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アルティミシア・マクバーンの毒

すべてを忘れて、楽になってもいいでしょう?


彼女は私にそれだけ告げて、刹那の先には、もう息を引き取っていた。


あれから二年。


侯爵家の令嬢たる私は、あの忌々しい子爵家嫡男に復讐をするべく、ただ一心に、自らを研磨してきた。


相手が平民ならば、なにをしても良いとお思いか。


私は絶対に許さない。


どんな手を使っても、必ずあの男を、失意の底に陥れる。


「 御機嫌よう、下賎な方。本日も清々しいほど気色が悪くていらっしゃるわ 」


王立エルヴァンリッヒ学園は、今日も晴天のもとにあり。


しかし、仲良く連れ立ってやってきた青年と少女の心は、朝から曇天に見舞われている。


原因は一つ。


二人の前に立ちはだかる少女、アルティミシア・マクバーンの"挨拶"だ。


「 アルティミシア嬢... 」


黒髪の青年は、栗色の髪の少女の盾になるように一歩前へ進み、アルティミシアを憎々しげに見据えた。


一方アルティミシアは、青年よりももっと深い嘲りを含めて、彼を睨みつける。


「 貴方のような者が呼ぶと、私の麗しい名前もそんなに小汚く聞こえるのね。驚きだわ 」


「 貴女こそ......麗しいのはその見目だけのようだ 」


憎まれ口を叩き合う二人の姿に、青年の後ろに佇む黒髪の少女セイレーネは、ただただ困惑するばかり。


( アルティミシア・マクバーン...。この子はなんなの?小説にはこんな子、いなかった )


少女セイレーネは、所謂転生者というやつであった。


自身が前世で愛読していた小説『かなしの歌姫』の世界に転生したときはさすがに驚いたが、混乱しながらも原作キース・グリーンという恋人を手にした。


結果、乙女ゲームでいうと悪役令嬢の位置になる少女、リナリア・レファンスの婚約者を奪うこととなったが、リナリアは既に新しい恋人と幸せな生活を送っているので、許してほしい。


