57.貴族街へ。
貴族街へ行きます。
今日も昼食を食べに来てしまった……。
「止めよう! 今日こそ止めよう!」といつも思っているのだが、その時になると無意識に時間に間に合うように来てしまうのだ。
ここに来るはずだったもう1人は常日頃から「行くのが嫌だ」と言っていたので、「私が行きましょうか」と一度申し出たら次からも頼まれるようになった。そんなこんなで初日以来、ずっと昼食を食べさせてもらっている。もちろん受け渡し日でなければ来れないが。
家族には言っていなかった。
言ってしまえば領主館で昼食が出ない事がバレてしまうからなのだが、本当のところは打ち明けてもここに家族を連れてこられないというのが理由だ。食べさせてやる事ができないなら言わぬ方がいい。そう私は考えて打ち明けられないでいた。
村に近付くと、いつもホスさんの近くに座っている1人の男性が手を挙げてくれた。
昼食の匂いに吸い寄せられるようにフラフラと入って行ってしまう私を、誰かが待っていてくれるようになったのだ。……初めて村の外に立つ誰かを見た時は、まさか私を待っていたなんて思わなくて、とても驚いてしまった。
近くまで行ってお辞儀をして謝意を示す。こんなタダ飯食らいな自分を待っていてくれる所など、ここしか無い。実家に行った時ですら「飯を食べて行け」と言われた事が無いのだ。謝意を示すのに否やがあろうはずもない。
「お世話になります」
と笑いかける。「おう、ホスも待ってるぜ」と教えてもらい、心が温まった。
今まで嗅いだことの無い匂いに「初めての匂いですね」と言うと、男性が「今日、初めて作ったやつだからな。堪らない匂いだろう?」と得意げに返してきた。確かに堪らない匂いだ。腹がグウグウと小さく催促を繰り返す。
さすがに初日のあの音が恥ずかし過ぎたので、来る少し前には水をたっぷりと飲むようにしたのだ。もちろん来る直前だとせっかくの料理が食べられないので「少し前」が鉄則である。
空腹を紛らわすためだけに飲んでいた頃を思うと、水を飲むのが楽しくなったのだから不思議だった。今でも2日に1度は食べられないが、「明日になれば食べられる」と思えば気分も軽い。生活が楽になったわけではないのに、気がずいぶんと楽になった気がする。
「ホスさんの、そして受け入れてくれた村の者たちのおかげだな」と、毎日ありがたく思っている今日この頃だ。
広場にはいつもより多くの者が居た。「今日は多いんですね」と訊いたら、「ああ、今日からダンジョン組が一緒だからな」と。
ダンジョン組と言うからには、ダンジョンに潜る者たちなんだろう。ボロボロの服からは引き締まった身体が見える。それに比べて私は同じように痩せてはいてもプニプニだ。最近は特に美味しいモノを食べてプニプニ度が増してきている。
「おう座んな」とホスさんがいつものように勧めてくれた。私は見た事が無い者たちに気後れを感じながらも、いつものように声を張り上げて「お世話になります」とお辞儀する。
身分は私が当然上だが、ここでは恵んでもらっている立場だ。挨拶ぐらいはちゃんとしたい。何も返せないならなおさらである。
ダンジョン組の中には見知った者と、記憶に無い者が居た。どうやら私にあまり興味が無いようで、軽くお辞儀をしてくれたらすぐに顔を逸らしていく。村の者たちは、いつもそういう感じなので気にならなくなった。……最初は嫌われていると思ってその度に落ち込んだものだ。
座って周りを見ていると、1人だけ身なりが違う者を見つけた。新しくは無いがボロではない服を着ているので、この中に居ると私同様目立つ。上着は長袖で腰まで、下穿きは足首まであった。どちらもニルニェで染めた薄茶色で、一般的な平民の服装だ。靴は黒い布靴で、こちらも一般的。よくよく見ると、女性であった。
「ホスさん。女性を見るのは初めてなんですが」
そう。初めてなのだ。村に女性が居たとしても、私は会った事が無かった。ホスさんが「じょせいって誰のことだ?」と首を傾げる。「女の人のことです」と言い直すと、私の横に座っている今日出迎えてくれた男性がその女性を見て「ああ、ヨリの事か」と頷いた。
あの女性はヨリと言うらしい。
そんな話をしていたら、女性と同じテーブルの若い青年が立ち上がって「食っていいぞ」と大声で告げた。全員がその声で食事を始め出した。もちろん私が座っているテーブルの者達もだ。
「彼は?」
「ん? そういや役人さんは初めてか。アイツが俺らの頭領だ」
「アンタが来るちょっと前から昼は居なかったからな」
