第十二話 アルバム
しばらくシーケットに付いて行くと、案内されたのは書斎のような本棚に囲まれた一室だった。中央にソファーとテーブルが置かれ、ランプの明かりがそこを照らしている。
「まあ座ってくれ。アルバムはもう用意してある。ほら、それだ」
シーケットは机の上には幾つもの冊子が置かれていた。
冊子はかなりの回数で読み込まれていたのか、所々がすり切れており、表面は日焼けしている。
僕はその中の一冊を手に取り、パラリと開いてみた。
「……本当に、僕が居る」
容姿は十四歳くらいだろうか、今より数年幼い僕が、隣り合わせに居るシーケットと二人で互いに微笑みながら映っていたのだ。
おそらく記念写真か何かなのだろう。技術はあまり発展していないのか、白黒の写真だ。城の中と思われる一室で、シーケットが椅子に座り、僕がその横で彼女の肩に手を添えて立っていた。
僕がその写真を食い入るように見ていると、シーケットは机の上にある、他の冊子を手に取って渡してくる。
「これなんかどうだ? アタシがヴアムといつも一緒に遊んでた頃の写真だぜ?」
「……貸してくれ」
僕は深淵の底でも覗き込むような思いで、彼女から冊子を受け取り、一呼吸置いてから開いた。
僕はそこに映る自分とシーケットを見て少しの間、呼吸を完全に忘れていた。
「……嘘だろ、五歳くらいの子供じゃないか」
写真には、幼稚園くらいの男の子と女の子が、仲よさそうに原っぱを駆け回っている光景が映っていた。
そして、その男の子が僕で、女の子がシーケットだったのだ。
(どうなってる。……もし、この世界に僕が居たことに、一二歳から一五歳の間に起きた行方不明事件が関係するなら、辻褄が合わない)
そうなのだ。僕は『三年間』の行方不明事件が、この異世界にヴアムという自分が居たことに大きく関係しているのだと思っていた。
つまり、行方不明だった三年間が、かつての僕がこの世界に居た期間なのだと考えていたのだ。
そして、その予想通りだったならば、過去の僕がこの世界に居たのは、行方不明だった期間と同じ三年間だということになる。にも拘わらず、この写真にはそんな推測をせせら笑うかのような光景が映り込んでいるのだ。
(もしかして、この世界では僕の居た世界とは時間の流れが違うのか? ……いや、時間の流れが違うだけでは、行方不明になった時より幼い姿でこの世界に居る理由にはならない)
しかも、それに加えてデハードさんはこの世界でヴアムが行方不明だったのが、僕が行方不明事件を終えてから期間と同じ『二年間』だと言っていたのだ。ならば、時間の流れが元居た世界と違うという考え方は難しい。
(……くそ、余計に分からなくなってきた)
僕は謎に包まれたこの写真をどんな心情で受け止めればいいか分からず、おぼつかない手でアルバムを閉じて、机の上に戻した。
「……なあヴアム、どうだ、何か思い出したか?」
隣でシーケットが僕の様子を不安げに伺ってくる。
僕は自分という存在の謎が深まっていくばかりの現実に頭がパンクしそうで、弱々しい声で答えた。
「……悪いけど、これを見ても何かを思い出すことは出来ないよ」
「そうか……」
シーケットは僕が今置いたアルバムを取って、その写真を物憂げに眺めていた。その瞳が過去の自分を羨むかのように細められる。
「……この頃のヴアムは可愛かったな。ずっとアタシの後ろに付いて来てさ、子分を持ったような気分だったぜ……」
その思い出話に共感をしてあげたい。けれど、今の僕にそれは不可能だ。そして、唯一彼女を救う方法は、僕がヴアムとしての記憶を思い出すことだけだ。
「……なあシーケット、少し聞いてもいいかな?」
「あん? 別に構わねえが」
シーケットは首を傾げる。
「その写真を見たところによると、僕とシーケットって昔からの幼馴染ってことになるんだろ? ……それで、その、変な事を聞くようだけど、――僕って、何歳からこの世界に居たの?」
「はあ? 本当に意味分かんねえこと聞くのな? アタシは生まれた時からヴアムとは家が隣だったんだぜ?」
「へ? それって……どういうこと?」
そして、シーケットはさも当然のような口調で告げる。
「――ヴアムがこの世界に居たのは、当然、生まれてきた瞬間からに決ってるだろうが。そんなの当たり前だろ?」
「なっ!」
僕は思わず息を飲み、自分の耳を一瞬疑った。
「テメエが行方不明だった二年間以外は、殆どずっとアタシと一緒に居たよ。お互いの母親同士が仲良かったからな。よくどっちかの家に泊まりに行ったもんだぜ?」
「……それって、僕はこの世界で、この世界に居る母親から生まれてきたってこと?」
「おい、マジで大丈夫か? テメエ自分がモンスターからでも生まれてきたとでも思っていたのか?」
「違う……、そうじゃない。……そうじゃないんだ」
どうなっている。
彼女の話が本当だとすれば、僕はこの世界と元居た世界で二度も生まれていることになる。つまり――。
(――僕はこの世界と元居た世界で、血のつながった二人の母親を持っているのか?)
