森田夫妻の行方2(2024年編集)
~ 十月二十六日、東海道新幹線車内 ~
佐久間たちは、東海道新幹線で、浜松駅へ向かっている。
山川は、予め購入しておいた幕の内弁当を、佐久間に手渡した。
「ご馳走になります」
「警部、職務とはいえ、遠出するのは、嬉しいですな。私は、ひかり号よりも、こだま号で、ゆっくりと幕の内弁当を食べながら、富士山を眺めるを、こよなく愛しております。この時期の富士山は、空気が澄んでいるので、冬景色に変わった山頂が、とても美しいですな」
「同感だね。日本人に生まれて、本当に良かったな。浜松市では、何かご馳走するよ」
「本当ですか?なら、ラーメンが良いです。五味八珍でお願いします」
「へえ、五味八珍か。そんなに有名な、店なのかい?」
「都会の様な、並んで食べる店ではありません。大衆向けの、他店舗経営なんです。鶏ガラスープが売りの、良心的な店で、関東では、味わえません」
(山さんは、中々、食通だからな)
「なら、昼は、そこにしよう。楽しみが出来たよ」
~ 九時二十六分、浜松駅 ~
(さてと、まずは、最寄り駅だな。…森田夫婦の住所は、浜松市浜名区貴布祢か)
「山さん、森田夫婦の住所なんだが、これは、何と読むか分かるかい?」
「ああ、それは、きぶねです。きぶやとは、呼びません」
「流石は、山さん、頼りにしているよ」
「お任せください。住所までの行程は、バッチリです。最寄りの駅は、遠州鉄道の浜北駅です。路線バスで行く手段もありますが、遠州鉄道の方が、断然早いので、そちらで移動しましょう」
「ああ、了解だ」
「ちなみに、最寄りの駅まで、どの位の時間が掛かるんだい?」
「十二駅ですから、約二十二分ですね。関東の常磐線だと、上野駅から松戸駅に乗車する時間と、ほぼ同じです。新浜松駅から、第一通り駅、遠州病院駅、八幡駅、助信駅の順に続きます。新浜松駅付近は、交通量が多い為、高架駅から乗車し、上島駅までは高架区間となっています。遠州鉄道の特徴は、平野部を走る為、トンネルはありませんし、市街を直線で通過します。各駅停車での運転で、途中駅を始発・終着とする区間列車の設定はありませんし、全列車に車掌が乗務しています」
「独特の運行形態だね」
「乗車方法ですが、関東とは違います。まず、全国相互利用サービス対応交通系のICカードは、利用不可となっています。Suicaや、PASSPO☆は、利用出来ません」
「まさに、『郷に入っては郷に従え』だね。では、早速、乗車しよう」
新浜松駅で、遠州鉄道に乗車すると、山川がソワソワしている。
(余程、この電車が好きなんだな)
自動車学校前駅までは、都会の景色が続いていたが、遠州西ヶ崎まで来ると、田園風景が広がってくる。佐久間は、東武アーバンパークラインに乗車した時と、同じだと思った。
(心地よい、景色が広がる。車窓から、富士山も見えるし、森田夫婦も、良い所に帰郷したな)
浜北駅に到着した二人は、徒歩で、現地に向かう。
「山さん、意外と近いね。迷わず、到着出来そうだ」
「そうですね。区画整理が進んでいるので、見通しも良いし、最高ですな」
「それにしても、交通量は少ないし、歩きやすい。都心も、見習って欲しいよ」
「全く同感ですな。警部、そろそろ着きます。あの角を曲がって、直ぐそこ…」
(------!)
(------!)
二人は、目の前の光景に、しばらくの間、言葉を失った。
(………)
(………)
「警部、これって…」
「…ああ、まずは、近所の人に、話を聞こう」
佐久間は、近隣の住民に声を掛けた。
「ごめんください。私は、警視庁捜査一課の佐久間と申します」
(………?)