私の疑問に近くに座る人達が答えてくれる。ホスさんはその人達が言う事に、ただ頷いている時が多い。
頭領だと教えられた青年よりも、もっとしっかりしてそうな年配の人がたくさん居るように思えるのに(特にホスさんとか)なぜ彼なんだろうかと考えたが、それを口にしないだけの分別はあった。話してくれるのを聞きながら、私もスプーンを握る。
実は先ほどから聞こえる「うめえ」だ「うっま」だ「んめ~~~」などの声が気になって仕方が無かったのだ。
見た感じジャガイモのスープに似ていて、そこに具が入っているのだが、匂いが全く別物だ。ここの食事ではいつもそうなのだが、貴族として教えられた「鼻の穴を膨らませずに匂いを嗅ぐ」というマナーをかなぐり捨てたいぐらいの良い匂いがする。
フンフン、フンフン嗅いで、ひとすくい……トロリ。
スプーンから垂れた白いモノは、あくまでもトロリと皿に落ちた。ジャガイモのスープであればドロリ、そして垂れたらボトリと落ちる。
じっとスプーンに載ったモノを見つめながら、溢さないように口にゆっくりと運んだ。
んむ。舌の上でもトロリ。そして噛むたびに具材の味とトロリの味が混ざって……。
「大変、美味しいですね」
感動のため息と共に出た私のその言葉に、ホスさん達が「だろ?」とニンマリしたので、つられて私もニンマリとしてしまった。……貴族として品良く笑わねばならないのだが、自然となってしまったのだ。仕方あるまい。
自分に言い訳しながら、ひと口ずつを大事に食べる。その都度、美味しさに感動だ。
「ここで食べるモノは、いつも驚くほど美味しいですね」
感動のままに、今まで言えなかった分の「美味しい」も伝えたくて言った。ウンウンと頷いた隣の男性が「確かに美味い!」と同意してくれたのだが、自分が作ったのに「確かに美味い」なんて、まるで他人事のように聞こえる。少し首を捻ってその男性を見ると、珍しくホスさんから答えが来た。
「アンタはヨリの飯しか食ったことが無いからな」
「そういや、そうだな」
「ヨリが作り方とか教えてくれるんだよ」
「材料の切り方とかもな」
「やる事がいっぱいで大変だが、まあこんだけ美味けりゃやるよな」
「だな。覚えちまえば何てことないし、覚えるまでは教えてくれるしな」
「しっかし、あんだけの材料をよく用意できたよな。今はダンジョン組で賄えるけどよ」
「そうだな。最初のうちは全部ヨリが出してただろう?」
ホスさんに続く彼らの話をパンとクリームシチューを味わいながら聞く。
私が食べたのは全部彼女が教えた料理で、どうやら材料調達にも一役買っている事がその話から伺い知れた。
なんだそれは。とてもうらやましい。うちの妻にも教えて欲しいし、材料調達の方法も教えてもらいたい。金が掛かる方法なら諦めるしかないが。……そう思った。
「私がお願いしたら、彼女はうちに料理を教えに来てくれますかね?」
ポツリと小声で隣のホスさんに尋ねた。「無理だな」と言われそうで、身体を固くして返事を待つ。ホスさんが少し考えてから答えてくれた。
「訊いてみないと、わからん」
「そうですよね」
それからの食事は、彼女を観察しながら食べた。
彼女とは結局目が合わずに終わってしまったが、向かいに座る少年の話すことに熱心に耳を傾け、強く頷いては一言二言返していた時の柔らかい表情が印象的だった。そこに希望を見い出し、私は決意を固めた。「頼んでみよう」と。
「帰りに訊いてみます」
またも小声でホスさんに伝えた。ホスさんが小さく「おう、気張んな」と応援してくれる。私は緊張で息苦しくなる自分を叱咤しながら「お世話になりました」と礼を言って彼女の方に歩き出した。
+ + +
ノルマの受け渡しを初めて見る。
役人が懐から布を出して地面に広げた。遠足の時の敷物ぐらいのサイズの正方形のそれには、端から10センチぐらい内側に太めの線で四角が書いてあった。ホスさんが足元に積んだ袋を1つ四角の中に載せると、四角と端の間にモノと数字が表示され、その後スッと吸い込まれた。4辺全個所にしっかりと黒字で表示されて、スッと消えたのだ。とても不思議な光景だった。
当然私は鑑定する。「収納数鑑定」「収納品鑑定」「異空間収納」が付いていた。私がした以外では、一番の多重掛け付与道具である。と言う事は、この領地には中級以上の付与術師が居るのかもしれない。
時間が掛かると思っていた受け渡しは、すぐに終わった。ファンタジーな光景に満足しつつ、私は役人を促す。
