80.トーラス参戦
長らくお待たせいたしました。今年もよろしくお願いいたします。
ヨリの続きの前に、カズユキたちの動きが入りました。
今、ニルヴァスから知らせがあった。指に停まらせた白い羽に緑の縁取りのある蝶が、張りのある声を届けてサラリと消失する。その指に水色の蝶を作り、飛ばした。知らせを受け取ったという返事と、今度はこちらからの知らせを載せて。
さて、後はと。ああ来た来た。
銀髪の少女神が意気込みに目を輝かせて、こちらに真っ直ぐ向かってくる。
今いるのは神域の広場だ。突っ切って来た方が早いというのに広場の外周を回って来る気遣い屋な魔神。皆の気を散らすことはないと、ああやって自分が遠回りすることを選んでいるのだ。
辿り着いて向かいの椅子に腰かけたイリスは見るからに期待に輝いて、サラサラの銀髪が広場に降り注ぐ光を反射して、キラキラと煌めいていた。ついでに瞳も煌めいて。……ああ、今からこの顔を曇らせなければならないとは心が痛む。
「トーラス、チョコレートケーキをもらいにきたわ!」
断られるなんて思いもしないで来たんだろう。けど、ごめんね?
「ケーキはもう終わりだよ、イリス」
「……ぇ?」
僕が言うと、せっかくの可愛い顔の眉間に、ぐわっとシワが寄ってしまった。そして聞いたことを処理しきれずに怪訝そうにこちらを見て、蚊の鳴くような声で訊ねてくる。肩を縮こまらせて、両手を膝の上で握りしめて。悲し気に下がっていく眉尻に、震え始めた唇が痛々しい。
「終わったって……、どういうこと?」
「話すと長くなるから、君の所でお茶を飲みながらでもいいかい?」
「え? ええ別にいいわよ……?」
何が何だか分かっていないのだろう。イリスが終始、はてなマークを飛ばしている。
いきなりお邪魔するのは訪問客としてマナー違反だからとイリスを帰して、準備───カズユキと話し合う時間が必要だろうから───が整ったら呼んでもらうことにした。さて、彼の拗らせ具合はどの程度かな?
カズユキを使徒にしてから、もう千年は過ぎているだろう。働きぶりは文句が無く、あのイリスの心を解いた功績は称賛ものだ。まあアレでは、イリスも頑ななままではいられなかっただろうけど。
そう、彼はとんだ拾い物だったのだ。どう見ても本人に自覚は無いのだが、甲斐甲斐しいわ甘やかすわ心配性だわで、あっと言う間にイリスの警戒心を解いてしまった。初めてここに招待された時は、その光景に絶句してしまったぐらいに僕の入る隙間が無かった。いやちゃんと僕の給仕もしてくれたけどね?
そんな彼に僕は信頼を置いていて、だから今回の案も静観していたのだけど。
「拗らせましたね。放っておけば病みますよ。イリス様では無理でしょう。あなた様がお出になるべきです」
と、うちの使徒の強い勧めで、イリスがケーキを欲しがったのを機に、僕が横槍を入れさせてもらったというわけだ。勤勉で尽くしてくれる彼には、是非とも恋を叶えて欲しいとは思っているけど、ヨリの気持ちまで操作することは、いくら神でも出来ない。万能だなんだと勘違いされているけどね。
神だからって未来が分かるわけでも無いし、強制的な洗脳もできないし、お告げをしたところで受け手が都合よく解釈することの方が多いから、思うように状況を誘導できる事なんて、ごくわずかだ。まあ使徒なら動かせるけどね。と言っても、僕の使徒は本当に嫌なら拒否する理由をずらずらと並べて、僕はよく言い負かされてしまうんだけど……。
彼女と僕の名誉の為に言っておくと、使徒は神を正すことも求められるから、意見できるくらいじゃないと務まらない。今回の事はイリスから聞いたカズユキの言動に即座に反応した彼女が、解決策をすぐに練り上げてくれたから実現したのだ。彼女曰く、
「片想いっていうのは、拗らせやすいんですよ。しかも見てるだけのようなのは特に。1人で勝手に妄想を膨らませて、自分の想像で相手の性格を都合のいいように決めて動かしてるんですからね。そして想像から外れたら、違うと言って批難する。二次元に恋するよりタチが悪いですよ」
だそうだ。解決策としては現実に放り込んでやるのが一番なのだとか。つまりは接触させるのが一番ということ。
「もし嫌だとごねるようなら、諦めろと言ってやればよろしい。他の男に獲られるのを、指を銜えて見ているのが似合いです」
……うん、カズユキの拗らせ具合が酷ければね?
