復縁のためのその4
居酒屋を出てお開きになって。
電車に乗って自宅の最寄駅に下車した俺は、酔いを醒ますために自販機でポカリを買い、駅のホームのベンチに座った。
秋の夜風が頬に冷たかった。酔い覚ましにはちょうどええわ。
降辺さんと飯田のおかげで少しは心が軽くなったかな。
俺は微笑んでペットボトルを口に含んだ。
そのとき、改札の方から階段で下りてきた男が俺の隣に座った。
ごっつい男やった。
俺より身長は高くて首が短くて、肩幅があって。バッファロー体型、いうんか?
横目で見た耳が潰れてるから、柔道しとったんやろな、と俺は思う。
違和感を感じたのは、そいつがもう晩秋になろうかというのにランニングシャツと短パンやったこと。
そして、明らかにソワソワとスマホの画面を何回も見てる様や。
俺の視線を感じたんやろうか。
そいつは俺を見て、照れ臭そうに笑った。
「すみません、僕、ヘンですよね」
「いや、寒うないんかな、思て。元気ですね」
「僕、暑がりなんです。汗かきたくなくて」
そいつは笑ってからうつむいた。
しばらくして、小さい声で何か言った。
「え? なんかいいはりました?」
「あの……」
そう言うて、少し黙っとったけど、そいつは緊張した面持ちで口を開いた。
「実は……今から、女の子が僕の家に泊まりにくるんです」
「そいつは……おめでとう」
俺は冷めた声で返した。
「あ、でも、その。なんというか、彼女は家が遠くて、ただ、終電に間に合わなかったから、僕のウチに泊まりにくる、て話で」
マコに振られた俺には、自慢にしか聞こえへんかった。
俺は無視して、ペットボトルを傾けてアルコールで水分を欲する身体に流し込む。
「あの……あなたなら……その……今晩……」
そいつはホームの灰色の床を見つめたまま、声を震わせた。俺は思わず次の言葉を待った。
「いえ、すみません……忘れてください」
なんやねん、かえって気になるやろ。
イラッとする奴なー。
「……あー、君が言いたいんは、僕が君なら、その彼女に今晩、手を出すかどうか。そういうこと?」
「は、はい」
そりゃ、手出すに決まってるやろ! 当たり前やろが。
「そのコは泊まりにくるんやから、まあそうされてもエエ前提でくるんやろ。何も気にすることない思いますけど」
「彼女とは……付き合ってるわけやないんです」
そいつは言葉を濁した。
「僕は彼女を好きですけど、彼女は多分、いえ、絶対に僕をそんな対象として見てないんです。彼女は、今までもいろんな男の家にあちこち泊まってて……今回、僕に初めて声がかかって」
ヤ〇〇〇 対 純情くんの取り合わせか。
珍しいな。ちゅうことはこいつ、まだ、アレなんかな。
「君は……彼女のどこが好きなん?」
俺には信じられんかった。そんな女を好きになるという男がいることを。一体、どこを好きになるんや。
「か、顔です」
即答やな!
「僕好みの顔の女性で。一目惚れやったんです」
恥ずかしそうに言ったそいつの横顔に、俺はマコに最初に会った時のことを思い出した。
まあ俺も確か、マコの顔から入ったんやったな。
一目惚れ、やった。
「……なんちゅうか、ゴチャゴチャ難しいこと考えんと」
俺は硬くなってるそいつに言った。
「とりあえずやるべきことはひとつちゃう? 君、まだ彼女に告白してへんのやろ?」
「は、はい」
「やったら、まずはそれからやろ」
俺は十年前が蘇った。
勇気を振り絞ってマコに告白した、あの若き日の青い自分を。
「こういうんは男が告白するもんやろ。告白して、ええ感じやったらそのまま仲良うしたらええし。アカンかったら……まあそれなりのことしたらええし」
俺やったら、アカンかっても、そんなチャンス絶対に逃さへんけどな!
「そうですね……ホンマ、そうですね」
俺の言葉に、そいつは腑に落ちたのか、にっこりと笑顔を見せた。
「ホンマにそうです。とりあえずそれからや。基本的なこと、僕、忘れてましたわ」
ブブ、とそいつの持っとったスマホが反応した。
「あ、はい、ユミちゃん? 今、どこ……え? 乗り間違えた? もう、エエ? 近くの男んとこ泊まるって……いや、待って、ユミちゃん! 僕、タクシーで迎えに行ったるから! 居って! そこに居って!」
必死やね、君。完璧にアッシー君(死語)やな。
でも、気持ちは分かりすぎるほど分かるわ。
「僕、ちょっと彼女迎えにタクシーで行ってきますわ!」
そいつは勢いよく立ち上がった。
「気ィつけて」
立ち去ろうとするそいつに俺は声をかけた。
「あの、君。誰にでも最初はあるんやさかい、上手くいかんでもあまり気にせんと」
「え? ……ああ、ハイ……」
俺のエールの意味、あんまり分かってへんな、こいつ。まあ、ええわ。
「いってらっしゃい」
俺のかけた最後の言葉は多分そいつには届いてへんかった。
走り去る姿を見送りながら、俺はある歌を自分が口ずさんでいるのに気付いた。
LIFETIME RESPECT。
俺がマコと付き合い始めた時に流行っていた曲や。
くそ。あのランニングシャツのおかげで、あのころのことをすべて思い出してもうたやないか。
……三木道三さん、ええ歌作りはったなあ。
俺はゆっくりと音痴に歌い続けた。
十年前、この歌はどこにいっても流れとった。
それまで恋愛の歌を聞いても俺はぴんとこおへんかったけど。
マコと付き合い始めて、ああ、こういう歌の気持ち、やっと分かったわ……なんて、いっちょまえに大人になった気ィがして。
女の子と付き合ったん初めてやし、たぶんマコとは一年かそこらで関係は終わるやろうと思うけど。
もしかして、このコと一生居ることになるかもしれへんな、せやったら嬉しいな、なんて淡い期待も抱いて。
俺にとっちゃ、お前が全てで。
ずっとこのまま俺と一生一緒におってくれると思ってたんや。マコ。
じわ、と目頭が熱くなって俺はあわてて瞬きした。
あかん、また泣いてまうところやった。
「いい歌ですな」
背後から声がかかって俺はどきりとした。




