身勝手な男(2024年編集)
~ 十時二十分、板金塗装工場 ~
鑑識官が、佐久間の指示で、工場出入り口の痕跡を調べる中、佐久間は、田所から事情を聞いている。
「田所さん、粗方、現場検証が進みましたので、追加でお聞きします。この遺体ですが、この場所で、自殺を図ったのではなく、おそらく、別の場所で殺されてから、遺棄された可能性があります。この被害者に、心当たりはありますか?」
田所は、首を横に振った。佐久間は、田所の、目の動きを観察する。
「少なくとも、初めて見ます」
(『その女性が』と、一時間前は言っていた。今の質問でも、初めてだと言う。一貫しているし、信憑性も高そうだ)
「分かりました。では、次の質問です。あなたは、毎日、この工場に、一番乗りされるのですか?」
「はい、それが、自分の役目なので」
「帰宅時間は、どうです?他の方が、最後ですか?」
「うーん、まちまちですかね。板金塗装は、先輩や社長が行うので、遅くなる事もありますが、最後の片付けや、戸締まりなどは、大抵は、自分でやります」
「昨日、帰宅する時は、最後でしたか?」
「ええ、自分が、戸締まりをしました」
「では、昨日の最後に見た景色と、現在の景色で、違和感のある場所は、ありますか?何か、移動していたり、昨日あったものが、無くなったりしているとか、何でも構いません」
田所は、佐久間に言われるまま、工場内を見渡すが、これと言って、大きな変化は見当たらない。佐久間の方は、田所が見渡す様を、静かに見定める。
(観察する様子も、不審な点はない。今のところ、潔白だな)
「うーん、特に盗まれた様子はないですね。不審なものは、目の前の遺体と、脚立でしょうか?」
「それは、そうですね。昨日の帰宅時間は、何時頃ですか?」
「確か、十九時を回っていました」
「入口のシャッターは、自動式ですか?防犯警備会社の、施錠システムなどは、ありませんか?」
「ボタンで、上下する自動式で、防犯システムは、ありません」
(防犯対策は、特に無しと)
「田所さん、では、当時の状況を検分します。表に来てください」
佐久間は、田所を入口に呼ぶと、自動ボタンを押し、シャッターを朝の状態にする。工場の外では、他の従業員が、その様を見守っている。
「工場の従業員は、ここに集まってください。中には、まだ入れませんが、本日起こった事は、聞くよりも、実際に見た方が早い。側で見て頂いて、構いません。規制線の中に、お入りください」
(------!)
(------!)
(------!)
従業員が、恐る恐る、規制線の中に入ってくる。捜査の雰囲気に呑まれ、口を開く者はいない。
「従業員は、全員集まっていますか?」
「ええ、これで全員揃いました」
「結構、では、さっそく始めましょう。今、昨夜の状態です。当時の状況を、再現願えますか?」
「分かりました。では、始めます」
田所は、再現の為、自動ボタンを押す。シャッターが、一メートル程、上がったところで、ボタンを押して停止させた。
「ちょうど、このあたりで、工場内に誰かいると、気配を感じたんです。中を覗くと、人の足首が浮いているのが、見えました」
(おい、足首だってよ?)
(えっ、誰か死んでるの?)
(だって、全員、揃っているぞ、おかしくないか?)
(だから、規制線が張られているのか)
田所は、当時の状況を再現しようと、腰を抜かして、座り込む仕草を見せる。
「僕は、こうして、この状態で座り込みました。シャッターは、自動なので、ゆっくりと上がっていきます。足首、膝、太股、腰の順に、ゆっくりと、姿を現していき、最後に遺体と目が合ってしまいました」
(------!)
(------!)
(------!)
「なるほど、分かりました」
佐久間は、田所と同じ様に、その場に座り込むと、工場内を目視確認した。
(ふむ、確かに、この位置、この高さ、この角度からだと、足首だけが見える。それに、浮いているというのも、納得だな)
「では、残りの検証をしましょう。従業員の方、今から、遺体を見る事になります。顔見知りかどうか、全員に確認する必要がありますので、心労をお掛けしますが、ご協力ください。宜しいですか?」
従業員から、声があがる。
「ちょ、ちょっと待ってください。心の準備だけさせてください」
「僕も、一分だけ、時間をください。吐きそうです」
「自分は、大丈夫です。死んだ人、見た事ないから」
「では、三分間、時間を取ります。それまでに、心構えをお願いします」
(------!)
(------!)
(------!)