なるべくなら穏便に済ませたいとは言えないから、頷くだけにしておいた。だってその理由がお茶を飲みに行き辛くなるから、だからさ。あんまりキツイ事を言ってイジメると、せっかく今まで積み上げてきた少ない好感度が、マイナスまで落ち込んでしまうかもしれないじゃないか。そしたら当然、あの美味しいお茶を出してもらえなくなると思うんだよね。……うん嫌だな。
ちなみに生前から今まで、彼女の恋愛経験はゼロだ。数回した片想い───なんで知ってるかって言うと、魂の時に過去を覗いたから───と部屋に積み上がっているマンガや小説や歴史書などで得た知識からの助言は、常に眉間にシワを寄せた辛口で語られる。これがまあ当たるんだよ。見ていられないと言っては出動して、人の恋を成就させてはスッキリした顔をして戻ってくるのだ。
自分には実践してみないのかと訊いたことがあるんだけど、「相手もいないのにどうやって実践しろと?」と凍えそうに冷たい目で見られたので、二度とその質問はしないと自分に課したこともあった。そう昔でもない記憶に、ぶるりと身体が震える。
僕を震えさせることが出来る者など、彼女くらいしか居ない。苦笑していたらイリスが迎えに来た。いよいよだと使徒に念話を飛ばす。「朗報をお待ちしてます」と、すぐに返って来た声には、絶対に成功させるべしという強い圧力を感じた。「うん、頑張るから駄目でも怒らないで欲しいな」と苦笑して返せば、「あなた様の『頑張る』は当てになりますので、心配無用でしょう」と返事が来た。その後に続けられた「性格悪いですから」は聞かないフリをして、イリスと共に転移した。
「ダージリンを濃いめでいただこうかな」
僕が言うと、すぐにカップに紅茶が注がれた。立ち昇るダージリンの香りが素晴らしい。アールグレイの濃いめを頼んだ、イリスのカップに注がれるアールグレイからも芳醇な香りが漂ってくる。今度お邪魔する時はアールグレイを頼もうか。
いつものことであるが、奥の作業台にはいくつもポットが並び、中には急須も見えた。最初に招かれた時に聞いたら、煎茶やウーロン茶や番茶、玄米茶などが用意されてあるのだと言う。しかもすぐに注文が叶えられるように、飲み頃で時間を止めてあるのだとか。うちの使徒が入れるお茶より美味しいから、ついお邪魔してしまうのだ。
今回は初めて飲み物以外も供されるようで、テーブルの端に置かれた例のレアチーズケーキが品の良いサイズにカットされ、金縁の白い皿に載せられて目の前に置かれた。作業を終えたカズユキがイリスの左後ろに立ち、それで茶会は始まる。誰が決めたのでもない。この千年のうちにいつの間にかそうなっていた。
「美味しいよ」
紅茶をひと口飲んで賛辞を贈ると、イリスが顔を照れ気味に緩ませた。この主従、カズユキを褒めたらイリスが喜ぶのだ。いつもながら微笑ましいなとケーキを口に運びながら観察を始めた。
イリスの左後ろに控えたカズユキが、イリスの紅茶が半分を切れば継ぎ足し、ケーキが無くなりそうになればもう1枚の皿に新しいのを載せて、イリスの皿が空になった時にスッと差し替える。わずかの停滞も無く新しいひと口がスプーンですくわれ、イリスの口に運ばれた。主従ならではコンビネーションだ。
そう思ってまた微笑を深めていたら、まさかなことに、イリスに遅れてひと切れ目を食べ終わった僕にもそれが適用された。断るタイミングを逃して、甘んじて2切れ目をいただく。
わんこ蕎麦ならぬわんこケーキ&紅茶な状態なのだと、2切れ目が終わりそうな時に気付いた。カズユキが二皿にケーキを切って載せたからだ。一皿は当然3切れ目を終えそうなイリスの為だろうと察したが、ではもう一皿はと考えれば、状況的に自分用でしかありえない。このままでは延々とケーキを食べるだけで時間が過ぎてしまいそうだ。
