第七話 許嫁のシーケット
『お帰りなさいませ、ヴアム様!』
城に入ると、赤い絨毯が敷かれた体育館のように広い空間で、何十人ものメイドと思われる人たちが僕に向かって丁寧なお辞儀をしていた。
「メ、メイドって初めて見るな……」
学園祭とかの【なんちゃってメイド】なら見たことはあるのだが、本物のメイドはかなりオーラがあり、それとは比べ物にならない。
そして、僕達が玄関で立ち止まっていると、メイドたちの奥から何やら黒服を来たご年配の方がやって来た。僕はその人が見た目的に一瞬でこの城の執事だと気が付く。
「お帰りなさいませヴアム様。覚えておられるでしょうか? 専属執事のセバスチャンでございます」
(で、出た! 本物のザ・執事、セバスチャン。日本で何故か執事といえばセバスチャンという、謎の決まりがあるが。しかし、まさかそれを異世界でお目に掛かれるとは……)
もしかしたら翻訳魔法の影響で名前を変えられている可能性もあるが、とにかく僕は内心で変な興奮を抱きながら、執事に向けて軽く会釈をした。
「ど、どうも……」
言うと、執事はニコリと穏やかな微笑みを向けてくる。
「さあヴアム様、シーケット様がお待ちでございます。こちらへ」
早速そう執事に案内され、僕らは言われた通りにその後に続く。城の廊下を歩き、幾つもの階段を上って奥へ奥へと進んで行った。僕は歩くたびに胸に圧迫感が増していっていた。
(極悪人ヴアムの許嫁シーケット……。世界三大美女の一人……、凄い魔力の持主……。一体、どんな人なんだ……)
「ねえ野原、顔色悪いけど、大丈夫?」
横を見ると、一緒に歩いて来ている横嶋が心配そうにこちらを見ていた。適当に僕は手のひらを左右に振って「大丈夫」とジェスチャーをする。
そうして歩いていると、執事は「ここでございます」と大きな両開きドアの前で止まった。
「こちらでシーケット様がお待ちでございます。デハード様は謝礼金を払わせていただきますので、別の部屋に後ほどご案内します。一旦、こちらでお待ち下さいませ」
「ええ、分かりました」
デハードさんはそこで僕に深々と頭を下げて、その場から一歩後ろに引いた。
「さあ、ヴアム様」
執事は僕の正面にあるドアをゆっくりと開いた。
すると、そこには――。
「よっ、久し振りだなヴアム」
何人もの護衛に囲まれ、広い部屋の中心にポツンと置かれた玉座のような席に座る、一人の美しい女性が居た。
彼女はひらひらと僕に向けて手を振ると、まるで少年のような快活な笑みを浮かべる。
(あれ、この子。たしか僕が見た幻覚で……)
僕はこの少女を見たことがある。信じられない程整った顔立ち。その透き通るような褐色の肌に、銀髪の腰まで伸びる長い髪。少し尖った耳。そして、引き込まれるような赤い瞳。
彼女は僕がこの世界に来る前に見た、幻覚の美しい少女が成長した姿そのままだった。現在の年はパッと見僕と同じくらいに見える。
そして、そんな彼女の服装は何処か女戦士を連想させるものだった。豊満な胸に当てられた銀の胸当て。綺麗な身体のラインにピッタリと着られたジャケット。その服が足のももまでしか無く、ミニスカートのような作りになっている。
それらが全体を通して女神のような神々さに満ちており、今まで見てきた誰よりも美しい、と素直な思いが胸に溢れた。
「何この人、綺麗……」
気づくと横嶋が隣で呆けた様子でそう呟いていた。やはり彼女の美貌は誰もが見惚れてしまうものなのだろう。
(彼女がシーケット……。そして。僕の婚約者か……)
そのことが未だに信じられず若干の混乱気味でいると、シーケットは立ち上がり、こちらへゆっくりと歩いて来ていた。
「……なあ、ヴアム――」
そして、次の途端。――彼女は叫び、腕を大きく振りかぶった。
「――この糞馬鹿カス野郎!! テメエ今までアタシを放って何してやがったんだ!! いっぺん死んでこいや!!!」
「うえ!? ガハッッ!!」
ズガンッ、とシーケットの正拳突きが僕の顔面に炸裂した。
目の前がクラクラとし始め、衝撃で飛び出して来た鼻血を咄嗟に両手で押さえる。
この少女の可憐な見た目とは相対する信じられない今の言動。僕はその突然の事態に怒りよりも戸惑いの感情が大きく占めていた。
「い、一体何なんだよお前! いきなり殴って来て!?」
「いきなりも糞もあるか! テメエが居なくなった二年間、アタシは本気でヴアムが死んだんだと思ってたんだぞ!! こんな勝手にひょっこり帰って来やがって、絶対に許さねえ!! あと五十回は殴る!!!」
少女はその美貌に似合わない荒々しい言葉を吐きながら、歯を食いしばって再び腕を振り上げた。
僕は彼女から滲み出る殺意から本気で恐怖を感じ、「――ッ!」と声にならない叫び声を上げた。
「ちょ、ちょっと待ってくれよ! まず僕の話を聞いてくれ! 頼むから!!」
「うっせえボケカス! ――って、ヴアム……。テメエその隣に居る女は何なんだよ」
シーケットは、今更に僕の隣に居る横嶋に気づいたのか、きょとん、とした様子でそちらを凝視していた。