「お隣に用があって、訪ねて来たのですが、この有様に、驚いています。一体、この家に何があったのでしょうか?」
「ああ、森田さんの事かい?年始明けに、火事があってね。ご覧の通り、全焼でした。出火原因は、明らかになっていないんだけど、二人とも、亡くなりましたよ」
「死因は、なんですか?一酸化中毒ですか?」
「詳しくは、知らん。寒かった事しか、覚えてないね。東京の方から、戻ってきたみたいだけど、二人とも、兎に角、暗かったな。近所付き合いもないし、集会も来ないし。区の方でも、早く溶け込んで欲しいから、色々と世話を焼いたんだけど、頑なに、心を開かなかった。自ら望んで、村八分状態になっていたよ」
(人間不信だったに違いない。心情が理解出来るだけに、胸が締め付けられる)
「そうですか、ありがとうございます」
「警部、所轄署で、事情を聞いてみましょう」
「そうだね。ここの所轄は、…浜北警察署か。とりあえず、立ち寄ってみよう」
~ 静岡県警察本部 浜北警察署 ~
浜北警察署の総務課で、事情を説明すると、奥の応接室に案内された。地域課の長峰が、用件を確認する為、佐久間の元へやって来た。
「お疲れ様です。警視庁の佐久間警部が、何故、こんな田舎町に?」
「お疲れ様です。田舎町だなんて、とんでもございません。警視庁の管轄で発生した、連続殺人事件に、森田夫婦が、事件対象者として浮上したので、任意で事情を聞く為に訪れたら、自宅が全焼していましてね。隣の住人に、話を聞いたら、年始明けに火災で、死亡したと聞きました。捜査記録を、読ませて頂けませんでしょうか?」
「ああ、年始の事件ですね。それなら、榎田が担当していました。榎田くん、ちょっと来てくれ」
榎田巡査は、面倒くさそうな表情を浮かべ、入室してくる。
「地域課の榎田です」
「警視庁捜査一課の、佐久間と山川です」
(警視庁捜査一課?)
「榎田くんが、臨場したのだったな?説明を聞きたいそうだ」
(面倒くせえな)
「それでは、検証結果を、簡潔に説明します」
「一月六日、四時二十分。119番通報を受けた浜北区消防署が、鎮火作業を終えたのが、六時五十分。焼け跡から、二名の男女遺体を発見しました。浜北警察署が現場を引き継ぎ、捜査したところ、森田和子の首に、絞められた形跡があり、森田健人の腹部には、刺し傷がありました。浜北警察署は、森田健人が、森田和子を殺害後、自殺を図った無理心中であると、結論付けました」
「司法解剖は、行わなかったのですか?また、他殺の線は、無かったのですか?」
長峰は、困った様子で、見守っている。
(静岡県警察本部の縄張りで、吠えるなよ)
榎田は、杓子定規の受け答えをする。
「一応、他殺の線も、考えました。ですが、森田夫婦は、裁判で敗訴し、逃げてきた事は、明白でしたし、部落でも孤立している事は、聞き込みで分かりました。気力を無くした森田健人が、森田和子を殺害し、無理心中を図ったと結論付けても、問題ないと思われます。警視庁捜査一課は、静岡県警察本部の捜査に、口を挟みたいのですか?」
(馬鹿者、その人に、そんな事を言ったら、左遷される。誰だか、分からないのか?)
長峰は、頭を抱えた。
(…警部、私が出ますか?)