3切れ目が終わりそうになりカズユキが動き出したところでケーキを辞退した。そうしたら急須と湯呑みを持ってきて、トロトロと煎茶が注がれ、紅茶が空になったところで差し出される。その後はまたイリスにお代わりを。ああ、頬に着いたレアチーズをカズユキが拭いた。自分の職務を果たすのみという風情なのだが、手つきも瞳も優しいことこの上ない。
神の口元を拭いてやる使徒など、僕が知る限りでは彼だけだ。イリスが嬉しそうに拭かれているのを見て、いつ来ても甘々しい主従に胸が温まった。うん? イリスを甘やかし過ぎじゃないかって? いいんだよ。今までが不遇すぎたんだから。しかもカズユキは言う時は言う男だ。心配は……ちょっとしかしていない。それもこの件の修復が出来ればしなくて良くなるからね。
と言うわけで、そろそろ本題に入ってもいいだろうか。煎茶を啜り、テーブルの上に空になった湯呑みを置くとカズユキが新しいのを注ぎに来た。彼の目線が湯呑みに注がれている横顔を見ながら、訊いてみる。
「イリスから聞いてくれたかな」
「ケーキの許可がもう出せないって話か」
横顔に、動揺は見えない。
「そう。何でとは聞かないのかい?」
聞いてくれたら話に入りやすい。しかしカズユキは注ぎ終えた急須を水平に戻してテーブルに置きながら正論を吐いた。
「許可を出す出さないを、こちらがどうこう言う権利は無い。好きにすればいい」
まあ確かに交渉するしないに文句を言われても困るのだが、それでは話が終わってしまうじゃないか。今回だけはもっと食い下がって欲しいのに、ままならないなと苦笑が零れる。言いたいことを言いながら食い付いてくるのを待つしかないようだ。ではさっそく攻めさせてもらおうか。イリスにも説明すると約束したことだしね。
「ニルヴァスの世界がケーキを5つ手に入れるまで。それがケーキの交渉を閉め切る条件だったんだ。結局7つニルヴァスには渡すことになってね。まさか言ってすぐ15個もケーキの名前が出てくるとは思わなかったから僕も驚いたよ」
予想では一度に2個か3個ずつの交渉になるのではと考えていたら、伝言を頼んですぐに15個だ。その中で交渉条件に合致したモノが7つあって。あっと言う間に終わってしまって僕が一番驚いている。苦笑しながらそう続けたら、7つも? すごいわ、とイリスが目を見開いて慄いて───、
「えっ? じゃあもっと早く言いに行かないと駄目だったのね?」
と悔し気に拳を握りしめた。言いたいのはソコじゃないんだけど、まあそういう事でもあるよね。ほっこり癒されたので頷いておいた。カズユキはじっと僕に目線を据えたまま動かないでいる。だから何だとでも言いたげだ。構わないで先を続けた。
「今朝ニルヴァスからの知らせが来てね。ケーキの設置が間もなく終わるんだそうだよ」
さあ、どうかな? ケーキの設置が難しいと言っていたカズユキの事だ。少しは気になると思うんだけど……。
「……どんなケーキか知ることはできるか」
よし食い付いた。口の端が引き上がりそうなのをグッと抑え、メモをイリスの頭越しにカズユキに差し出す。彼は折りたたまれた紙を、僕を見ながら受け取って開いて。そうしてメモに視線を落として3拍後、呻いた。字を追った目が一番下から微動だにしていない。どうやら一番下に書かれているモノが気になるようだね。
そう、書いてあるのはケーキだけじゃない。今までヨリに許可を出した食材全部だ。そして僕が狙っていたのはケーキたちの名前を見せることじゃなくて。今君が目を離さないでいられないソレに気付いてもらうことだ。
「玄米は白米とは別で売られてるから許可が出せたんだ。これでヨリも米を我慢せずに食べられる。良かったよね」
厭味とも取れる僕の言葉に、イリスが勢いよくカズユキに首を巡らせた。カズユキは苦虫を嚙み潰したような顔で唸る。イリスから聞いていたように、余程米はキープしておきたかったに違いない。自分が使徒になる時には米が無ければ死ぬなんて言っておいて、ヨリには渡さないなんて。ヨリにバレれば嫌われるって何度もイリスに言われていたそうじゃないか。
