第三話 僕が招いた危機
生徒達からの驚愕の視線、その全てが僕にへと向けられる。だが、それに多少でも構っている余裕など存在しなかった。
ダークエルフから殺意に満ちた形相がみるみる険しくなり、僕の方へと近づき出したのだ。僕はどれだけ自分がとんでもない事をしたのか、今更に実感を持ち始めていた。
「#()0’&*+>>.,~#!!」
ダークエルフが何と言っているのかは分からないが、その上げた声がとてつもない怒気に満ちており、僕が死ぬだけでは済まないことは理解出来た。
しかし、おかげで逃亡を図った横嶋に興味が無くなったのか、彼女は他のダークエルフに両手を掴まれながら、よろよろと歩きながら自分が元居た列へと戻っていた。
取り敢えず横嶋は一命を取り留めたのだろう。
そして、横嶋は列に戻る途中、僕へ向けて何とも言えない複雑な表情を送っていた。
「野原、アンタ何で私を助けて……。っ! まさかアンタ……」
横嶋は泣き崩れそうな表情で、恥ずかしそうに頬を赤く染めていた。
僕はもしかすると彼女がとんでもない誤解をしているのでは、と思って今すぐ全力で弁明をしたかった。
だが、刻々と近づいて来るダークエルフに向ける緊張感のせいでそれどころではなかった。
ダークエルフは切れ味の良さそうな剣を片手に持ち、それをギリギリと握りしめていた。僕が付けた額の傷から、流れる血がポタポタと地面に落ちる。奴が歩くたびにその背後に血の跡が残っていった。
僕は縄に縛られて逃げることも出来ず、立ち止まっているしかなかった。
(くそっ、考えろ……、どうすれば僕は助かるんだ……。この一瞬で考えろ)
僕はこの状況をどうすれば打開出来るか、思考回路の全てを使って模索し続けた。
(どんな方法がある? まず無理なのは、こいつらとの話し合いや取引だ。そもそも言葉が通じない。……そして、強行突破も不可能だ。剣を持っているダークエルフの方が完全に有利で、一瞬で切り落とされる。……じゃあ、僕はこいつらに対抗出来る何を持っている……)
僕が今持っている物と言えば、財布と携帯電話と音楽プレイヤーくらいだ。どうしようともこれが自分の身を守ってくれるとは思えない。
――ならば、僕が自分の命を守るために取れる策といえば、この『生徒の数』を利用することくらいだろう。
僕がダークエルフ達がこっちの言葉が分からないことを利用して生徒達の闘争心を煽り、全員でダークエルフに立ち向かえば、僕の命が助かる可能性が今よりは高くなる。
(……だけど、それは却下だな)
それは、僕一人が死ぬよりも多くの犠牲を出す事となる。決して感情的な判断ではなく、理性的な判断をすれば、一人が助かる方法を考えているのに、その一人以上が死ぬ『打開策』など『策』ですらない。それはただの愚策だ。
(なら、もう諦めるしか、……ないか)
全力を尽くして考えても答えが何一つ出ないと分かると、僕は心中で緊張の糸がふっと切れたことに気が付く。
それに、自分がこのまま殺されるのが、一番穏便に済む方法だと分かってもいるのだ。なら、無駄に足掻こうとする必要もないだろう。
僕は自分が『生』に対して執着がある方ではないと思っていたが、思いの他心残りが強かった。そして、その心残りは至ってシンプルなものだった。
「あーあ、もっといい人生を送りたかったなあ……」
そう呟いていると、気付けばダークエルフはもうすぐ傍まで来ていた。
そのまま僕はその様子を黙って見ていると、奴はとうとう僕の眼前で立ち止まった。
間近で見ると、よりダークエルフが恐ろしい存在に思える。背は高く筋肉は隆々で、何よりその怒りに溢れる顔つきに凄まじい威圧感を覚える。
「“`{*_&$$%’(0(/>!!」
ダークエルフが意味不明に叫ぶと、剣を持っている方とは逆の手で拳を作り、大きく振りかぶっていた。そのまま拳が僕目掛けて一直線に飛んでくる。
――そして、それを傷だらけの僕の顔面へ、ガンッ、という衝撃音と共に炸裂した。
殴られた勢いでグラリと脳が揺れ、石田とは比べ物にならない激痛が顔面を襲う。
(ったく、僕は一体、今日で何回顔面を殴られればいいんだよ……)
おそらくダークエルフのおぞましい笑みから、僕の顔が傷だらけなのを見て、追い打ちを掛けるように痛めつけているのだろう。もはや腫れだらけで顔がパンパンだ。
ダークエルフは目を更に嗜虐的に歪ませ、何故か剣を持つ手を空高くに掲げていた。
僕はその手を掲げる行動を見て、さっきの『魔法』を見せた時と同じような状況だということに気が付く。
全身に、鳥肌がたった。
「“:+>`#(_0<*!!」
剣が、灼熱の炎に大きく包まれていた。
刀身がその熱で真っ赤に染まり、剣の周囲の空気はメラメラと歪んでいる。
ダークエルフは面白そうにその剣先を僕の腹へと近づけて行った。
僕は、ゴクリ、と生唾を飲み込んだ。
真っ赤な剣先が、僕の腹に、ジュウウ、と音を上げながら触れる。
「ぐあああっ!!」
肌が焼け焦げる激痛に襲われ、苦痛に耐えきれず奥歯を噛みしめながら悲鳴を上げた。
「い、いやああああっ!! ひっく、野原ああああ!!!」
横嶋がしゃくりを上げながら僕の名を叫んだ。
ダークエルフはそんな悲鳴など聞こえていないかのように、ニヤニヤと焼け続ける僕の腹部を凝視する。
そして、ダークエルフは口端を更にいやらしく吊り上げると、剣を両手で持ち、少しずつ剣を更に押し付けてくる。
「――ぐっ!!」
剣が、プツリ、プツリと肉を焼きながら刺さり込んでくる。
僕はもう自分が死ぬ寸前の所に居るのだと、本能的に理解出来ていた。
――だが、その時だった。
ダークエルフが苦痛で歪む俺の顔を見ようと覗き込んでくると、何故か訝しげに眉を寄せていたのだ。
そして、剣を押し込んでいた手をピタリと止める。
(な、何だ? どうしたんだ……)
ダークエルフは僕の顔をマジマジと見ると、どうしてか途端に顔からぶわっと脂汗が噴出す。奴の目が不安げに大きく見開き、心なしか呼吸まで激しく荒れだしていた。