ちなみに、元居た世界の母親とは確実に血がつながっている筈だ。僕が生まれた時の写真だって何枚も残っていた。
僕は頭を抱えて、意識を思考の底へと沈めようとする。
だが、僕の困惑した様子を見てか、シーケットが努めて明るい様子で、僕に別のアルバムを開いて見せつけていた。
「それでさ、ヴアム! こっちは魔法学校に一緒に通ってた頃の写真だぜ!」
「…………」
僕は意識半分でその写真を見る。
それは、ローブを着こんだ僕とシーケットが二人で並んだ状態で、学校の教室と思われるような場所で魔法を発動させている様子を収めた写真だ。年齢は十歳くらいだろうか、どちらもまだ幼さが残った顔つきだ。
(あれ?)
けれど、そこで違和感を覚える。
その写真には他のクラスメイトと思われる人物達も居るのだが、その彼らが僕らに向けている視線がおかしかった。
――写真越しでも分かる程に、彼らは嫌悪感を露わに僕とシーケットを見ていたのだ。
「これも懐かしいぜ。よくクラスの奴らに喧嘩売られては、ボコボコにやり返してたよな。こうやって魔法を使うたびに奴ら、うぜえ目でこっち見てきてさー」
「え、……僕とシーケットって、学校で嫌われてたのか?」
「ああ、それはこっぴどくな。あいつら、事あるごとに先生とかに言いつけたりしてよ。そんで、先生もアタシらのこと嫌ってっから、絶対に罰を受けるのはこっちだったな」
シーケットはしみじみと、その過去を鬱陶しそうに語った。
と僕は、ふとあることが思い浮び、彼女に尋ねる。
「もしかしてだけど、その僕らが嫌われてた原因って、……『守護霊』か?」
「ああ」
シーケットは僅かな間も置かずに即答し、肯定した。
けれど、僕はその返事に違和感を感じざるおえなかった。
「でもおかしくないか? 聞いた話だと、僕とシーケットの守護霊って、この世界でもかなり最上位の存在なんだろ? しかも、誰もがその守護霊を羨んでるらしいじゃんか。なのに嫌われたのか?」
シーケットは手をひらひらと振りながら、どうでも良さそうに口を開く。
「ま、守護霊の『力』だけは羨まれてたな。それだけは今も昔も同じだ」
「……力だけ? じゃあ、それ以外の要素で、嫌われてたってこと?」
聞くと、シーケットは息を大きく吐き出してから、置かれているソファーに深く座り込んだ。そこには何処か深刻そうな雰囲気が漂っていた。
「……ああ。アタシとヴアムの守護霊は、いわゆる『悪魔族』だからな。……だいぶレアだぜ」
「悪魔? ……何だかその名前だけでもう嫌われそうな雰囲気があるな。もしかして、何か酷い迷信めいた話でも僕らの守護霊にはつきまとっていたのか?」
「いや、迷信じゃなく、実害を出してたぜ、アタシとヴアムの守護霊はな」
シーケットはそう言うと、目をゆっくりと瞑りだす。そして、手を前につき出して、何やら力を込め始めた。
すると、次の瞬間には、僕の目の前には『シーケットの守護霊』が現れていた。
「これが……、シーケットの守護霊なのか?」
「禍々しいだろ? 言っとくけど、ヴアムの守護霊なんて、これより恐ろしい見た目をしてたぜ?」
――悪魔が居た。
ぱっと見ただけで、そうだと理解出来る。
真っ黒な皮膚に、赤い瞳。何処か人にも似た体格。頭には二本の角が生え、口元には数えきれない程の牙が生えている。
そして、見るだけで悪寒が走る。悪魔の視線は別にこちらを見ている訳ではなくても、身を竦ませるには十分な恐怖を放っていた。
その悪魔が僕にとって、どうしてここまで怖いかは分からない。本能的に恐ろしく感じているのだ。
僕は、唇を僅かに震わせながら、そっと口を開く。
「……ほ、本当に悪魔だな。見てるだけで恐ろしい。……これが、シーケットの言っていた他人に与える『実害』か?」
僕は確信めいた思いで聞く。だが、シーケットは首を縦には振らなかった。
「……いや、違うな。そいつはもっと恐ろしいことを、他人にするんだぜ?」
「は? な、なんだよ……」
そのまま僕は黙り込んで、彼女の言葉を聞いていた。
「――そいつはな、気まぐれで他人の、人生を奪うんだよ」




