74.痴女、ではない!
前話と分けたおかげで、しっかり書き込めました。
やっと領主との絡みに辿り着けて嬉しいです。
感激するほどに靴屋の歓待は素晴らしかった。私基準ではあるが5つ星を進呈したいと思う。ブラボー。皆が計ってもらっている間、一番大きな音で鼻を啜っていたのが私であると、皆に気付かれてないといいのだが。涙が溢れないように瞬きを頑張って我慢して、こそっと壁に向いて拭いていたことなども。
私の地下足袋は出来上がっていたので、試着して履き心地を試した。こちらもブラボーだった。すぐにもらおうかと思ったのだが、親方が弟子たちにも作り方を仕込みたいと言うので見本として置いておくことになった。用意しておいた前金を入れた小袋を渡して店を出る。
靴屋を出た私たちは村に戻った。余計なトラブルはいらないので、どこにも寄らずにまっすぐに。シガは調理小屋、他の4人は今からダンジョンに行ってくると出かけて行った。私は裁縫小屋に向かう。進捗状態が気になったからである。もちろん量が出来ていれば嬉しいが、張り切り過ぎて無理をしていないかも気になっていた。
「お待たせ」
裁縫小屋では10人が顔を上げて出迎えてくれた。程よく集中していたのか、すぐに顔を下げて作業に戻る。私が留め針をしておいた分はすでに終わっていて、今は型からパーツを切り出すまでを一心にやっているようだった。顔色も悪くなく、疲れている様子も無い。これならまだ続けても大丈夫かなとパーツの山に近付いて、さっそく私も作業に入る。前後ろ1セットにされているパーツに、留め針を10センチほど開けてひたすら打っていく。10人分できたら作業を中断してもらって、その10センチの間に留め針を2つ打ってもらってそれをチェックだ。
オーケー、出来ている。それを縫ってもらっている間に、今度は15センチぐらい開けて留め針を打った。これは30人分。もう30人分は20センチ開けた。パーツが無くなったので縫い目をチェックして回り、問題無しと見て小屋を出る。もちろん先に間隔の短い方から留め針を打っていくように伝えてから、だ。
調理小屋を覗けば順調だと言われた。まだ4時くらいだ。これならば仕立て屋に行けそうだと最高速で仕立て屋へ向かう。
今からしに行く事は下履きの催促では決して無い。そうではなくて、ソア様の奥様方に作ってもらう上衣の型紙を作りたかったのだ。型があれば切り出すのにいちいち計らなくて良くなる。作業効率がグンと上がること間違い無しだ。
「ちょっと相談があるんだけど」
入ってすぐにそう切り出すと、すぐに作業台まで案内される。下履きのことかと訊かれて違うと答え、用件を話す。
「上衣の袖を、太くした型紙が欲しい」
最初は仕立て屋で注文してくれれば作ると言われたが、そのうちそうする予定ではあるが今は型紙だけが欲しい、と言うと渋々折れた。拗ねた様子が可愛かったので型紙を持っていく場所を耳打ちしたら、驚愕の顔で見返される。
「だから、解りやすいやつを一緒に考えて」
口を開けたまま固まった仕立て屋の親方に私が協力を求めれば、ガクガクと動揺しつつも頷きメモ紙を広げる。そこからは袖のデザインであーでもない、こーでもない、だ。なぜ袖を太くするのかと親方が問うのに「生地の裏に異空間収納を付けるから、モノを取り出しやすいようにしたい」と言えば、袋じゃなくても異空間収納付けれるのかと驚かれて、それが普通の使い方で無いことを知ったり。「袖がここまで長いと邪魔じゃないか」という指摘に「これなら手首返すか袖の中で腕を曲げれば、すぐに武器が出せるかなと思って」と返せば腰に差しとけと言われ、「じゃあポルカが腰に長剣差して歩いてても何も言われないのか」と更に返して親方を黙らせたり。正に白熱の制作会議となった。
結局デザインは肘より少し長めの、腕を組んだ時に左右の袖に反対の拳が楽々入るくらいの袖となった。袖の脇下に当たる半分は縫い付けないようにして稼働ストレスを減らし───これには難色を示されたが中に着るのをこっちで作っているからと説き伏せた───腰紐は暑期用の布で作ることに。色は自由でいいので、暑期用の布巻を買っておけと言われた。そして脇の裾は下から15センチは縫い合わせずに。正に甚兵衛のような上衣が出来上がった。
