第五話 悪のカリスマ
その後、僕がボスダークエルフに案内されて連れて来られたのは、生徒の行列の先頭あたりの馬車だった。そこには馬の後ろに人が入れる籠が取りついており、そこに僕とボスダークエルフが乗り込んだ。中は向かい合うように置かれた長椅子があり、僕らは対面して腰を下ろした。
僕はそこでボスダークエルフによって先程の『治す魔法』で、僕は腹の火傷傷を治癒して貰った。すると、跡一つも残さずに、傷は見事に塞がっていた。
そして現在、僕がその不思議な力が物珍しく、自分の傷があった場所を食い入るようにマジマジと眺めていると、ボスダークエルフが「さて」と改まって話を切り出していた。
「挨拶が遅れました。私、盗賊団【バジリスク】の団長をしている、デハードと申します。ヴアム様とは以前に何度かお会いはしましたが、昔のことなので、改めて自己紹介をさせて頂きました」
「そ、そうですか。デハードさんですね? よろしくお願いします」
「敬語などお止め下さい。私のような者にそのような言葉づかいをされてしまわれるのは、ヴアム様の威厳に関わります」
「じゃあ普通に話すけどさ……」
きっぱりとそう言われ、僕は萎縮しながらも言う通りにする。どうやら『翻訳魔法』というものでも、敬語というのは伝わるようだ。
とはいえ、僕は未だにこのダークエルフが恐ろしく、いつ牙を剥くか分からない状況に心音は早まったままだった。故に敬語を止めるのは軽い勇気が必要だった。
「ありがとうございます。では、まず最初に尋ねたいのですが、何故ヴアム様はこんな場所で、あの外国人達の中に紛れていたのでしょうか?」
「え?」
そう聞かれると、僕は今に至るまでの状況に困惑し始め、僕は数秒間考え込んで頭の中の情報を整理してみる。
まず、僕はいつものように高校に居た。そして、色々とあって石田に殴られ、そうしたら僕が幻覚を見たり幻聴が聞こえた。そのまま訳も分からずに気づいたら学校の人間達とこの世界に居たのだ。
考えてみれば、不思議過ぎて頭がくらくらしてしまう。これらをデハードさんに説明したとしても、理解すらしてもらえるか分からない。なので、僕は彼に取り敢えず分かりやすい話から始めることにする。
「じゃあまず、僕が何であの人間達と一緒に居たか、って話だけど、それは学校っていう多くの人が集まる施設に僕も居て、彼らとたまたまここに来てしまったからだ。何でここに来たのかは僕らにも分からない」
そう言うと、デハードさんは「学校?」と、そのワードの意味が分からない、と言うように、はてと首を傾げていた。
「学校ですか? 申し訳ありません、翻訳魔法によってその場が勉学を学ぶ場所だというのはおおまかに理解出来るのですが、本質的な意味はよく分からず……」
「いやいや、本当に大体その通りで、学校っていうのは色んな勉学をする為に同じ世代の人達が集まる施設、ってだけだよ」
「……不思議ですな。ただその学校とやらに居るだけなら、上層部の方達が派遣した捜索隊に引っかかっている筈です。彼らは世界中を余る所なく探していましたからな。この世界に居る限り、生存していれば必ず見つからなくてはおかしいのです」
「え? 僕は探されてたのか?」
「はい、それはもう二年もの間、休むこともなくです」
「……二年か。そうなのか」
その年数から、僕が例の『行方不明事件』に巻き込まれた後の年数だということに気が付く。
どうやら、ヴアムという人間と三年間の行方不明事件は大きく関係しているようだ。しかし、たった三年間で僕が何をしてきたのか、皆目見当もつかなかった。
「やっぱり、僕はこの世界では二年間の行方不明だったんだろうな……、きっと」
「ええ、故に、不思議でたまらないのです」
デハードさんは顔をしかめて、考え込むようにこめかみに手を添える。僕はおそらく彼の疑問に対する答えを持ち合わせていると思い、口を開いた。
「多分、その捜索隊に見つからなかったのは、僕が二年間別の世界に居たからじゃないかな? 自分でもよく分からないんけど」