「では行きましょうか」
「は、はい。お願いします」
答えた役人が少し緊張気味に街に向かって歩き出したのを、2歩遅れてから追った。「許可も無く隣を歩くな」とか言うタイプかもしれないからである。いきなり隣に並んでそういう人間なのか試すという手もあるが、貴族のお宅を拝見できるこの機会を逃すつもりは無いのでソレはまた別の時に試してみたいと思っている。
少し村から離れた所で、役人がペースを落として私の横に並んで来た。……どうやら隣を歩くのは問題無いらしい。少し俯きがちに歩く人なのかなと思っていたら、役人がこちらを見つめて来た。そして深刻そうに口を開く。
「あの……訊きたい事があるんです」
食後に声を掛けられた時も思ったのだが、ずいぶんと思い詰めた感じを受ける。貴族の悩み事とは何だろうか。それを聞けばこの世界の貴族事情が少し解る期待がある。ニルヴァス様は傍観者なので、人の感情などは「~であろう」と憶測の域を出ないのだ。
「なんでしょう」
私が彼を見つめ返して先を促すと、役人は「その…」と少し言いにくそうに話し始めた。
「実は我が家にはパンとジャガイモしか無いのです。毎日、それだけなのです。どうか食材を手に入れる方法を教えていただけませんか」
……ふむ。「妻に料理を教えて欲しい」とさっき頼まれたからこうして一緒に歩いているワケだが、どうやら彼の本命は食材調達の方法だったらしい。隠す理由は全く無い。溜めも無く教える。
「肉や味付け以外の食材なら近くの森と山に行けば、いくらでもありますよ」
「えっ?!」
「あります。たくさん生えてますし、地面を掘ればゴロゴロ見つかります」
「え?……本当、なんですか?」
めっちゃ驚いているが、本当なのだ。信じていいものか分からない顔で必死に私の顔面を凝視しているが、嘘は言っていないので自信満々に強く頷きながら見返す。
「採って来たモノを持ってますので、お宅で作って見せた方が信じてもらいやすそうですね」
「お、お願いします!」
私の提案にガクガクと首を振り、役人が叫ぶように返事をした。
その後は名乗り合いだ。
役人の名前は、「ソア・ラ・ナム」と言うそうだ。時間が経てば忘れそうな名前だなと思ったので、彼の髪の毛にしっかり名前を付与しておいた。私が「何とお呼びすればいいのですか」と訊くと、「ソアと呼んでください。ラは家名で、ナムは貴族の階級名なので」と言われたので「では、ソア様とお呼びします」と言ったら「私はヨリさんと呼びますね」と2人で顔を見合わせニッコリ。ほのぼの~~。
親睦が少しだけ深まったところで、聞きたい事を訊いてしまおう。
「私もお訊きしたい事があったんです。ソア様、受け渡しの量を増やされないのは何ででしょうか」
ズバリと聞く。不意打ちで質問して、相手の態度を見るのだ。じーっとね。
ソア様は慌てた。「えっ? あ、えと」と。その慌て具合は、どういう種類なんだろうかと推測する。
濃い線は、やはり報告済みで踏み込む前の調査中あたりだと思うが。
ソア様は口を半開きにして「考えをまとめてるんだろうな~」と丸わかりな忙しなさで目を動かし、やっと落ち着いたのかボソッと言った。
「……報告をしていないからです」
嘘かな? すぐに思った。報告をしていないのを役人でもない私に言うのに、そこまで慌てる必要は無いだろう。ならば報告をしたのに、していないと嘘を吐かれたのかもしれない。警戒する。
「なぜ報告しないのですか」
観察しながら声質を重くしないように意識して問う。
ソア様は、言おうかどうか迷っているようだったが結局言った。
「報告したら、もう昼食がもらえなくなると思ったからです」
「え?」
思考が一瞬止まった私を置き去りに、ソア様がしどろもどろで続け出す。
「もし報告したら、受け渡し量が増やされるでしょう。村の者達が食べる分も差し出せと言われると思います。そうなったら、私にくれる余裕は無くなるでしょう? あの美味しい料理が食べられなくなるなんて、絶対に嫌なんです。私に優しくしてくれる村の者達が悲しむ顔も見たくありませんし……」
ソア様は「自分が食べれなくなるのが嫌だから」黙ってくれているらしい。かなり自己中心的だが、人なんてそんなモノだ。自分が第一、他人がその次。「その次」に他人が入っている分、彼は充分まともで良い人だろう。
どうやら怪しげに狼狽えていたのは、自分勝手な理由であると解っているからだろう。ソア様の顔がとても赤い。