袖の長さと太さと縫い付け方と裾脇の開き以外は手を加えていないので、そう奇抜でもない仕上がりになる。親方にも想像しやすいのが功を奏したのか、ズボンほどの抵抗は受けなかった。でもまあ、中身と上衣と下履きと地下足袋が1式揃い次第、一番に披露する事を約束させられたけれどもね。
型紙は全部で5つになった。前身頃の左パーツと右パーツの2つ、後ろ身頃、左右の袖の2つだ。それに加えて両脇下を結んで留めるための結び紐の寸法や作り方、縫い付け方も縫い方の説明書に書いてもらう。1枚ではさすがに足りないので従業員にも手伝ってもらって、それを参考に12枚量産した。もちろん報酬は支払う。立派に労働だからね。ちなみに親方はもう1枚それを書いて自分用に懐に仕舞っていた。たぶん自分でも作る気なんじゃないだろうか。
下穿きの仮縫い全色が明日の昼には出来上がるだろうと言うので、明日の午後にまた来ると約束をした。説明書の報酬に気を良くした従業員たちにホクホク顔で送り出された後は、布屋に行って暑期用の布を買い占めに行く。そうしたら今日のところは用事は終わりだ。村へ戻る。
忙しいが移動に時間を取られないおかげで用事がサクサク進む。身体強化はマジで重宝だ。何度目かの感謝と賛辞をニルヴァス様に捧げつつ、明日の予定に思いを馳せる。ソア様のお宅にお邪魔するから、食材セットを12個用意して上衣制作セットにこの間買った糸を足しておかないと。説明しないといけないからソア様宅には午前にお邪魔して、午後は仕立て屋だな。ふんふんと確認しては頷いてを繰り返していると────、
「ヨリ、交渉結果を聞いてくる。今宵は戻らぬかもしれぬ」
脳内にニルヴァス様通信が届いた。じゃあ早ければ今夜、遅くとも明日には結果が? 期待に声が上擦るのを抑えつつ「わかりました」と返事を返し村への道を急いだ。村に近付くといい匂いが漂ってくる。この匂いは……
「チキンのガーリックソテーかな?」
+ + +
今日の晩ご飯はやはりチキンのガーリックソテーだった。この世界の鳥肉は大きすぎるので切り分けると皮が行き渡らない。そのせいでカリカリじゅわりな皮は無く、身だけのソテーだ。皮好きな私には残念無念だが、それは異空間部屋で解消すればいい欲求なので置いておいて。
香ばしく焼かれた鳥モモ肉の上には、粗びきコショウと塩の粒が見えた。焼いた後に振りかけたに違いない。焼き鳥の応用が利いているね。この後振りタイプは口の中で噛み混ぜた時が美味いのだ。パクリ、モグモグ、ムグムグ。うほ、たまらん!
焼き野菜はアスパラガスと人参とレンコンとゴボウだった。こちらも焼いた後に塩をふりかけたのだろう。それが野菜の甘みを引き出しそれだけでも美味かったが、せっかくの肉汁がもったいない。ぬすくり付けて食べたとも! う、美味過ぎる……。
私の食べ方を見ていたロジ少年が真似をして、「うっま!」と叫んだので、その食べ方が広まった。ちなみに主食はハチミツトーストだった。ふふ、嵌まったね? 皆大喜びで食べていた。もちろん私もだ。
晩ご飯の片付けを終えると、朝の仕度は任せて私は裁縫小屋の様子を見に行く。早速作業を始めていた裁縫班であるが、10人居て午後だけで1人2着縫えていたので今日はもう止めてもらった。裁縫というのは疲れるのだ。半日で20人分できているならば充分過ぎる。明日からは午前もやってもらって1日30人分計算でいけば、250人分など10日もかからない。ああ、肉屋たちのも縫わないといけないが。
そうそう、実は私個人に小屋をもらった。いい加減自分の小屋を持てと裁縫小屋を作った時にソルに言われたのだ。今のところ寝る予定がないので別にいらないなと思ったのだが、寝たフリで小屋の中から出掛けられるじゃないかと思い至り、調理小屋と裁縫小屋の中間あたりの小屋をもらったのである。だから今日からは、わざわざダンジョンまで行かなくても異空間通路が開ける! と言う事で早速その小屋に飛び込んで、帰り用の祭壇を設置してからゲートイン。おおう、マイ小屋便利過ぎる。何故もっと早くもらわなかった私!