「へ、私に何か用、……ですか? って、ねえ野原、この人何て言ってんの?」
急にシーケットの視線が自分に注がれた横嶋は、戸惑った様子で指を自分に向けていた。
「うん? なあヴアム、こいつ外国人か? 何でこの女に翻訳魔法を使ってやってねえんだよ?」
「いや……、それは……」
「……まあいい。待ってろ女、すぐに翻訳魔法を使ってやるから」
シーケットは手を天に向けてかざすと、ブツブツと何やら唱え始める。
「偉大なる全知全能の主君よ、我の矮小なる知恵に恵みを齎し、無知なる者同士に庇護を与えたまえ。――トラフジカル!」
シーケットの手が輝き始め、それを当てるように横嶋の方へと向ける。
やがてその手から輝きが失われると、シーケットは再び機嫌悪そうに口を開いた。
「おい、これでアタシの言葉は分かんだろ? さっさと説明しろ女。テメエはヴアムとどういう関係なんだ?」
「へ? 凄い、言葉が通じてる。……えっと、それでヴアムとの関係、ですか? ……え、ヴアムって誰です?」
「はあ? こいつに決まってんだろ」
横嶋が語尾に疑問符を浮かべると、シーケットはすぐさま僕を指さした。
「え、ヴアムって野原の事ですか? ……何で」
「意味分かんねえこと言ってんじゃねえよ。つーか、んなことでテメエと会話する気は無えんだ。さっさと答えろ女、テメエはこいつとどういう関係なんだ?」
「……野原と、私の関係……」
「ああ。テメエはアタシの、許嫁と、どういう関係なんだよ」
「い、許嫁……、ですか」
途端に横嶋は口元をヒクヒクと震わせる。すると、彼女は一瞬だけ僕を見てから何故か好戦的な笑みを浮かべた。そうして少しすると、横嶋は迷うことなくはっきりと答えた。
「この男とは、ほぼ毎日私と生活やその他様々を共にしてきた特別な関係、です」
「……ほお」
シーケットのこめかみがピクリと揺れ、眉間にきつくしわが寄った。
「おい横嶋! 何で事を面倒な方向に持っていくんだ! お前とはただ同級生ってだけだろ。ただの他人!! 学校っていう集団組織が一緒だっただけだろ!」
「…………」
何故か横嶋は肯定も否定もせずに、口を閉じたまま僕から顔を逸らした。
(こ、この糞女、……悪意の塊かよ)
僕は横嶋を殴り飛ばしたい衝動で手がワナワナと震えていた。しかし、間近からとてつもない怒りの気配が僕の全身を襲い、すぐにそれは身体の奥に引っ込んだ。
チラリ、とシーケットを見れば、彼女が浮かべていた鬼人のような形相から、僕はあまりの恐ろしさで全身を凍らせた。
「おい、ヴアム。……テメエは死ぬまでアタシ以外の女を見る日は来ないと思え……。一生、この城に閉じ込めてやるからな…………」
「――ひいっ!」
ずざざざざっ、と僕は思わず後ずさる。けれど、壁が背中にぶつかり、それ以上は下がれなくなる。
シーケットはどす黒いオーラを発しながら、僕の方へ一歩、また一歩と近づいて来る。
「テメエ約束したよなアタシと……。アタシ以外の女には、絶対に近づかないってよお……。なあヴアム、どうやらこの行方不明だった二年間で、アタシとの約束を破ったらどうなるか、忘れちまったみてえだな……」
「ひああ!? 知らない! 知らないってそんな約束! 僕は覚えてないんだよ!!」
「へえ……、都合の良い脳みそだな……、千回くらい叩きまくれば、多少マシになるかねえ?」
「ち、違う! 僕はこの世界で過ごしたことを全く覚えてないんだって!」
「無様な言い逃れだな……。もうちょっとまともな言葉で話せや……」
「だ、だから――っ!!」
僕は思いっきり息を吸い込むと、渾身の想いで叫んだ。
「――僕は君のことさえ全然覚えてないんだよ!! この世界で、僕は自分が何者かも分からない!! ずっと別の世界でヴアムとしての自分を忘れて生きていたんだよ――!!!」
僕はその言い終えると、荒い呼吸をしながらシーケットの様子を伺った。
すると、見れば彼女は僕に迫って来ていた動きを、その場でピタリと止めていた。
「…………本当か?」
「あ、ああ! 僕は本当に何も覚えてない。そ、その証拠に……、ほらっ! よく分からないけど、『守護霊』ってやつが今の僕には憑いてないんだろ!? デハードさんが僕に教えてくれた!」
「……そういえば」
シーケットが訝しげに眼を細めると、段々と彼女を取り巻く雰囲気が落ち着き始め、静かに深く息を吐き出していた。
「……詳しく話せ」
そう言われ、すぐさま僕は事の全てを話すのだった。
以前は地球という場所でこの世界を知らずにずっと過ごしていたこと。その地球で生きていた間の三年間、ずっと行方不明だったこと。今日になって突然この世界に学校の奴らと共に来ていたこと。そして、本当にこの世界やシーケットのことを全く覚えていないこと。
シーケットはそんな僕の話を水を差さずに黙って聞いてくれていた。
そして、全てを話終えると、シーケットの瞳は悲しげに暗い色に染まっていた。
「嘘だろヴアム……、冗談だって言ってくれよ……」
僕は今にも泣き出しそうなシーケットの顔を見て、酷く胸が締め付けられるような思いに襲われるのだった。