来てみた感じ、食材交渉を拒否する部分だけに拗れは発動しているようだ。ならば軽度だ。わりと早めに修復できそうで胸を撫で下ろす。もちろん動作には出さない。あくまで優雅にゆったりと構え、微笑みを絶やさずにいるとも。さてお次は、と。
「あと、粉ワサビを手に入れたから、ワサビも断る予定だとニルヴァスが言っていたよ。ヨリが欲しがっているモノは、あといくつだったかな?」
僕の追撃に、カズユキがメモに向けていた顔をバッと上げた。あっという間に2つ交渉材料が減ってしまったのだ。そりゃ驚くし焦るよね。でも、まだあるんだよ。
「そうそう今朝だけどね、ヨリが豆ダンジョンのある領地まで行ったんだそうだ。まだ潜ってはいないけど、今夜あたりその領地にあるダンジョンを制覇するんじゃないかとニルヴァスが言っていたよ。味噌のレシピはすでに持っているから自作も時間の問題だろうね」
僕が話すうちに目をどんどん見開いていくカズユキ。そして僕が言い終わると歯軋りをして、最後の抵抗と言わんばかりに苦し気に言葉を吐き出した。
「……作るつもりでいるのか。使用権はあるんだぞ?」
おやおや、カズユキにも解っているだろうに。
「使用権でいいなら、設置権が欲しいとは言い出さないよ」
苦笑しつつ即答してやると、彼は案の定二の句が継げずに、口を噤んだ。
段々と食材キープの難しさが解ってきたんじゃないだろうか。あと一息で次の段階に進めそうで、楽しくなる。
「ヨリが売ればいいんじゃないかしら?」
あと少しだと唇を湿らした時、さも名案を思い付いたと言わんばかりにイリスが声をあげた。仕上げはお預けのようだ。まあここから繋げていくけどね。
「ヨリが金儲けをしたいならそれが一番簡単だろうけど、金が欲しいのは彼女じゃないだろう?」
「……金が欲しいのは貴族よね? じゃあ貴族に売らせればいいんじゃない?」
代替案に、ヨリが貴族に味噌たちを渡して、売って資金にしていいぞと言う光景が脳裏に浮かんだ。確かに金策だけで考えるならアリだろうけど、その後までは考えが及んでいないねイリス。
「無償で貴族に渡せってことかい? 賭けてもいいけど、貴族が調子に乗るだけで何にもいいことはないだろうな。ねえカズユキ?」
イリスには微笑み、カズユキに先をねだった。使徒とは神の補佐でもある。イリスが解らなくてもカズユキが解っていれば安心なのだ。カズユキが使徒になってから、度々こうして試しているので彼も慣れたもの。浅く頷くと、すぐに答えをくれた。
「一度施せば次を待つようになる。努力の方向が変わるだろうな」
「どういうこと?」
イリスが首を捻る。彼女の世界の住人は全員がダンジョンに潜れる猛者ぞろいだ。施しを待つような者たちではない。だから理解が及ばないのだろう。引き続き説明はカズユキからしてもらおうと、彼に微笑む。それを目だけで受け止めて、カズユキがイリスに向かって説明を始めた。
「彼女に頼む、もしくは神に祈りを捧げるだけで高く売れるモノがもらえる。そうなれば、彼女や神の機嫌を取るために必死になる。気に入られた者が重宝されて出世するだろうから、自分が気に入られるように媚びへつらったり、自分が気に入られるように画策したり、気に入られた奴に取り入ろうとしたり。まあろくなことにはならんな」
「……そ、そうなの?」
カズユキの言葉に、イリスが本当なのかと恐る恐る僕に確認してくる。
「うん、当然その画策の中には暗殺、冤罪、蹴落とし何でもアリだからね。滅亡させる気ならいい手だと思うよ」
イイ笑顔で肯定&補足をしておいた。怯えさせてしまって申し訳ないけど、正しく現状を把握してもらうためだ。
じゃあ貴族に売って、それを貴族が値段を上乗せして売れば? とイリスが小さな声で訊いてくるのには、カズユキがキッパリと首を横に振って、同じことだと答えた。それでやっとイリスは納得してくれたようだ。
さあここからだ。脱線も無駄じゃなかった。自然にここまで持ってこれたからね。