自分の思い付きの悪さを詰った後は、当然ながらすぐに浮上する。やる事がたくさんあれば、落ち込む暇など無いのである。異空間部屋に入らずそのまま目的地に繋いだ扉を出ると、そこは月明りが美しく差し込む領主館の書斎だ。今日も早めに来れた。手記はもう残り少ない。今日中には読み終わるだろう。昨日は51代目まで読み終わったなと思い出しつつ52代目の手記を手に取った。
いつものように範囲探索をかけたが、今日は隠し部屋の机で読ませてもらうつもりでいた。今日で3日目であるが、昨日と一昨日は結局誰も来なかったし、手記の残りも少ない。それなのに出たり入ったりが面倒だなと思った結果である。もちろん誰かが来れば隠れる。範囲探索はこの書斎のある階に伸ばして広げてあるので、まず私に気付かれる前に書斎に近付くのは不可能だ。よし読むぞ。
読み進めていくと相変わらず金が足りない、どんどん足りなくなるとピーピー言っている。その中には貴族院の朝食と夕食の質をまた落とさなければならなくなった事も書いてあった。かなり前から食材を王都で買う金が無くなり、自領で作る野菜とポルカが差し出すダンジョン食材のみで賄うしかなくなっていたのはこれまでの手記で知っていたが、ポルカから限界まで搾り取っても貴族は増える一方だ。俸禄も食料も充分には行き渡らないのだろう。
それよりも気になったのが、小さく刻まれた野菜と塩漬け肉が申し訳程度に浮いた塩味スープと平パンしか食事に出なくなったことに「晩にはまだ固形だった野菜が、朝にはドロドロと溶け崩れて不味いモノが一層不味くなる」と、貴族院に通う者たちからブーイングの嵐が起きたくだりだった。
ニルヴァス様は努力したのに、ジャガイモと塩のスープを文句も言わずに食べていたのだ。それなのに自力で食材を調達する気もない者たちが文句ばかり。それだけの具材が入っていれば、ドロドロは同じでも味の深みは比べるべくもない。彼らの食生活のランクが落ちても、ニルヴァス様への奉納のランクより上だというのが苛立ちを誘った。
53代目と54代目は、もう鬱病っぽい感じで暗かった。もう駄目だ。いつかこの領地には人が居なくなると悲観ばかり。彼らの言う『人』というのが、貴族のみを指して言っているのか平民も込みで言っているのかは知らないが、平民を見習えばすぐにでも食糧難は解決するのにね。貴族は平民の暮らしをどう見ているのだろうか。是非とも機会があれば訊いてみたいところだ。
読み進めてもあまり楽しくもないし目新しい事も無かったが、ラストの54代目の終わりまで読んで、一つだけ評価することがあるのならば、だ。領主一族は1度も平民を虐げてはいない。搾取していない。ポルカから搾取はしているが、戯れに殺してはいないこと、だった。
もしかしたら隠された諸々があるかもしれないが、平民は元気に生活していて未だ肥えた貴族を見たことが無くて、ポルカの皆はソア様に好意的。私の目に付いた問題はポルカの待遇と貴族の他力本願さのみだから、問題は少ない方だと思うのだ。そしてそれらはこれから変えていけばいい。ソア様の奥様に人数を集めてもらうのは、そのための始めの一歩だったりする。
自力でダンジョンに潜っても、森や山で採集してもいい。今回のような取引でもいい。とにかく自力で食材を確保することを覚えさせたい。それができれば貴族の子供院貯金もしつつご飯もちゃんと食べられて、今ほどの悲壮さは無くなるだろうと考えている。とにかく食費に回す金が無いなら採ってきちゃえばいいじゃないという、平民魂を貴族にも持ってもらうつもりだ。
