第十一部 街でのゴタゴタ
これから僕が考え、すべき行動は主に二つだ。
一つ目に、元居た世界に戻る方法を探し出し、自身や僕を含めた生徒達が帰還出来るようにすること。
この今いるファンタジーのような世界では、命の保証があるかも分からない。最低限の帰る方法くらいは知っておくべきだろう。
そして、二つ目に、この世界における僕自身の謎を解き明かすこと。
僕はどうやら二年前にヴアムという名前で、実際にこの世界で存在した人物らしいのだ。だが、そのヴアムは謎の多い人物で。人々から『絶対的な悪』と恐れられ、誰もが羨む『守護霊』を手にしていたらしく、そして、世界三大美女の許嫁が居る。
その過去の僕と思われるヴアムが、一体どんな人間で、何をした人間なのか、気になって仕方がないのだ。
(まずは、僕がシーケットから見て、どんな人間だったのかを聞こう。それと、今はシーケット以外の人からその情報を聞くのは控えよう。最初は信頼性が高いだろう彼女に絞って話を聞くべきだ。でないと曖昧な情報で混乱するかもしれない……)
そう考え、僕は自分と一緒に街を歩く執事のセバスチャンにはヴアムの情報を聞かず、そろそろ城に戻りたいと言いつけていた。
そして、セバスチャンに了承してもらい、城へと足早に帰り出す。
すると、その帰り道の最中のこと。僕はその他にも街で様々な珍しい光景を目にしていた。前の世界には存在していなかった道具などを売る店や、腕が四本生えている人間などの、信じられない格好をした人物。
けれど、それらを目にしても僕は帰り道で立ち止まることは無かった。
それと打って変わって、僕が帰り道の途中で何処にでも居る『奴隷』を目にすると、心が落ち着かずに、今すぐ走り出したい衝動に駆られていたのだ。
僕は奴隷の一件があってから、何やら胸の奥に嫌な感情がわだかまり、ついさっきまでの、この世界に戸惑い続けたり、物珍しい物を見ると好奇心に駆られる感情が何処かへ行ってしまったのだ。
(早く帰って、かつての僕が国を支配して何を成そうとしていたのか聞きたい。……今すぐに。……ただ問題なのは――)
――けれど、今シーケットはこの僕にヴアムの記憶が存在していないことの、悲壮な現実に打ちひしがれているであろう最中だ。
かつての僕とシーケットがどれだけ親密な関係だったのかは分からない。それでもシーケットが僕のことを大切に思っていてくれたのは本当なのだろう。
あの彼女が僕に見せてくれた笑顔が、心の底から信頼する人間に見せるものだと、本能的に感じていたのだ。
(少しでも、ヴアムの頃の記憶が戻ってくれれば、多少マシなんだろうけどな……)
今の僕がシーケットのことで覚えているのは、この世界に来る前に僅かに見た幻覚の映像くらいだ。彼女と僕がどんな出会いをして、どのような時間をお互いに分かち合ったのかは全く記憶にない。
故に、彼女との間にあるのは現状、気まずさだけだ。そんな状態で僕が色々と質問するのも、シーケットにストレスを与えるだけなのかもしれない。
けれど、だからと言ってシーケットと話もせずに距離を置き続けるのも、何か違う気がするのだ。
(ちょっと、シーケットにどう話し掛ければいいか、考えておいた方がいいな……)
僕は自分の貧相なコミュニケーション能力をフル稼働させ、どうすれば彼女となるべく良好な雰囲気になれるか考えてみる。
街を歩きながら、周りの物をキョロキョロと見渡して、丁度良い話題のタネは無いか、などと探してみる。
すると、僕がしっかりと前を見ていなかったからだろう。
トスンッ、と目の前から来ていた人とぶつかってしまったのだ。
「あっ、ごめんなさい! 大丈夫ですか?」
慌てて謝り、視線を真正面へと戻す。
と見てみれば、僕とぶつかったのは六歳くらいの男の子だった。そして、僕がぶつかってしまった衝撃で、体勢を崩して転んでしまっていた。
男の子は思いっきり尻餅を突いてしまったらしく、目がうるうると涙で溢れ出す。
「う、う、うええええええええええっ!!」
男の子は泣き出し、手足をジタバタとさせて痛みを訴えてきていた。
僕は今まで小さな子供を相手もする機会があまり無かったので、どう泣き止ませればいいか、困ってオロオロとしてしまう。
「え、えっと……。ごめんね? 本当にごめんね?」
僕はひとまず転んだままの男の子を立たせてあげようと、そっと手を伸ばした。
「ちょっと、あなた! うちの子供に何してるんですか!」
後ろから母親らしき人の咎める声が聞こえ、僕は頭を思い切り下げて謝罪をする。
「ごめんなさい! 僕がよそ見をしていたので、お子さんとぶつかって転ばさせてしまいました。申し訳ありません!」
「あなたねえ! 目を離していた私も悪いですけど、気を付けて頂けますか!? 子供の身体はそんなに丈夫じゃないんですよ」
「はい……」
僕が反省の色を出して相槌を打つと、母親は小さく嘆息を吐き、男の子の手を掴み、起き上がらせた。
「……分かって頂ければ構いません。ほらマー君、立って、帰るわよ」
「うん……」
