意外な接点(2024年編集)
~ 東京都 警視庁本部科捜研 ~
通常業務が終わり、帰宅していた氏原であったが、佐久間の要請で、とんぼ返りしていた。氏原が、科捜研に到着するのと、ほぼ同時に、佐久間も合流する。
「おお、佐久間。特急解析だって?司法解剖すれば、分かるのに、成分だけ調べたいとは、相当、訳ありだな?」
「そうなんだ。深夜とは言え、路地裏で、ゲリラ的に殺されたんだ。不特定多数に影響しないか、心配でな。悪いな、よろしく頼むよ」
「なるほど。では、仕方が無いな。それにしても…」
(疲れが、顔に出ている。また、根を詰めているのだろう)
氏原は、桐原勇作の遺体の状況を確認しながら、佐久間を労る。
「解析結果が出るまで、三時間くらい掛かる。そこのソファーで、休んでおけ」
「ああ、甘えさせて貰うよ」
氏原は、臨床室へ入っていった。
佐久間は、結果を待つ間に、山川に連絡を入れた。
「山さん、こっちは、解析に入った。そちらは、どうだ?」
「桐原は、一人暮らしの様です。アパートに行ってみましたが、誰もおりませんでした。管理人とも、まだ、連絡が取れていません」
「真夜中だし、特定は、明朝にしよう。九時なら、大家とも連絡が取れるだろうから、協力を依頼してくれ。私は、少しやりたい事があるから、他の者には、山さんから、桐原の戸籍を洗う様、指示してくれ。区役所に、走らせても構わない」
「分かりました。指示しておきます」
「聞き込みの方は、どうだ?不審者の特定は出来そうか?」
「駅までの動線で、可能な限り、声を掛けておりますが、有力情報は、まだ得られていません」
「ときわ台駅の防犯カメラ映像の記録は、どうだ?」
「公衆電話の箇所は、防犯カメラが設置されていませんでした。入口、ホーム、開札の画像を確認中です」
(犯人の影は追えんか。公衆電話のところに、防犯カメラが無いのは、痛いな)
「厳しいかもしれないが、もう少し粘ってくれ。では、頼んだよ」
佐久間は、少しばかり、仮眠を取ることにした。
~ 七月二十一日、四時。科捜研 ~
「……間、…佐久間」
(------!)
「……終わったぞ。」
氏原は、ホットーコーヒーを、佐久間に手渡す。
「目が覚めるな、助かるよ。それで、どんな成分だ?」
「ああ。首の背面に、注射痕があってな。コハク酸が残っていたから、分かったよ。サクシニルコリンという毒物だ。体内に入ると、即死する筋弛緩剤だ。被害者は、体格が良いから、いきなり注射されるとは、考えにくい。アルコールの臭いがするから、酔わされて注射されたと考えられる。その辺は、司法解剖で、確定するだろう。科捜研では、ここまでだ。大学病院に、遺体を回しても良いか?」
「ああ、頼む」
氏原が内線を入れ、桐原の遺体が、大学病院に運ばれていく。
「氏原、その『サクシニルコリン』という毒物は、素人で扱える代物か?それとも、玄人の仕業か?」
氏原は、少しだけ、判断に迷う素振りをする。
「どちらもあり得るが、玄人に近い、素人だろうな。素人でも、多少の知識があれば、実行が可能だ。今回は、注射痕の近くに、コリン酸が残っていたから、見つけられた。もし、ヒントが無かったら、体内で、正常に分解された、コハクとコリン酸は、検出出来なかっただろう」
「玄人に近い素人?どういう事だ?」
「玄人なら、注射後、コハク酸を拭き取って、証拠隠滅を図ると言う事だ。だが、先程も言った通り、コハクと、コリン酸の分解を理解していない者でしか、この犯行は出来ない。つまり、この手口は、医師か看護師、薬剤師が、出来る事になるんだよ」
(…医療従事者の仕業?)
佐久間の脳裏に、本田智恵の顔が浮かんだ。
(本田は、看護師だった。…いや、既に死亡しているし、事件の関連性は、どこにも無い)
「死亡推定時刻は、どうだ?」
「俺の見立てだが、死亡推定時刻は、昨夜、七月二十日、二十時三十分~二十一時三十分だろう」
(おかしいな?)