もちろん慣れるまではインストラクターを付ける。潜らなくては餓死して死ぬ未来しか無いとしても、本当に潜って死んでもらっては困るのだ。残された家族にお悔やみも謝罪も御免こうむる。そういう面倒を避けるためにも、死なせる気は毛頭なかった。お気付きだろうが、インストラクターは当然ポルカに頼むつもりだ。ポルカの好感度上げも同時に行っていきたいという私の思惑が透けて見える? ドンドンパフパフ、正解だ。ソア様でいけたから他の人もいけるのではないかと思っているが……もし文句を言うようなら説得、それが駄目なら自力でどうぞだ。自立を助けはするが他人に誇れるほどの心の広さは持ち合わせていないので、懐かないぐらいならともかく、ポルカの敵とやる気の無い者の面倒まで見るつもりは無い。
え? 身から出た錆なんだから、貴族なんて絶滅するまで放っておけばいい? もちろん考えた事はある。でもさ、領主一族が滅んだ途端に、新しい領主が王都から来る未来しか見えないわけよ。その人はポルカを放置してくれるだろうか。平民を搾取しないだろうか。……わかるわけがないよね。
駄目だったら私が殺してしまえ? おいおい、私の職業は殺し屋ではない。必要に迫られない限りは推奨されないその手段を脇に置いておくためにも、現領主一族は生かす方向で考えた方がいいと思っている。とまあ、そんな結論から来たこの手間暇なわけだ。
そりゃ初心者を連れての狩りより自分たちだけの方が何倍も収穫量は多いよ。今なら接収量を3倍にされても楽勝だよ。でも、それだとポルカに食のほとんどを頼って愚痴だけこぼす愚か者は減っていかないよね。ダンジョンに潜る大変さを知る貴族がいれば、少しは愚か者も減るだろうという期待を込めての作戦でもあるわけさ。あとは……接収量が増えても、10代後にはまた同じ状況で苦しむのが解り切ってるからね。それが解っていてポルカの待遇をそのままにしておくつもりなど、私にはミジンコほどもありはしない! ならばちょうど私が居るときに意識改革からやってみようかと、そんなわけである。
決意も新たに読み終わった手記を閉じて、どっこいしょと立ち上がった時だった。
「あ」
範囲探索に人の反応が。人数は1人だ。時間を確かめれば午後7時40分過ぎ。いったい誰だろうか。仕事は終わっているはずだった。この時間帯に館内に居るのは見張りぐらいなことは確認してある。ということは、見張りの1人だろうか。この館には領主一族も住んではいるが、領主一族がお供も連れずにフラフラするとも思えない。
「領主であるな」
「っ!」
……驚いた。今日は帰らないかもと言っていたので、まさか話しかけられるとは思わなかった。驚き過ぎて心臓が体外に飛び出すかと思ったよ。
「手に持っておるのは手記であるな。ここに来るつもりであろう」
ほうほう、領主が1人で手記を持ってここに来ると。え? 何そのお楽しみイベント。驚きで跳ね上がった心臓が、今度は期待で高鳴り始める。何せまだ窓越しにしか見ていないし、機会があればもっと観察してみたいと思っていたのである。即座に範囲盗聴を追加した。独りになると罵詈雑言を吐く者もいるし、弱音や愚痴を呟く者も珍しくない。人柄が少しでも判ればなと思ったのだ。決して趣味ではない。いや、なりつつある、のか?