「だからダンジョンに設置したいとヨリは考えているんだろうね。これから貴族にも能力開発をするつもりでいるらしいから、それが始まるまでに欲しいと思っているんじゃないかな」
僕の考えだけどねと付け加えて言うと、カズユキとイリスが後半部分に、揃って首を傾げた。うん説明するから。
「王都と西側は上位冒険者がよく潜っているからドロップ品は把握されているんだよ。それなのに急にドロップ品が変わったら大騒ぎだろう? それに比べて東側は冒険者が年に数回程度しか潜らない。戦闘力の高い軍部はダンジョンに潜らず、平民のほとんどは上層までしか入らず、ダンジョンに潜るのを強制されているポルカだって中層までだった、とくればね」
「つまりは、ドロップ品をいじれるのは東側しかないって言いたいのね?」
今度はイリスにも解ってもらえたようだ。カズユキもなるほどと頷いている。よしよし、さあ仕上げだ。
「ヨリの居る領地のダンジョンの、4か所中3か所はもうヨリ無しでボスまで倒せるようになったと言っていたから、あと一か所しかいじれない。踏破されないうちに、ヨリが味噌たちをそこに設置したいと考えているなら……」
カズユキと視線を合わせ言葉を切り、解るだろう? と目で問いかける。この答え次第では、キツイ事を言わなければいけなくなるだろう。出来ればここで終わって欲しいという思いを込めて、じっとカズユキを見つめる。カズユキは僕の視線から逃れるように顔を背けたが、観念したように眉間のシワを解いて、小さな溜息の後にこう言った。
「……すぐにでも欲しいだろうな」
やった! と心の中で拳を突き上げる。考え得る限り一番ソフトな流れで来たので、彼の僕への好感度は下がっていないに違いない。これでまたお茶を飲みに来れる。───ああ良かった……。
それからのカズユキは早かった。紙と鉛筆を出して、そこにケーキと味噌たちを書き出し始めた。左側にケーキ、右側に味噌たちだ。
「ケーキとデザート込みで7つ。こちらからは味噌と醤油と酢とみりんとソース。後は和がらしでいいのか味噌の種類にするのか、それとも他のか、だな」
「カズユキ? いいの?」
カズユキが頑なに食材をキープしていたのは、ヨリに魔大陸に来て欲しいと強く願うがゆえのこと。この方法しか無かったために今の今まで引っ張っていたのだ。イリスがカズユキに確認を取るのは、彼の心中を思ってのことだ。
「いいんだ」
イリスに清々しい微笑みで強く頷くカズユキ。もう心配はいらないだろう。
「君の作戦は、多分ヨリが現地人と絡まなければ成功していたよ」
書き終えたカズユキに声をかける。
「そう思うか」
苦笑して、慰めなどどうでもいいとばかりに肩を竦めてそっぽを向くカズユキに。
「慰めじゃない。僕だって途中までは、これ以上無いくらいの名案だと思ってた」
1時間もかからず4つのダンジョンを踏破し、次の領地まで4時間ほどで移動してダンジョンを制覇。ニルヴァスから聞いただけだが、ヨリの機動力は凄まじいものがある。しかも眠らないのだと言う。使徒となったからには食う寝る排泄が任意になるので無くても死にはしないが、使徒になる前の記憶があれば寝たいし食べたいのだと僕の使徒は言っていた。ヨリは食べるが寝ない。寝る時間はダンジョンに潜ったり何かしているというのだ。
ということは、だ。寝ないでダンジョンだけ巡ったならば1日で4領地+5領地目に足を踏み入れるところまで出来てしまう。8領地と王都を足しても9カ所だ。2日で世界を回れる。そして祭壇を設置してどこからでも好きなダンジョンに行けるようになれば。もしそれがヨリが使徒になってからすぐに行われたとしたら、ニルヴァスが言っただろう。魔大陸には米と味噌たちがあるぞ、と。
そうしたらカズユキ念願のご対面が、3日ぐらいで実現だ。そこから愛を育めるかはともかく、カズユキの望む筋書きでスタートは切れる。が、カズユキの期待に反してヨリは魔大陸から一番遠い領地に留まり、そこで味噌たちを求めている。