三分間、時間を取って、検証が再開された。
「では、皆さん。ボタンを押します。よろしくお願いします」
佐久間は、自動ボタンを押す。田所の証言通り、シャッターがゆっくりと上昇し、少しずつ、女性の遺体が現れる。
(ううう、まじかよ、女だよ)
(おええええ、吐く、吐いてしまう)
(おおおお、これが、死んだ人間かあ)
(………)
佐久間は、従業員の反応を窺う。
(ふむ、どの従業員も、初見らしい。……一人を除いては)
「皆さん、状況を把握出来ましたね。もう、直視しなくて大丈夫です。この中で、中の被害者を見た事がある、知っている方がいたら、挙手をお願いします」
(………)
(………)
(………)
「そうですか、分かりました。では、また、規制線の外でお待ちください。田所さん、この中に、社長さんは、おられますか?」
「ええ、あの方ですが」
(ほう?思ったとおりだ)
「田所さん、捜査にご協力ありがとうございました。あなたも、お仲間とご一緒で構いません」
「本当ですか?ありがとうございます」
田所は、嬉しそうに、同僚の元と、規制線の外へ出て行く。
「では、この工場の社長さんは、中で事情を確認したいので、私について来てください」
一人の中年男性が、佐久間の後に、工場に入っていく。
(こういう時、経営者だと、辛いよな)
(社長、元気ないけど、大丈夫かな)
(今日は、流石に、休みだよな。捜査が終わったら、遊びに行こうぜ?)
(田所、お前も災難だったな)
(本当ですよ。自分、多分、初めは疑われていたと思います)
(マジか、詳しく聞かせてくれよ)
~ 十時五十分、板金塗装工場の一角 ~
社長は、捜査に支障しない、打合せテーブルを指すと、佐久間は山川を呼んだ。
「お呼びでしょうか?」
「うん、この工場の経営者だ。今から事情を聞くから、同席してくれ」
「分かりました」
佐久間は、山川に囁く。
(この男、事情を知っている気がする。よく観察してくれ)
(分かりました)
「では、社長さんからも、事情を伺います。まずは、お名前を教えてください。私は、警視庁捜査一課、佐久間と申します。彼は、山川刑事です。氏名を、このメモ帳に、ご記入ください」
「時任英二と申します」
時任は、山川のメモ帳に、氏名を書くと、下を向く。
「田所さんからの通報で、八時三十分に、この工場のシャッターを開けたところ、ご覧の通り、中年女性が、縊死していました。田所さんは、この女性と、面識がない。社長さんは、如何ですか?」
(………)
時任は、少し顔を上げて、一瞬、遺体を見ると、また下を向き、小声で答えた。身体も、小刻みに震え、挙動不審だ。
「…知りません」
(警部?)
(ああ、この男、怪しいな)
佐久間は、少しずつ、切り込んでいく。
「お声が小さくて、聞き取れません。もう一度、伺います。知り合いでは、ありませんか?」
「この女は、知りません」
(もう、確定だな)
佐久間は、意地悪く、もう一度問う。
「この女とは、どういう意味でしょうか?他の方なら、面識があるのですか?今、嘘をつかれると、初動捜査に関わります。最後に、もう一度だけ、伺います。面識はあるんですか、それとも、ないんですか?」
「……面識は、……あります」
時任は、下を向いたまま、観念する様に答えた。
佐久間は、山川に合図を送ると、山川は、鑑識官を遠ざける。
「時任さん、人払いをしました。これで、あなたの会話は、我々にしか聞こえません。被害者の情報を、教えてください」
(………)
時任は、静かに、口を開く。
「…あの女性は、本田智恵、四十一歳。私の、不倫相手です」
(なるほど、挙動不審なのは、これが原因か)
「時任さん、本田智恵さんと、最後に会ったのは、いつですか?」
「…昨日の晩です」
「なるほど。では、昨夜は、何時に、何処で、会ったのですか?」
(………)
「昨夜の、二十二時から一時まで、ホテルで一緒でした」
「何処のホテルですか?」
「隣町の、リバーサイドホテルです」
「リバーサイドの何号室ですか?」
「…あの、そこまで、聞かれるんですか?」
「当然な事です。これは、殺人事件になるので、任意であっても、事情聴取となります」
「さっ、殺人事件って。だって、ほら、どう見ても、自殺ではないですか?首を吊ってるんですよ」
「それは、あなたが判断する事ではありません。一見、自殺に見えますが、首には、二種類のロープで絞められた跡があり、一つは、この工場で首を吊ったものですが、もう一つは、他所で絞められた跡なんです。それに、下足痕といって、犯人や、被害者の足跡を、検出する為の捜査なのですが、被害者が、あの位置まで、歩いた形跡はありませんでした。その為、捜査一課では、現在、捜査本部を設置しているのです」
(------!)
