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雨水に流す

少々残酷且つグロテスクな描写がございます。 ご注意ください。

でもこのお話だけなので。

 雨が降り出した時、

 男は線路に散らばった赤い肉片を呆然と見ていた。


「そんな所にいると濡れちゃいますよ」

 男の前に安っぽいビニール傘が差し出された。横を見ると、黒髪を緩い七三分けにした男性が立っている。ワイドフレーム眼鏡をかけ、白シャツにネクタイを結んだラフな出で立ちだ。

 急に声をかけられ、つい驚いて大きな声が出た。

「大丈夫っすよ、誰も見てないから」

〈眼鏡〉はケラケラ笑う。

 男は暫しその言葉を反芻していたが、ふと何かを思いついたように駆け出した。そのまま、目の前を通り過ぎた人間の肩を叩く。薄桃色のワンピースを着た、五十代くらいの女性だ。

「すいません、あの、ちょっといいですか」

 だが彼女は何も答えず素通りしていく。

「あの、聞こえてますか」

 彼はもう一度肩を叩き、やや大きな声で尋ねる。女性は振り向く事無く、階段を上がって行ってしまった。

 男は諦めなかった。続いて、スタジャンの若者――年頃は彼と同じくらいか――に声をかけた。だが返事は無い。通学途中の女子高生も、ホームに下りてきた子連れの若い夫婦も、誰も彼を気に留めるものはいない。寧ろ彼に気づいていないようだ。

「ほらね」

 振り返ると〈眼鏡〉がのっぺりした笑みを貼り付け立っていた。からかっているようにも、憐れんでいるようにも見える。

「言ったでしょ。あんたの事なんて、誰も見えてないって」

「そ、それは一体どういう――」

「だってあんた死んじゃったんですもん」

〈眼鏡〉が辟易したように首をぐるりと回した。


 彼は真面目な男だった。猛勉強の末に優秀な大学附属の高校に入った。 彼同様志の高い友人を作り、頭の悪い連中とは一切交際しなかった。

 卒業して、初めて出る社会というものは酷く刺激的だった。優しい人間にも、行儀の悪い人間にも出会った。理不尽な理由で叱られたりもした。学生時代以上に、自分の考えを殺す事が求められた。

 入社して二年、彼は遂に苦しみから解放される方法を思いつくに至った。

 今日の朝は低気圧だからか、それとも月曜日だからか、目が覚めるともう憂鬱で、会社の呪縛から永遠に逃れるには絶好の機会であるように思われた。


「それで、人身事故を起こして死にました、と」

〈眼鏡〉は手帳になにやら書き付ける。雨脚は段々強くなってきていた。作業員達も早く終わらせようと、バラけた肉体を集める手を早めているのが判る。

「いやぁ、見にきてみればグロかったっすねぇ、やっぱり。手脚とか変な風に曲がってて。挽肉になってた部分もあったかな、本当何度見ても慣れない。何もそんな醜態曝さなくても、ねぇ」

 うぇ、とわざと大袈裟にえづく真似をする。男は不安げに〈眼鏡〉の話を聞いていたが、やがて恐る恐る言った。

「あの、違うんです。私は、そりゃ確かに列車に撥ねられて死のうと思いましたよ。これで二度と会社行かなくていいかなって。

 でも、皆に見てほしくてやったわけじゃ……」

 彼はそこで言葉を切って、

「ところで、なんで貴方は私に話しかけられるんです? さっき誰も見てないって」

「死神が幽霊さんに話しかけちゃ悪いんですか」

〈眼鏡〉はさも当たり前のごとく言った。汚れ一つ無いレンズがキラリと光る。雨はプラットホームの内側にまで降り込んでいたが、彼のレンズにも、服にも水滴一つ付かなかった。

「ところであんた、今後どうするんすか。ボカァ死神、それを伺いに来たんす」

 男には今ひとつ理解ができなかった。死神だというなら、あの世へ早く連れていってくれれば良い話ではないか。天国でも地獄でも、ここから逃れられるならそれで良い。

「どうするって、そりゃあの世に――」

「言っときますけど、自殺者は成仏できませんよ」

〈眼鏡〉が途中で言葉を遮った。

 眉一つ動かさずに滔々と語る。


 あんたねぇ、沢山の人に迷惑かけといて、そのまま天国に流れで行けるなんて思ってるんすか。そんなに自分が可哀相だったって知らしめたかったんですか。飛び込み自殺一回やって、どのくらい列車に遅れが出るか解ります? 学校に遅れそうな人も、急を要する商談がある人も、勿論ここの駅で働く人も、あんたが死んだ所為で次々予定が狂っちまうんすよ。間に合わないかもしれない。

 何よりあんたは、自分で自分を殺したんだ。

 そんな奴、地獄だって受け入れる訳が無い。


 彼の膝がガクガクと震えだした。その顔といったら、まるで白粉をきつくはたいたみたいに真っ白だった。何か言いたげに、口をしきりにパクパクさせている。

「そんな、私は、私は」

 無論〈眼鏡〉の言い分も辛辣でこそあれ、間違ってはいない。そもそも交通機関も赤の他人の予定も止める程意思が堅くなければ、自殺などできるものでは無いだろう。

〈眼鏡〉は彼を一瞥すると、手帳の上でペンを素早く動かし、そのページを破りとった。目の前に落とされたそれを慌てて拾い上げると、簡単な地図が描いてある。

「駅の三番出口から、このルートに沿って歩いてください。お寺さんがある筈っす。此岸でどうするか決まるまで、そこで相談すればいい」

〈眼鏡〉は空中を駆け上がり、冷たい雨が降る空を歩いていこうとした。振り替え輸送を求めてホームへ向かう人々も、漸く遺体を集め終わって撤収する作業員も、誰も宙に浮く眼鏡青年に気づいていないようだった。

「待って」

 男はやっとの思いで声を絞り出した。

「……私は、自殺者の霊はどうなるんですか。消えて無くなるんですか。ずっとこの世にい続けるんですか」

〈眼鏡〉は男と、それからすっかり血痕の落ちた線路を見て、それからまた彼を見て、

「忘れられれば消えたも同然」

 それだけ言って雨降る空の彼方へ飛んでいってしまった。

 線路に僅かにこびりついていた赤身の肉片は、散々冷たい雨に打たれた挙句、水に流されどこかへ消えてしまった。


〈一応終わり〉

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