リナリアとセイレーネは、今ではよい友達だ。


そして、なにもかもが円満に終わり、愛を渡し愛を返されるこの素晴らしい生活が続いていくのだと思っていた矢先。


どこから沸いたのか、アルティミシア・マクバーンという害悪が、セイレーネの世界へやってきた。


アルティミシアはマクバーン侯爵家の令嬢で、とても美しい顔立ちをした、小柄な少女である。


しかし、ところ構わずキースに暴言を吐くなど、貴族令嬢らしくない態度から嫌煙されている節がある。


ゲームでは名前も姿も、家名すら出てこなかった彼女が、どうして自分たちの邪魔をするのか。


セイレーネには理解出来なかった。


彼女は平民だ。


そして、「かなしの歌姫」の学園のほぼすべての生徒が貴族の令息令嬢である。


そのため、学園内でほかの貴族から蔑まれることはあるが、アルティミシアはセイレーネが平民だということに対してはなにも言ってこない。


ただ、セイレーネをいないもののように扱い、恋人のキースだけを口汚く侮辱して去っていく。


キースは子爵令息で貴族界ではそう身分の高くない人間だが、人当たりがよく見目も良いので、そうそう嫌われることはない。


それこそセイレーネが来るまではなかなかに女遊びが激しかった彼だが、キースはアルティミシアとは面識がないと言っていた。


アルティミシアは高位貴族であり、セイレーネたちより三つも年下だ。


キースが手を出していたとなったらさすがに趣味を疑う。


「 貴方のような汚らしい方に私の魅力が理解されなくとも構いませんわ。貴方には必ず報復を致しますので、御覚悟を 」


「 私は、貴方にそのように恨まれるようなことをしたことは御座いませんが... 」


キースがそういった瞬間、アルティミシアの瞳が大きく見開かれ、そして、セイレーネまで凍らすほどに温度を下げた。


「 ......そう。私の覚悟も、無駄ではなかったということね 」


去っていくアルティミシアに、キースがセイレーネの方を振り返り、大丈夫かと肩を撫でる。


セイレーネはその瞬間、キースが酷く穢らわしいもののように思えた。


びくん、とセイレーネの身体が大きく揺れる。


「 ......あっ 」


キースに怯えてしまったのがバレただろうか、と彼を見上げると、キースはセイレーネを慈しむように見下ろしていた。


「 こんなに怯えて。大丈夫だ、君は僕が守るから 」


その声色は、とても優しかった。


しかし、セイレーネの心は、未だ動機に震えていた。


あんな年端もいかない少女に、あのように冷たい瞳をさせる男。


キースは確実に、なにかをしたのだ。


アルティミシアとて、キースを罵倒することで自分の評価が下がっていることには気づいているだろう。


あの子はとても、聡明な子に見えた。


キースを選んだ自分の選択は正しかっただろうかと、その人の腕の中で、セイレーネは小さな不安を抱え始めていた。


「 くそ......っ 」


キースとセイレーネの周りで、異変が起こり始めたのは、アルティミシア・マクバーンの有能さが世に知れ始めてからだった。


キースへの罵詈雑言でその評価を地に落としていたアルティミシアは、学園で他を寄せ付けない圧倒的な優秀さを見せつけた。


魔術においても、勉学においても舞踊においても、体術以外のものなら、彼女はなんでも堂々と一番をとった。


そして政治にも長け、将来は文官として国に尽くしたいのだという。


美しく聡明な侯爵令嬢と、かつて数々の浮名を流してきた、平民の恋人を持つ子爵令息。


貴族達がどちらと親しくなりたいかなど、一目瞭然。


丁度人脈を広げて行きたい時期に社交の場に呼ばれることの少なくなったキース及びグリーン家は、苦悩の日々を送っていた。


キースはアルティミシアに寄り添おうと、何度も和解を持ちかけたが、全て切り捨てられ。


土下座までしても、彼女は笑っていった。


『 貴方のような下賎の者の土下座に、どれだけの価値がありまして?私はそんなに安くないのよ 』


日に日に機嫌を悪くするキースに、セイレーネは次第に恐怖を抱くようになっていった。


キースはいつだって優しい。


優しいのだけれど、会えない日々が続いたり、少しの冗談に表情を無くしたりすることが増えた。


そのうちセイレーネの心にぽっかり空洞が空いたようになり、二人の心はゆっくりと、離れていった。


そんな折に、セイレーネの寮の部屋に、アルティミシアからの使者だという少女がやってきた。


セイレーネは少女を警戒したが、半ば強引に茶会の予定を決められた。


その日から約束の日まで、セイレーネとキースが会うことは、なかった。


「 いらっしゃい、セイレーネさん 」


アルティミシアは、にこやかに朗らかに、セイレーネを迎えた。


その姿は、恍惚とすらしていた。


そんな彼女の笑みにすっかり毒気を抜かれてしまったセイレーネは、いまのアルティミシアとキースを罵倒していたあの少女が、同一人物には思えなかった。


「 あ、アルティミシア様。本日は、お招きいただきありがとうございます 」


「 そんなに固くならなくて結構よ。ようこそ、我がマクバーン侯爵家へ 」


セイレーネは、安堵した。


美しい庭園を案内され、ユーモアを含めたアルティミシアの話を、セイレーネはすっかり楽しんでいた。


そして、昼食をご馳走された、あと。


漸く本題に入るというように、アルティミシアが表情を引き締めた。


「 セイレーネさん。あなたも知っていると思いますが、私は貴方の恋人であるキース・グリーンを心底嫌悪しています 」


「 ......えぇ 」


セイレーネは、少しばかり身構える。


そんな姿を見て、アルティミシアはさみしそうに微笑んだ。


「 その理由を、知りたいと思う?この話は、未だ誰にも語ったことのない、私のなかではとても重要なものなの 」


あなたに、覚悟はある?


ティーカップの揺れる水面を見つめながら、アルティミシアは静かに呟く。


「 私は、......知りたいです。聞かせてください、アルティミシア様 」


セイレーネは、ずっとアルティミシアが怖かった。


しかし、それと同時に、まだ十六歳という幼い彼女の冷たい瞳の理由を、ずっとずっと、知りたかったのだ。


アルティミシアは、ほっと胸を撫で下ろして、それから紅茶を一口喉に流すと、ゆっくりと、昔語りを始めた。





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