佐久間は、首を傾げた。
「どうした?浮かない顔だな?」
「いや、匿名の通報が、二十二時過ぎだとして、最寄りの警察官が、現着したのが、二十二時三十五分だった。その時は、既に死亡していたんだ。通報場所は、徒歩で十五分前後の、ときわ台駅の公衆電話だ」
(………)
「その話が本当なら、二十一時三十分に、犯行を終えた犯人は、十五分掛けて、ときわ台駅に移動した。この時刻は、二十一時四十五分。時間調整をして、二十二時になったら、通報を入れて、トンズラした。最寄りの警察官の、現着した時刻が、二十二時三十五分なら、約一時間、逃走時間を確保した事になるな」
(氏原の言う通りだ。犯人は、悠々と引き上げたんだ)
「見つかり難い路地裏を、犯人は知っていた。桐原を、事前に酔わせたのであれば、居酒屋を洗う価値はあるな。今夜の聞き込みでは、成果が無かった様だから、助かるよ」
「中々、厳しい捜査になりそうだな。また、声を掛けてくれ。出来る事は、相談に乗る」
「ありがとう、氏原」
佐久間は、科捜研を後にする。
~ 七月二十一日、十一時。警視庁捜査一課 ~
「死体遺棄に、毒殺か。このところ、物騒な事件が続くな」
「どちらも、物的証拠があっても、犯人像が掴めません」
「毒物の成分が分かったのは、何よりだが、状況証拠が揃わないと、先に進まん」
「犯人は、殺害後、約一時間、間を開けて通報してきました。逃走時間を確保する事が、目的であった事は、事実ですが、釈然としません」
「何故、危険を冒して、通報したかと言う事だろう?」
「仰る通りです。事件発生場所は、深夜で、人通りは、ありませんでした。もしかすると、朝まで発見されなかったかもしれません。あの時間に、警察組織が発見する様に、犯人は動いた。逆を言えば、あの時間でないと、困る理由があるのかも、しれません」
「それは、何だと考える?」
(………)
「普通に考えれば、現場不在証明でしょうか。捜査が進んだ時、証明出来る様、最初に動いておき、備えておく。そんなところでしょうか」
「ふむ、それは、追々、分かるかもしれないな」
佐久間が、安藤と打合せしているところに、山川が戻ってきた。
「警部、お疲れ様です」
「徹夜させて、済まなかったね。何か、分かったかい?」
「聞き込みの成果は、まだ得られませんが、桐原のアパートは、進展があります。大家と連絡がついたので、部屋に臨場して貰いました」
「それは、良かった。それで、何が分かった?」
「はい。桐原は、時任芳江という女性と、接触をしています。手紙が残っていましたので」
「時任?…あの、時任か?」
「ええ、時任です。照会を掛けたところ、時任芳江は、時任英二の妻でした」
佐久間と安藤は、思わず、顔を見合わせる。
「まさか、このタイミングで、時任英二の関係者が、浮上するとはね。本田智恵の事件と、繋がっているのだろうか?」
「桐原勇作は、私の弟ですわ。たった一人の……」
(------!)
(------!)
(------!)
捜査一課の入口に、見知らぬ女性が立っている。
「私は、時任英二の妻です」
「何故、捜査一課に?」
「報道で、弟の訃報を知りました。交番に問い合わせたら、捜査一課で、捜査中と聞いたものですから。慌てて、飛んできたんです。弟に、会わせてください」
(交番が、捜査一課を教えた?)
「失礼ですが、どこの交番でしょうか?」
「板橋警察署の交番です」
(常盤台交番か)
「弟さんは、現在、大学病院で、司法解剖中です。宜しければ、ご案内します」
「では、早速、お願いします」
(………)
時任芳江は、佐久間の顔を、じっと見つめる。
(………?)
「刑事さん、もしかして、この間、板金塗装工場で、捜査されていた方ですか?」
「ええ、佐久間と申します」
(佐久間?…じゃあ、田所くんが言っていた刑事ね)
「会えて良かったわ。大学病院までの道中、刑事さんに、聞きたい事があるんです」
佐久間は、何となく、事情を察した。
(十中八九、本田の事だろう。時任英二の妻だから、下手を言うと、時任英二に火の粉が飛ぶな。不倫を疑っているのだろうから、曖昧な言い方しか出来まい)
「分かりました。『答えられる範囲であれば』、ですが」
「ええ、十分ですわ。では、早速、案内をお願いします」
~ 大学病院へ向かう、パトカーの車内 ~
「板金塗装工場で亡くなった方は、時任と、どのような関係か、調べがついていますか?」
(いきなり、本題か)
「被害者の素性は、見えてきましたが、ご主人との関係は、例え奥さまであっても、捜査に関する事項なので、全てをお話する事は出来ません」
(………)
「時任が、『工場で、人が亡くなった』と言っていましたが、報道を見て、女性だと知りました。幾ら尋ねても、口を割りません。女の直感というか、誰だって、怪しむと思いますわ。時任は、浮気を?」
(『ええ、そうですよ』とは、言えまい)
佐久間は、真顔で、白を切る。
「さあ、どうでしょうか?個人の事情には、介入出来ないのですよ」
(…なるほど、…察しろか)
時任芳江は、溜息をついた。
「馬鹿な人。私が、何も知らないと、思っているのかしら?」
時任英二の話をしているうちに、パトカーは、大学病院に到着する。
「では、安置室へご案内します。ついて来てください」
「……はい」
~ 大学病院 遺体安置室 ~
(------!)
桐原の、変わり果てた姿に、時任芳江は泣き崩れる。
「しばしの間、私は表にいます。二人だけの時間を、お過ごしください」
~ 三十分後、遺体安置室 ~
「もう大丈夫です、お入りになって」
(落ち着きを、取り戻したか?)
「まだ、三十分しか、経っていませんが、宜しいのですか?」
「……ええ、何とか。刑事さん、弟と私は、二人きりの姉弟です。他に、家族はいません。両親は、早くに亡くなり、二人とも施設で育ちました。もう、私だけです」
(………?)
「ご主人の、英二さんがいるでは、ありませんか?」
「浮気する旦那など、数に入りませんわ。女癖の悪さは、昔からです」
「工場には、よく出入りされるのですか?」
「月に、一回くらいかしら。何か?」
「いいえ、何となく、聞いてみただけです。間もなく、死亡診断書が届くはずなので、弟さんと、ご帰宅出来ます。それまで、側にいてあげてください」
「分かりました」
(時任芳江には、心を許せる者は、もう一人もいないのだな。辛い事だ)
時刻は、十四時を回っていた。