自分の方にも気を抜かない。身体を覆う魔力障壁に「感知不可」はすでにかけてあった。それに加えて思い付く限りの付与をかけていく。理想は気配を消して標的に忍び寄る忍者とか暗殺者だ。もちろん暗殺する予定など無い。ただ付与の効果と私の速度を合わせたら、その辺りの職業しか思い浮かばなかっただけである。
「存在稀薄、視認不可、認識阻害、背景同化」
感知不可の効き目が良くなるようにと考え付くのはこれくらいか? ここで一番警戒すべきは「勘」であるのだろうが、それをどう言えばいいのかというのに悩んだ。勘……阻害? でいけるだろうか。
「勘阻害」
あ、弾かれた。勘は誤魔化せないようだ。後は音か。出た音を無くす? いや消した方がいいか。
「消音」
試しにトントンと床を蹴ってみたが音はしなかった。よしよし。
「どうでしょう? これなら気付かれませんかね」
これでもかと付与を重ね掛けしてみたが、仕上がりが気になるのでニルヴァス様に訊いてみた。感知不可以外は初めて使う付与ばかりで、消音以外は実際に効果が出ているかは自分1人では判断が難しいのだ。
「うむ、今おぬしは完全にこの世界から居なくなっておるぞ。素晴らしいのである!」
……褒められてるのは解るのだが、その言い方ではまるで私が「この世界から完全に居なくなっているのが素晴らしい」と言っているように聞こえないだろうか。ニルヴァス様に限って絶対にそうではないと解っているからいいが、他の人に言われたら泣くぞ多分。
「ありがとうございます」
微妙な気持ちでなんとか返事をした私は、気を取り直して隠し部屋の椅子の背にもたれる。客の歩みの速さでは、まだ少し時間が掛かりそうだ。休憩のつもりで天井を仰いで目を瞑れば───。
「うむ。そういえばおぬしに声を掛けたのは交渉の結果が出たと教えるためであったのだが、これでは後の方が良かろうな」
パチッと目が開く。当然だ。寝ている場合ではない。
「もうこちらにお戻りで?」
「うむ」
ニルヴァス様の返事に即座に立ち上がる。平静を装ってはいるが、居ても立っても居られない。時間が1秒でも惜しい。
「今メモをいただいてもいいですか」
努めて冷静に確認をとりながら戻ってくる用に隠し祭壇を設置。「うむ」の言葉を聞き終わるや速攻で異空間部屋のドアを開いて飛び込んだ。祭壇を設置したのだからニルヴァス様がメモを寄越すのを待てばいいのだが、その間も惜しい。飛び込んでテーブルに向かえば、追いかけるようにニルヴァス様が現れてメモを渡してくれた。それをひったくらないように受け取り、すぐに隠し部屋に戻る。そしてそのメモをワクワクしながら開いて───。
「へえ」
開いたメモの半分は駄目だった、と。なるほど。なんとなく不可と可の基準が見えて来たかもしれない。もう一度試してみないと確信は持てないが、8割は予想が当たっていそうだ。にんまりと笑みつつ、急いでメモに印を付けていく。どこのダンジョンに割り振るかを決めているのだ。当然コレとコレはバルファンの隠しダンジョンとして、コレはあそこでもいいだろう。それをしながら範囲探索で領主の位置も把握している。あと2部屋先といったところか。ぼちぼちお出迎えの準備をせねば。
「これ、お願いします」
この部屋の隠し祭壇に紙片を奉納し、背を向け本棚の無い方の壁に歩いていく。隠し部屋の入口脇に着いて振り返った時には紙片は無くなっていた。それを確認後、例の人に意識を集中する。領主は静かに移動していた。足音もさほどしない。独り言もなく呼吸も極めて穏やかだ。
カチャリ。書斎の扉が開けられた。その音もパタリと締められた音も、小さく夜の静けさを破らない。
こちらに来る。静かにゆったりと、この部屋に向かっている。
ギ……。隠し扉に手が掛かる音。息を詰めて待っていれば、扉がゆっくりとこちらに向かって動き出した。
