悲しみの岸辺(2024年編集)
~ 警視庁特命捜査対策室 ~
佐久間と山川は、未解決事件の再検証をする為、特命捜査対策室に、足を運んでいる。八年前の事件は、特命捜査第三係が担当しているが、現在は、別事件の捜査をしており、誰もいない。
「山さん、では、当時の状況を振り返ってみるよ」
○被害者:森田みくる、女性。当時、十八歳。
○八年前の五月十七日、二十時頃
塾からの帰宅途中、何者かに、誘拐される
○五月二十日、十四時五十分
郵送にて、森田みくるの衣服と下着、身代金要求書が、
森田みくるの両親宛に届いた
○五月二十八日、十三時三十二分
身代金の受け渡し場所である、万世橋で犯人と接触するも、
受け渡し直前で勘付かれ、逃走される
○六月十日、十時五分
新聞文字を組み合わせた、身代金要求書が、
森田みくるの両親宛に届いた
捜査の結果、切り抜き文字は、神奈川県と茨城県の地方紙を、
組み合わせたものであった
○六月十三日、二十時二十二分
身代金の受け渡し場所である、日本橋で接触を試みるも、
犯人は、現れなかった
○六月十五日、八時三十分
東京都豊島区西巣鴨の工場敷地内で、森田みくるが、
縊死状態で発見された(非定型的縊首の疑いあり)
司法解剖の結果、違う場所で絞殺され、工場敷地内に、
遺棄された事が、判明した
「以上が、簡単であるが、当時の捜査記録だ。最後の部分など、今回の事件に、酷似しているな。山さん、問題はここからだよ。興味深い事が、載っているぞ」
(------!)
「いやあ、驚きです。当時の捜査記録に、『時任英二』の名前があるとは。調べてみるもんですね」
「それにしても、当時は、板金塗装工場ではなかったのだね。服飾工場だったんだ。裁判後、工場を一新したんだね。職種が、全然違うのに、大した適応力だ」
遺体発見場所の服飾工場は、時任英二、当時、三十九歳が所有していた。
当時の捜査一課は、遺棄された工場経営者である、時任英二を、事件対象者として捜査を展開した。工場経営が芳しくなかった点、普段は閉鎖しているのに、遺体発見当日は、工場の鍵が開いていた点、森田みくると時任英二が、顔馴染みであった点、新聞の切抜き文字が使用された時期に、時任英二が、金策の為に、神奈川県と茨城県を訪れていた点を鑑みて、金銭に困って誘拐を行ったと、仮説を立て、裏付け捜査を行なった。
時任英二の現場不在証明が、曖昧であった為、捜査一課は、状況証拠が固まったとして、時任英二の逮捕に踏み切った。検察は、警視庁捜査一課の考えに理解を示し、時任英二を起訴した。しかし、時任英二は、弁護士を雇い、徹底抗戦を見せる。幼少の頃より、可愛がっている、森田みくるを殺害する理由がなく、自分の庭である工場敷地内に、わざわざ、誤解を招く様な、遺棄など絶対にするはずがないと、主張した。また、工場は経営不振であるが、自己破産を検討しており、犯罪を起こしてまで、存続する事を望んでいない、新聞の切り抜きも、奔走先が、たまたま、地方紙の所管と重なっただけで、新聞を購入した事実はないと、主張した。
裁判では、時任英二の現場不在証明と、物的証拠が争点となった。取り調べでは、曖昧な受け答えをしていた、時任英二が、法廷の場にて、現場不在証明を主張。裏取りが出来た点と、絞殺に使用されたロープの繊維が、時任英二から検出されなかった点、森田みくるに付着した、皮膚のDNAが、時任英二のものではない点が、決定打となり、証拠不十分で、被告側が勝訴した。検察側は、即日控訴を検討したが、一審の判決を覆す、物的証拠が出ない事が予想される事から、控訴を諦め、時任英二の無罪が確定した。
「当時も、今の自分たちの様に、地道に証拠を集めていったんですね。でも、確たる証拠がなかった」
「状況証拠的には、限りなく、犯人だ。だが、DNA鑑定で、その事実がない以上、誰が検察官でも、勝てなかっただろう。当時の検察官は、さぞ、怒り心頭だっただろうね」
「そうですね。検察官ってのは、勝率に拘るって聞きます。手堅いと思っていた裁判で負けると、心が折れると思いますよ」