(いや、大丈夫だ)
「いいえ、静岡県警察本部の捜査方針に、異議は唱えません。情報提供、感謝します」
(ふん、当たり前だ。誰だ、このオッサン)
用が済んだ榎田は、長峰に頭を下げると、持ち場に戻っていった。
長峰は、佐久間の事を、良く知っているだけに、何を言われるのか、戦々恐々としている。
「地域課長さん、事情は理解しました。あの者には、話す価値がないので、言いませんでしたが、この結果は、浜北警察署の総意ですか?」
「総意と言われても、今更なので、困ってしまいます」
「森田夫婦は、十五年前、東京都在住の際、詐欺に遭い、時任英二という者に、恨みを持った。そして、八年前、愛娘が誘拐され、時任英二が運営する工場で、遺棄された。時任英二は、状況証拠が揃った事で、逮捕されましたが、無罪を主張し、勝訴した。敗訴した森田夫婦は、静岡県に引っ越してきましたが、復讐の念は消えていない。そして、今年、時任英二が運営する工場で、時任英二の不倫相手が、森田夫婦の愛娘と同じ様に、同じ日、同じ場所で遺棄された。警視庁捜査一課は、森田夫婦を重要参考人として考えていました。時任英二に恨みを持つ二人が、時任英二の死を見届けず、悲観的に無理心中を図るとは、到底思えない。それが、警視庁捜査一課の言い分です」
(その意見は、ご尤も。だが、どうする事も出来ない)
長峰は、正論を言われ、反論出来ないが、浜北警察署としての立場もあり、迂闊な事を話せない。
(さて、どうするか。自分じゃ、太刀打ち出来ない。いっその事、署長を呼ぶか?いや、ダメだ。話が大きくなる可能性があるし、ややこしくなってしまう)
「そもそも論ですが、司法解剖もせず、荼毘に付した事は、間違っていると思います。首の絞め痕は、一つだけですか?二つありませんでしたか?腹の刺し傷は、本人がつけたものであると、専門家が見ても、言い切れますか?」
「それは、自分が見た訳ではありませんので、何とも言えません」
「無理心中や、自殺に見せかけた他殺は、思った以上に、沢山あります。この件は、静岡県警察本部に説明していますか?」
「一応、報告は入れています。組織ですから」
「分かりました。済んだ事は仕方が無いので、責任を問うのは避けましょう。事が事だけに、静岡県警察本部と、喧嘩する事になりそうだ。この話は終いです。ありがとうございました」
(諦めてくれた。……助かった)
浜北警察署を後にしたところで、山川が、不満を爆発させる。
「どうみても、浜北警察署の怠慢だ。検視のみで、判断しやがって。……警部?」
気が付けば、佐久間が、どこかに電話を入れている。
「では、よろしくお願いします。……ええ、その際は、お付き合いしますよ」
「警部、どうされたんですか?」
「ん?ああ、今の電話か?静岡県警察本部の人と、話をしたんだよ」
「何をですか?」
「警視庁から、正式に、内偵捜査を依頼したんだ。どうも、この警察署は、何かを隠蔽している気がしてね。事件性があるにも関わらず、検視のみで、司法解剖をしなかったんだ。交通事故などで、明らかに、受傷状況が明確で、外表検査で、死因も明らかにし得る場合は、適用されるのだが、これには当て嵌まらないからね。司法解剖をすると、マズい事でもあったのか、その点も踏まえ、捜査を依頼しておいた」
「流石です、誰に頼んだのですか?」
「捜査一課長だ。良く知っているからね」
「お灸を据えるにしても、強烈ですな」
「警視庁だの、静岡県警察本部だの、所管に拘っている場合ではない。同じ組織なのだから、理論武装すれば良いだけだ。それを、面子に拘るから、正義を見失うんだ。私利私欲に走り、国民を蔑ろにする者は、もはや、警察官ではない」
「警視庁に戻りましょう、警部」
「そうだね。でも、その前に、五味八珍に寄ってから、捜査を立て直そう」
「ありがとうございます。では、早速、参りましょう」
(森田夫婦が死んだ。本田智恵が死に、時任芳江の弟、桐原勇作が死に、捜査の手が、森田夫婦に届く前に痕跡が消えた。森田夫婦は、本田智恵よりも先だから、因果関係がはっきりとしないが、時任英二が、中心にいる事だけは、確かだ。犯人は、誰で、何が目的なんだ?何故、時任英二を殺さない?時任英二は、最終目標の対象者として、考えているのか?それとも、時任英二が、犯人なのか?十五年前の真相と、現在の真相を、一緒に考えないと、誰も救われない。……もう一度、足元を見る必要がありそうだ)