、俺もさっさと帰ろうと帰路を急いだ。

 全く……訳がわからん。

 

 

                     6

 

 

 翌日は何事もなく過ぎ去り、更に三日が過ぎた。

 その間、学校は平和そのもの。特に問題もなく、あたり前に時間が進んでいく。

 そして四日後の朝。俺は寝不足の頭を引きずって登校した。

「眠そうだねぇ。夜更しした?」

「まーな。もっと早めに寝ればよかったと後悔しているところだ」

「一体何してたんだか」

「何でもいいだろう。それより何か用か?」

「用がなくちゃ話しかけただめなんだ」

「だめってことはないが」

 無意味に話しかけられるのも少し困る。特に眠たい今は。

 俺が返事に困っていると、四ノ原はどっかと俺の前の席に腰を下ろした。

「ところでさ」

 俺が返事をしなかったことを四ノ原は咎めるつもりはないらしい。

 話題を変えるように、四ノ原は顔中に高揚感を漲らせていた。

「いよいよだね」

「……いよいよって?」

「忘れたの? 遠島さんが投稿していくるの、今日からだよ?」

「ああ、そうだったんだ」

 それは知らなかった。興味がなかった。

 だってその事実が俺にどれほどの影響をもたらすのか、果たして知る由もないから。

「全く君は……そんなんだから彼女の一人もできないんだよ」

「大きなお世話だ。それで、遠島が来るから何だって言うんだ?」

「うっわ、本気で言ってるの?」

 四ノ原は呆れたというように口の端をへの字に歪めた。

 どうしてそんな顔をされなくてはならないのか皆目見当がつかなかった。

 だが、今はどうだっていいことだ。

 久々に登校してくる、顔も思い出せないようなクラスメイトのことよりもっと重視するべき懸念材料がある。

 あの女のことだ。あいつをどうにかして俺の前から消えさせることはできないだろうか。

 俺は半分以上真剣に、そのことを考え始めていた。

 しかし、俺の考えは甘かったのだとすぐに思い知らされる。

 ほどなくしてやって来た、担任の教師。彼のあとに続くように、その人物は教室に入ってきたのだった。

 天真爛漫な笑顔。肩口で切り揃えられた艶やかな黒髪。

 声は透き通っていて、よく響いた。制服の上からだとプロポーションについては言及するべくもないが、ともかく可愛いと評して問題のない、いわゆる美少女。

 当然、クラス内でどよめきが巻き起こる。主に男子を中心にして。

 可愛いだの、天使だの。好き勝手に言い合っていた。

 が、俺は他のクラスメイトたちと同じような反応を示すことはできなかった。

 その余裕はなかったのだ。驚き過ぎて。全く。

「ええっと、今日からみなさんと一緒に勉強する遠島友里です。よろしくお願いします」

 深々と頭を下げる遠島。

 その姿は、紛れもなく俺に近づいて来たあの変な女そのものだった。


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