人が通れる充分な隙間ができると、とうとう待ちに待った領主その人が、ランタンのような物を持って入ってきた。
扉脇に潜んでいる私からは、まずランタンに照らされた横顔が見える。白髪交じりの頭髪は、固めないオールバック。40代かな。ロンさんより少し年上に見える。顔は憔悴気味。
扉が音を立てて戻り、領主の全身が見えた。背は私と変わらないくらいか。それにしても、と観察を続ける。窓越しに見た時も思ったのだが、首と手の痩せ具合と身体の厚みが全く嚙み合っていない。宇宙服を着ている人に似ているとまでは言わないが、それに近い。肉の薄さがバレないように誤魔化しているのか、他にも理由があるのか。隠し部屋の奥の棚にゆっくりと歩いていくその後ろ姿を、なおも観察していると。
領主がランタンを机の上に置いた後、部屋の奥に一歩踏み出した姿勢で急に立ち止まった。
もしや私が居ることに気付いたのだろうか。息を潜めて領主の次の動きを待つ。
ふらり、ふらりと領主の身体が揺れだした。
「む? 意識を失っておるかもしれぬぞ」
それに「え?」と思う間もなく領主の身体が前に傾いだ。とっさに思い切りダッシュをかまして領主の前に回り込み、倒れ込んできた身体の下に滑り込むようにキャッチ。
「ふう間に合った」
身体強化が出来なければ完全に間に合わなかっただろう。そのまま尻餅をついて腕の中の領主を見ると、手記を抱え込んだまま白目を剥いて動かない。白目を剥いて倒れる人など見たことがなかったので、それを目の当たりにしてちょっとビビった。そっと手で瞼を下してやる。それから魔力で簡易ベッドを制作だ。とりあえずはそこに寝かせて……って、
「軽っ!!」
お姫様抱っこ1号のおじさんの半分くらいじゃないだろうか。服越しでもかなり細いのが判る。少し力加減を間違えれば、腕やアバラがポキリといってしまいそうで、慎重に魔力ベッドに寝かせた。そうしてから治癒だ。外傷は無いが、内臓は判らない。いきなり倒れたのだ。病気を疑うのが普通だろう。
胃に反応あり。胃潰瘍か胃ガンか、それとも逆流性食道炎か。ストレス性でなりやすそうな病名を上げてみるも、治す時にそれを意識して治す必要はない。意味の無いことだったなと頭を振って意識を切り替える。そして服のボタンに手をかけ、よいしょよいしょ。
「何をしておるのだ?」
「え? 服を脱がしてます」
おお、やはり上げ底してあったか。触った感じで更なる確信を持ってはいたが、やはりそうであった。刺繍されまくりの足首まで長い豪華上衣は、ダウンコートばりの詰め物がしてあった。この世界には綿も羽毛も無さそうだから、糸を丸めて仕込んでいるのかもしれない。それを確かめられて気が済んだ私は、やっとその下に目を向けた。
豪華上衣はかなりの厚手だったが、その下は薄手の服だった。裾も股下ぐらいで、形は平民の着る服と変わらない。ただ、手触りがすごく良かった。サラサラツルツルとしていて、ナイロン生地のようだ。光沢はないが、落ち着いた白が美しい。鑑定すると『流糸』と出た。ほう、これが手記に載っていた貴族しか使えない流糸か。もしやと先ほどの豪華上衣も鑑定してみれば、そちらも流糸と出た。刺繡糸も流糸のようだ。金が掛かるのも頷ける滑らかさである。豪華上衣と違って刺繍一つ無い薄手の服の手触りを思うさま撫でまわすと、そのボタンにも手をかけた。
「……何をしておるのだ?」
「? 服を脱がせています」
見たままだというのに、なぜ訊くのか。おかしな神様だ。ボタンをあけた中にもう1枚同じ服を見つけて、そのボタンにも取り掛かった。お、服はこれでおしまいか。目指す素肌が見えてきた。手早くボタンを外して。そうして私は息を呑んだ。