領主とポルカと貴族と平民の状況が絡み合って来た今、魚介ダンジョンまでは夜を繋いで行けるだろうが、魔大陸までは無理だと言わざるを得ない。魔大陸に祭壇を設置しても世界までは越えられないから、イリスとニルヴァスの世界を行き来するためには魚介ダンジョンのボス部屋を越えるか、ニルヴァスの異空間部屋とイリスの異空間部屋を繋ぐかするしかない。が、もしボス部屋を越えて魔大陸に行ったとしても、カズユキの願い通り魔大陸の住人に慣れてからカズユキと会うなんて時間は取れないだろう。
「君がヨリの立場だったら、それでも魔大陸に行こうと思うかい?」
待っている者がいるとも知らず、待っている者は恋人でも無い。行かないのが普通だなと、力無く零してカズユキが項垂れる。可哀想だけれど、それが現時点でのヨリの認識だ。
ひとしきり落ち込んだカズユキが、詰めていた息を押し出した後で茶を飲むかとこちらを見ないで訊いてきた。玄米茶を、とお願いする。
「それはそうと、ケーキの設置方法も教えてもらえるのか? レシピと同じで、それも交渉がいると言うならするつもりでいるが」
僕とイリスが言葉を発せない中、カズユキが言った。僕たちのお茶を注ぎ終わって、またイリスの左後ろの定位置に着いた途端に、だ。すっかりいつも通りになったカズユキに、イリスが笑顔を取り戻してケーキにフォークを入れ始める。甘々しい主従のやり取りの再開だ。
もうカズユキは大丈夫だろう。玄米茶をゆっくりと啜りながら目の前の光景を充分に楽しんでから、僕はうちの使徒が考えた次の段階へ進むために口を開いた。
「そうそう、ケーキと味噌たちの交換だけどね。ヨリにはイリスが甘いモノが好きってことを言ってあるから、ニルヴァスの部屋でお茶会を開いてもらうといいよ」
いかにも今気づきましたとでも言わんばかりに言ってみたら、イリスがキョトンとした顔で。
「これとコレを交換して、では駄目なの?」
と首を傾げるオプションを付けて訊いてきた。美少女の首傾げに付き合って、僕もイリスと同じ角度になるように首を傾け、狙いを教える。
「君は良くても、それじゃあカズユキに利が無いじゃないか。食材をキープしてヨリをおびき寄せる方法はもう使えないんだから、それに代わる案が欲しいだろう?」
イリスが首を戻して頷き、僕も首を戻したところで、
「確かにそうね」
と納得してくれた。カズユキは何が始まるのかと、じっとこちらを見ている。またしても警戒されているようだ。
「それで提案なんだけどね。そのお茶会に、カズユキも参加してみてはどうだろう」
「……は?」
ああ、口が開いた。と言うか開いた口が塞がらないのかな。ふふ、ヨリが来てからカズユキは表情が豊かになったよね。もちろんリアクションも。今だってほら、思ってもみない事を言われて、どんな顔をしたらいいのか決めかねているのか何とも言えない困り顔が、見ていて面白い。笑うと台無しになるから笑わないけどね。
「君の為に何かしてあげられないかと僕の使徒に聞いてみたんだ。そしたら、とにかく一度2人を合わせてみて、その反応から対策を練らなきゃ、何も始まらずに誰かに獲られて終わるパターンだってはっきり言われてしまってね。もちろんカズユキを呼ぶ前に、イリスがこれでもかってくらいヨリに心の準備をさせるのが大事だとも言っていたから、そこはどうやって言うのか相談しないとなんだけど」
「……は?」
さっきからカズユキは「は?」しか言えてない。それに対してイリスは目を輝かせてやる気満々だ。もちろん僕もその気だ。出来るなら今夜までにはお茶会の約束をニルヴァスに取り付けて、ヨリに知らせなければならない。ヨリが味噌を作ると言い出す前に。
「さあ計画を詰めようか。ほら時間が無いよ。カズユキも座って一緒に考えよう」
「カズユキ! 」
呆けた彼を、イリスが引っ張って座らせた。
「まずはイリス、君がニルヴァスにケーキのことを僕から聞いたと言うんだ」