「別の世界? いくらなんでも、そのような話……。――いや、でもそうかもしれませんね……。確かにその方法くらいしか探索を逃れる術はございません」
「……分かって貰えて有難いよ」
どうやらデハードさんは真偽は別としても物分りは良い人らしく、おかげで話がスムーズに進んでくれる。
「それで、その別世界とやらにはどうやって行ったのですかな?」
「……分からない。というか、覚えていない」
「覚えていない、……ですか。ひょっとしますと、今のヴアム様に先程から凄まじい違和感を感じるのは、そのことが関係するのではありませんか?」
どうやら、今の僕がそのヴアムと見た目が一緒だろうと、そのヴアムと僕が根本的に違うことは、この短時間で理解出来てしまうことらしい。
ここで自分がそのことを暴露しても大丈夫だろうか、という一抹の不安を覚えながらも、このまま隠しきれる訳もないだろう、と思い口を開く。
「うん、そうだ。僕は自分がヴアムと呼ばれていたことの記憶は少し残ってるけど、ヴアムとして何をしてきたのかは全く覚えていないし、この世界の記憶は殆ど存在しない。つまり、ヴアムと現状は別人って言っても過言じゃない」
僕の言葉に対して、デハードさんがどんな反応をするか怖かったが、彼は不審な態度一つ見せずに、真剣に聞き入ってくれていた。
「……それは深刻な問題ですな。しかも、あなた様に存在しないのは記憶だけではありません。今の話からすると理解して頂けないでしょうが、――ヴアム様の『守護霊』までもが気配を感じられません」
「は? 僕の守護霊?」
「ええ、あの外国人達もそうでしたが、守護霊を身に宿していないのです。それはこの世界に生きる者ならあり得ないのです」
「えっと、もしかして、前には僕も持っていたの? その守護霊を?」
「勿論です。しかも、この世界でも特に優れた守護霊です。誰もがヴアム様の守護霊を羨んでおりました」
その突拍子も無い話を聞いて、僕は頭の整理に手間がかかった。
要するに、この世界の人間は、役割は分からないがその『守護霊』というもが身に宿して当然のものらしい。そして、それは検査などをしなくても今のデハードさんのように見るだけで理解出来てしまうようだ。これは、この世界で生きるのならかなりのデメリットだろう。
「詳しく聞きたいんだけど、その守護霊っていうのは、この世界ではどんな役割があるの?」
「簡単です。魔法を使う為などに活用する、個人特有のエネルギー体のことです」
「魔法を使う為のエネルギー体? じゃあ、その守護霊が居れば、誰でも魔法が使えるの?」
「誰でも、というわけでもありませんが、大体はそうです。……では、私の守護霊をヴアム様に見て頂きましょう」
そう言うとデハードさんは、手を胸元の前あたりに伸ばし、手のひらを軽く力んでいた。
すると――。
「……何だ、この生き物」
見ると、デハードさんの身体には、まるで纏わりつくように一匹の猪に似た生物が居座っていた。だが、その生物は身体が透けており、まるで霧のように実体がぼやけている。
「これが守護霊です。今は魔力をこいつに込めて可視化させています。この守護霊の恩恵によって私も魔法が使えるのです。それ以外にもこいつの使い道はありますが」
デハードさんは猪を軽く一撫でする。すると猪は気持ちよさそうに息を漏らし、僕の目の前からうっすらと姿を消していた。
「凄いな……。僕はまだ自分が夢でも見てる気がするよ」
「それは私も同感ですよ。かつてのヴアム様が、本当に全ての記憶を失っておられるとは……」
「なあ、そのことなんだけどさ」
「はい?」
僕はゴクリと息を軽く呑み込んでから彼に聞いた。
「――結局僕は、一体何者なんだ?」
「…………」
尋ねた途端、どうしてかデハードさんは黙り込んだ。
「大変申し訳ないのですが、どうしても説明に困りますね。一言で説明出来る存在ではなかったのです、ヴアム様は」