自己中心的な自分を暴露するのは、とても勇気がいることだ。それを私に頑張って伝えようとしてくれたソア様が好ましく思えたので、
「黙っていてくれてありがとうございます。また食べに来てください」
と、ソア様にしっかりはっきり謝意を伝えた。途端、ソア様に笑顔が戻った。……まあソア様が喜んだのは間違いなく後半の言葉にだろうけどね。
より心の距離を縮めた事で、とても話が弾んだ。……私が質問してソア様が答えるといった感じだが。
まずはもちろん金銭事情だ。
「貴族の方は裕福であると聞いていたのですが、違うのでしょうか」
ソア様はホスさんたち情報では1日1食しか食べていないらしい。それでは以前のポルカと同じではないか。もちろん食べに来る日は2食になるわけだが。
ソア様は一番恥ずかしい事を吐き出して楽になったのか、恥ずかしそうではあるがサクサク答えてくれるようになった。
「子供が2人居まして、どちらも男の子なんです。貴族は13歳になったら王都の貴族院に3年通わねばならないのですが、その費用を貯めるのが大変でして」
「そういうのは領主様が出してくれたりはしないのですか?」
「学費は出していただけますし、寮もありますので休日の3食と朝と晩の食事は心配いらないのですが」
困ったようにそこでため息。待っていると続きが聞けた。
「貴族院がある日は昼食は院の食堂で摂るのです。それが少し高くてですね。しかも他領地に馬鹿にされないように衣服や持ち物も整えますと、もう本当に厳しいのです」
「そうなんですね」
貴族院は私の読書経験のどこを漁っても、きらびやかで金がかかるイメージだ。どうやら今度こそそのイメージが当て嵌まったらしい。
「この領であれば私のように擦り切れた服を着ていても誰もバカにはしませんが、貴族院ではそうはいきません。なのでどこの家も必死になって食費を切り詰めて金を貯めているのです」
「貴族の女性も通うのですか?」
「女子は領主館にある女学院へ通います。8歳から14歳まで通うのですが、主に行儀作法を教えられます」
「そちらもお金が?」
「家から通うので食費はいりませんが、ドレスや装飾品にかかりますね。もしかしたら男子以上にかかるかもしれません。なにせ6年ですから……」
だそうだ。大変そうである。
しかし食べ物より服をちゃんとしなければならんとは可哀想だ。裕福な事と、ちゃんと食べられる事って別問題だったのだなと目から鱗な思いであった。
街の西門から入ったソア様は大通りをまっすぐ進み、真ん中辺りで「領主館」と書かれた石板がある大きな十字路を左側に向かって曲がった。それを追ってその道に入った途端、見た事の無い街並みが広がる。
灰色や白い石板で綺麗に敷き詰められている道と、赤茶や薄茶や青や緑掛かった煉瓦で組まれている家々が、とても美しい。煉瓦造りだからヨーロッパっぽい街並みなのだが、一軒の家に何色も使われているせいかちょっと幻想的だ。
ソア様が「ここから貴族街なんです。お静かに」と振り返って小声で教えてくれたのに頷いて、周りを観察しながら歩く。後ろを見た時、大通りを歩いている時は家の壁だと思い込んでいた物が、高い壁である事に気付いた。どうやら貴族街とそうでない所は、しっかりと分けられているようだ。
そう言えば煉瓦造りの家は見ていないなとふと思った。今まで街で見た建物は、木か石で出来ていた。コンロや窯は煉瓦造りだったけれどもね。しかも茶色一色だった。色とりどりの煉瓦は貴族じゃないと使えない決まりでもありそうだなと思いながら、ソア様の後ろに付いて貴族街に足を踏み入れた。
ゆるやかな広い上り坂になっている道を少し進むと、ソア様が立ち止まる。「ここを見てください」と指で示されたところを見ると、広い上り坂に沿うように「領主館」という石板があって、そこを左右に貫く細めの道に沿うように「ナム通り1」と小さめの石板が設置されていた。
「ここを曲がります」
ソア様はそこを右に入って行った。私もその細い通りに入る。
「ナム通り」と言うからには、ナムという階級の人たちが住んでいるのだろう。探索をかけてみたが、出歩いている人は付近には居なかった。ここら一帯があまりに静かで子供の声すらしないのが不気味だ。
ソア様にどうなっているか訊きたかったが、「静かに」と言われていたので我慢して黙ったままで付いて行った。
役人は、ソア様というお名前でした。名乗りは自領でする時と他領でする時と変わります。そのあたりも出していけたらと思っています。
次話はお宅訪問ですが、ケーキ作りまで行けたらいいなと。