「わかったわ。ほらカズユキはメモして!」
「あ、ああ」
狼狽えながらもイリスの強い口調に手を動かすカズユキ。書き終わったのを確認して次を言う。
「ニルヴァスが何を言うかは分からないけど、まあ断ることは無いと思う。だからケーキが欲しいけど、どのケーキにするか全部味見してから決めたい、と言うんだ」
「……ケーキが欲しいからどれにするかは食べてから決めさせてって感じに言えばいいかしら?」
イリスが言った方のが彼女っぽいし、解りやすい。うんうんと頷いて採用だ。カズユキも頷いて書き込む。
「そしたら茶会の日時を決めて、ヨリにお茶を入れてもらおう」
「え? カズユキはいらないの?」
「ふふ、イリスは紅茶を忘れていくんだよ。ヨリはまだ紅茶のあるダンジョンまで行けていないからね。紅茶が無ければケーキを本当には楽しめないだろう? だから、忘れたから使徒に持ってこさせるけど、ちょっと見た目が人じゃないからびっくりするかもって言ってから呼ぶんだ」
「ななな、なるほど!」
イリスは身を乗り出して、ものすごく興奮しながら納得する。横ではカズユキもフンフンと鼻息荒く、メモをとる手を動かしている。
「カズユキはお茶を届けて一言挨拶なり自己紹介なりして、ヨリの反応を見てから同席か退場を決める、でどうだろう?」
「す……っすごいわトーラス!」
イリスは最早、足踏みしそうなくらいに興奮していて、僕はお茶会の段取りをすべて言い切ることが出来てスッキリとした気分だった。しかも採用されそうだ。これで心置きなく帰れる。胸を張って報告できるよ。
「……もし思いっきり拒否されたらどうすればいい……」
そこに怖気づいた男の声が零される。もう心配し過ぎだってば。
「イリスの世界では普通の姿なんだからって千年も言い続けて姿を見せてれば、誰であろうと見飽きるんだってさ」
と、僕の使徒の見解だけどと付け加えて励ます。
「それ良さそうじゃない?」
ハイテンションのイリスも、名案だと褒め称えた。しかしカズユキはまだ暗い。
「あと千年……」
千年は人には長いだろう。しかも、すでに千年待った後だからね。でもさ、君はもう使徒で、ヨリだって使徒だからね?
「千年でも二千年でも、一緒に過ごして口説けばいいじゃないか。使徒を辞めない限り、時間はいくらでもあるんだから」
そう、使徒でいる間は不死ではないが不老長寿なのだ。それにしたって神力を練り込まれた使徒が簡単に殺されるわけもない。実質不老不死と言ってもいいんじゃないかな。まあ力の使い方次第ではあるけども。
僕の言葉で、カズユキの目に力が戻った。よしよし、君がやる気にならなければ、そもそも手伝う気は無いんだよ僕は。
「ヨリが辞めると言い出さないように、皆で協力すれば何とかなるさ」
一体何をするつもりだ。そんな声が聞こえてきそうなカズユキに、彼の嫌いな微笑で頷く。本心からの笑顔なのに警戒されるって、実は結構傷つくんだけどね?
ささやかに反響を呼んだケーキ事件、カラクリはこんなんでした。
ショートケーキが無いのは、ヨリが作れるからです。ヨリは自分が作れないモノだけを選んで申請しました。
チョコレートケーキって、使っているチョコレートの種類と濃度、ココアの量、薄力粉の量、砂糖の量、お酒の種類と量、卵の量などの材料だけでなく、泡立て具合や寝かせ時間など、本当に千差万別すぎてレシピを選ぶのから大変なんです。ましてやレシピが公開されるわけもない、売ってるケーキなんか完全に再現するのはまず不可能……うぐぐ。私もヨリになりたいっ!!(涙)
トーラスさん家の使徒が登場です。トーラスがタジタジな彼女、そのうち名前も出せるといいなと思っていますが、いつになるやら……。彼女はトーラス曰く愛の使徒ですが、ビシビシとケツを叩くタイプのキューピッドです。お邪魔虫は即排除(殺しません)、うだうだ言うヘタレには手刀と説教をプレゼント。……カズユキやばいですね(笑)