(検察官の器量にもよるが、捜査一課に、苦言を呈さなかったのだろうか?その辺が、記載から漏れているな。まあ、控訴しなかったのだから、この事件は、これで終いになったのだろう。そして、継続捜査が行われたが、新事実が、今日まで見つかっていない)
佐久間は、下唇を巻き込んで、噛むような仕草を見せる。
「悔しそうです、警部」
「本田の捜査を開始した時、時任英二は、過去の経緯を、一切口にしなかった。それは、八年前の事件で、また疑われる事を、嫌がったのだろうが、無罪なら、堂々とすれば良かったんだ」
「一体、どういう心境だったんですかね?」
(………)
「そこなんだよ。二度も、濡れ衣を着せられて、普通なら、無実を訴えるもんだ。だが、時任英二の行動に、それらしき不審なものがない。私は、時任英二が、『自分を嵌めた犯人を知っているのでは?』と、疑っている。それを知りながら、行動に出ない点を考慮すると、犯人に弱みを握られているか、恩を感じているかの二択なのだよ。どちらにせよ、時任英二は、泣き寝入りしているのかも、しれないね」
この意見に、山川は、珍しく疑問を呈する。
「私は、時任英二が、犯人だと思っています。鬼畜なんですよ、時任英二は。本田の身体を弄び、飽きたから、殺されて、清々したと、暗に言っている様で。いつ見ても、飄々としやがって。私は、時任英二が、犯人だと思っています」
「時任芳江は、どこまで知っているのだろうね?少なくとも、妻なのだから、二度も、敷地内で事件があれば、亭主を疑ったり、問い詰めたりすると思うんだ。だが、この間話した限り、時任英二とは、距離を取っている気がしたんだよ」
「所謂、仮面夫婦なんじゃないですか。どうせ、時任芳江も、若い燕を捕まえて、性欲のまま、楽しんでいるに違いありません。似たもの夫婦とも言いましょうか」
(相変わらず、偏った、モノの捉え方だな)
「まあまあ、山さん。面白くない気持ちは分かるが、全ては、証拠を揃えてからだ。八年前の事件もあるから、状況証拠だけでは、絶対に闘えない。一事不再理の事も、視野に入れないと、この事件は、解決しないだろう。検察も黙っていないだろうし、負けは、許されないよ。まずは、目先の捜査をする。森田みくるの両親を探すんだ」
「そうですな。警部、ちょうど、その事が載っています」
捜査記録の最後に、森田みくるの両親について、記事が残されていた。
○森田みくるの両親、裁判後の足取りについて
森田みくるの両親、森田健人と森田和子は、東京都中央区月島で、
青果店を営んでいた。
愛娘を失い、敗訴した心労から、店を畳む事を、隣店の松崎金物店に、
言い残し、去っていった。
行き先は、静岡県浜松市だが、被害者心理を考え、触れない方が良い。
(………)
(………)
「警部、どうしますか?記録にも、森田みくるの両親には、関わるなと、釘が刺されておりますが?」
(………)
佐久間は、悩み抜いて、心を鬼にする事にした。
一事不再理がある以上、八年前の事件は、覆らないし、両親の気持ちを考えれば、会うべきではない。だが、八年の時を経て、新事実として鑑みた時、過去を引っくるめて、総合的に解決出来るのも、今しかないのである。
罪なき弱き者が苦しみ、業深い強き者が、今も裁かれる事なく、自由を謳歌している。
(正義は、貫かれなくてはならない。このまま、諦める事は、森田みくると本田智恵が浮かばれない)
「山さん、誰に何と思われても、犯人を捕まえよう。森田みくるの両親は、悲しみの岸辺にいるのは、事実なんだが、ここで止めないと、数年後、また、板金塗装工場で、次の被害者が出るかもしれない」
「そうですね。時任夫婦の、過去を炙り出しましょう。それには、森田みくるの両親に、協力を得なければなりません」
「静岡県浜松市といっても、広いからね。浜松市のどこに引っ越したのかを、松崎金物店に行って、聞いてみようじゃないか」
こうして、佐久間たちは、過去を遡る事にしたのである。