「……本当にどういうことだよ」
「ですが、あえて言うのなら『絶対的な悪』といった所でしょうか?」
「ぜ、絶対的な悪?」
「ええ、ですから私たちのような、しがない盗賊団などは、ヴアム様を尊敬と共に執拗に恐れます。恐らく、一般人ならあなた様の名を口にすることすら躊躇いますよ」
「……何なんだよ、僕って」
たしかに、僕の顔を見た瞬間、デハードさんの部下はとんでもない怯えを見せていた。それに、デハードさんも許しを請う為に部下を迷うことなく殺した。
つまりは、それだけヤバい存在だったのだろう、この世界での僕は。
「とにかく、現状のヴアム様のことは私よりも、シーケット様にお任せした方が良いでしょう。そちらの方がヴアム様の持つ数々の疑問に明確にお答え出来る筈です」
「シーケット様? ……誰なんだ、それは?」
「……分かってはいましたが、シーケット様まで覚えておられないのは、流石に動揺しますね。彼女がなんと仰られるか……」
「え? そのシーケットっていうのは、そんなに僕にとって重要な人間なのか?」
聞くと、デハードさんはコクリと首肯した。
「シーケット様は、ヴアム様の後任役を現在に務めている方であり、そして、ヴアム様の許嫁です」
「い、許嫁!?」
僕は驚きのあまり口元が引きつっていると、デハードさんは真剣な表情で頷く。
「シーケット様はこの世界の三大美女に数えられる、絶世の美少女でございます。更にはヴアム様にも劣らず素晴らしい魔力まで兼ね備えたお方です」
「信じられない……、聞いてるだけでも凄そうな人だな……。この世界ではそんな人が僕の許嫁なのかよ」
「はい。きっとあなた様が生きていると分かれば、シーケット様もお喜びになります」
この世界で生きていたヴアムは、何だか誰もが羨む物や人物を全て持っているような人間だったらしい。
僕はそれがどうしても自分のことだとは思えずに、他人事にしか聞こえなかった。
「ところでヴアム様、伝えるのを忘れておりました」
「え、何だよ?」
「今、私たちは馬車に乗っています。そして、当然お分かりでしょうが、この馬車はずっと前から動いております」
「ああ、そういえばいつの間にか動いていたな。盗賊団のアジトにでも向かっているのか?」
カタンカタンと少しばかり揺れる馬車の中で、デハードさんは首を左右に捻ってから、そっと口を開いた。
「向かっているのは今話をしました、シーケット様の居るお屋敷です」
「な! それって、――許嫁のシーケット!? 絶世の美女の!」
「はい、許嫁のシーケット様のもとです。既に部下が連絡を取っておられるので、首を長くして待っておられる筈ですよ」
「……マジか」
僕は馬車の扉を少し開いてから、外を覗き込んでみる。
するとそこは未だに草原だったが、いつの間にか街がほんの数百メートルの先にまで近づいていた。街の周りには塀が固められ、何人もの門番が見張りをしている。
「なあデハードさん、もしかしてこのまま街に入るつもりか? 門から堂々と」
「そのつもりですが、何か?」
「いや、それはヤバくないのか? 聞く話だと僕ってとんでもない悪人なんだろ? 街になんか入れるのかよ。すぐ門番に捕まっちゃうだろ」
「ははっ、それは大丈夫ですよ」
「え、何で?」
聞くと、すぐにデハードさんは平然と答えを返した。
「――何故なら、この国は二年前、既にヴアム様が支配した国ですから」
そう聞いた瞬間、僕は思わず腰が抜けそうになった。
「…………く、国を支配したのか、……こ、この僕がか?」
「ええ。おかげで規制はありますが、私たちのような者ものびのびと過ごさせ頂いています」
僕はどんどん明らかになるヴアムの武勇伝に、背筋が凍るような思いだった。
(ていうか、盗賊団を野放しにする国って……、完全にヤバい国じゃん。……どんな思想の持主だったんだよ僕って)
僕はヴアムだったかもしれない頃の記憶が自分に無くて、本当に良かったと心の底から安堵してしまうのだった。




