復縁のためのその3
『吉井君。今日、一杯、どうや? 飯田君も』
マコに別れを切り出されてから一週間後。業務終了時に席を立った俺に降辺さんが声をかけてくれた。
『良いですね。行きましょうよ、吉井さん』
隣の飯田が俺を見上げて明るく笑顔をつくる。
二人とも、俺に気を遣ってくれてんのかな。そんなに俺は今、情けない様子してんのやろか。
俺は、はい、と答えて二人の心遣いに感謝した。
*****
三人で駅の近くの居酒屋に入って。
枝豆、焼き鳥、串揚げ、と来たところで、俺はもう出来上がってしもうた。
精神的に弱くなると、イケメンにもアルコールにも弱くなるんやろうか。
十年間、つきあっとった女に振られて……と俺は、自分から降辺さんと飯田に語り出した。
降辺さんは俺の話を聞いた後。
「君には想像力が足りひんかったんやな」
一言、俺のグラスにビールを注ぎながら告げた。
「好きな子の立場になって物事を見るということが君は出来てへんかったんやな。自分がそうやから、相手もそうや、とは限らへん。そんな当たり前のこと、この歳になって分かってへんのは恥ずかしいことやぞ、吉井君」
はい、と俺はうなだれた。
「まあ、これも自分が成長するための良い機会やったと思ってやな。まだ君は30や。男は女性と違てタイムリミットはないから、トシは気にしやんでエエ。次は気をつけたらええねん。前向きに考えぇ」
「そうですYO! 先輩 ☆ 巨乳の彼女へのチェンジのチャンス ☆ ですYO☆」
俺よりも先に出来上がっていた飯田が赤い顔と光る広い額で俺の肩を叩いた。
そういえば飯田に前、マコの胸のサイズを言ってもうたな。
「俺の彼女はEカップ☆ですけど☆やっぱり度量が☆デカイ☆ですYO☆☆胸が小さい娘は、なんていうんかな。やっぱり、キツイっていうか☆地雷ポイントが浅くて怖い☆☆ですYO☆」
どうでもエエけど、飯田、言葉に星がついとるぞ。お前は酔っぱらったらこうなるんか。
喋り方もラッパーみたいになっとるし。
まあ、こいつ、そう見えへんけど、もともと俺より若いしな。ゆとり世代やったな。
「……だからぁ、そんなに気にしなくてもいいと思いますYO☆ それよりもぉ、もっと強く生きましょうYO☆明日はき☆っ☆と☆いいことあると思います☆ だ・か・ら、先輩もが☆ん☆ば☆って☆☆☆」
ちょいウザいなこいつ。白髪全部引っこぬいたろか。
降辺さんはハイボールのグラスを持ち上げると、カラン、と音を立てた。
「君はこれから別の視点で物事を見る、ていう練習してみぃ。……ちなみに僕は今、虫の視点で見た世界の物語を書いとるんやけどね。なかなかおもろいし、視野が広がる。そこまでしてみろとは言わんけど、たまに自分とは違う相手になったことを想像してみたらえぇ」
「ホンマですか☆降辺さん! 奇遇ですね、僕も創作☆の趣味があるんですYO☆」
降辺さんの言葉にまた食いついたのは飯田やった。
そこから二人は同じ小説投稿サイトに投稿してるとか、なかなかブクマが増えへんとか、最近のテンプレがどうこうとか、俺を放ったらかしで盛り上がり始めた。
そうやな。
降辺さんの言うとおりや。
俺は今になってマコの気持ちが分かった。
相手の反応を待っても待ってもこない、という虚しさやもどかしさ、切なさを。
俺がツレとツーリングしたり、爆睡したり、徹夜でゲームしとる時に、お前はいつもこんな気持ちやったんやな。……
「……で、君は自分の『死に場所』についてどう思う?」
いきなり、降辺さんにそうふられて、俺はハッとした。あかん、聞いてへんかった。
「僕の話を聞いてへんかったのか? 吉井君」
「す、すいません。死に場所、ですか?……僕、まだそこまでは考えてへん、ていいますか、まだ死にとうないんで……」
「ちゃうちゃう。やっぱり聞いてへんかったんやな。僕が言う『死に場所』というんはそういう意味やない。……自分がたった今、死んでもうても後悔のない満足な生き方をしてるか、ちゅうことや。いつどこが死に場所になってもいいように、日々を生きる、ていうことや。昔の日本人はな、そんな生き方をしとった。昔の日本人の写真の顔、見てみい。今の日本人と全然違うやろ。戦時中はまさにいつ死ぬかわからん状況やったからだれもがそんなんやったんかもしれん。そやけど、いつ死ぬんか、ちゅうんはこの平和な時代でも一緒や。僕はな、そういう話をしとったんや」
いつ死んでも後悔が残らん生き方。
今までの俺はある程度、満足の行く人生やったと思う。
学生んときは勉強も中の上ぐらいやったし。割と苦労せんで就職出来たし。
収入も平均やし。
遊びもそれなりにしたいことは我慢せんとしたし。
本音言えば、あと2、3人はマコ以外の女の子をいろんな意味で知りたかったけど、まあそれは仕方ないことや。
「僕は……もし今、死んだら、猛烈に後悔すると思いますわ」
好きやった女にずっと悲しくて辛い思いをさせとったこと。
幸せに出来へんかったこと。
マコの貴重な十年間を俺というつまらん男で無駄にさせてしもたこと。
「ほんなら、これからの人生は死に場所を探して生きるんやね」
降辺さんはそう言って、ハイボールを口に流し込んだ。