親子はそのまま去ろうと歩き出す。
しかし、僕の護衛をしていた男二人が、それを遮っていた。
「おい、お前ら! 何を普通に帰ろうとしてるんだ!」
「は、はい?」
いきなりそんなことを言われたからか、母親の口はぽかんと開いてしまっていた。
それが当然の反応だと思うのだが、僕が護衛の二人にどうこう言う前に、話は勝手に進んで行っていた。
「母親、お前のガキが無礼にもぶつかった、このお方を誰だと思っているんだ!! え!?」
「あの……誰って?」
僕は顔を隠す為にフードをすっぽりとはめているから、正面から見ただけでは分からない筈だ。けれど、母親は護衛にそう言われ、僕の顔を覗こうと屈んでしまう。
すると、僕の顔を見た母親の表情から、血の気が急激に引いて行くことに気が付いた。
「ヴ、ヴアム様!? 何故ここにいらっしゃるのですか!!」
母親が驚愕して叫ぶと、周囲に居た他人達の視線が一瞬として、僕のもとに集まる。
そして、フード越しでも意識すれば僕がヴアムだということが分かるようで、すぐに辺りがざわめきだした。
「あの噂は本当だったのか。ヴアム様が生きて戻って来たっていうのは」
「信じられない。……まさか、嘘でしょう……」
「……た、大変だ……」
周りの人間達が一斉にその話題で持ち切りになるが、あまり僕が帰国したことに歓迎されているような雰囲気とも思えなかった。むしろ逆だ。彼らの声色には恐怖が含まれていると感じられた。
周囲はその話題に続いて、現在の僕が子供にぶつかった状況のことにも興味を示していく。
「あの親子も不幸にな……。ヴアム様にぶつかって、ただで済む訳がないだろうに」
「子供の方は処刑かね……」
何だか僕は、周囲から悪魔のような独裁者という認識がなされているようだった。
けれど、僕自身は当然、前をきちんと見ていなかった自分が悪いと思うので、母親に向かって声を荒げた護衛を叱りつける。
「なあ、何で子供にぶつかった僕が悪いのに、その母親を責め立てるんだよ。今すぐ謝れ」
「し、しかし……。ヴアム様はこの国で最も偉い方で……」
「そんなの関係ないだろう。今すぐ謝れ」
「……申し訳ございません。無礼をお許しください」
護衛は親子に向かって頭を下げる。再び母親は目の前で何が起きているのか理解しがたいようで、さっきよりも大きく口をぽかんと開けれていた。
そして、周囲からのざわめきも、少し前より何倍も騒がしくなり始めた。
「う、嘘だろ、あれがヴアム様か? この二年間で一体何があったんだ?」
「ヴアム様……、まるで人が変わったようだ」
どうやら、周囲は僕が親子に反省の色を見せているのが、二年前と比べると信じられないらしい。一体、過去の僕はこの国でどれだけ傍若無人だったのか、とあきれ返りそうな気持に駆られる。
とその時。僕は周囲の人間から、不吉な話が聞こえて来たことに気が付く。
「――あれ、おかしいぞ。……ヴアム様の守護霊が、居ない?」
僕はその言葉に、ドキリ、と心臓をはねらせ、すぐにセバスチャンの耳元で囁いた。
「すぐこの場から離れよう。流石にマズいだろう?」
「勿論でございます。さあ、屋敷へお急いで下さい」
そうして、僕達は足早にその場を去って行くのだった。
きっと、『守護霊』という存在があるかぎり、僕はこの国でヴアムとして長く過ごしていくことは、おそらく難しいのだろう。故に、早く自分で問題解決が出来る情報を手に入れようと、思わず歩調がどんどんと上がっていくのだった。
× × ×
「お帰り、ヴアム」
城へ戻ると、僕を真っ先に迎えてくれたのはシーケットだった。
彼女は美しい顔を微笑ませ、和やかな雰囲気を向けてくれている。その姿のシーケットが、玄関ホールに居る他のメイド達と比べても、やはり美しさは圧倒的だった。
けれど、僕は彼女が初対面の時に見せた、遠慮のない荒々しい態度を思い出すと、きっとこの態度は彼女にとって自然な形ではないのだろう、と思い込んでしまう。
そして、彼女は少し気を使ったような様子のまま、僕の手を掴んできていた。その時に僕の心臓はドキッ、と高鳴るが、シーケットは気付かずに口を開く。
「なあ、時間を貰って、アタシは少し考えたんだがよ。アタシとヴアムとの思い出話とかでもしたら、多少は記憶が戻ってくるんじゃねえか?」
「思い出話?」
「ああ。アタシの部屋に写真のアルバムも沢山ある。それを見せてやるから、ちょっと付いて来い」
「わ、分かったよ」
僕は首を縦に振り、シーケットに手を掴まれたまま彼女の部屋へと連れて行かれるのだった。
そして、その掴まれていたシーケットの手が、何だか弱々しく感じたのは、きっと気のせいではないのだろう。
僕も彼女に関する記憶をのことは思い出してあげたい。それに、これでヴアムという人間のことをちゃんと知れるかもしれないのだから、これから始めることに真剣な心構えになるのは、自然なことだった。
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