「現場不在証明を精査する為の、必要な情報です。この被害者は、あなたと面識があり、現時点では、あなたが、一番犯人に近い。現場不在証明が曖昧であれば、身柄を確保する事になります」
(------!)
時任は、これを聞いて、観念した。
「リバーサイドホテルの、302だったと思います。…あの、この事は、女房には、黙って頂く訳には、いきませんか?」
「不倫の件は、警察組織は、関与しません。その点は、ご安心ください。誰でも、女房は怖い」
時任は、安堵したのか、自分から、発言する様になった。
「何故、本田智恵が工場なんかで?」
「それは、警察組織が聞きたい。間違いなく、時任英二に、恨みを持つ者の犯行だ。そうでなければ、あなたの愛人を、この場所に遺棄する筈がありません」
「そんなあ」
「あなたは、誰かに恨まれている。それも、強烈にだ。しかし、不可解な事があります」
「不可解ですか?」
「ええ、どうせバレるなら、ただ遺棄するだけでも、効果はある。だが犯人は、自殺を装う必要があった。これは、何を意図するのかと言う事です。死んだ事は、あなたに知らせたい。でも、他殺ではないと、言いたいのか、それとも、他殺が発覚するのを、時間的に遅らせたかったのか。これを、探っていく必要があります」
(………)
「…そうですか。私に恨みを持つ、何者かが、こんな事を。…女房ですかね?」
「それは、どういう意味でしょうか?奥さんと、冷戦状態なのですか?」
「いいえ、そうではありません」
「発言には、気をつけてください。悪意を持って解釈すると、『女房が犯人なら、納得がいくから、逮捕されても、私としては、構いません』、もしくは、『女房を調べてくれ』と、言っている様に、聞こえますが?」
(------!)
「いやいや、とんでもございません。すみません、気をつけます」
(………)
「話を戻しましょう。何か、思い当たる節は、ありませんか?例えば、会社経営で、誰かに恨みを持たれたり、実は脅されていたり。警察に言えないような、際どい事をしているとか、ありませんか?先程も申し上げましたが、あなたは、誰かに嵌められている。あなたには、それを覆す証拠が、現段階では何もありません」
(------!)
時任は、狼狽えるものの、思い当たる節がなさそうだ。佐久間は、仕方なく、質問を続ける。
「では、現場不在証明の続きを、伺います。昨夜の二十二時から一時まで、一緒だった。その後は、彼女を送り届けたのですか?それとも、現地解散ですか?」
「いつも、現地集合、現地解散です。周囲の目が、気になりますから」
(気になるなら、不倫なんかするなよ)
「今日のところは、これで終いです。今後、しばらくは、風評被害があるでしょう。身から出た錆ですが、困る事があれば、この名刺に連絡をしてください。現場検証が終わり次第、警察組織は、引き上げます。申し上げ難いのですが、あなたの現場不在証明、奥さんの現場不在証明、どちらも、後日、伺いますので、ご協力ください」
(------!)
「ちょ、ちょっと待ってください。私の現場不在証明なら、今、話しましたよね?それを、もう一度、話す必要があるんですか?それと、女房の現場不在証明が、何故、必要なんです?バレたら、困りますよ」
「まず、あなたの現場不在証明は、立証出来た訳ではない。後日、伺う事で、ボロが出る可能性が高い。先程、申し上げた通り、現在、犯人に一番近いのは、あなたなのです。次に、奥さんの件ですが、犯人に一番近い、あなたの配偶者であり、共犯の可能性があります。とはいえ、不倫しているくらいですから、奥さんは、まず潔白でしょう。奥さんには、単純に、当日、どの様に、お過ごしになったのかを、伺うだけです。まあ、見知らぬ女性が、旦那が経営する工場で、死んでいた時点で、あなたは、奥さんから、詰問される事は、避けられないと思いますが」
「そこを、何とか。女房に、事情聴取する事だけは、辞めて貰えませんか?」
佐久間は、毅然と否を突きつける。
「それは、無理です。あなたの妻が、犯人かもしれない。関係者全員から、聴取する。それが、司法警察職員としての、使命です。そもそも、あなたが、不倫などしなければ、本田智恵は、死なずに済んだかもしれない。あなたは、自分だけ可愛い様だが、まずは、きちんと、本田智恵を弔うべきなのでは、ありませんか?誰のせいで、人が一人死んだのか。あなたは、それを理解するべきだ」
(………)
時任は、最後まで、項垂れていた。