アバラが浮いた胸、薄い身体、へこんだ腹、肩は関節の部分が一番太い有様だ。出会った時のポルカの子供たちと競るほどにひどい。
「……未婚の娘が意識の無い男の服を脱がせて裸体を凝視とは、まずいのではないか?」
テレビで見た難民を思わせるような身体に絶句していたら、ニルヴァス様の苦みを含んだ言葉が頭に響いた。感じていた痛々しさがどこかに消えて、「ん?」とニルヴァス様からの言葉について考える。別にまずくはないだろう。こんな痩せ細った人は、あちらの世界では要介護対象だ。未婚の女が男の裸体を拭き清めたりして世話することは珍しくない。そう教えてやると、ニルヴァス様は安堵と共にこう零して私をフリーズさせた。
「痴女ではなかったか……」
は? 痴女? もし私が痴女だったら、とっくに肉屋たちは剥かれ終わっていると思う。今のところ危険を冒しても剥く価値のある筋肉は、彼らにしか装備されていない。ポルカのダンジョン組はもう半年ぐらい育たないと。っといやいや、脳内ではやるかもしれないが実際にやる勇気と行動力があったら、35歳まで未経験では無いだろうよ。よって無罪を主張する。
「痴女ではありません」
無い胸をこれでもかと張っておいた。考えていても行動に移さなければセーフなのだよ。力強く痴女疑惑を否定して気を取り直した私は、領主の身体を仕舞おうと服に手をかけながらニルヴァス様に問うた。
「なぜ、こんなに痩せているのですか」
領主が下級貴族と同じ俸禄などあり得ないから、ソア様よりは食べているだろうと思っていた。しかしこの細さであの軽さだ。歩く音をさせない作法でも貴族は習うのかと思っていたが、そうでは無かったのかもしれない。これでは力も入るまい。
「領主の息子がもうすぐ嫁を迎えることになっておる。婚礼のために節約しておるのであろう」
「また食費を削っているわけですか」
「そうするしかあるまい、と考えておるのは何もこの者だけではない」
「他にも居ますか」
「息子が20歳を過ぎると婚礼を挙げるのだ。娘ならば17歳であるな。その者たちの親は皆、このようになっておる」
ソア様は貴族院のことしか言っていなかったので、貴族院を卒業したら楽になるのかと思っていたが、その後は婚礼のための節約がまた始まるらしい。それが終わればやっと節約生活は終わるのだろうか。いや待てよ。俸禄が減っているのに貴族院での装いを何とか保てているのは───。
「……着飾っても死んでは意味が無いと思うのですがね」
「それは我も思うところであるが、貴族たちの考えは違うようであるな」
「……ふう」
馬鹿ばっかりだな。領主など今にも死んでしまいそうではないか。息子がもうすぐ結婚ということは、20歳だ。ではこの男は40歳そこそこのはず。手記の背表紙を見れば55代目と書いてある。……領主を継いですぐ死にそうとか笑えない。先程の理由で持ちこたえてもらわねば困るのだ。しょうがないな~。
「ねえニルヴァス様、貴族たちをダンジョンに潜らせてもかまいませんか」
豪華上衣の最後のボタンを留め終わりながらニルヴァス様に訊く。
「かまわぬが、何をする気だ?」
「ポルカにした能力開発を、貴族にもします」
「ふむ。できるのか?」
できる、できないではなくて、やるのだ。
「説得する流れ次第で、ポルカをバルファンから切り離すかもしれません。以前おっしゃっていた奉納の褒美として、ポルカの避難場所をいただけますか。もしかしたら村に戻れなくなるかもしれませんので、ちゃんと生活できる場所を」
「ふむ。他領には行かぬか」
「それは終わった後に考えます」
「……何やら結末が見えておるようであるな」
「難しく考え過ぎではないですか? 食材を獲りに行く気があるか無いか、行く気があるなら私が手伝う。それだけの話です。結末を想像するのは簡単でしょう?」
「行けぬ者たちはどうするのだ?」
「ダンジョンに潜る以外にも出来ることはたくさんあります。有志を募ってその中で仕事を分担させて、食材は山分けにすればいいでしょう」
「ふむ。では行く気の無い者たちはどうなる」
「説得はしますが、駄目ならば諦めてください。やる気の無い者に慈悲を示せば、やる者が居なくなります」
当たり前だ。働く者と遊ぶ者の報酬が、同じでいいわけがない。ニルヴァス様がなんと言おうと、ここだけは譲れないのだ。下手に期待を持たせぬように意識して冷ややかに言い放った。
「……そうであるな。おぬしに任せよう」
ニルヴァス様はまだ諦め切れないのだろうが、意気消沈としつつも任せてくれると言ってくれた。はい頑張りますとも。いや、頑張るのは貴族だったわ。
「ありがとうございます」
答えながら、考えた。
とりあえず領主が起きたら話をしよう、と。
領主は未だ目を覚ます気配が無い。憔悴して顔色は悪いものの、部屋に入って来た時の横顔と今の寝ている顔に、性格破綻者が持つ歪みは見えなかった。他に知っていることと言えば、窓越しに見た仕事中の真面目な態度。……話すのが楽しみだ。
「ニルヴァス様、起きそうになったら教えていただけますか」
「かまわぬが……」
「倒れるほどフラフラでは話ができるとも思えませんから、少し持ってきます」
「ふむ。あの貴族にしたように餌付けでもするのか」
そう言われて、ホスさんとソア様の馴れ初めを思い出して思わず笑みが零れた。
「ふふ、そうなれば楽なんですけどね」
まずは初心者定番の粉ふき芋に、発酵パンに、作っておいた冬瓜スープかな。冬瓜スープ以外はストックがあるのですぐに用意できた。すぐに異空間部屋に入って大鍋から中鍋2つに冬瓜スープを移し、フタをして強火で火を点け、鍋にも加熱付与のダブル加熱をして腸詰を投入していく。量が減った大鍋にも同じようにして、皿とスプーンとフォークを用意して異空間収納袋に放り込んでいく。そこへ発酵パンの入った袋と、瓶に入っている粉ふき芋も。
ああそうだと、小鍋3つに少量ずつの水を入れ、湯冷まし用の湯をダブル加熱で沸かす。急ぎの時は1つで沸かすより小分けの方が早いので、冬瓜スープも湯もそうしたのだ。湯の方が量が少ないのですぐに沸いた。ある程度まで冷めた方がいいので、小鍋1つにまとめておいて袋には入れずにこのまま持って行く。
湯呑みを3つ用意して2つは袋に放り込み、残りの1つには沸いた湯を注ぐ。これはニルヴァス様の分だ。
冬瓜スープ用の深皿とお玉の用意が終わったころには、冬瓜スープが沸きだした。火を止め鍋敷きをテーブルにセットして大鍋を移動させ、ニルヴァス様の分だけ深皿に盛る。さすがに味気ないかと、レーズンもどきパンも添える。
「ニルヴァス様、もう行けますので召し上がってください」
中鍋を2つ、そっと収納袋に入れ準備を完了させて隠し部屋に戻れば、まだ領主は気を失ったままだった。今のうちだと、机の上に皿や鍋を出してセットしていく。ちなみに毒が入っているとかアホな事を疑われないために、私の分もセットした。領主がいるのに1つしかない椅子に座るのもどうかと思い、ひじ載せ付きのリクライニング椅子を魔力で作った。初めて座るけども、安定感に問題はない。自分の湯冷ましだけ注いで椅子に腰かけて落ち着いた私は、脱がせる時に抜き取っておいた55代目の手記を手に取った。
55代目は何を記す人なのか。頼むから愚痴ばっかりはやめておくれよと願いながら、読み始めた。
領主は一言もしゃべらず終わりました。ヨリの痴女疑惑、肯定するか迷いました。(笑)
ジワジワとダンジョンへ貴族を誘導するつもりでしたが、領主の瀕死っぷりに急ぐことにしました。ポルカの避難場所は異空間部屋に用意されます。ヨリは憂いなく突き進むことでしょう。




